第372話 ユイが走った

 岡野ユイ(おかの ゆい)は、走っていた。


 白い息を吐きながら、懸命に。


 一歩踏み出す度に、はらはらとユイの全身から黒い粉のようなモノが落ちていく。


 ユイの、皮膚だ。


 一度腕を振る度に、赤い液体が飛び散っていく。


 ユイの、血液だ。


 ユイの体は今、傷だらけだった。


 全身が重度のやけどで焦げており、さらに右腕は根元の近くから切られ、無くなっている。


 彼女がこうなった原因は、同級生の水橋ユリナ(みずはし ゆりな)だ。


 ユリナがユイの全身を雷で焼き、さらに右腕を切り落としたのだ。


 氷の斧で、冷酷に。


 ユリナは言った。


 残りの4本も切り落とすと。


 その四本とは、左腕と、右足と、左足。


 そして、首だ。


 そんな恐ろしいことを、ユリナは淡々と言ってのけた。


 恐ろしい。


 心からの恐怖がユイを襲った。


 なぜ、友人にそのようなことをいえるのか、ユイには不思議だった。


 ユリナとは、仲良くしていたはずなのに。





(助けて……助けて……助けて……)


 さらに、不思議なことがある


 ユリナが妙なことを言っていたのだ。


 ユイの好きな人は、親友の土屋 匡太(つちや きょうた)である、と。


 そんな事は無い。


 そんな馬鹿な話は無い。


 ユイの好きな人は、駕篭獅子斗だ。


 一目見た時から、いや、生まれてから、いやいや、生まれる前から、ユイはシシトの事が好きなのだ。


 だから、ユイはシシトを守ると決めている。


 助けると、決めている。


(助けてよ、キョウタ)


 親友である、キョウタと、一緒に。


 キョウタと、ユイは誓ったのだ。


 駕篭獅子斗を二人で守る、と。


 シシトは、どこか危ない面があった。


 正義感が強いのに、本人はそこまで強くない。


 だから、気がつくとトラブルに巻き込まれるのだ。


 そんなシシトを見捨てておけないと、幼い頃から、ユイとキョウタはシシトを守り続けてきたのである。


 なのに、そのキョウタはどこにもいない。


 ユイが死にかけているのに。


 シシトも、明星真司(めいせい しんじ)という殺人鬼と一緒にいて、ピンチなのに。


 キョウタは来てくれない。


 どこにいるのだろうか。


 ユイは走る。


 その目的は、いつのまにか変わっていた。


 ユリナから逃げるためではなくて、キョウタを探すために。


 キョウタに守ってもらうために。


 守ってもらう対象は、シシトなのか、ユイなのか。


 それは彼女自身にもよく分からなくなっていたが。


 ユイは走った。


 どれだけ走っても、キョウタが見つかるわけないのだが。


 なぜなら、キョウタを殺したのは、ユイだから。


 でも、そのことにユイが気づくことは無い。


 なぜなら、ユイはキョウタを殺したと思っていないから。


 キョウタを殺したのは、同級生の常春清(とこはる せい)で、セイがキョウタを殺したのは、殺人鬼であるシンジに騙されたから。


 だから、キョウタは死んでいないし、キョウタに守ってもらう。


 そんな、矛盾とさえ言えないような、支離滅裂な思考で、ユイは走り続けていた。


 どれだけ走っただろうか。


 足だけでなく、腕も感覚が無くなりそうなほど振り続けていると、ユイの目の前に扉が現れた。


 光に満ちあふれた、豪華な扉。


 本能的に、その扉を開かなくてはいけないと、ユイは手を伸ばす。


 ユイの手が触れる前に、扉は自動的に開いた。


 まるで、誘い込むように。


 ユイは、倒れるように扉に飛び込む。


 扉の先は、何も無い荒野のような場所だった。


 ユイは、息を切らしながら周囲を見る。


 誰だかわからない少年が一人立っている。


 どこかで見たような顔の気もするが、覚えていない。


「……皆!」


 すると、背後から声が聞こえた。


 ユイは、すぐに誰かわからない少年から目を離して振り返る。


 そこにはユイが会いたかった人物がいた。


「え? シシト?」


 駕篭獅子斗だ。


 ユイの想い人。


 この世のすべての好きなモノ。


 それが、シシトだ。


 彼の姿を見た瞬間。


 ユイの思考が完全に切り替わる。


(あ……ああ、シシト。シシト! シシト!! シシト!!!)


 先ほどまで探していたキョウタの事など、頭から消えた。


 恐怖なんて、どこにもない。


 もう、シシトのことしか考えることはできない。


「……シシト!!!!」


 ユイは、涙を流しながらシシトに駆け寄り、飛びついた。


「ユイ!」


 ユイを、シシトは抱きしめる。


「シシト、シシト! 会いたかった! 私、私……」


「泣くなって、ユイ。らしくないぞ?」


 シシトは、ユイの頭を優しく撫でてくれる。


(シシト……シシト……)


 ユイは、シシトの優しさに溺れるように、彼の胸に顔をうずめる。


(私、やっぱりシシトのことが大好き)


 ユイは今、確実に幸せの感情に満たされていた。


 愛に、生きていた。


 愛に、支配されていた。


「でも、ユイが無事で良かったよ。ケガ一つなくて。本当に、心配していたんだから」


 シシトは、笑顔で言う。


 おかしいことを。


「心配してくれていたんだ。ありがとう」


 ユイは、笑顔で答えた。


 おかしな答えを。


 彼女はまだ気がついていなかった。


 何がおかしいのか。


 だから、気にもせずにシシトに再度抱きつく。


 その、両腕で。


 傷一つ無い顔を、満面の笑みにして。


 愛を込めて、シシトを抱きしめた。

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