第5話 おっさ(略 ですがこの世界がうっさんくさいです
夜があけようとしている。歳をとると尿意が近くなって困る。クリスはまだ寝ているのか。間仕切りで見えないが、確か全裸睡眠派だよね彼女。尿だけ転送する技術が今欲しい。
「クリス!起きてくれ!非常事態だ!」
「えっ!ちょっと待ってください!」
そういうが早いかクリスは下着やらシャツやら着てズボンまで履いたようだ。この間わずかに数秒。
「トイレ行かせて」
「は、はは……」
乾いた笑いを浮かべるクリスを横目に、俺はトイレに向かった。
トイレから戻り、服を着たりして下に降りてチェックアウトをすることにした。やっぱりニヤニヤしてやがる宿の主人。
「ゆうべはおた「言わせねぇよ!」」
しかし言わせなかったのに、まだこいつニヤニヤしてやがる。ポケットに忍ばせていたクスリをかけてやることにする。
「ところで主人、背中になんか虫みたいなのついてるぞ?」
「え?ちょっ、ちょっと、そうなの?」
「取ってやるよ」
そう言って主人に近づく。
「おい股間の方に降りてるぞ!殺虫剤かけてやる!」
「え?え?」
おもむろに股間にクスリをぶっかける。
「くそ!逃げ切りやがった!」
「なんだよそれ」
「噛まれてないか?あの系の虫だと痒くなるかもしれんぞ」
「マジかよ」
宿屋のオヤジが股間に違和感を覚えたようだ。もうしばらくしたら、確実にちん◯が痒くなって悶絶するだろう。金は払うがもうクリスと一緒には来たくないなここには。振り向くとなぜかちょっとクリスが赤くなっている。
「まだ具合悪いのか?」
「え?い、いえそんなことはないんですが……まさか聞こ……」
「何が?」
「い、いえ!な、なんでもないです!」
「それじゃ、まずはその幽霊屋敷に行くとするか」
「調査依頼を正式に受けてからの方が良くないですか」
なるほどもっともだ。ところでどこで調査依頼は受けるんだ?
「調査依頼ってどこでやってるんだろ、役所?」
「確か役所から冒険者ギルドに依頼をしていたはずです」
「よく覚えてるなぁ」
「記憶力には少し自信があります」
ちょっとだけクリスが胸を張る。もっと自信持っていいんだよきみは全般的に。そして俺に(ゲノム情報的な意味で)すべてを見せて欲しい。
「ならまずそのギルドとやらに行ってみるか」
「あ、でもわたしあまり行きたくないんです。特にギルドだと知ってる人もいるので」
そうだったな。クソみたいな連中がゴロゴロいるってわけか。俺だけで行ってくるか。クリス以外に交渉担当雇わないとな……俺が交渉やるの面倒だ。
ギルドで依頼を受け、幽霊屋敷とやらにたどり着いた俺とクリスだが、屋敷の周りを調べている。入り口はどこだよこの建物。窓のようなものはあるが、それも雨戸のようなもので覆われている。周囲にはツタのようなものが生えているし、人気ないことこの上ない。
一周してみたはいいが、とにかく入り口のようなものはない。入り口がない建物ってなんなんだ。宗教的な意味の建物とかだろうか?それにしたってどこから入るのか。ハシゴでも使えばいいのだろうか?
「上からは進入できなそうです……」
クリスは建物の上に飛び上がろうとしていたが、こちらもうまくいかないようだ。仮に上から入るのを試みるとしたら、ハシゴのようなものを持ってくるしかないが面倒だな。
「クリス」
「なんです?」
「鏡とか持ってる?」
「小さいのなら……」
「よし」
クリスに手鏡を借り、棒の先につけて上の様子を見てみる。どうやら入り口のようなものはない。煙突のようなものはあるが……
「確かにムリだな上からは」
「ですね」
「地下から入る入り口とかでもあるのか?」
周囲もダメ、上からもダメとなるとあとは考えられるのは地下である。建物の周囲を探してみるが、特に入り口らしいものはやはりない。
「わからん。なんなんだこの建物」
「どうしたら……」
「とりあえずメシにしようか。クリスも一緒に食べよう、な」
「はい」
体力的にはともかく精神的に歩き疲れた俺たちは、ゴザのようなもの(名前は失念した)と昼メシを取り出し座り込んだ。俺は水筒から直に、喉を鳴らして水を飲む。
「あ、わたしにも」
「ほれ」
「いただきます」
クリスも水筒に口をつけて飲んでいたが、急に顔を赤くする。肉体的にはともかく精神的に疲れたからな。従業員のことはきちんと考えないとブラック企業になってしまう。
「疲れたな。しばらく休もう」
「は、はい」
上司が休まないと部下も休めないからな。部下を休ませたい上司は早く帰ることをオススメする。ロウでコートした紙袋から、サンドイッチを取り出そうとした。クリスが小動物のように両手で持って、ビスケットのような硬いパンをかじっている。
「これ食べよう」
「えっ?でもこれヒロシのお昼じゃ」
「そっちの半分くれたらいいから」
「いいんですか?」
「いいんです」
俺はクリスのビスケットを受け取り、半分にちぎった。そしてそのまま齧り付く。硬いなこれ。アゴが疲れそうだこんなの齧ってたら。
「このパンおいしい……」
クリスがサンドイッチを頬張りながら、妙に感心した表情をしている。そんなたいしたもんじゃないんだがな。
「でもこんな柔らかなパン、すぐカビちゃうんじゃ……」
「多少はもつぞ。カビってなんで発生するか知ってる?」
「いえ……」
「いわゆるカビ、真菌ってやつは有機物を栄養源に、適度な水分を必要として生育するのだが、それ以前に菌が入らないようにする必要がある」
「入る?自然に発生するんじゃないんですか?」
「胞子っていって、カビのもとが空気中を飛び回っている。そいつが適切な環境に付着すると生育する。つまり」
「つまり?」
「胞子を入れなければカビは生えない」
「そんなこと簡単にできるんですか?」
「簡単にはできないけど、できなくはない。俺たちの世界では普通の人間がパンを買うとき、そういうパンを買うことも多かったぞ」
「……」
クリスは無言でサンドイッチを頬張りだした。しばらく何かを考えているようだ。そして。
「そうだ。一部の異端の学者が、カビと魔法の類似性について研究していました」
「カビと魔法?」
「はい。目に見えないほど小さい何かが魔法を行使する際に使われるのでは、と言われています」
「それって……」
「えっと、カビではないけど、ちょっと似てる別の何かとか言っていたような」
「まさか……粘菌のようなやつか!?」
細胞粘菌類が演算処理を行うことは地球でも知られている。そういった演算処理を応用したのがこの世界の魔法なのか?
「粘菌?」
「すごく小さいスライムみたいなやつ」
「魔法ってそういうものが関わって……考えたら気持ち悪いかも」
「仮説なんだろあくまで」
「はい」
「それに人体内にもいろんな微生物がいるんだし、あんまり俺は気にならないけどな」
「でもカビは嫌なんですか?」
「だってさ、カビが原因で病気になること多いんだぞ?菌によってはガンやら発狂やらの原因にすらなる」
例えば麦角菌はかつての地球の中世ヨーロッパなどにおいて猛威を振るい、その幻覚はセイラム魔女裁判などの遠因ともいわれている。麦角アルカロイドを精製抽出したLSDは、幻覚剤として乱用されてきた。
「怖いですねカビ……」
「カビによっては人間が利用できるものもある。俺たちの世界では病原体を殺す材料にもしていたぞ」
「そんなのできるんですか?」
「俺は作らない、というより作れない。むしろ作ったとしてうまく投与できないよ、そういう訓練してないから」
「ヒロシの世界ってヒロシ以上の人がたくさんいるんですか?」
「いるよ。いっぱいいる。俺はその知の巨人たちの知性を借用してるだけだ」
「そんな世界があるんだ……」
「この世界も元々は結構な文明があったんじゃないか、って俺は思うんだが……」
クリスがキョトンとした顔で首をかしげる。やっぱり小動物っぽい。
「なんでそんなことが言えるんですか?」
「それこそそもそもきみだよ」
「わたし?」
「遺伝子組み換えなんて単語が普通に存在していた。ということはつまり遺伝子という概念、親から子に伝わる何かがあるということがわかっていることになる」
「それは、親から子に何かが伝わるのは当たり前では?親から出来てるんですよ?」
「俺たちの世界では、遺伝子という存在がわかったのはつい150年程度前だぞ。それまでは液体のように混ざり合うと考えられていた」
「そんな最近……」
「遺伝子組み換えに至っては30年も歴史がない。烙印として負のステータスとしての遺伝子組み換えが伝わっているのは30年程度か?」
「……少なく考えても数百年はあります」
「ということはだ」
俺はクリスの齧りかけたビスケットを頬張った。かなり堅いと思っていたが、これも結構イケるな。ごまのようないい香りがする。実に香ばしい。この世界食が充実してるのはありがたい本当に。イ◯リスみたいなとこだったらキレてた。ん、まだクリスの顔が赤いな。もう少し休んで行こう。
「それ以前に遺伝子組み換えと言う概念が確立していたということになる。つまりこの世界は少なくとも生物学分野において、俺たちの世界の数百年前に到達していたことになる」
「あっ」
「そして生物学分野は、他の基礎科学の上にあるんだぞ。他分野でも同程度の技術があったはずなんだ」
「でもなんで、今は……そっか……」
「な。誰かが意図的に文明を後退させていると考えたら自然なんだよ」
「国教会……」
「他では絶対言うな。当分は俺たちだけの秘密だ」
「はっ、はいっ!」
クリスが勢いよく返事する。なんだか嬉しそうだけど、嬉しくないからな内容的に断じて。
「国教会全てを敵に回すのは、今はまだ得策じゃないからなぁ」
「そろそろ、探索に戻りますか?」
「そうだな」
この建物に入る方法はまだわからないが、もう少しうろちょろしてみるか。1時間ほどうろついているうち、色が変わっている壁を見つけた。何が原因なのかわからないが、ひょっとしてここから入れるのか?
素材としてはコンクリートのような壁なのだが、ちょっと色合いが違う。どこかでこういう色合いの壁を見たことがあるな。
「……ローマン・コンクリートか?しかしここから壁の色合いが変だな」
「押したりしてみますか?」
「ここでぼーっとしていても仕方ないからな。やってみるか」
ローマン・コンクリートは古代ローマで使われた火山灰で作られたコンクリートである。すごいな。二人で壁を押したりしてみる。あちこち押してみるが、どうもうまくいかない。ここが入り口だとして、どうやって入るか?鍵穴とかあるといいんだが……。
小さな穴が空いている。この穴……俺は穴に持ってきたカンテラの光を当ててみた。中に電極のようなものがある。電極に電線を当ててみる。ビリッときた!電気が通っている、だと!?
「いってぇ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「この建物何年ものだ?なのに電気が生きている、だと!?」
「電気ってなんですか?魔法じゃないんですか?」
「雷とかみたいな力だよ。魔法でも起こせるんだっけ雷?」
「はい」
「しかしこれは、入るの一苦労だぞ、正式に入るの」
「やっぱりダメでしょうか?」
「正式に入らなかったらいいんじゃないか?」
俺は穴の周りを壊しはじめた。クリスはじっとこちらをみている。配線が見えてきた。これ機械じゃないのか?電子機器ならばだ。手袋して、持ってきた通電確認の機械を端子にあてる。電流が流れてる線を切断していく。
「あとはどの線を引っ付けるかだな」
切断した線を何度か接続していると、壁が動き出した。ビンゴだ。
「よっしゃ!入るぞクリス」
「壁が……動いてる……?」
俺たちは建物の中を歩き始めた。さて、鬼が出るか蛇が出るか、はたまた……。
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