第2話 一人の最終回

五月のはじめ。世の中の人間の大半は春から始めた新生活に慣れているころだろう。高校生もまたしかりだ。

俺は佐々木ささき 明星あきら。都内の名の知れた私立高校に通っている。つい先月高校二年生に進級したばかりだ。定期テストでは常に一位、運動面では部活には所属していないものの、運動神経は良いと自負している。自分で言うのもなんだが容姿もかなり整っている。完璧だ。神は持つ者にはすべてを与える。そう、俺のような人間は生まれたときからすべてを手にしているのだ。凡人が一生をかけて積み上げても越えることができないものを既に持って生まれてきたのだ。人は言うだろう。不公平だと。だが、これが現実なのだ。社会を見ろ。成功者と賞賛されている者達は才能を持って生まれてきている。故に俺が成功を収めるということは確定された未来である。


今は帰りのショートホームルーム。担任の教師が何やら話をしている。六限目の授業を乗り越えた生徒達は聞く耳を持たない。まったくもって騒がしい。五月に蝿と書いて五月蝿いと呼んだのは夏目漱石だったか。

「ですから、最近、先週の通り魔のような頭のおかしい輩が増えてきています。そのような不審者を見つけた場合は、すぐに警察に通報して逃げてください。いいですね」

通り魔か。昨年の三月ごろから世間を騒がせている連続通り魔事件のことだ。新聞では「切り裂きジャック再び」とかなんとか報道されていた。つい先週、都内で女子高生が帰宅途中に刺されたらしい。だが、奇跡的に一命を取り留めたようだ。この事件初の生存者だ。なんでもその子が犯人の顔を覚えていたらしく、その女子高生の証言をもとに似顔絵が作られ全国で手配されている。捕まるのも時間の問題だろう。


ハゲ頭の担任が教室を出て行った。おそらくホームルームが終わったのだろう。運動部のやつらが急いで教室を出て行く。俺も鞄を手に取りゆっくりと席を立つ。帰宅部の俺がこれ以上教室にいる理由はないからな。

「佐々木くん、ちょっとこれ手伝ってくれないかな。今、手空いてるでしょ?」

背後から声をかけられた。振り返る。黒髪ロングで眼鏡をかけているいかにも地味子といった感じの女か立っている。学級委員だ。この女は面倒くさい。なにかと俺に仕事を手伝わせようとしてくる。この完璧な俺に唯一欠点があるとすれば友人と呼べる人間がいないことだろう。おそらくこの女は俺がクラスに溶け込めるように配慮して仕事を手伝わせようとしてくれているのだろう。はっきり言って迷惑だ。俺は誰とも馴れ合う気はない。さらに言えば、必要以上の会話をする気すらもない。クラスの学級委員なんかと。

「市川、俺は忙しいんだ。残念だが手伝いはできない。そして何度も言わせるな。余計な気遣いは無用だと」

「ご、ごめん。私はそういうつもりじゃ。」

おい、泣くな。この女は。だから俺は他人が嫌いなんだ。クソ、周りのやつらが俺を見ている。女三人がこちらに近寄ってくる。今日はついていない。さっさと帰ろう。市川に一瞥をくれ、教室から出ようとする。

「ちょっと待ちなさいよ!」

再び背後からの声。今度は声に怒りが込められているのが分かる。仕方なく振り返る。

「今の言い方はないんじゃないの。ヨシコはあんたのためを思って言ってあげたんだよ。それをあんたは……」

「やめてよカナコちゃん。わたしが全部悪いんだよ」

「言わせて。佐々木、あんたちょっと頭がいいからって調子乗ってんじゃないの」

わめく女一人をいかにも腰巾着という言葉が似合う女二人が挟んでいる。その三人を止めようと市川が俺と三人の女の間に立つ。面倒くさい。本当に面倒くさい。再び背を向け教室の出口に向かう。

「ちょっと待てって言ってんでしょ」

まずい。わめく女が市川の防御を突破してきた。胸ぐらを掴まれる。

「その手を離せよ安田!」

安田の平手打ちが飛んでくる。悪いが俺は女の平手打ちをくらってやるほど紳士にできていない。すかさず手が頬に当たる寸前のところで安田の腕を抑える。

「怪我したくなかったら手を離せ。二回は言わないぜ」

睨み合う。

安田の手の力が抜けた。俺は安田の手を振り払い今度こそ教室を出た。背中に罵倒の声が浴びせられる。俺は汚い言葉を背景に校門へと向かって行った。





駅のアナウンスが響き渡る。

俺は毎日電車で通学している。したがって今は帰路の途中だ。ホームに入ってきた電車は心地よい風を俺の頬に届けてくれる。俺はこの風が好きだ。それまで考えていた事を忘れさせてくれる。

電車の中は乗客はほとんど乗っていない。出入口付近の空いている席に腰を下ろす。身体がだるい。意識が遠ざかる。今日は色々あったからな。視界に瞼が下りてくる。迫る眠気に身を任せ、目を閉じた。





「おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃぁか」

耳元でした赤子の声で目を覚ます。気づけば車内は乗客で満たされていた。駅を確認する。危ない危ない。どうやら降りる駅の一つ前で目を覚ましたようだ。鞄を手に取り立ち上がる。

電車が停車。どうやら駅に着いたらしい。扉が開く。駅のホームは電車を待つ客で賑わっている。携帯を見る。十九時の文字が目に入る。どうやら帰宅ラッシュに巻き込まれてしまったようだ。

チクっと首に針を刺されたような感覚。危険が迫っていると神経が告げている。何かがおかしい。扉の周りは人でごちゃごちゃしている。男が目に入った。全身黒ずくめでサングラスをつけマスク姿。いかにもな不審者だ。まさかとは思うが念のためその男から距離をとって電車を降りる。男は他の乗客と同じように電車に乗り込んだ。俺の杞憂だったようだ。

バンッ。

「あっすいません」

そんな事を考えていたからか分からないが人にぶつかってしまった。

あれ。

足が前に進まない。頭からその場にうつ伏せに倒れこむ。腹のあたりに違和感。確認。何かある。いや、刺さっている。黒い柄のそれは俺の腹に刺さっている。

頭が真っ白になる。理解出来ない。何が起こった。赤い液体が流れ出る。

「キャァァァァァァァァァァァァァァ……」

女の叫び声が聞こえる。ヤバイ、なんだこれ。黒い柄を引き抜く。赤く染まった金属がその姿を現した。ナイフだ。


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛……


視界が赤く染まっていく。周りの人は俺から距離をとっているようだ。いや、違う。俺の背後にいる人物から。

腹の激痛に耐えながら力を振り絞り振り返る。そこに立っていたのは。

女だ。ケバい化粧をした細身の女だ。笑っている。笑っている。笑っている。

女は手に持ったハンドバッグを開く。鞄から何かを取り出した。女の手にあるそれは銀色の輝きを俺の目に焼き付ける。

この女は俺にとどめを刺すようだ。

おい。俺はこんなところで死ぬのか。ヤダ死にたくない。俺は神に選ばれているはずだ。こんな訳の分からん女に殺されるのか。傷が思った以上に深い。血が止まらない。俺の十七年間の人生がこぼれ落ちる。直感が語る。俺は助からないと。

ならばこの女、こいつだけは殺す。どの道死ぬのならこの俺に危害を加えた愚かな廃人に死を与える。

腹から引き抜いたナイフを拾い上げる。

女は迫る。笑いながら。

この俺を舐めるな。

「クソ野郎がぁぁぁぁぁぁぁ……」

激痛を無視して全身の力を奮い上がらせ、立ち上がる。

一瞬、女の驚いたような顔が見えた。


「シネ」

血しぶき。

また悲鳴が上がる。

女のこめかみに血だらけのナイフが刺さっている。ザマァねえな。この俺に喧嘩を売るからこういう事になるんだよ。だめだ。足に力が入らない。

人混みをかき分け何かが来る。

「道を空けてください、救急です!」

救急隊員が近づいてくる。まったく、おせーよ。意識が遠ざかる。胸のあたりに激痛。

視線を下げる。

女の手に握られていたはずのナイフが俺の肺のあたりに刺さっている。

今度こそ終わりだ。ゲームオーバー。俺は死ぬ。呼吸すらまともに出来ない。

「しっかりしてください。早く止血を!」

救急隊員が俺の身体をストレッチャーに乗せようとしている。意識が遠ざかる。安らぎを求めゆっくり目を閉じる。

我ながらつまらない人生だったなと思う。何故俺は駅のホームに寝転がっている。やらなくてはいけない事は山ほどあったはずだ。こんなところでくたばっていい人間じゃない。イヤダ。シニタクナイ。

佐々木 明星は絶命した。

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