御神本 往人 Ⅳ(1999.6.22)「ヒドラ」※挿絵あり
洞窟奥に鎮座する社は、入口の鳥居や案内板以上に
木造りの社はいたるところに苔が蒸しており、一部はカビに侵され腐っていた。
御神体が安置させられているという下部には、いかにも古めかしい南京錠がつけられていた。
だが、鍵はサビを吹き、格子戸は今にも朽ちそうなほどに腐食が進んでいた。手で触れるとサビやらチリやらがぼろぼろと崩れ落ちる。はっきりいって開錠など必要なしに、優に壊すことができそうだったが……流石に神聖なものなので、やめた。
比良坂から鍵を――死んだ祖母の遺品だという、 狗奴野座神社の鍵を受けとる。
そして代わりに持たせたペンライトの灯りを頼りに、慎重に錠前に螺旋状の鍵を通した。
鍵穴の中も錆ついていて鍵がはまらないのではという不安もあったが、錠はすんなりと開いた。
――そして。
中から出てきたものは、人形のような
頭や手足が大きく、ずいぶんとデフォルメされた人形のようだが、特に目が大きかった。
しかもその瞳は、閉ざされていた。真一文字の大きな、二つの目。
思い出した。
これは、土偶だ。
この大きな目が遮光器というゴーグルのように見えるので、そう名付けられたと――兄ちゃんに聞かされた覚えがある。
土偶というのは確か、縄文時代の日本人によって作られた人形だ。そんな時代にゴーグルなんてものはもちろんなく――未だに真相がわからないその不思議な姿から、遮光器土偶は宇宙服を模したもので、縄文時代には宇宙人が来訪していたと大真面目に説く学者も大勢いるという。そこから広がって古代には宇宙に進出するような、高度に発展した文明があったとか……地球の文明は宇宙人にもたらされたものだとか……超古代文明説とか、古代宇宙飛行士説とか、なんとか……眉唾な話を色々と、聞かされた覚えがある。
だが自分の知っている土偶と異なった点は、その腹部に施された
九つに
だが僕にはどうしてか、昔どこかで見た無数の首を持つドラゴンに――ヤマタノオロチかなにかのように思えてならなかったのだ。だが、ヤマタノオロチの首は八本だ。ならばこの紋様は――
その時、比良坂の胸元から青白い光が漏れていることに気づいた。
比良坂は恐る恐る、しかし的確に胸のボタンを二つめまで外した。胸元の上部が、あらわになる。
見てはいけないと思いつつも、目を離すことができなかった。
「勾玉が――」
勾玉が――比良坂の死んだお祖母ちゃんの形見が、光っていた。青白い炎のような、光の奔流が溢れている。それを受けて
そして。
ばりん、という甲高い音とともに――土偶が割れた。
思わず尻もちをつき、「わっ」と声を上げる。比良坂も、後ろにのけぞっていた。
それもそのはずだ。
そこにいたのは。
<化け物>だった。
「な……ななな、なんね……!?」
うろたえが、止まらない!
そいつは全体的に白っぽく、そしてぬらぬらと、濡れていた。周囲にはねばついた水気が漏れ、広がっている。そして割れた土偶――こいつは、土偶の中から出てきたのか!? いや、サイズ的にあり得ない!
大きさは子犬くらいだろうか……だが、子犬なんてかわいらしい形容はとても似つかわしくなく、第一こいつには、手足の
ならば大蛇か?
たしかに首は長く、尾はひょろりと地を這っている。
ただヘビと認められなかったのは、腹部のようなものがあったからだ。でっぷりと量感を持った腹(のようなもの)にはぶよぶよと、怪しくシワが入っており、また濡れ濡れと、てかっていた。
腹から伸びた首にもだんだらの肉のシワが入り、注視するとその少しくびれた部分がわずかに脈打っているのが、気味悪い。
これはまさか……世にいうツチノコなのだろうか? そう思ったのも一瞬のこと。
なぜならこいつには、ヘビに――いや生き物にあるはずの決定的な器官がないことに気が付いたからだ。
この化け物には、目がなかった。
眼球もなく、
顔には、口のみがあった。
――こいつは、生き物ではない。
僕にはなぜか、その姿態が、一瞬、男性器を想起させたことを、強烈に覚えている。
近寄れずにはいられない、ヒトならば本能的に距離を取りたくなるような、不快感の塊のような存在だった。
その時、ぷっつりと割れた肉目から、歯茎が――鋭い歯列がぞろりと現れた。
今まで見たこともないような存在だったが、その歯茎や歯列は驚くほどに人間のものそっくりに見えたのが、本当に不気味だった。
口内は赤黒く、その
「こん化け物がおること知れたら……村中、大騒ぎばい!」
化け物は首を左右にぶんぶんと振っている。肉のひだが揺れる。ねばついた
どうしよう。逃げるか?
それとも――
「目が…… 見えてないんよ!」
そう口走った比良坂は化け物に駆け寄り、そして――
その太い首を、ぬるりと抱きかかえたのだ!
「ひっ……比良坂!?」
化け物は反射的にびくつき、口から垂れた体液が比良坂の顔にかかった。
半透明の、白い液体だった。どろりとしていて、見ているこっちの気分が悪くなった。
しかし比良坂は「よしよし……」と優しくなだめ、なんと、化け物を落ち着かせたのだった……。
頭部を撫でる腕は化け物の体液にまみれ、糸を引いている。その眼差しは優しく、頬はほんのりと赤い。口元には微笑みをたたえていた。
言葉が、出なかった。
だがしかし、これが、比良坂なのだ。
僕の惚れた、比良坂哀なのだ。
不気味で狂った光景なのに、侵しがたい母性のようなものを感じる。目が、釘付けになる。
あの、〈ヘビ事件〉の光景を思い出す。
僕には――クラスのみんなには決して向けられない、
「かわいいなーヒドラー」
どきりと、心臓が高鳴った。
……ヒドラ?
比良坂は、何を言っているんだ?
名前? 馬鹿な、もしかして比良坂は……この化け物を、ペットにでもするつもりなのか?
しかも、ヒドラって――
鍾乳石から、雫の垂れる音が響く。
比良坂は、化け物の頭部をぎゅうと胸に押し当てて、再び口を開いた。
「おばあちゃんがこの
その澄んだ黒い瞳で、僕を見つめながら――
「この子は……ヒドラは……、私が…… 育てるたい」
化け物は、その身体をすっかり比良坂に預けきっている。ぶよぶよとした軟らかい包皮が、まるで比良坂の身体のラインを形状記憶するように、包み込み、密着していく。
スカートは化け物の分泌物で、てらてらと濡れていた。
化け物の――ヒドラの周りには、不気味なねばついた液体と、砕けた土偶が転がっていた。砕けたといっても、なにも粉々に粉砕されたわけではなく、いくつかの塊に
――その時、気がついたのだ。
ヒドラが
僕は始め、熊手か銛、もしくはヤマタノオロチのようなドラゴンを連想した。
だがその紋様は、もしかして、ヒドラを象ったものなのでは?
半透明の身体から九本の触手が放射状に生えている、水棲微生物を――比良坂がかわいがっていた、あのヒドラを――
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