第3話 2つの腕輪
世界は広い。
もともと病気がちだったことに加え、学園に入る頃までには魔法道具に夢中になり、入学した後は研究室に入り浸り、工房に所属してからは日がな一日基礎工程に掛かりきり。
そんな自分の世界が広いはずもないのは当たり前だった。
「まぁ一応貴族だけど、いちいち畏まられてしまうと面倒なんだよね。だから正式な場以外では平民と接する感じでよろしく頼むよ」
こんな貴族が世の中にいるとは。
商工会のほとんどを貴族が経営し、中央の議会でも政治に関することは貴族が話し合って決めていく。
貴族とはある種雲の上の存在であり、失礼を働けば出世はないと言われる。
そんな貴族が布切れで机を拭く、ここは一体どこの異世界なのだろう。
「じゃ、早速腕輪見せてもらってもいいかな?」
そんなことはどうでもいいとばかりに、嬉しそうな顔で俺の腕輪を見つめるファリエ会長。
半分放心しつつもなんとか腕輪をはずし、彼に預ける。
「おお!これがアローグ工房の!さすが一流工房、凝ってるねぇ」
腕輪に施された細工をしげしげと観察しながら鑑定をすすめる会長を、俺はぼんやりと見つめる。
「まぁ驚きますよね、普通は」
そんな状態の俺を見かねたのか、ニアさんが苦笑しつつも声をかけてくれる。
さきほど情けない独白を聞かれてしまったこともあり、少し照れつつも俺が頷くと彼女は少し悪戯っぽい表情になり
「果実酒はないので、お茶でも入れてきますね」
と言って受付窓口の奥へ向かっていった。
俺はなんともむず痒い気持ちになりながら、彼女の後ろ姿を見ていた。
ちなみにお茶を出してくれる、というのも驚きである。他の商工会ではお茶をだしてもらったことなど一度もないのだ。彼女の手元には小さい袋があったので、茶葉の買い出しに行っていたのかもしれない。
「うん、正常に反応するしアローグ工房の腕輪に間違いないね」
細長い銅製の板の先に、青く光る石をつけた鑑定の器具を使っていた会長はそう言って腕輪をこちら側へ置く。
この光る石が付いている器具が腕輪の鑑定器具である。王国認可の工房でしか生産できない魔法道具で、銅製の板を腕輪に添えて魔力を加えることで腕輪の真贋を判断することができる、というものだ。本来なら腕輪の持ち主が魔素を通すことで、独特の波が発生し、もっと簡易的な方法で確かめることもできるのだが…
「ここがほたる石が嵌っていた部分かい?随分大きいやつ使ってたんだねぇ」
そう、現在この腕輪には本来あしらわれているはずの「ほたる石」と呼ばれる石が付いていない。この石がついていないと魔素を通してもこの腕輪は反応しないのだ。普通の腕輪型の魔法道具ならそんなことはないのだが、これの場合は特別だ。
また、現在手元にあるのは腕輪の半分といっていい。実際の腕輪はちょうどもう一つ分幅があり、大人が握るとちょうど隠れるくらいの太さなのだ。それが今は子供でも力を入れれば折れてしまいそうな幅しかない。
石がないのも、腕輪が完全でないのも理由は簡単で、工房を抜けた後の不正利用を防ぎつつ、次の職場へ行く際の身分証明としてもらうものだからだ。
「それにしても、アローグ工房を抜けてわざわざうちに…というのもなかなか興味深い話だね。失礼な話になってしまうかもしれないけど、他の商工会は入れなかったって感じ?」
「はい…正直その通りです」
ファリエ会長は俺の情けない返答を聞いても、特に気分を悪くした様子はなく、ふむ、と顎に手を添えた。
「それって、貴族からの紹介状もないってことだよね?」
「ええ…お恥ずかしながら」
これは実質クビです、と宣言したようなものである。他の商工会でもこの辺りでだいたい勝負がつくところだ。俺は不安になって思わず聞いてしまった。
「やっぱり紹介状がないと、試験も受けられないんでしょうか」
紹介状がなくても試験が受けられる…というのは噂に過ぎなかったのだろうか。
「あ、いやいや!紹介状と試験は関係ないから心配しないでいいよ。むしろ紹介状がある人はわざわざうちには来ないんじゃないか、とも思うけどね」
クスクスと楽しそうに笑いながらファリエ会長はそんなことを言う。
不思議な人だ。商工会自体の沽券に関わるような話なのに、ちっとも気負っていないように見える。
「じゃあ一応今から面接ってことで色々聞かせてもらうけれど、答えたくないことは答えなくてもいいからね。ただ人となりを知りたいなってだけだから、固くならないでくれると助かるかな」
と話が少し真面目になったところで、ニアさんがお茶をテーブルに置いた。
熱いので気をつけてくださいね、と言葉を添えた後は奥の受付窓口に座り、書類の整理を始めたようだ。
「はじめに…そうだな、リアン君が何で魔法技師になろうと思ったのか聞いてもいいかい?」
やってきた仕事のことや実績のことではなく、最近考えていなかった根本的なことを不意打ちのように聞かれ、俺は答えに詰まってしまった。
「手先が器用だったから…ですかね」
「お、細かい作業好きなの?」
嘘ではないが、本当とも言えない。後ろめたさを感じつつの答えは、我ながら面白みに欠けるものだった。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、ファリエ会長は楽しそうにしている。
「昔から地味な作業が好き、というか身体があまり強くない…っていうのもあって」
「あ、そうだったんだ。今は大丈夫?」
「ええ、少しなら徹夜も大丈夫です」
あまり大声で主張することではないが、魔法技師が納品日近くに徹夜をすることもしばしばある。魔法道具の安全性を考えれば集中力が落ちがちな徹夜というのは推奨されないが、飾り付け等の見た目に関わる部分に関しては作業が後回しになりがちだ。
そういった意匠について特に気にする依頼者に合わせると、納品ぎりぎりまで調整するということもあるからだ。
「うーん、若さってやつかな…私は最近無理がきかなくなってきた気がする…」
ファリエ会長は一瞬遠い目をしてそんなことを話す。
まだまだ若そうに見えるのだが、結構年上なんだろうか。
「ちなみにさ、尊敬してる魔法技師さんとかいる?今ご存命の方でなくてもいいんだけど、どう?」
俺は少し驚いた。
尊敬している魔法技師が誰か、というのは工房で伝統的に尋ねられる質問である。お約束といってもいいだろう。商工会でこの質問をされるとは思わなかった。
「エクセシオスの作品が個人的には好きです」
この返答もお決まりである。
歴史をたどれば魔法技師は多くいるが、エクセシオスはこの王都で全盛期を過ごしたと言われ、彼が作った魔法道具は国宝として王に代々引き継がれているものすらある。そんな背景から、エクセシオスです、と答えるのはある意味王への忠誠を示すことにもなる。お約束の質問に対してお決まりの返答。
別に国が嫌いなわけではない。しかしこのやりとりが、俺は嫌いだった。
もし好きになれずとも割り切れていたら、今もアローグ工房で仕事をしていたのかも知れない。
「うーん、なるほど。まぁそうだよね、この国じゃ魔法技師といえばエクセシオスだし、アローグ工房にいれば尚更か。…よし、じゃあ面接は終わり、試験課題を持ってくるよ」
うんうん、と頷きながらファリエ会長は、お茶でも飲んで待ってて、と告げて奥へ去っていった。
熱めで用意してくれたのだろうか。机に置かれたお茶は時間が立っていたが、それほど冷めてはいない様子だった。お決まりの返答で少し冷えた心が、じんわりと暖まるような味がした。
「お待たせ、ニア君の淹れてくれるお茶美味しいでしょ?なんかこう、安心する味がするんだよね」
再びファリエ会長が現れた。手に持っていた2つの腕輪を机の上に並べ、ファリエ会長は機嫌よさそうに告げた。
「入会試験は魔法道具の制作だよ。まぁ、魔法技師のお仕事そのものだよね。古いけど見本を出すから、その魔法回路を流用して作って欲しい。審査は私がするね、現役の技師でなくて申し訳ないけど、これでも一応魔法学は学んでるからさ」
机に置かれた腕輪の一方は珍しいことに木製だった。もう一方は一般的な魔法道具と同じ銀色のアモーリテ製である。アモーリテ製のものは美しい彫り細工が施されており、高級そうな見た目だ。
こっちが見本ね、と言いながらファリエ会長は木製の腕輪を指差す。
「でね、やっぱり基準がないとリアン君もやりづらいと思うから参考をもってきたんだけど…」
そう言って、ファリエ会長は細工が彫り込まれているほうの腕輪を持ち上げてこちらに見せる。やはりこちらが合格の基準になるのだろう、貴族にも評判が良さそうな出来栄えだ。今の自分にこれと同じ仕事ができるだろうか。
そんな俺の思考は、ファリエ会長が続けた言葉によって停止することになる。
「これ、うちの商工会では不合格なんだ。だからそれを踏まえて取り組んでもらえるといいかなと思う」
思わず顔を上げると爽やかな笑顔を浮かべる男性がいた。
「明後日の朝。期限はそれまでにしよう。こっちの作品も同じ期限でやってもらったものなんだ。一緒に渡しておくよ、きっと参考になると思う」
期限を聞いて、停止した思考が少しづつ動き始める。なんとか2つの腕輪を受け取りつつ、思わず聞いてしまっていた。
「これで不合格…なんですか…?」
「そうだね、いい出来栄えだとは思うけど」
「あの、一体どこが不合格なんでしょう」
これだけ見事な装飾の入った一品である。アモーリテ製で宝石等もついてはいないが、興味をもつ貴族もいるのではないか。
「それもリアン君なりに考えてみて?」
楽しそうにファリエ会長はくすくすと笑った。
後で指摘されたが、この時俺は王都で迷子になった子供のような顔をしていて、正直可笑しかったそうだ。当然俺はそんなことには気づいてもおらず、情けない顔を晒していたのだが。
「じゃあ、一つ助言をしようか」
そんな悲しそうな顔されると申し訳ないし、と照れ笑いを浮かべながら会長は続ける。
「元アローグ工房の君にしかできないこと、それを見せてほしい」
こんな顔を向けられたのはいつ以来だろうか。
自分の心の中には、ずっと立ち込めている霧がある。そんな感覚を持つようになってから久しい。会長の目は、霧の向こう側から確かに今の俺を見つめている気がした。
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