亡《な》き霊《たま》しいたち

 何度書いても、自分で納得のいく「いい書き出し」と云う奴が全く出てこない。最初の五行から十行ほどを、一体もう幾度書いたか見当もつかない。


 僕は夢の中で、「一度だけセックスした女が、実はその時に俺の子を身籠ってしまっていたのだが、私には何も告げずにこっそりと隠れてその子を堕ろしていたのではないだろうか」と云う妄想に駆られることがよくある。これは現実の僕自身の不安でもあって、それが嵩じて最近では、どんなに巧妙に避妊に努めようとも、決して異性とは交われない躰になってしまった。それほどまでに、私は自らの子供が自分の与り知らぬところで勝手に死んでいくと云うことが、恐ろしくてならないのだ。そもそも、俺の子供だなんて、ちゃんちゃら可笑しいにもほどがある。気持ちが悪い。絶望的なまでに、吐き気がしてしまう。

 沈黙。

 これは、僕の友情についての読み物である。「編集」などと云った言葉もあるくらいだから、「編み物」でもあるかも知れない。その辺りの詳しい専門用語はよく判らないが、とにかく何某かの文章であることは間違いない。それも、日本語で書かれた何かだ。そしてきっと、これは小説なのだ。恐らく、哀しいくらい物語にはならないだろう。だから、映画やドラマ、それにコミックなんかにするのはきっと無理だと想う。別にそんなことは気にしない。そんなことを気にして小説を書く人を、見下したりバカにしたり、情けないと想ったりもしないが。いや寧ろ、尊敬すらしてしまうかも知れない。

 私が初めてセックスをしたのは、20世紀の終わりの年のことで、確かベッドに備え付けられた有線からは、「ギブス」が流れていた。だから、未だに『勝訴ストリップ』を聴いていてこの曲に差し掛かった際には、その時のことが想い出されて、何とも微妙な心持ちになってしまう。音楽の力とは、どうしようもないほどに偉大である。

 その時の相手とは、高校を卒業してから二箇月ほどで連絡を取り合わなくなってしまった。そしてその一年半後、僕の二十歳の誕生日を少し過ぎた頃に、彼女は高校時代のクラスメイト(つまり、僕にとっても同級生だった)と、早々に結婚してしまった。特に子供が出来た訳でもなかったらしいのだが、僕はその結婚をそれほど意外には想わなかった。何故なら、その二人は高校一年の三学期からずっと付き合っていたのだから。一学年の全生徒数が二十人を切るような、山間の小さな分校だったから無論、僕もそのことはよく知っていた。寧ろどちらかと云えば、僕が二人をくっつけたと云っても過言ではなかった。それが僕の、最初の青春だったのかも知れない。



 2002年1月、俺は地元の成人式に出席するため、約二年振りに田舎へ帰省した。

 僕が生まれ育って、高校を卒業するまで暮らしていた場所は、今考えてみればびっくりするくらいのド田舎で、もし横溝正史が現在も生きていたならば直様、長篇の舞台にされてもおかしくはなかっただろう。そんな土地には大した娯楽などある筈もなく、夜の訪れは早く、それなのに夜の楽しみ方を知るのは誰も彼も、情けないほどに遅かった。これはあくまでも、私の主観ではあるが。

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