第373話 コトリがおびえていた

 引間小鳥(ひきま ことり)は、おびえていた。


 暗い空間のなか、一人で、ただ震えている。


「助けて……助けて……助けて……」


 引間小鳥(ひきま ことり)は、苦しんでいた。


 暗い空間のなか、一人で、頭を振っている。


「違う……違う……違う……」


 引間小鳥(ひきま ことり)は、おかしくなりそうだった。


「全部、違う! 全部、違うから! 助けて! お願いだから!」


 何が違うのか。何から助けてほしいのか。


 お願いは、何か。


 それさえも、今のコトリにはよくわからなかった。


 ただ、叫ばないと、震えないと、振らないと、どうしようもなくなっていた。



 コトリがこうなったきっかけは、同級生の常春清(とこはる せい)と戦ったことだ。


 セイは、殺人鬼の明星真司(めいせい しんじ)に洗脳されており、彼女自身も殺人を犯してしまっていた。


 そんなセイに、コトリは攫われたのだ。


 荒野のような場所に連れて行かれて、一方的にいたぶられたのである。


 今、コトリの左足は、太ももの中程からちぎれて無くなっている。


「私、何もしていないのに! なんで、なんで、なんで、なんで……!」


 しかし、コトリの意識は、無くなっている左足に対してほとんどなかった。


 それよりも、彼女の思考を埋めているのは、否定と拒絶である。


 なぜなら、ずっとある考えが、頭の中に入ってくるのだ。


『大好きな恩人は、カッコいい男の子の駕篭獅子斗ではなく、殺人鬼の常春清』という、情報だ。


 昔、コトリが悪そうな男達の集団に攫われそうになったときに助けてくれた恩人。


 二次元の王子様から、現実のカッコいい同級生に昇格させた完璧な理想の相手。


 それが、殺人鬼の凶暴な同級生の女の子であるなんて、コトリの思考が許さない。


 理解できない。


 そんなことが、あるわけがない。


 だから、コトリは否定し続けた。


 拒絶し続けた。


 でも、いつまで経っても、消えなかった。


 それほどまでに、強烈だったのだ。


 セイがコトリに発した言葉は。


『怪我は無い? もう、大丈夫。悪い奴らはぶっ倒したから』


 この、コトリが恩人から助けられた時に聞いた言葉は、いつまでもコトリの耳に、脳内に、残っているのだ。


「う……げぇえええええええええ」


 コトリは嘔吐しようとしたが、何も出なかった。


 もう、ずっと前に出るモノはすべて出してしまっている。


 それでも止まらない。


 この吐き気は、ずっと続いているのだ。


 大好きな駕篭獅子斗に抱かれたあの日から。


 恩人でもなんでもない、ただのカッコいい同級生の、シシトに体を許したあの日から。


「ひっぅぐうううううう……」


 ここまで、コトリは苦しんでいる理由は、もう一つある。


 セイが捕まっているときに、どうせ殺人鬼だからと、コトリはいろいろなことをセイに対して行ったのだ。


 思いつくまま、適当に罵倒したし、首を絞めて気絶させた。


 セイが盗撮されていることも知っていたが、別に気にもしていなかった。


 殺人鬼がどのように扱われようが、興味がなかったのだ。


 いや、違う。


 正直なところ、殺人鬼ならば、酷い目にあうべきだと思っていた。


 しかし、そのセイがコトリの恩人であるのなら、話は別だ。


 コトリは恩人のおかげで、生きているようなモノなのだから。


「ひが……たひ……うぁ……は……は……」


 どれだけ叫び、泣いただろうか。


 もう、意味のある言葉を発する事は出来なくなっていた。


 ただ暗い空間の中で、コトリが作った『鳥籠女』の檻の中で、コトリは呼吸だけを繰り返している。


 そのとき、突然コトリの前に光り輝く扉が現れた。


「……あ?」


 コトリは、なんとなくその扉に手を伸ばした。


 扉の先に進まなくてはいけない気がして、立ち上がる。


 その瞬間、コトリは扉に引き込まれた。


 扉の先を抜けると、そこは荒野のような場所だった。


 少年が一人、立っている。


 誰かはわからないが、見覚えのある少年だ。


 コトリはキョロキョロとあたりを見回すと、背後から声が聞こえた。


「……皆!」


 後ろにもう一人少年がいるようだ。


「え、シシト?」


 コトリが少年に気がつくと同時に、少女が少年に抱きつく。


 少年は、シシトだ。

 少女は、ユイだった。


 ユイがシシトに抱きついているのを見て、コトリは困惑していた。


(……シシト、だ)


 コトリは、シシトの事が大好きだ。


 カッコいいし、恩人だから。


 だから、コトリはシシトに会いたいと思ったし、そのためにセイと戦った。


 なのに、それなのに。


 ようやくシシトに会えて、その姿を見た瞬間。


 コトリに芽生えた感情は、困惑しかなかったのである。


(なん……で?)


 困惑していることに、困惑している。


 それほどまでに、衝撃だったのだ。


 恩人では無い。かもしれない。


 その情報だけで、これほどまでに人に対する印象というモノは変わるのだろうか。


 コトリは、ユイのようにシシトに飛びつきたいと一切思えなかった。


 むしろ、離れたいとさえ思っている。


(いや、離れたい、じゃない)


 そこで、また衝撃を受けた。


 今、コトリがシシトに対して抱いている感情に。


 いや、それは感情ではなく、直感だったのだろう。


(……逃げたい)


 そう、はっきりと思ってしまっている。


 コトリは、直感に従うように、一歩後ろ下がった。


(………………え?)


 下がって、気がついた。


 今、コトリが下げたのは『左足』だ。


 コトリは慌てて、自分の足を確認する。


 白いニーソックスに、白い革靴を履いている、右足。


 そして、何も履いていない、左足。


 傷一つない、左足。


 まるで、新品のようである。


 セイに、吹き飛ばされたはずなのに。


「ぐふっ!?」


 無くなったはずの左足に気を取られていると、何か吐き出すような音が聞こえた。


 反射的に、コトリはそちらを向く。


 すると、シシトに抱きついていたユイが、彼から離れて激しく咳き込んでいた。


「ぐ……がはっ!?」


「大丈夫か、ユイ!?」


「大丈夫……」


 ユイが、にっこりとシシトに微笑む。


 その瞬間、ユイの口から血液がこぼれた。


「ユイ!?」


「ピィイイイイイイャァアアア……!!」


 ユイに駆け寄ろうとしたシシトの足が止まった。


 妙な声が聞こえたからだ。


 ユイの、お腹から。




「あ……れ? 何、これ?」


 ユイも自分のお腹から聞こえた声に反応して、下を向いた。


 すると、そこには、何かがいた。


 言葉で形容するには、難しい何か。


 粘液で体中がコーティングされた、鱗に覆われた白い生き物。


 目は無数にあり、口は裂け、鋭い牙が生えていた。


 爪は長く、尖っていて、激しく動いている。


 そんな何かが、ユイのお腹を突き破って、現れていた。


「何これ、シシ……ト?」


 お腹の生き物に驚きなから、ユイは自分の異常に気がついた。


 目が閉じなくなっている。口も大きく開いている感覚がある。


 手を見ると、鋭く尖った爪が生えていた。


 同じだ。


 お腹にいる生き物と、同じような姿にユイも変わっている。





「な……ひっ……」


 ユイの変貌に驚いたコトリは、さらに二歩、後ろに下がった。


「うっ!?」


 その瞬間、コトリも吐血した。


「は……あぁ?」


「ピィイイイイイイャァアアア……!!」


 そして、お腹を突き破って、白い生き物が現れる。


「私……も?」


 いつの間にか鋭く伸びた爪を見て、コトリは悟る。


 ユイと同じ変化が、自分にも起きていることを。


「シシ……」


 とっさに、これまで頼ってきた相手に……シシトに助けを求めようとして、コトリは固まった。


「うわぁああああああああああ!?」


 シシトが、叫びながらユイに銃を向けていたからだ。

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