第349話 幸せが違う
「ああ、素晴らしい景色だ。上は空に、前は海。そして、足下には俺を支える『美少女』がいる。これこそが幸せ。幸福の集大成と言えるだろう」
ヤクマが、蠢いている『男性』の顔を踏みつける。
ぐりぐりとヤクマが足に力を込めると、男性は幸せそうに声を上げた。
その声に共鳴するように、女性のような化け物の全身から声が発せられる。
「ヴォオオオオオオオオオオオン」
その吐き気を催す声に、嫌悪感を隠さずに滝本は言う。
「醜態の間違いだろ」
「……ん? 何か言ったか?」
グリンと女性のような化け物の首が動き、滝本と目が合う。
全身が震え、鳥肌が立つが、それでも平静を装い、滝本は前に出た。
(一番近い脱出口まで、あと50メートル。位置は俺たち側にあるが……この化け物からも丸見えだ。逃げようとしたら、確実に分かる)
滝本は、さらに前に出る。
注目を自分に集めるために。
「醜態だ、って言ったんだよ。近くで見たら、マジで汚いな。これはちょっと見逃せねーよ」
ほとんど、触れるような距離までヤクマと女性の化け物に近づき滝本はヘラヘラと笑ってみせた。
「造形がめちゃくちゃで、黄金比も何もかも完全無視じゃねーか。そういう芸術もあるかもしれないが、そんな意図も感じられない。駄作だな、こりゃ」
「……ふぅ。これだから凡人は」
やれやれとヤクマは首を振る。
「だったら、意図を言ってみろよ。大事だぜ? 芸術を作るなら、何を表現したいのかってのは」
滝本はちらりと後ろを振り返り、ヤクマが飛ばしてきた3人……正確には2人はくっついてしまっているので、2体の化け物をみる。
「……あんな醜い化け物も合わせて、説明してみろよ、先生? できないのか?」
「はぁ……まぁ、いいか。今は気分がいい。誰かにこの集大成を語りたかったところでもある。そう、これは、俺と同士、駕篭獅子斗くんの理想の具現化なのだよ」
「……理想の具現化?」
「ああ。俺の夢はご存じのとおり『幸せ』だ。『皆の幸せは、自分の幸せ』全人類を『幸せ』にすることこそが生存意義。そして、同士シシトも、俺の考えに感動し、賛同した」
「それで? なんでそんなご立派な思想で、あんな醜態が出来上がるんだ?」
わからない、とでも言うように滝本は後方の2体と、目の前の1体の化け物に手を向ける。
「わからないか? ああ、もしかしたら同士シシトについて詳しく知らないのか。ふふ、彼も自身で嘆いていたが、悲しいことに同士シシトは女性しか……しかも、見目の良い者しか愛せないのだ」
「いや、それは知っているが」
シシトが無類の女好きなことくらい、イヤでも知っている。
「だったら! わかるだろう? 俺は全人類を『幸せ』にしたいのだ。男も、女も老人も子供も、見た目の美醜に関係なく、全ての人類を皆!とりこぼすこともなく『幸せ』に!」
ヤクマの言葉は、発言の内容だけはとても素晴らしい考えのように思える。
だが、そのためにしてきた行為が致命的に極悪なのだ。
そして、今回もそうだ。
「だから、俺は造った。同士シシトが女性しか愛せないのなら。麗しい美女、美少女しか『幸せ』にできないのなら、男も『女性』にすればいい」
それが、コレだ。
男性の体で、『女性』を造る。
「つまり……『男の娘』ってやつだ。流行なのだろう? 同士が言っていたよ。男なのに『美少女』なのだ、と」
ヤクマは笑う。
ヤクマに合わせるように、化け物も笑う。
『女性』のような化け物が。
醜い『男の娘』とやらが。
ヤクマは『美少女』と言っていたが、コレのどこに『美』があるのだろう。
化け物の体にうっすらと残る男性の顔は、泣いているようにしか見えなかった。
「これで、同士シシトも男を『幸せ』にすることができる。最高だろう? こんなに美しいモノはない。これこそが……美しき友情、というヤツだ」
「ふーん。じゃあ、つまりは駕篭のためにこれを造ったってわけだ」
「そういうことだ」
「駕篭の求めているモノ……なるほど、そう考えるとこの造形も理解できる。ははは、コイツはいい。この見た目。そういうことか。本当に駕篭の『理想』を良く表している」
「ちがっ……!」
『男の娘』とやらが、シシトのために造ったと語るヤクマ。
そして、それこそが、シシトの『理想』だと認めた滝本に、我慢ができずにロナが抗議の声を上げようとする。
しかし、その声は彼女の父親、バトラズによって遮られた。
「んー! んんー!?」
「……静かにしなさい」
バトラズは、滝本の考えを理解していた。
だからこそ黙り、息を潜め、娘の声を遮った。
今、バトラズに……いや、この場にいる脱出口を目指している者たちに求められていることは、ただ静かになりゆきを見守ることだからだ。
唇から血が出るほどに耐えながら、バトラズはただその時を待つ。
滝本が作る、好機を。
「理解できたようで何より。じゃあ、おじさんも『男の娘』になりましょうか。そろそろ実験体たちも回収して、この『男の娘』を同士シシトに届けなくてはならないし……」
「それはお断りだな。だって、『幸せ』になれないだろ?」
「……はぁ?」
今まで、ヤクマが造り上げた化け物、『男の娘』とやらをバカにしても出さなかった、低い声をヤクマは発した。
「今……なんて言った?」
「だから、『幸せ』になれないって言ったんだよ。どう見ても、コイツら『幸せ』じゃないだろ」
滝本が『男の娘』に、正確には『男の娘』を形作っている男たちを指さして言う。
すると、ヤクマはぷるぷると震えだした。
「は……はは、何をバカなことを。彼らは『男の娘』になった瞬間から、『幸せ』になる薬を投与されている。脳内は快楽物質で満たされ、常に最高の『幸せ』が……」
「やっぱり、わかってねーな。薬ごときで、人が『幸せ』になれるわけがないだろ。人を『幸せ』にするモノはもっと別にあるんだよ」
やれやれと、滝本は肩をすくめる。
「……別のモノ? なんだソレは?」
「ん? 教えてやろうか?」
ごそごそと滝本は自分のiGODを操作して、アイテムボックスから何かを取り出す。
それは、一本の瓶。
「美味い酒、だよ」
滝本の答えに、ヤクマは一瞬ほうけたような顔をしたが、しかし、すぐに声を上げて笑い出す。
「は、はっは。酒だと? 何をバカなことを。アルコールで得られる快楽など、彼らに投与している薬は軽く数百倍は上回っている。そんなもので『幸せ』などなれるわけがない。酒は判断力を狂わせるだけの、ただの害悪だ」
「わかってないねぇ。美味い酒を飲むってことの幸せがどれだけ素晴らしいか」
滝本はお酒の入った瓶のふたを開け、自分で口を付ける。
桃の花を感じさせる酒精の芳醇な香りが鼻を抜け、火を飲んだような熱が、口に優しく広がる。
(名前は知っていたが本当に、良い酒だな、こりゃ。崩壊した建物のワインセラーみたいな場所から拝借した酒だが、上等な保存方法するだけある。ああ、美味い。出来れば、大人になったアイツらと一緒に飲みたかったがな)
滝本の教え子であり、ゲームの師匠であり、憧れた異世界の英雄。
そして、大切な友人。
シンジとコタロウの二人を思い浮かべながら、滝本は酒瓶から口を外す。
「……ふ、はは」
自然と笑みがこぼれた。
「……何がおかしい?」
「おかしい? 違う。コレが普通だ。美味い酒を飲めば、人は笑うんだ。人は、それだけで幸せなんだよ」
滝本は、おもむろに酒瓶の口を『男の娘』こと、男性で出来た女性の化け物に向ける。
そして、そのままトポトポと酒を『男の娘』にかけ始めた。
「何をしているんだ?」
「ん? お裾分けだよ。酒ってのは一人で飲んでも美味くないからな。本当は別の奴らと飲みたかったが……いないからな。しょうがない」
トポトポと酒をふりかけながら、滝本は『男の娘』の周りを歩き始める。
「ほら、美味いだろ? 飲め飲め」
「ふん……そんな酒を振りかけたところで、薬による『幸せ』に満たされたコイツ等に、何の影響も……」
「ふへっ」
と、気の抜けた声が聞こえた。
声の発生源は、ヤクマの下から。
滝本にが、最初に酒を振りかけた場所からだった。
そこに組み込まれている男性の顔から、声が聞こえたのだ。
安らいでいて、とても……とても『幸せ』そうな声が。
ヤクマの薬による『幸せ』の絶叫とは違う、『幸せ』の声。
その声の数は、どんどん増えていく。
滝本が酒をかけた場所から、どんどん。
「お……おい、どうしたんだ? なんでこんな声を出す! お前たちは、常に『幸せ』のはずだ! そういう薬を、投与してきたんだ! なのに、なんでそんなマヌケな……『幸せ』そうな声をだすんだよ」
「なんだ。ちゃんと、こういう声でも『幸せ』を感じているって判断は出来るんだな。てっきり『しあわせぇええええ』なんて絶叫しているヤツ以外は、『幸せ』って認定しないヤツだと思っていたが」
滝本は、とぽとぽと酒をかけながら、『男の娘』の背後に回っていた。
「これでわかっただろ? 酒の『幸せ』が」
「こんなの……こんな程度は、『幸せ』じゃない。酒で感じる幸せなんて、本当の『幸せ』じゃない!」
「……いちいち正論ではあるんだよな。駕篭のヤツと一緒で。正論で、間違った行為をしている……そんなことはどうでもいいか。ここまで来たらな。まぁ、アンタの言うとおり、酒の『幸せ』は本当の幸せじゃない。肝要なのは、どう飲むか、だ」
酒は、もうほとんど残っていない。
最後の一口を、滝本は自分で飲む。
(……味は美味い。ただ、寂しい。なるほどな。これが……最後の一杯)
「美味いつまみと飲む。親しい友人と飲む。仕事が上手くいった日に、程良く酔っぱらいながら笑いあえれば、それだけで最高だ。『幸せ』だ。あとは、景色か。夜なら丸いお月様。昼間なら青い空の下、飲みたいモノだ」
滝本は空を指さす。
その指の動きに合わせるように、釣られてヤクマも空をみた。
青い空。
まるで絵に描いたように青い。
いや、まるで、ではない。
「……っがぁああああ!?」
気づいた瞬間、ヤクマの目に痛みが走る。
異物が混入する痛み。
空が、目に落ちてきた。
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