夏蝉の死骸

篠岡遼佳

ひとでなしの僕等

「ひとでなし!」

「どっちがだ」


 兄さんがリンゴを放り投げ、もてあそびながら言う。

「先に裏切ったのはお前の方だろ?」

 叫んだ相手はなんだか必死な顔で胸を押さえている。

 視線が安定しないのは、兄さんが「視覚」を奪ったからだ。

 彼女の目には、もうなにも見えていない。視界は今の夜よりも真っ暗だろう。

「人殺しの手伝いなんて知ってたら、最初っからあなたたちに私の【能力】を貸そうなんて思わなかったわ」

 膝をついてこちらの方を睨もうとするその女の人は、あっさり本心を話した。

 兄さんはきれいな金髪を掻き上げ、

「へえ、なにも見えてないのに、君はよく喋るタイプだね。やはり師父さまの言うことは確かだった。裏切り者よ、さっさと死ね。アーディ、もういいよ」

「わかった」

 僕を呼んだ。

 僕はとりあえず微笑んで(だって見えてないんだし、意味ないかなって)、その人の目の前に座り込んだ。

「こんばんは、お姉さん」

「ひっ」

 いきなり目の前に人がいたら、まあびっくりするよね。

 でも、それだけじゃない。

 僕がこの間合いに入ったら、もう逃げられないからだ。

「じゃ、そういうことで」

 僕はその人の心臓のあるあたりを、そっと撫でた。



 僕らは兄弟で、兄さんはリーティ、弟の僕はアーディという。ヴェルト兄弟、って言ったら、知ってる人もいるかも知れない。

 僕らはいわゆる戦争のせいでみなしごになったクチで、正直多分、この【能力】に覚醒してなかったら、とっくに死んでいたと思う。


 【能力】というのは、「触れた人の感覚を奪う」というものだ。

 特に兄さんの力は強く、「奪った感覚を他のものに移し替える」ことさえできる。秀でて強くて、さらさらの金髪が天使さまみたいな兄さんは、僕の自慢だ。

 【能力】に目覚めている人は、さっきの人もそうだし、僕ら兄弟ももちろんそうで、戦争が激化してからはどんどん増えている、と師父様は言っていた。

「現実にすべてを奪われ続けていた君たちは、だからこの【奪う能力】に目覚めたんだね。高き御方は確かに世界の天秤を操っていらっしゃる」

 いつも分厚い教典を持っていらっしゃる師父さまは、そう言って僕らの頭をよく撫でてくれた。師父さまは、どこにでもいる神父のような格好をしているけれど、十字架を信じたりはしていないみたいだ。分厚い教典も、正直言って僕くらいの知識じゃ読めないようなことがたくさん書いてある。ロストテクノロジーとかいうらしいけど、よくわからない。


 「感覚」を移し替えられると言うことは、盲目の人に視界を蘇らせることや、歩けない人に足を戻すことだってできるわけで、お金も権力も動く。

 そういうわけで、師父さまに言われるとおり、兄さんは僕を連れていろんなところを転々としていた。もちろん僕も、ちゃんと仕事はしているよ。

 で、たまにああいう裏切り者を消していく。

 裏切る人の気持ちが僕にはわからないから、殺すときもあんまり気持ちは変わらない。

 そもそも、なぜ人殺しがいけないことなのかな? みんなやってるじゃないか。

 だから、多分僕は死ぬときにならなければ、殺される気持ち……なんか、怯えてたり、絶望してたり、そういう顔はわかるけど、実際の恐怖みたいなものはわかんないと思う。

 なんだか、僕はそういうところに疎いみたいで、兄さんはたまに僕の栗色の髪を撫でる。心配しているときは、黙ってそういうことをしてくれる。兄さんはとても優しい。


 僕らの寝床は、大抵戦闘が終わった教会というところで眠ることが多い。

 夜の光が照らす、豪華なステンドグラス。その割れた天窓に向かってお祈りをする。

「せいじょうな世界になりますように、我々をおみちびき下さい、高き御方」



 ――さて、困ったことになったかも。


 今回殺す相手は、変わった対策を立ててきたらしい。

 屋敷の周りをがっちりと警備しているのはいつものことだけれど、本人が、鉄製の箱に入って出てこないのだ。

 なるほどね、これなら確かに触れることはできない。僕らの【能力】は触れないと発動しないから、死ぬこともないってわけだ。

 ちょっと困ったな、という顔をしてみたら、兄さんが微笑んで、僕にそれを渡してくれた。

 少し干からびた、蝉の死骸だった。


 真っ暗な屋敷の、とりあえず出会った人たちは戦闘不能にしていく。

 足を取る、腕を取る、目を取る、心臓の鼓動を取る。

 僕らは足音なく素早く動き、相手に指先でも触れることを訓練されてきてるから、普通の兵士じゃあんまり相手にもならない。


 そんなわけで、一番奥の部屋に音もなく侵入する。

 その人は目の部分だけ空いた鉄箱の中から叫んだ。開閉式らしい。

「これで私には触れないだろう! 愚かな美しいヴェルト兄弟よ! 立ち去るがよい!」

 領主さまと聞いていたけど、見える眉のあたりが太り気味だし、声も人に命令しなれてるみたいだし、なるほど、やっぱりえらい人なんだなあ、と僕は思う。

 僕は兄さんを見上げて、どうする? と視線で尋ねた。僕らの名前や見た目まで知ってるとなると、もう絶対に死んでもらわないと困ってしまう。

 兄さんはふっと息をつくと、やっていいぞ、と口のかたちだけで答えてくれた。

 僕はにっこり笑ってから、足音も立てず鉄箱に近づき、

「こんばんは、領主さま。この辺一帯だけ略奪が行われてないのは、なんだかお金の匂いがしますね。兵の数は今日のこれで減っちゃいましたから、明日からはここも戦場の一部で……っと」

 おっと、間違えた。明日なんかないんだった。

「とりあえず、みなさん死んだら同じところに行くんですよね。じゃ、問題ないですね」

「何を言うか! 触れられなければ貴様らの【能力】は通じんと……」

「最後に言うことはないですか?」

「何を……まさか……」

「じゃあ、さよならです」

 僕は蝉の死骸を取り出して、じっと領主さまの目を見たまま、箱に向かって死骸を通るように息を吹いた。

「…………な゛………」

 死は訪れる。音もなく、前触れもなく。

 ふと見ると、領主さまは瞳をぐりんと上に向かせて、絶命していた。

 ――そして、僕の手の中で、蝉がうごめく。

 僕は窓に近づき、外へ腕を伸ばして、蝉を夏の夜空へ飛ばしてやった。ジジッと、彼の返事が聞こえた気がした。

「これでよし」

 そう、僕の【能力】は、「感覚」ではなく、「生」と「死」をそのまま扱えること。今は、蝉の死を、領主さまの生と交換したってこと。

 【能力】を持つものなんて大勢いるんだから、ちょっとしたイレギュラーくらいわかっておかないとね、領主さま。


 僕は、夜空の天窓のような、まん丸な月を見上げる。

「蝉は良いなあ、空を飛べて」

「お前が言うなら、俺も一緒に飛ぶよ」


 僕が言うと、兄さんがまた、僕の髪を撫でてくれた。

 なんてうれしいんだろう。思わず兄さんに抱きつく。


 生きることと死ぬことなんて、いつでも僕の中にある。

 兄さんと一緒の生活を、僕はけっこう、気に入っている。


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夏蝉の死骸 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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