第348話 滝本たちが逃げる

「……急いで、こっちに!」


 バタバタと慌ただしく人々が駆けていく。


 その駆けているほとんどが女性だった。


 男性は、ヤクマが『女性』に作り変えている。


「……全滅だ」


 生き残っている数少ない男性の一人。

 滝本が、自分のiGODを見ながら顔をゆがめる。


 ヤクマとヤクマが作り上げた女性のような化け物。

 彼らが繰り広げたおぞましい殺戮の行程と結末。


 この一ヶ月で様々な死を見てきた滝本でさえも、かなりキツい光景だった。


 正直な話、いつ正気を失ってもおかしくない。


 しかし、何とか滝本は自分を押さえていた。


 守るべき人たちがいるからだ。


「滝本……」


 滝本の彼女であるブレンダと郡山 美佐子が、彼の肩にそっと手をおく。


「大丈夫だ。それより、急ごう。すぐにあの化け物がやってくる」


 滝本の顔は白くなっていたが、目だけはまだ力が残っている。

 

「このまま、まっすぐに海の方へ。予備の抜け穴がいくつかあるから、分散して行けば間に合うはずだ。班分けは済んでいるか?」


「ええ、火洞さんや百合野さんたちがそれぞれ指揮をしている」


 マドカの母親である百合野 奈菜(ゆりの なな)は、避難している人たちの列の中で、疲れて動けない人などを支えていた。


 ユリナの母親である火洞 十香(ひどう とおか)は、列の後方で、遅れている人がいないか確認している。


「私たちもこれから分かれるから、滝本も……」


「ねぇ!」


 滝本たちの会話に、一人の少女が割ってはいる。


「ブレンダ。ミサコ。今どうなっているの? 宮間は? チャカは? 状況を教えてちょうだい」


 ブレンダとミサコの主人であり、滝本の生徒である、ロナだ。


 もっとも、皆、『元』がつくが。


 滝本たちは、シシトたちがシンジの所へ襲撃しに行く事を機に、ヤクマの実験の犠牲者たちを解放するために行動を開始した。


 その際にロナに遭遇し、そしてヤクマが暴走したのだ。

 その流れでロナは滝本たちと行動を共にしている。


 ……決して友好的ではないが。


 滝本も、ブレンダたちも、ロナを一度だけ見ると彼女の質問には答えずにそのまま会話を続ける。


「ここから一番近いのはCポイントだな。そこは……」


「潮花ちゃんたちがすでに通って脱出口を確保している。Bポイントはアオイさんが。両方とも、問題はないって」


「よし、じゃあ……」


「話を聞きなさいよ!」


 大きな声を上げたロナに、滝本は一度強く目を閉じた後、彼女の方を向く。

 痛いほどに冷たい目を向けながら。


「全滅だ。足止めをしてくれていた部隊は、誰も生き残っていない」


「全滅……って、なんで……だって」


「……なんで?」


 口調だけは落ち着いていた滝本の声が、一段階荒くなる。


「お前たちが助けたからだろ? あの危険人物を。先生先生って持ち上げていた、ヤクマとかいう化け物を!」


「……滝本」


 ミサコに肩を掴まれ、滝本は止まる。

 今にも、ロナに殴りかかりそうだったからだ。


「今ここにいるほとんどの人が、ヤクマに何らかの薬を打たれ、実験台にされた被害者だ。それは分かっているよな?」


 滝本に言われ、ロナはその身を固めた。


 決して、周囲を振り向かないように。


 向けられている百近い刺さるような視線を、ずっと感じてきたからだ。


「わた、しは……」


「分かっていたはずだ。なぜなら、俺たちはずっとアイツの危険性を伝えていた」


 セイを助ける前から、セイを助けたあともずっと。


 ヤクマがしている事に関する情報は、ロナたちにも伝わるように情報を流していた。


 しかし、彼女たちはマトモに取り合わなかった。


 シシトが一言、『そんなわけない』と発しただけで、ユイもコトリもその言葉を信じた。


「他の奴らは、駕篭が何か言えば盲信するだろう。けどな、お前は違うだろ、ロナ。ブレンダもミサコも、半蔵さんも。お前が高校に入学する前から、薬馬の危険性は知っているはずだって言っていたからな。よく、半蔵さんがまとめたデータを盗み見していたんだろ? イタズラ感覚で」


「それ……はっ」


滝本の指摘に息を飲むも、すぐに反論しようとロナが口を開こうとする。


「……やめなさい」


 その彼女の肩に、手をおいた者がいた。

 ロナの父親、バトラズだ。


「お父様。お父様からも……」


「口を閉じなさい。今のお前に、何かを言う権利はない」


 実の父親からも向けられる、刃のような目線に、ロナの身がすくむ。

 厳しい父親ではあったが、それでも、ここまで情を感じない目を向けられたことは、今まで一度もなかったのだ。


「すまない。我が娘ながら、なぜこうなったのか……謝って済む問題ではないだろうが」


「いえ、バトラズさんが謝ることではないですよ。貴方が手を貸してくれていたからこそ、我々はここまで逃げることが出来たのですから」


 今にも地面に手をつきそうなバトラズを支えながら、滝本は首を振る。


 実際、バトラズは上手く立ち回っていた方だろう。


 洗脳のように町の人々の心を掌握し、支配してきたシシトたちを相手に、彼らのご機嫌を取りながら、裏ではしっかりと滝本たちをサポートしていた。


 シシトがシンジを襲撃する際に、兵士ではなく100人の一般人を連れて行ったことからも、それはよくわかる。


 もっとも、ヤクマがあのような化け物を作り出して暴れるなんてことまでは、流石に誰も想定は出来なかったが。


「行きましょう。バトラズさんは娘さんと一緒に行動してください。一番近い脱出口はすぐそこですから、まずはバトラズさんから……」


「いや、私は一番最後だ。私よりも、前途ある……傷を負ってしまった人が先だ。愚かな娘が傷つけてしまった人たちが、生きるべきだ」


「違う、私は……」


「滝本!」


 ブレンダが声を上げると同時に、滝本たちが走っている道の前に何が落ちてきた。

 べちゃりと、へばりつくような音を立てて。

 その落ちてきたモノは、ぐちゅぐちゅと音を立てながら、ゆっくりとその身を起こす。


「……ロナお嬢様。ここにいたんですか?」


「……宮間?」


 血のような赤い固まりだったそれは、身を起こしていくと人のような形になり、そして、ロナの護衛の一人だった宮間のようなモノに変えた。


 そう。ような、モノ。


 形は宮間だと判別出来るようになったが、しかし、まだ彼の体はところどころ蠢いているのだ。


「ふふふ……他にも綺麗なお嬢様方が……さすがヤクマ様が厳選して集めた実験台の数々だ」


「ヤクマ様って、アンタ……」


 滝本が宮間の言動を指摘しようとしたが、すぐに言葉を発せられなくなった。

 今の宮間のようなモノを、正面から見てしまったからだ。


「……おや、どうしました?」


「アンタ、その顔……」


 宮間の左目の部分が、大きく膨れていた。


 まるで、女性の乳房のように、いや、おそらく、それは乳房なのだろう。


「ふふふ……ははは……何か可笑しい所でもあるのでしょうか?」


 自分の左目があるはずの部分の乳房をもみしだきながら、宮間は笑う。

 乳房の先から、ドロドロと黄色く、赤く、黒い液体があふれている。


 異常なミヤマの行動に動けなくなっている間に、べちゃりべちゃりと、他の固まりが落ちてきた。


「はぁあぁああああああ……この香りは……百合野さんではないですか?」


 落ちたモノは、小太りの男性に姿を変えた。


「守屋さん?」


 滝本たちの後方で、避難の手伝いをしていたマドカの母親であるナナが、困惑した声を出す。


 小太りの男性は、山門町の町内会長をしていた守屋だった。


「百合野さん? ……なんだ、オバさんの方か。でも、オバさんでもマドカちゃんのお母さんだね。綺麗な人だ……未亡人もいいかもしれない」


 もう一つの固まりも男性の姿をしていた。


「君は……鳥肥音門か」


 マドカに近づくために、ユリナに告白して付き合ったクズ。


 そのクズに、ユリナの母親であるトオカが険しい顔を向ける。

 だが、ネモンは彼女に一切の興味を向けることなく、マドカの母親のナナを見つめていた。


「ああ、やっぱり面影がある……いいな、オバさんでも……あははは」


「ん? こらこら。百合野さんは私のモノだぞ? 君は若いんだから、別の子にいきなさい」


「は? いや、おっさんこそ何勝手に決めているんだよ。ふざけるなよ?」


「いやいや、私は町内会長だからね。山門町のご婦人方を守る義務がある。だから、水橋さんも私のモノだ」


「水橋って……あ、ユリナちゃんのお母さんもいる。おっさん、マジでふざけるなよ、ユリナちゃんのお母さんも美人じゃねーか。俺によこせよ」


「ふはは。ここは年長者に譲りなさい。おや、他にも美しいお嬢さんがいるね。では、アレとアレとアレとアレも私のモノで……」


「てめえ、なめんなよ? アレも俺のモノだ。おっさんはそこらへんの」


 醜い。


 実に醜い言い合いをしながら、守屋とネモンは取っ組み合いの喧嘩を始める。


 ……いや、それは取っ組み合いなんてモノではなかった。


 二人がふれ合うと、そこから互いの肉が混ざり合って一つになった。


 左腕と右腕、右腕と左腕。


 胸部、腹部。


 ぐちゃぐちゃに混ざってもなお、二人はそのことを気にもせずに言い合いを続ける。


「俺が、アレを」


「私が、アレを」


 その言い合う口が混ざってもなお、二人は醜い口論を止めず、ぐちゃぐちゃと一つの固まりになっていく。


 そんな異質な光景を前に、皆立ち止まることしか出来なかった。


 左目が乳房の男。


 混ざり合う男。


 何が起きているのか、理解するだけで思考が埋まってしまっていた。


 そんな暇はなかったのに。


 突如、男たちが電気を流されたかのようにピリっと動きを止め、上空を見上げた。


 そして、大きく口を開けて、声を上げる。


「アハハハハハハハハハハハハッハハハハア!」


 それは、大きな笑い声だった。


 心の底から不快になるような、おぞましい声。


「幸せだ。しあわせだ! シアワセだっしあわせ、シアワセしあわせああああああああああああああああはははっははははあああ!」


 耳が痛くなる。胃液が上がる。


 でも、その声が意味することを理解する者が数名いた。


「……っ!? 逃げるぞ! 呼んでやがる、ちくしょう!」


 滝本が振り返る。


「皆、立って! 走って! 早く脱出口に!」


 トオカが、周囲の人々に声をかける。


 ナナは、すでに怯えて座り込んでいた人を支えていた。


 でも、遅かった。


 瓦礫が崩れる音がして、巨大な何かが現れる。


 巨大な女性のようなモノ。


 数多の男性が蠢く、女性のようなモノ。


 だから、つまりは化け物だ。


 その化け物の頭の上に乗っている男性はもちろん、化け物のような思考の持ち主で。


「発見ーん。さぁ、皆で幸せになろう」


 ヤクマの声は高らかで、とても幸せそうだった。

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