第324話 シンジが『嫌い』なやつ

「……常春さん、起きて」


「……へ?」


 軽く目を閉じた覚えがある。


 しかし、シンジに起こされた。


 セイは慌てて顔を上げる。


「……また、ですか?」


「うん。もう30分はたったかな?」


「うぅぅ……」


 セイは、そのままシンジの胸元に顔を戻す。


 シンジの体は、しっかりと温かくなっていた。


 シンジと抱き合っての『神体の呼吸法』の修練をしようとすると、セイはすぐに眠ってしまうのだ。


「だから大丈夫って聞いているのに……」


「……」


 セイは何も答えずにただシンジに体を預ける。


『神体の呼吸法』の修練だと考えれば、寝てしまうので意味はないが、シンジと抱き合った状態で目が覚めると、とってもスッキリしている。


 だから、セイにとって、この修練は必要なのだ。


「さてと……そろそろ……」


 シンジが起きあがろうとするが、セイはシンジにしがみついたまま、動こうとしない。


「セイ?」


 セイは答えない。


 なるべく、少しでも、長くシンジを抱きしめていたいから。


 毎日繰り返される一連のやりとりに、シンジも慣れている。


 だから、セイを動かす言葉も知っている。


「……まぁ、飾堂さんが朝食を作るまで、時間はあるか」


 セイはゆっくり顔を上げる。


「このまま、ここにいる?」


「……行きます。先輩のご飯は私が作るんです」


 セイは名残惜しそうにシンジから離れると、胴着を整えながら、修練していた部屋から出ていった。


 その様子を見送ると、シンジは誰もいなくなった修練部屋で、寝っ転がる。



「……はぁ」


「お疲れさま」


 横になったシンジの顔をのぞき込んだのは、コタロウだった。


「……なんだ?」


「いや、毎朝大変だねっと思ってさ」


 からかうようにコタロウは笑う。


 シンジは一度目を閉じると、ゆっくり体を起こす。


「大変って、何がだ?」


「あんな可愛い子とあれだけ密着していたんだ。常春ちゃんが起きたとき、道着が乱れて色々見えそうだったけど、よく手を出さずに我慢できるね」


 体を動かす修練の後に、そのままシンジに抱きついて寝ていたのだ。


 起きたときのセイの姿は、とても扇状的な様相になっていた。


「……コタロウの言うとおり、色々見えるし、セイからはいい匂いがして、全部柔らかくて温かくて気持ちよかったけどな」


 シンジは言葉を区切り、自分の胸元に視線を落とす。


「無理だろ、あんなに泣かれたら」


 セイが顔を押しつけていた部分は、ぐっしょりと濡れていた。


 全部、涙だ。


「本人は眠っているつもりだし、実際に意識はないんだろうけどな。泣いている女の子相手に、抱きしめる以外にすることがあるか?」


 困ったような顔をしているシンジに、コタロウはニヤニヤした笑顔を浮かべる。


「ヒュー……なんてダンディなセリフ。彼女いない歴年齢の、童貞とは思えないね」


「うるせーよ! バーカ!」


 ケタケタとコタロウが笑う。


「……でも、真面目な話。抱かないの?」


 コタロウの『抱く』は、違う意味だろう。


 コタロウは、もう笑っていない。


「『欲望』を押さえることは、今の世界では必要だ。けど、『欲望』に身を任せるのも修練にはなる。それに何よりあの子は……あの子達は、シンジと結ばれることを何よりも望んでいる」


 シンジは黙って、コタロウの言葉に耳を傾ける。


「常春ちゃんが泣いているのも、シンジが『抱けば』たぶん収まる。こんなこと、言われなくてもシンジは理解しているんじゃない?」


「……そうだな」


「やる気なさそうだね」


 コタロウは呆れたように肩をすくめる。


「童貞だから色々慎重になるのも分かるけど、あんまりジラすと色々なところから反発がくるよ?」


「色々なところってどこだよ。っていうか、慎重にもなるだろ」


 シンジの口から、白い息が昇っていく。


「大丈夫、二人とも初めてだから、手探りでも良い思い出になるよ。どうしても不安なら、俺が精巧な人形を……」


「そうじゃねーよ」


「じゃあ、どういう意味?」


 首を傾げるコタロウに、シンジは額に手を当てながら言う。


「……子供」


「……へ?」


「だから、子供が出来たらどうするんだって話。出来たら、困るだろ」


 しばらく、シンジの答えを聞いていたコタロウは、ぷっと吹き出した。


「いやいや、シンジ。その答えは童貞すぎるだろ。子供って。ゴムをしっかり付けとけば問題ないって。それに、避妊の薬もあるんだし」


 コタロウのからかうような返答に、しかしシンジは真面目な顔をしたままだ。


「ゴムを付けていてもちょっとしたことで外れたりすることもある。それに、避妊の薬にしても、誰が処方するんだ?」


「……まぁ、確かにゴムの避妊率は100パーセントじゃない。薬を処方する人間もいないね」


「それに、俺はそういう行為をするなら、性行為をするなら、覚悟が必要だと思っている」


「……覚悟?」


 もう、コタロウは笑っていない。


 シンジが真剣だったからだ。


「責任をとるってことだ。子供は出来ないかもしれない。でも、子供が出来てしまったら、確実に育てるって覚悟。子供とその子を絶対に守るって覚悟。どんな理屈をつけても、性行為ってのは、子供を作る行為だからな」


「それをシンジは持てないのか?」


 コタロウの疑問に、シンジは頷く。


「ああ……見てのとおり、今世界はめちゃくちゃだ。生まれたばかりの子供が生きていける世界じゃない。こんな世界で、俺はあの子達に子供が出来る可能性があることをしてほしくないし、したいと思わない。それに、子育てだけじゃない。子供を産む、それだけでもリスクがデカすぎる。一番大変なのは俺じゃなくて……どうしてもあの子達になるからな」


「……思ったより、色々考えているね、シンジ」


「パーティーだからな。仲間のことを考えないわけないだろ」


「シンジがそういう考えを持っていることが、幸なのか不幸なのか……って感じだね。あの子達にとって」


 コタロウは少しだけ呆れた顔をしていた。

 そして、少しだけ寂しい顔を。


「まぁ、これ以上は俺が言うことじゃないか。男女の仲について口を出すと、馬に蹴られるらしいし。ところで、俺って色々な女の子に、色々なことをしているんだけど、そんな俺にシンジは言いたいことがあったりしたのか?」


 コタロウの少しおどけた確認に、シンジは首を振る。


「いや……というか、そもそもお前『そういう事』はしていないだろ?」


 シンジの言葉に、コタロウは固まる。


「向こうではしたのかもしれないけど……例えば貝間さんが用意した女の子と肉体の関係は無いはずだ。違うか?」


「うーん……」


 コタロウは頭を掻き、そして苦笑する。


「あー……それ言っちゃうか。それ言うとコタロウ君の遊び人なイメージが崩れちゃうんだけど」


「遊んではいたんだんだろうけどな。理由は……このまえ見た世界樹の映像の出来事か?」


 コタロウは、軽くうなずく。


「まあね。一応警戒はしていたけど、見た目は可愛くて、表面は良い子ばっかりだったから……あんな汚物に欲情していたかと思うとさ」


 コタロウは落ち込むように肩を落とす。


「……あ、でも興奮しなくなったわけじゃないからね。コタロウ君のコタロウ君は、今でも現役バリバリで、1日3回は余裕で……」


「誰もそんなこと聞いてねーよ」


 慌てたように語り出したコタロウの発言をシンジは止める。


「まぁ……コタロウみたいに、遊ぶ対象として割り切っている相手なら、自由にすればいいと思う。さっきのコタロウの言葉じゃないけど、男女の関係に口をはさむことじゃない。俺も学校で死鬼の女の子たちを相手に色々していたからな。けど……」


 シンジは、どこか遠くを見る。


「でも、今の世界の状況で、本人が守りたいと思っている人を、『幸せにしたい』人を相手に、そういうことをして、子供を作っている奴がいたら……」


 ふっと、ユリナに聞かれた質問を思い出した。


『嫌いな人物』はいないのか。


「……軽蔑するかもな。そいつを。俺は『嫌い』になるかもしれない」

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