第3話 リトライ
白い。
気づけば俺はそこに立っていた。ここはどこかという疑問よりも安らぎが俺の心を埋めつくす。
白の世界。目の前の光景を説明しようとするとこの言葉が最適解だ。白はどこまでも続いている。どこまでも、どこまでも。まるでここに立っている俺を異物だと白が言っているかのようだ。
ああ、そうか。俺は死んだのか。佐々木 明星は死んだのか。自分のことを第一に思う自己中心的な男は死んだのか。
この状況に理解が追いつく。おそらくここは死後の世界とかそんなところだろう。
突然の気配。誰かに見られている。周囲を見回す。
少女が立っていた。俺から三メートルぐらいのところに。金というよりは黄色に近い髪を背中に垂らしている。前髪は眉下で揃えられている。青い目の色をしている。白い布を身体にまいている。
美しい。だが、美しすぎる。まるで作り物のように。
「佐々木 明星様ですね。準備が整いました。お入りください。審判の間では列になって順番をお待ちください」
少女が感情のない声で淡々と告げる。
直後少女の後ろに銀の鉄製の扉が現れた。様々な生物の頭蓋骨が所狭しと扉に描かれている。少女はヒトの様な生物の頭蓋骨がデザインされているノブに手をかけ、扉を開いた。
扉は大きな音を立てながらゆっくりと俺を取り込もうとするかのように口を開く。この中に入れということなのだろう。扉の向こう側ではありとあらゆる生物が列を作って並んでいる。どうやら少女は中には入らないらしい。何が待っているのかという恐怖が心に沸く。だがここで立ち止まっていても仕方がない。俺は恐る恐る一歩を踏み出した。
*
少女が審判の間と呼んだそこは白く巨大な空間だった。壁も天井も何もない。さっきの場所と違うところといえば中央に五メートルぐらいの黒い扉と白い扉が向かい合って立ててあるという点だ。いや、よく見ると白の扉と黒の扉との間に何かが浮いている。人間のように見える。ここからでは確認できない。
目の前にはその扉のあるあたりまで列ができている。ワニ、ゾウ、コウモリ、カマキリなどといった一見共通点のないような動物達が真っ直ぐ一列に並んでいる。ふと前を見ると俺の前にはヒトが並んでいる。そして俺はその人物をよく知っている。
忘れようと思っても永遠に忘れることができないだろう。そいつは俺が殺し、殺された女なのだから。
とっさに距離を取る。いや、取ろうとした。異変に気付く。身体が動かないのだ。声を出そうと息を吸い込む。声が出ない。空気が口から漏れ出るだけである。どうやらここにいる全員がそうであるようだ。
列が一つ詰められた。全員が一歩前へ移動する。足だけが脳の司令を無視して動き出す。どうやら俺は列を進むしかないようだ。
ギギギギギギギギッ。
背後からの音。また鉄の扉が開いたようだ。後ろを確認したいが身体が動かないのでどうすることもできない。
列はまた一つ前へと進む。
*
近づくにつれて宙に浮かぶ人影の形がはっきりする。老人だ。少なくとも俺にはそう見える。だが只の老人ではない。こんなところにいるのだから当たり前かもしれないが、その老人は椅子ごと宙に浮いているのだ。どこぞの王が座るような派手なデザインをしているが色は真っ白な椅子に。その老人も黄髪の女と同じような白い布を体にまいている。長く伸ばされた白髪と髭は老人から異様な気配を周囲に伝える。顔にはしわが深く刻まれており、その人物の威厳を示すかのようだ。
*
俺がここに来てからどのくらいの時間が経っただろうか。俺の順番まであと二人。どうやら順番がくると口を聞けるようになるらしい。今その老人とワニが何やら言葉を交わしている。俺にもその会話が聞こえてきている。だが何故だか会話の内容を理解することができない。たしかにその声は音として耳に届いているはずなのだが聞くことができない。不思議な力がはたらいているのだろうか。今更驚きもしないがな。
そしてその老人と言葉を交わした者は白い扉に消えてゆく。
ワニが白い扉の中へ消えていった。次は例の女の番だ。
女は前へ進むと老人が口を開いた。やはり内容を聞き取ることができない。突如女の顔が青ざめた。何かを叫んでいる。その叫びに対して老人は何も答えない。
バンッ。
突然黒い方の扉が開く。女は泣き叫ぶ。だが老人は沈黙を貫いている。黒い扉の中で何かが動く。
おい、まじかよ。腕だ。黒く巨大な腕だ。その腕は女の身体を掴む。身動きのとれない女は泣きながら何かを老人に叫び続ける。老人は女が見えていないかのように頬杖をつき、見向きもしない。次の瞬間、女は泣きわめきながら扉の中へ消えていった。
ギギギギギギギギッ。
扉は閉まる。
「佐々木 明星」
老人はその細い目で俺を見つめる。なるほど、次は俺の番というわけか。足が震える。何なんだよ今のは。俺の足は一歩前へ踏み出した。俺の意思とは関係なく。
老人は椅子の肘掛に頬杖をついたまま面倒くさそうに口を開く。
「会話の自由を許可する」
低く重い声が鼓膜を震わせる。その瞬間肺が空気で満たされ、そこから漏れ出た呼気が声帯を震わせ間抜けな音を響かせる。
「アッ」
どうやら声が出せるようになったらしい。どういうわけかついさっきまでは聞き取ることができなかった老人の口から出る音を言葉として認識できている。老人の一言がそれを可能にしたということなのだろうか。
声が出るというのなら聞きたいことは山ほどある。考えるよりも先に口が動く。
「ここはどこだ、お前は何者だ?」
我ながらありきたりな質問だと思う。でも今の俺に必要なのはその質問の答えである。おそらく俺はその答えを知っている。だがその答えを認めてしまえば俺という人間にピリオドが打たれたということ、俺という一人の人間が終ってしまったことを認めることになってしまう。老人から答えを聞いて真実を知りたいという気持ちと永遠に疑問でいいのではないかという矛盾が心の中に渦巻く。
老人は不敵な笑みを浮かべ、そしてゆっくりと口を開く。
「最初の質問に答えるとするなら君たちの言葉で言うと魂の休憩所といったところか」
「魂の休憩所? そりゃどういう意味だ?」
新たな単語に混乱する。一の質問の答えを聞けば十の疑問が浮かぶようだ。
「この世に生きるすべての生物は死と同時に魂だけがここに召喚され私の審判を受ける」
白髪の老人は続ける。
「審判とはその者が生きている間に行った善行と悪行を比べることだ。補足しておくとするなら善行と悪行の数ではなくその大きさを比べる。善行が大きければ白い扉が開き、そこから魂は次なる肉体へ転生できる。悪行が大きければ黒い扉が開き、貴様らが言うところの地獄というやつへ落ち、魂は消滅する」
なるほど。魂が次なる生を受けるまでの間にとどまる場所、それが休憩所か。上手いことを言ったものだ。
『審判』。老人の説明を頭の中で繰り返す。じゃあさっきの女は地獄に落ちたってことか。
魂の消滅。おそらく今ここにある俺の意識が完全に無くなるということでいいんだろう。
デカルトは方法序説の中で「我思う、故に我在り」という命題を提唱した。だが逆を言えば何かを思うことが出来なければ存在しないということだ。つまり審判の結果次第では今度こそ俺は本当に無になるということなのだろう。
今まで俺は来世とか前世とかそんなものをこれっぽっちも信じていなかっただけに今の話は衝撃的だな。
「二つ目の質問の答え。私の正体についてだが。デウス、ディユ、ゴッド、ディーオ、神などと貴様らが呼ぶ存在だ」
神、まさかこんな爺さんだったなんて。まあこいつの正体については大方の予想はついていたのだが。そうなってくるとやはり俺は死んだのか。つい数時間前までいつもと変わらない平凡な毎日を送っていたはずだ。どうにも現実味がわかない。
何故だ。何故この俺が死んだ? 俺は圧倒的な才能を持って生まれたはずだ。それがどうしてこんなに早くに死を迎えているのだ。天は俺に何かをさせたかった。だからこそ俺に才能を与えたのではないのか?
自分自身の死。そんな事考えたこともなかった。
小さい頃から何をしても一番だった俺はいつからか俺は神に選ばれているなんて思っていた。飢餓に苦しむ子どもたちがいる事は知っていた。病気で命を落とす子どもがいる事も知っていた。交通事故だとかで幼くして死ぬ子どもがいる事も知っていた。だが、他人事だった。俺は神に選ばれている。だから俺だけは大丈夫だ、安全だ、と。
だが違った。俺は気づいていなかっただけだったのだ。死は最初からそこにいた。考えてみれば俺が今日死なない保証なんてどこにもない。生き物というものはいつだって死と隣合わせなのだ。そんな当たり前のことに今更ながら気づく。
だが、もう遅い。そう、いつだって気づいたときにはもう手遅れなのだ。どうしようもないぐらいに取り返しのつかないことになっている。
佐々木 明星の人生は終わった。彼の人生はついさっきエンディングを迎えたのだ。だが、今回の失敗は必ず次に生かす。俺は二度と同じ失敗は繰り返さない。さっさと転生させろクソジジイ。
*
「では審判をくだす。貴様は…………黒の扉」
思考が止まる。
は? ふざけるな。ふざけるなよ。地獄? 何故この俺が。どういう事だ。何かの間違いだよな。いや、おかしい。
「ま、待てよ。おい、嘘だろ。俺が何をしたっていうんだよ。」
神は笑う。
「貴様、それ本気で言っておるのか? 貴様は殺しただろう。同族のヒトを」
ヒト? さっきの女の事か? 違う、それは正当防衛だ。
「それは女の方が俺に危害を加えたからで俺に非はない」
「違うな。君の中には明確な殺意があった。自分の身を守るためではない。女を殺したいいう思いが」
殺意だと?
黒の扉を見つめる。イヤダ。恐怖が心を支配する。
「待ってくれ。いや、待ってください。そもそも殺しが罪だと仰るなら生物はみな毎日、命を喰らっているはずだ。数え切れないほどの命を。それを一つ多く殺しだけじゃないか。たった一人殺したぐらいで何故この俺が」
「さっきも言ったが比べられるのは数ではない。大きさだ。貴様のしでかした事の持つ意味の大きさを比べた結果だ。そのたった一人の重さを考えて物を言え」
膝から力が抜け落ちる。
「嫌だ、頼む、頼むから。お願いします」
「さらばだ、佐々木明星。また会うことはないだろうが達者でな」
口の中が乾く。ああ、ヤバイ。今度こそ終わりだ。目を固く閉じる。迫り来る終わりを直視しなくていいように。さあ、来るなら来やがれ。
長い沈黙。終わりはまだ来ないのか?
目を開く。
「何故だ。何故黒の扉が開かん。どうなっておる!」
神は焦った様子で怒鳴る。
「貴様は殺人を犯した。殺人は一発で地獄行きが決まるほどの重罪だ。何故だ」
突如辺り一面を黄色い光が包みこむ。白の世界を焼きつくすかのような光は眼球をえぐるかのように網膜に刻まれる。思わず目を閉じ、手で目を覆う。
光はだんだん弱くなり遂には消えた。ゆっくりと目を開ける。そこには少女が立っていた。美しいという言葉が失礼と感じるほどの作り物の様な少女が。見間違うはずもない。その少女は先程鉄の扉から俺をここに招いた人物なのだから。
*
「ウリエルよ。いったい何用だ。こちらは今手が離せん。後にしろ!」
神は少女を睨みつける。
「そのことで少しお話が」
ウリエルと呼ばれた少女は無機質な声でそう告げる。
「聞かせろ!」
「ここにいる佐々木明星は確かに人を殺しました。本来であれば重罪です。しかし、その殺された女は連続殺人犯です。あそこで殺しておかなければあと四人殺していだでしょう。つまりこの佐々木明星は四人の命を救ったのです」
ウリエルの話を聞いた神は再び口を開く。
「しかしそれだけでは殺人という悪行に釣り合うとは思えない。黒の扉が開かない理由にはなり得ん」
納得いかなそうに再び怒鳴る。
「さらにこの佐々木明星はその女に殺されているのです」
「それは知っておる。だがこいつは殺意を持って殺人を犯した。殺された方に非がなければ憐れみとして善行の方に少し上乗せされるというルールは適用されないはずだが」
ウリエルは口もとに微笑を浮かべながら述べる。
「上が正当防衛を認めました」
神は怒りで震え、唾を飛ばしながら吐き捨てる。
「上はいったい何を考えておる。殺意を持っていたのだぞ。そんなことがあっていいはずがない。しかし、仮にそうだとしても何故白の扉すら開かんのだ?」
「おそらく善行と悪行の大きさが並んだのではないでしょうか?」
神は目を見開く。
「そんな馬鹿な。並ぶだと。そんなこと前例がない」
「ですから特殊措置を取る必要があると進言しておきます」
神は青筋を浮かべ怒鳴り散らす。
「だがこいつは人を殺めておる。こんな奴を仮転生などさせていいはずがない」
「これは上からの決定事項です」
神は数秒間怒りで肩を震わせていたが、少しすると諦めたかのように肩を落とした。
「佐々木明星よ、貴様はイレギュラーだ。故に特殊な措置を取らせてもらう」
理解が追いつかない。とりあえず特殊措置というヤツが気になる。
「特殊措置とは何だ?」
神は答える。
「記憶や人格、身体などはそのままで新たな世界に仮転生させる。そこで先ほど終わったばかりの人生の続きを生きる権利を得るということだ」
突然、神は意地悪く笑う。
「だが私は貴様の仮転生に納得していない。故に貴様に試練を与えることにした。ウリエル、これなら問題無いな」
「はい。問題有りません」
助かったのか? どうやら魂の消滅は避けられたようだ。だが新しい世界に転生? 生き返るってことか?
「私はお前に強大な力を与える。ただの力ではない。貴様の心を嫉妬、憎悪、殺意などの負の感情が支配した時のみに使える力だ。つまり貴様の負の感情が悪行に直結するということだ。このような理不尽を与えられたのにもかかわらず善行を積むことができたなら人殺しの件は目をつむり、これからの貴様の行いだけを見て審判を下すことを誓おう」
負の感情がトリガーの力? 何だそれは?
だが口を開くよりも先に神が言い放つ。
「せいぜい努力するといい。次会うときには黒の扉行きは決定しているだろうがな。だが、これだけは忘れるな。貴様はヒトを殺した。死んで罪が許されたとでも思っているなら大間違いだ。貴様はその罪をこれから永遠に背負っていかなければならない。自分のしたことをもう一度よく考えてみることだ」
足元が白い光に包まれた。それは一瞬の間に俺の全身を飲み込む。目を開けることができない。目の前の二つの人影が、形を失っていく。
「しばしの別れだ、小さき者よ!」
佐々木 明星は転生した。
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