第327話 年越しそばが食べたい

「問題です。大晦日といえば?」


 ミナミから出された唐突なクイズに、ミユキは呆れた表情で答える。


「……年越しそば?」


「正解! よくわかったねー」


「正解も何も……今作らされているからな」


 調理場に立っているミユキを、ミナミはソファに座ってのんびりと眺めていた。


 ミユキの前には、色とりどりの食材と、そしてまだ粉がついているゆでられる前のそばがある。


 今は大晦日の夜で、夕食はすでに終わっている。


 しかし、年越しそばは食べたいと皆が要望したため、ミユキは年越しそばを調理している最中なのだ。


「お前も、見ていないで手伝えよ」


「えー、別に私がしなくても、手伝ってくれる娘は沢山いるじゃん」


 ミナミは、ミユキの隣に目をやる。


 そこには、ネネコとヒロカの二人が、苦戦しながらも、そばに乗せるネギを切っていた。


 クリスマスにシンジに頼まれて以来、ちょくちょく二人には料理を教えてはいるのだが、まだ包丁の使い方を教えた程度で、本格的な調理までは進んでいない。


「……手は多い方がいいだろ」


「うう……」


「もー、そんな可愛い子たちをイジメないイジメない。それに、とっても役に立つ子がいるじゃない」


「あのなぁ……」


ミナミの言葉の意味を理解して、ミユキは目を伏せる。


 そして、少しだけ考えると、意を決したように調理場の奥にいく。

 そこには、黙々と小ぶりの鍋で調理しているセイがいた。

 目つきは鋭く、何者も近づけさせない意志がはっきりと現れている。


(相変わらず敵意しかないな)


 あれは、マドカとシンジのデートの次の日だったろうか。


 突然、朝食を作っていたらセイがやってきたのだ。

『先輩の分は私が作ります』と。


 それ以来、朝食は全部。それ以外は一品はセイが作るようになっている。


(……まぁ、明星さんが毎食一人だけ違うモノを食べるのは悪いからって、一品だけなんだけどな)


「なぁ……」


「……なんですか?」


 琥珀色の液体を鍋にそそいでいるセイの返事は堅く、鋭い。

 ピリピリとした敵意をはっきりと感じながらミユキは続ける。


「その出汁、味見してもいいか?」


「……どうぞ」


 ミユキはスプーンで鍋から出汁をすくい、口に運ぶ。

 そして、数回口の中で転がすとゆっくりと飲み込んだ。


「……ふむ」


「終わりました? じゃあ、さっさと皆の分のそばを作ってください。これは先輩の分なんですから」


 いつもは全部作るのは朝食だけなのだが。

 なぜか年越しそばだけは自分が作ると言い、一人分だけ、シンジが食べるためだけのそばをセイは作り始めたのだ。


 そんなセイに、ミユキは提案する。


「なぁ、アンタが皆の分を作らないか?」


「え?」


「いつも『先輩の分は私が作ります』っていって料理しているけどさ、正直和食に関してはアンタの方が上だ。だったら、今回の年越しそばは、全員分アンタが作った方がいい」


「……はぁ」


「材料を切ったりは私が手伝うから指示をくれ。それとも、愛する先輩以外には作りたくない、なんて言うんじゃないよな?」


「いえ、そういうつもりは……」


「じゃあ、決まりだ。具は何を乗せるんだ? ネギは切らせているが……」


「エビ天を作ろうと思っていますけど」


「はぁー年越しそばにエビ天とは贅沢だ。じゃあ、タネを作るか」


 ミユキは、セイにほほえむ。


「まぁ、仲良くしよう。私はアンタの料理はおいしいと思っているよ」


 ミユキの言葉に、セイは少しだけ気まずそうに顔を伏せた。



 薄力粉を準備しながらミユキが質問する。


「卵はどうする?」


「そうですね。私は卵の代わりにマヨネーズを使いますが……」


「マヨネーズか。なるほど、それは面白そうだ」


 セイの提案に、ミユキは素直に従う。


「そういえば、さ。アンタはどこで料理を覚えたんだ?」


「え?」


「いや、家庭科とかで出来るレベルじゃないからね。その出汁とか。ちょっと気になっただけなんだけど」


「料理は祖父……というか、家族全員から教わりました」


「家族全員? 母親とかじゃなくて」


「あ、すみません。間違えました。お母さん以外の全員です」


「なんだそれ」


 予想外の答えに、ミユキは苦笑してしまう。


「私の家は武術の家系ですから。『武の基本は体。体は食事から』という考えから、食事には色々気を使うというか、こだわりがあるんですよ」


「へー……そんなもんかね」


 ミユキの顔が、若干暗くなる。


「……どうしたんですか?」


「いや、食事が体を作るなら……私が作った料理を食べていたアイツらは、なんだったのかなってさ」


「アイツ等?」


「店によく来ていた、太ったおっさんやおばさん共だよ。私やあの女が作った料理を褒めていた。美味い旨いウマいって……汚い顔で言っていたな。私は、今まで自分が作った料理をウマいなんて思ったことないのに」


 ミユキは、自分の手をじっと見つめる。


「ウマかった……うまかったんだろうな。私の料理は。アイツ等にとって……あの女にとって」


 子供から搾取した料理は、実に甘美だったのだろう。

 出来上がった料理を運ぶときの彼らの顔と、彼らから金を受け取る時の母親の顔を思い出すだけで寒気がする。


「あの……」


 そんなミユキに、セイが気まずそうに言う。


「私は、その……料理に大切なのは『感情』だって教わりました」


「感情?」


「はい。あの、クリスマスの時の料理。技術もそうですし、私がおなかが空いていたということもあると思うんですけど……ちゃんと、飾堂さんが私たちに『美味しい料理を作ろう』っていう『感情』が伝わってきました」


セイは、そこで唇を軽く噛み、頬を桜色に染める。


「……だから、美味しかったです。飾堂さんの料理。その、悔しい、ですけど」


「……は、はは」


 少しだけそっぽを向いているセイに、ミユキは笑ってしまう。


「な、なにがおかしいんですか。落ち込んでいるようだったから、わざわざ言ったのに……」


「いや、ごめんごめん。ただ、ちょっと可愛かったからさ」


「可愛いって」


 ふいっと、セイは完全にミユキから目をそらす。


「……ありがとう。その顔を見れただけで、今まで料理をしてきてよかったって思えるよ」


「そうですか」


「本当に、生き返ってよかった。今まで料理を作ることは嫌いだったけど……生き返ってからは悪くないって思えている。生き返らせてくれた明星さんには感謝だな」


 そういって微笑むミユキにセイは念を押す。


「先輩の料理を作るのは私ですからね。それは忘れないでください」


「……んーそれはどうかな?」


「どういう意味です?」


 睨んできたセイに、ミユキは言う。


「『感情』を込めようって事さ。二人で美味しい料理を作ろうって思っていたら、きっと今より美味しい料理を作れる。そう思ったのさ」


 ミユキの顔は、とてもいい笑顔だった。



 それから、天ぷらのタネの仕込みを終えたミユキは、用意されていたエビを手に取る。


 青い殻が半透明に透けていて、まるで宝石のような輝きを見せるそのエビはコタロウが持ってきたものだが、明らかにこの世界のエビではない。


「そういや、『感情』の話だけど、想いを込めるって意味じゃ年越しそばも同じようなモノなのかな」


「……そうですね。そばは細くて長いですから。長く生きてほしいって意味がありますね」


「なんか、そんな話だったな」


「飾堂さん。その、エビですけど頭を付けたまま揚げることは出来ますか?」


 ちょうど、エビの後頭部に包丁を入れようとしたミユキの手が止まる。


「出来るけど、有頭で作るのか? フライじゃよくやるけど、天ぷらで、しかもそばに乗せるのは珍しくないか?」


「……お願いします」


 そばはセイに従うと決めている。


 しかし、何かひっかかるモノを感じながら、ミユキは頭を残してエビの下処理をしていく。


「ひげも切らないでくださいね」


「……ひげ? わかった」


 コタロウが用意した異世界のエビは、とても立派なヒゲがはえている。


 細くて長いヒゲが。


 だから、つまり、そのエビに込められているのはソバと同じ意味なのだ。


 長く生きてほしい。


 末永く側にいたい。


 その想いを誰よりも込めているのは、紛れもなくセイであり、その想いはミユキにも伝わっていく。


(……何かあるのか?)


 ふと脳裏に浮かんだ、雲のように消えそうな少年の顔が離れないまま、ミユキはエビ天を揚げるのだった。

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