第323話 白い息がゆるゆると

 白い息がゆるゆると空に昇る。


 呼吸に含まれる水分が冷却するほどの外気であるはずなのに、汗が吹き出ている。


 セイは、じっと前を向いていた。


 自分と同じように構え、動かない男を。


 シンジを、観察していた。


(……違う)


『神体の呼吸法』を使用すると、セイの体温は上がる。


 滝の様に発汗し、心臓の鼓動は早すぎて数えることは出来ない。


 まるで、命を燃やすように、身体能力を上げるのだ。


 しかし、同じ『神体の呼吸法』を使用しているはすなのにシンジは違う。


 汗を一つもかいていない。


 まばたきもせずに、心臓の鼓動さえ止まっているのではないかと、錯覚するほどに、動いていない。


 まるで、命が雲か霞みのように消えてしまうのではないかと、思えるように……


 セイは、手を伸ばす。


 シンジに向かって。


 空気が重くなり、壁のように感じるほどの速度で振り抜かれたセイの手は、しかしむなしく空を切るだけに終わる。


 シンジが、避けたのだろう。


 確証が持てないのは、シンジが構えたまま動いていないように見えたからだ。


 セイはさらに踏み込む。


 シンジの元へ。


 離れないように、何度も、何度も。


 手を伸ばしては、避けられて。


 シンジとセイの、朝の稽古は終わる。


「……ダメでした」


 疲労困憊で、立つことも出来ずにセイは天井を見上げる。


 シンジとマドカのデートが終わってから、セイは毎朝シンジと一緒に稽古をしていた。


『神体の呼吸法』を使用して、シンジに攻撃する。


 それだけの稽古なのだが、セイは未だにシンジに触れることさえ出来てない。


「10分は動けたんだ。最初は1分も『神体の呼吸法』を維持できていなかったから、進歩しているよ」


 ペットボトルのお茶を持ってきながら、シンジはセイの隣に座る。


「……ありがとうございます」


 シンジからお茶を受け取り、セイは体を起こす。


 シンジは汗一つかいてない。


「……スゴいですね」


「避けるだけだからね。反撃しようと思ったら、こうはならないよ」


 それに、とシンジは続ける。


「言ったでしょ?セイと俺の『神体の呼吸法』は種類が違うんだ。セイの呼吸法は『動の呼吸法』俺は『精の呼吸法』」


『神体の呼吸法』は世界に広がる『神』を『魔』をつまり、『欲望』を体内に取り込み、自分の身体能力を向上させる技術だ。


「私は『動の呼吸法』肉体面の強化をしていて先輩は『精の呼吸法』精神面の強化をしている、ですよね? だから先輩は汗を掻いたり、体温が上がったりしないというのは理解できますけど……」


「精神を向上させることで、情報処理の力があがる。それでセイの攻撃を避けているだけだからね」


「でも、『精の呼吸法』だと、『魔法』の力もあがるんですよね? ユリナみたいに……」


『動の呼吸法』を使っているセイの攻撃を『精の呼吸法』を使っているシンジが軽々と避けていくのだ。


 それに加えて、『精の呼吸法』の本来の使い方は、魔法の強化だ。


 身体能力も上がり、魔法のような不可思議な力まで強くなるなら、『精の呼吸法』の方が優秀なのではないだろうか。


「『精の呼吸法』だと、身体能力はそこまで上がらないからね、『動の呼吸法』を使っているセイに肉体を使って有効打を与えることは難しいし、一長一短だよ。それに、最終的には両方使えるようにならないといけないんだしね」


 今は、自分と相性がよい『呼吸法』を修練しているが、高みを目指すなら『動の呼吸法』と『精の呼吸法』両方を使えるようにならなくてはいけない。


 両方使えて、『神体の呼吸法』なのだ。


「……そうですね」


 そう言って、セイは空になったペットボトルを置く。

 そして、シンジに向けて両手を広げた。


 そのまま、じっとセイはシンジを見つめる。


「……『ジョウキー』」


 セイが何を求めているのか知っているシンジは、セイに洗浄の魔法をかける。


 体中に流れていた汗が綺麗さっぱりなくなると同時に、セイはシンジの胸に飛び込んだ。


「……大丈夫? 疲れていない?」


「大丈夫です」


(むしろ、疲れているからこそです。)


 セイはむぎゅっとシンジを抱きしめる。


 二人で行う『神体の呼吸法』の修練。


 実際に肉体を動かしての修練の後、より深く呼吸法を学ぶ訓練をしているのだ。


 もう、セイは『動の呼吸法』を10分以上使えるようになっているので、抱き合っての訓練はそこまで必要ではないのだが、セイがどうしても必要だとシンジに強要させている。


 ついでに、抱き合う訓練のまえに、自分の体を洗浄させることも、強要させていたりする。


 このあとの展開をシンジは知っているので、この修練はあまり効果的ではないのだが。


 シンジは大人しくセイの希望通りに抱きしめられることにしているのだ。



 先ほどの修練では触れることさえ出来なかったシンジの胸板に、セイは頬を当てる。


 体が、とても冷たかった。


 鼓動が、恐ろしく小さい。


『精の呼吸法』を使っていたからだろう。


 でも、まるで、だから、今のシンジは死体のようだ。


 セイは、より強くシンジの体を抱きしめる。


 自分の熱を移すように、自分の鼓動が響くように。

 そして、二度とシンジと離れないように。


 セイは強くシンジを抱きしめ、そして深く深く『呼吸』をするのだった。

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