技師も歩けば陽に当たる。

澄庭鈴 壇

第1章 邪教は暖かな晴天の下

第1話 抜け殻は足取りも軽く

「少なさは、豊かさである」


 ローエンという名前の魔法技師まほうぎしをご存知だろうか。

 いや、ほとんどの人は知らないだろう。もっと言えば魔法技師を育成する、ここ王都の学園に入学しようという学園生候補も、知らない人間のほうが多いはずだ。

 魔法道具は求められる役割に対して愚直で誠実であるべきで、華美かびな装飾などはそのほとんどが目的に貢献することはない。必要なのは役割を全うするための最適で最小の形なのだ。

 そんなことを語り、その本人もまた愚直で不器用な人物であったという。



 「お金が…ない…!」



 かの言葉を残したローエンなら、今の俺を豊かさの象徴であると祝福してくれるだろうか。

 思わず口をついて出た言葉に恥ずかしさを覚えていると、朝から野太い声がかけられる。


 「金だけじゃなくって、仕事もない!だろ?」


 店のカウンター席に座ったまま見上げると、そこには飲み物の入ったコップをもつ宿屋の主人が立っていた。


 「厳しい現実を突きつけないでください…」


 思わず敬語になってしまった俺の情けない言葉を鼻で笑いながら、強面の主人はコップを置いてくれる。宿の朝食に無料でついてくる果実酒である。酒とは言ってもほとんど名ばかりで、酔っ払うようなものでもない。王都の朝の定番だ。

 

 石畳で作られた大きな道が走り、美しい木組み構造を露出させた町並みが続く、円形の都市。それがここヴィクト王国、王都ノースモアである。

 街の中央には湖があり、その湖の中に浮かぶように佇む王城がこの国の象徴だ。

 光があたり、輝くようにも見える城は王都の自慢でもある。


 大昔の大戦で武功を上げたり、国の発展に目覚ましい貢献をした者は、国王から貴族位という地位を賜り、城の近くに居を構える。その屋敷も趣ある美しいものが多いため、王都中央の地域は庶民の憧れだ。

 魔法学を学ぶ王国の学園も中央部にあるので、庶民からすれば学園生活は憧れを間近で見られる稀有な機会でもある。授業代は馬鹿にならないが。

 

 そしてその貴族が集まる地から離れると、国内最大の賑やかな商業地区が広がる。最近は他国からの食材や、珍しい工芸品なんかも並ぶようになったらしい。

 そこからさらに円形の外側へ進むと、木組みの住宅が並んでいく。3階建て、5階建てが主流で、多くの都民は部屋を間借りして暮らしているが、最近は持ち家も増えているらしい。


 そんな景気のいい話からも、王城の優美さからも遠い、奥まった路地の先にある宿屋、それがここ最近の俺の住まいである。持ち家どころか間借りの余裕もない、絶賛失業中の俺はこの宿に連泊している。

 宿屋の入り口がある一階は食堂にもなっているが、食事をしている客はさほど多くない。


 「もう2週間も仕事先探してんだろう?そんなに見つからないもんなのか?」


 自分も果実酒を一口飲みながら、宿屋の主人はこちらを伺いながら話をする。

 強面の主人ではあるが、いい意味でお節介で朝食後にこうして声をかけてくれるのだ。2週間前に追い出されるように工房をクビになった人間としては、孤独を和らげてくれるこの主人の存在はとてもありがたい。


 「どこの工房も実績のない人間を入れてはくれないんだ」


 情けない話だが、今の自分には実績なんてものは全く無いといっていい。

 学園を卒業した後、推薦されるがままに入った工房で3年を無為に過ごしたのだから。


 「魔法技師といやぁ金持ち相手のおエライ仕事で羨ましいと思ったこともあったが、学園を卒業して、工房で働いてた経験もあるのにだめとはなぁ」


 そう、働いていただけではだめなのだ。何か実績を残さなければ、もっと言えば貴族のお得意様を抱えるくらいにならなければ、工房の移籍はもちろん、自分で工房を立ち上げることもほぼ不可能といっていいだろう。ここ王都では学園を卒業したばかりの若い魔法技師がたくさんいるし、工房を3年で追い出されたような人間にはもう席はない。

 と、いうことをこの2週間でひしひしと感じていた俺は、乾いた笑いしかでなかった。


 「ま、本当にどうしようもなく困ったら、うちで雇ってやってもいいぜ」


 魔法道具の仕事はできないが、寝るとこと食べ物はだしてやる、と主人は笑いながら言ってくれた。

 いままでそんな素振りは一切なかったのに、急にそんなことを言われて驚いていると、主人は更に言葉を続ける。


 「こんな安宿でも王都で宿をやってるとな、色々な客が来る」

 「色々な客…?」


 主人は俺から目線を外し、少し遠くを見るような様子になる。


 「ただそれでも大きく2種類の人間に別れるんだ」


 主人はそこで言葉を切って、軽く果実酒を飲む。


 「これからの奴と、これまでの奴さ。わかりやすいほど両極端で、いつでも入れ替わる」


 その話を聞き、果実酒を飲もうとしていた手が止まり、全身に少し力が入ったような気がした。


 「これまで、という奴はお前さんよりもっと諦めた顔をしている。これから、という奴はお前さんよりもっと覇気のある顔をしている。そして両方ともこの安宿には2週間も連泊しない」


 じゃあ俺はどっちなんだろうか、と考えるまでもなかった。


 「お前さんはこの安宿としては異質な人間かもな」


 俺から目線を外し、少し遠くを見ていたと思った主人は、いつの間にかこちらに真剣な眼差しを向けていた。


 「リアン、お前さんはまだどちらでもない」


 いつも客と店主として会話していた雰囲気はすでになく、言葉よりもっと多くを主人が伝えようとしてくれている気がした。一度しか話に出していない俺の名前を改めて呼ばれたことで、空気が引き締まったように感じる。


 「人間は金を失う時、金だけを失うんじゃない。必ず一緒に何か失っている」

 「…たしかに仕事も失ったよ」


 主人はそんな俺の言葉に少し笑って続ける。


 「そりゃそうだが、仕事以外でってことさ。それは友人や嫁かもしれないし、力かもしれないし、もっと別の何かかもしれない」


 友人か…俺にはそう呼べる誰かがかつての職場にいただろうか…。嫁なんて考えたこともなかったし。


 「あるいは仕事を失うよりもっと前に、何かを無くしてしまっているのかもしれないな」


 仕事を失うよりも前に…。


 「リアン、お前は多分何か無くしてから時間が経っているんだろう。何を諦めたのかも忘れてしまったのかもしれない」


 いや…よく覚えている。自分が諦めてしまったものは。それを手放した日のことも、その後の日々のことも。ただ、主人の言うとおり時間は経っているのだろう。前ほど痛烈な感情を持たなくなってしまっているところもある。


 「ハンブル商工会しょうこうかいってとこにはもう行ってみたか?」

 「い、いや…まだ…」


 急に話が現実的な方向に戻って少し戸惑ったが、少なくともそんな名前の商工会は聞いたことがなかった。

 聞けば、この宿が並んでいる路地をもう少し奥に進んだところにある商工会らしい。


 「いわゆるツテみたいなもんがなくても仕事を紹介してくれるらしいが、特殊な試験があってなかなか入会できないって話だ」

 「特殊な試験…?」


 商工会というのは、様々な商店の相談に乗ったり、働ける人を紹介したり、経営について支援をしてくれたりする組織だ。所属するには費用が必要ではあるが、個人でも所属することができて、仕事を回してもらうことができる。

 大抵は資金力のある貴族が運営していて、余計な問題を避けるためにも信用のない人間や店は所属することが難しいのが通例だ。そのため新規に所属するには、信用料として担保金を納めたり、個人であれば貴族からの紹介状を得る必要がある。


 そういった状況から考えると、ツテがなくても所属できる商工会というのはかなり異質だと感じる。試験をするということも珍しい。

 通常なら多額の担保金を納められるかどうかが商店の信用試験と言えるし、紹介状を持ってきたのに試験をするなどといえば、紹介状をもたせた貴族の顔に泥をぬることになり得るからだ。


 「魔法技師として働くなら、商工会から工房を紹介してもらうか、もしくは直に仕事を回してもらうしかないんだろう?」


 それはその通りである。魔法技師として学園で学び工房に所属する場合は学園からの推薦で可能だが、学園以外からは商工会を通じてでないと工房へ挨拶に行くことすらままならない。商工会を運営している側が、働いている人間をある程度見定めておきたいからだ。

 だからこそ、どこの商工会も他の工房をクビになり、貴族の紹介状もないような魔法技師はお断りだった。


 「試験にさえ通れば、工房を紹介してもらうこともできる…?」

 「まぁ可能性はあるんじゃねぇか?」


 そんな怪しそうな商工会へ行っても平気なんだろうか。試験というのが何かは分からないが、なんとなく心配になる。


 「まぁ、行くか行かないかはお前さん次第だ。あんまり俺がごちゃごちゃ言うのもよくないしな」


 主人はそこでぐいっと果実酒を飲み干した。


 「今のお前さんは抜け殻のように見える。しかも抜け殻になってから時間が経っているだろう。新しいものを詰め込むならそれもいい。ただ何か思うところがあるなら、抜けていってしまったものを追いかけたって無駄にはならんだろう」


 しっかりやれよ、そう言って主人は俺の肩を叩いて食器を下げてくれた。

 下げられた果実酒はまだ半分以上残っていたが、おかげでまだ抜け殻のままでいられるような気がした。


 明け方まで雨が降っていたようだが、今はそのことを忘れたような空が広がっている。

 路地裏独特の香りは洗い流され、朝日は昨日より素直な影を作る。

 冬から春へ移り変わり始めた街並みは、しかしまだ寒さを忘れてはいない。


 中身の入っていない抜け殻なら、せめて足取りは軽く。

 諦念ていねんで身体を満たしてしまう前に、俺は噂の商工会へ行ってみることにした。

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