第2話 ハンブル商工会
目的の商工会はともすると見逃してしまいそうなほど、町並みに溶け込んでいた。
ここ王都は人口が増加しているということもあり、あちこちで建築中の集合住宅にでくわす。大体5階建てくらいが多く、構造に使われている木組みを露出させるのが王都ノースモア流といっていいだろう。
また、貴族が出資する商工会は見栄えを良くするのにこの木組みに装飾を入れていたり、日が落ちると明かりが灯る魔法道具を組み込んである場合さえある。
建物があまりみすぼらしいと、依頼や仕事を持ち込む人が不安に感じるし、「格」を重視する金持ちが仕事を持ってきてくれなくなるので見栄えというのは大事なのだ。
というわけで一般的には商工会の建物は非常に見た目に気をつかい、王都のあちこちで見栄を張り合っているというのが実情である。
そんな中ハンブル商工会は露出した木組みに装飾はないし、魔法道具を埋め込んであるわけでもない。
建物そのものも大きくなく、控えめな看板が路地側にかけられているだけである。路地裏にあるとはいえ、これでは民家とほぼ変わらない。苔むしていたり、何の植物かわからない蔦が壁に張っていたりするわけでもないので、営業はしているようだ。
少し緊張しながら、入り口の扉の取っ手を握る。
カラン、カラン…
ドアにつけられていた飾りのようなものが揺れる。木で作られているであろうそれはどこか懐かしい響きだ。
「お、いらっしゃい」
そこには、机を拭きつつこちらへ笑顔を向ける男性がいた。見たところ20代後半くらいに見える。身なりもどこにでもいそうな服を着ているところをみると、受付担当の人だろうか。商工会の受付は美人が勤めることが多いので少し驚いた。
「どこかの工房の新人さんかな?何か仕事の依頼?」
柔らかな表情で問いかけてくる男性。銀髪で色白の肌が特徴的な美男子である。女性の魔法技師なら簡単に勧誘できてしまいそうだ。
「えっと…自分は魔法技師で、ここの商工会は試験に合格すれば所属することができるって聞いてきたんですけど…」
他の商工会の受付はもっと他人行儀というか規則に沿った受け答えをするので、世間話のように話しかけられたことに戸惑いつつも返事をする。
「おお!久しぶりの受験生ってわけだ!最近なかなか所属を希望する人が来てくれなくって困ってたんだよ!ささ、座って座って」
彼は更に砕けた雰囲気になり、早く早くと椅子を勧めてきた。
悲しいかな、いままで商工会でこんなにも親しげに接されることはなかったため、かなりぎこちなく腰を下ろす。
「初めの頃は受験希望の技師さんも来てくれたんだけどさ…いつの間にか閑古鳥だよ。こちとら暇で暇で…あ、そうだ名前を聞かせてもらってもいいかな」
自分も対面に座りつつ男性は話を続ける。
普通なら面接担当の職員が出てくることが多いのだが、違うのだろうか。
男性の言うとおり、商工会の一階なのにも関わらず人はおらず、入ってすぐに目につく受付窓口らしき場所にも担当の職員はいないようだ。
今まで見たことのある商工会ではまずない光景である。
とりあえず、面接だと思って話をしたほうがいいのかも知れない。
「リアンと言います。年齢は21です、王都の魔法学園を卒業した後アローグ工房に3年所属していました」
若干不安になりつつも、いつもどおりの自己紹介をする。
この一ヶ月何度も繰り返してきたため、条件反射的に述べてしまえるようになってしまった。今までの人生でこうまで自己紹介を繰り返す年があっただろうか。何だか急に悲しくなってきてしまった。
いや、ダメだ。ここで自信のなさそうな顔をしては試験さえ受けられないかもしれないのだ。今度こそ宿屋の主人に見せる顔がなくなってしまう。もう見せられる顔の種類は使いきってしまったような気もするが、深く考えてはいけない。
「アローグ工房…?え!あのアローグ工房にいたの?」
男性はなるほどね…という態度から一変、一面驚きの表情で声を上げた。
「い、いやまぁ…えっとその通りです」
俺はそう言うと、工房に入った際に渡された腕輪を見せる。
この腕輪は様々な所属を表すもので、魔法学園に所属した学園生は学園生用の、工房に所属したものは工房用の…という風に各組織ごとにある程度の規則に則ったものを個人でもつのが習わしになっている。
腕輪は魔法道具になっていて、鑑定の器具で調べることで真偽を判別することができる。つまり、これによって身分を証明するわけだ。
男性は少し急ぎ足で、鑑定の器具を奥に取りに行ったようだ。
その間あまり見ることができていなかった商工会の内装を見回す。
一階は少し狭めの酒場と言った装いだろうか。丸いテーブルを囲む4人席がいくつか置いてある。今座っているところもその中の一つだ。
席を通り過ぎ奥へ進むと、受付の窓口がある。とはいっても他の商工会のように複数窓口があるわけではない。横長の大きな机が置いてあり、その奥には執務用と思われる机が幾つか並んでいる。おそらく職員用のものだろう。
そういったものが訪れた人間からも見える位置にあるというのもいままで見たことがない様式であった。
受付の脇には階段があり、上へと続いている。普通はお得意様や、貴族などを迎えるための部屋があるはずなのだが…内装も質素だしどうもそんな印象がしないのだ。
「かいちょー、戻りましたよー!」
そんなことを考えていると、カラン、カラン…という音とともに、女性が現れた。
肩口に届くか届かないかという長さの茶髪がよく似合う美人である。年齢は自分と同じか、少し上かもしれない。
最近王都で流行りだという紺色のワンピースに、白い襟付きの服を着ている。どこかの商店の看板娘と言われても疑わないだろう。
「おお、ニア君!受験希望者がきたんだ!私の見立ては間違ってなかっただろう?」
いつの間にか鑑定の器具を用意した男性が、入ってきた女性へ満面の笑みを浮かべた。
ニアと呼ばれた彼女は少しうんざりしたような顔をして、勢い良く反論した。
「…会長は昨日、もう畳んじゃおうかな、みたいなこと言ってましたよね!」
「ち、違うんだ、あれはたまたま弱気になったというか、思ったよりいい人材が見つからなくて、困ったというか…」
「私の給料にも影響がでるかもしれないから、そろそろ客引きお願いできる?みたいなことも言ってましたよね!」
「ニア君、それは誤解だ!試験だけでも受けてもらえればうちの良さがわかってもらえるんじゃないかと…」
…俺の存在を完全に無視した状態で、あまり聞きたくない内容の口論が始まってしまった。ここはおとなしくこの二人が落ち着くのを待つしかないだろう。
ただ、看過できない話が出てきているのも事実である…会長?
「しかも、この服ももう少し丈を短くしたらいいんじゃないか、とまで言ってましたよね!」
…さらに看過できない話まで出てきた。思わず視線をやってしまいそうになるのを必死で堪えるが、あまり長くはもたないかも知れない…!
「ほ、ほらニア君!今受験生くんも少し反応したよ!効果あるじゃないか!」
や、やめろ!余計なことを言わないでくれ!
金無し、職なしと無い無いづくしの俺ではあるが、最低限の挟持まで無くさないためになんとか言葉を発することに成功した。
「いや…あの、そろそろ話の続きを…」
かなり不自然な切り出し方になってしまったが、今の俺ではこれが限界であった。
兎にも角にも現状を打破するためには話を切り替えるしかなかったのだ。
「おっと、そうだったね!取り乱してしまってすまない」
男性は俺にぐっと親指を立てながら椅子に座り直した。
いや、あなたのために話を戻そうとしたわけではないんだよ…。
「改めまして、ハンブル商工会へようこそ。私が会長のファリエ・イームスだよ、よろしく」
背筋を冷や汗が流れていくのが分かった。
会長で名字持ちってことは、貴族様じゃないか!口論の時から会長ってでていたから嫌な予感はしていたのだ。じゃあその貴族様と言い合ってた娘はいったいどんな身分の娘なのか。
「はじめまして、ハンブル商工会で受付をやっています。ニアです」
名字を出さないってことは平民なのか?それとも何か事情があって?
いや、そもそも貴族様と同じテーブルについていていいのだろうか、何か作法があっただろうか。ああ、学園生だったときに作法の授業を欠席するのではなかったな、まさか会長と直に会うなんて考えもしなかった。失礼があったからもう試験は終わりだろうか、そうか、俺には王都があっていなかったのか。荷物をまとめてどこか遠くへ行くべきだろうか。
ご主人、やっぱり俺はだめだったよ。果実酒、飲みきっておくべきだった。
「あの…」
そんなふうに考え込んでいると不意に声をかけられた。ニアという娘の声だ。お引き取りください、かぁ。あっという間に不合格とは、情けない。
「リアンくーん?」
そこで会長から声がかかる。いや、会長様と呼んだほうがいいのだろうか。
覚悟を決めてぱっと顔を上げると、先程の二人がニヤニヤとした表情を隠しもせずにこちらを眺めていた。
「全部口にでてるよ……?」
ファリエ会長が悪戯っぽい表情でそう告げると、その隣では笑いを必死に我慢しようとして我慢できていない受付嬢がいた。
「…っ…果実酒…ふふっ…っ……」
美人が笑うのは好きだが、美人に笑われるほど恥ずかしいことはない。
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