第278話 シンジが目覚める

 明星真司が目覚めた時。


 目に入ったのは、見慣れた天井だった。


 明野ヒルズの地下にある、自分の家の自分の部屋。


 見慣れた天井の慣れた目覚めに、しかしシンジは違和感を覚えた。


 体が重い。それに、なぜ自分が寝ているのか、記憶がおぼろげだ。

 記憶を呼び起こそうとするとパッパと情景が移っていく。


 ドラゴン。フラフラとした白衣の男。黄金の槍を持ったガラの悪い男。


 三人の美少女がシンジを囲い、空には月が輝いていて……


「明星先輩」


 記憶がつながった時、シンジの横から声が聞こえてきた。


「……水橋さん?」


 記憶が途切れる直前に見た三人の美少女のうちの一人、水橋ユリナがシンジの横に座っていた。


「……ようやく起きましたか。何日眠っているつもりなのか……」


 ユリナがほっと息を吐くと、彼女が今座っている、普段シンジがゲームをする時に使うイスが音を立てた。


「……何日? 俺は……」


 シンジが体を起こそうと両手をつく。


「いっ!?」


 しかし、それだけシンジの両腕にしびれるような痛みが走り、またベッドに体を預けてしまう。

 その衝撃で、今度は背中に痛みが走る。


「……つぅ!? なんだ、これ?」


 ビキビキと、まるで体中の筋肉が接着剤で止められているかのような堅さを感じる。


 はじめての体験にシンジが困惑していると、慌てた様子でユリナが立ち上がり、シンジの顔をのぞき込む。


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫。ちょっとしびれただけだから……」


「そうですか……」


 眉を寄せて、シンジの顔を見ているユリナの表情は、シンジの事を心配してくれている顔だ。


 しかし、


「……あの、なんか近くない?」


 吐息が当たりそうなほど間近にあるユリナの顔に、心配してくれてありがとうだとか、そんな感情は浮かばない。


 ユリナの距離感が、自分の記憶にある距離と違い、シンジは少しだけ困惑していた。


 そんなシンジの困惑が移ったのか、ユリナは少しだけバツの悪そうな顔を浮かべる。


 そして、ふぅっと小さく下に向かって、シンジの胸元辺りに息を吐くと、そっとユリナはシンジを抱きしめた。


「……えっと? 水橋さん?」


「……少し静かにしてください」


 言われた通りにシンジが口を閉ざすと、しばらくしてシンジの耳元から、つまりユリナから、鼻をすするような音が聞こえてきた。


「……大丈夫?」


「私は静かにしてくださいと言いました」


 ユリナの声は震えていて、かすれていた。

 横から抱きつかれたため、何も動かすことが出来ずに、じっとシンジは待った。

 すんすんと、音だけが聞こえる。

 それからしばらくして、落ち着いたのだろう。

 ユリナが口を開いた。


「先輩は、自分に何が起きたか覚えていますか?」


「何となく。俺は……死んだのかな?」


額に衝撃を受けた。

そこで記憶は途切れている。


「はい。駕篭獅子斗に殺されました。銃で額を一撃。即死でした」


「……そうか」


 あれはシシトだったのかと一人で納得する。

 確かに、記憶がとぎれる直前。

 綺麗な月に、誰かがいたような気もするのだ。


「……常春さんたちは?」


「駕篭くんの所にいると思います。私は先輩の死体を担いで逃げてきたので」


逃げた。その言葉から生まれた疑問に、シンジはつい言葉をこぼしてしまう。


「……逃げたのか」


「……どうしたんですか? 逃げないと先輩が本当に殺されていたので逃げたのですが? 正直、先輩を一撃で殺すような駕篭君に勝てる気はしなかったので」


「いや、そういう事じゃなくて……」


 失敗したな。と思いつつ、シンジは言葉を濁す。


「じゃあ、どういう事なんですか?」


 ユリナの言葉が、少しずつ剣呑になっていく。


「いや、まず勘違いしないでほしいのは、助けてくれてありがとう。感謝している。それは間違いない」


「……はぁ」


「ただ、逃げなくても良かったんじゃないかな?って」


「……はぁ?」


 抱きしめていたユリナの腕が、シンジの首を絞めていた。


「……ぐっ!? いや、駕篭くんが俺を殺した理由って多分俺が常春さんや水橋さん、それに、彼の大好きな百合野さんに囲まれていたからでしょう? だから、守ろうと思ったんじゃないかな? 凶悪な殺人鬼である俺から、大切な女の子たちを。だったら逃げなくても水橋さんたちに駕篭くんが危害を加える事はなかったんじゃないか……ぐふっ!?」


シンジの話の途中でユリナはひらりと身を翻し、シンジの腹部に飛び乗った。


 そのまま、またシンジの首を抱きしめるとユリナは耳元でささやく。


「黙ってください」


 ユリナの声は、今までに聞いたことがないほど冷たく尖っていた。

 もう、ユリナの口は近すぎて少しだけシンジの耳に触れていた。


 背筋に走る寒気を我慢して、シンジは頷く。



 少し間が空いて、ユリナがそのまま話し始める。

 まるで言うことを聞かない子供に聞かせるように、ゆっくりと。


「……言いたいことは分かりますが、逃げないと明星先輩は確実に殺されていましたよ。死鬼になるという意味ではなく、死鬼の状態で角を折られて死ぬ。完全な死です」


 ユリナが言葉を発する度に息が耳の中に入ってくるし、唇が時折触れるがシンジは何とか我慢する。


「そうだろうね。でも、水橋さんが逃げると、他の三人がね。常春さんとか暴走したんじゃない?」


 ユリナから、息を飲む音が聞こえた。


「水橋さん?」


「……確かに暴れました。セイが暴れたおかげで私は明星先輩を担いで逃げ出せたので。ただ、私が残ってもセイの暴走は止められないですよ?」


 ユリナは、何事もなかったかのように話を続けた。


 シンジは少し気になったが、ユリナが続けたのならば、そのまま自分の意見を言うことにした。


「多分、常春さんの暴走を止められなくても、その後の調整役は必要だったと思う。冷静に、相手の意見を聞いて、こちらの言い分を通す役目が。それはあの場だと水橋さんしか出来なかったんじゃないのかな?」


 小さなため息が、シンジの耳を撫でる。


「明星先輩は駕篭くんの事をあまりご存じないようですね。あの子はセイも都合の良い勘違いで殺した子ですよ? こちらが何を言ってもアイツは聞き入れない可能性が高いです。何度も言いますが、私が先輩を連れて逃げていないと、先輩は確実に死んでいます」


「そうだね。加護君に話が通じないというのもそのとおりだと思う。でも、駕篭君に話が通じなくても、水橋さんなら常春さんたちに指示を出せたはずだ。話が通じないなら、例えば大人しく従ったフリをしてやり過ごせ、とかね。常春さんが暴走したままだったら……何かされていても不思議じゃない。さすがに命を奪ったり、あまりヒドいことはしないと思うけど」


 常識で考えれば、助けにいった相手を手荒に扱う事はしないはずだ。でも、暴れていればその限りではない。

 シシトの所にいるというセイの様子を思い浮かべ、シンジは眉を寄せる。

 他にも、マドカやネネコも心配だ。

 二人は暴れたりしないだろうが、律儀な所はある。

 特にネネコにとってシシトは兄だ。

 セイの次に、激しくシシトに怒りの感情をぶつけるかもしれない。


 暴れれば、軟禁程度はするだろう。

 ヒドければ監禁し、手錠などの拘束具をつけるかもしれない。

 狭い部屋に閉じこめられて手錠をつけられているセイやネネコの姿をシンジはどうしてもイメージしてしまう。



「明星先輩は……」


 ユリナが、少しだけ言葉を発して、すぐに口を閉じる。


「……何?」


「……明星先輩は、あの三人が今どんな状況だと思いますか? シシトにどんな事をされていると……」


「俺、シシトくんをちゃんと見たことないから分からないんだけど……」


 打たれる直前に、少しだけ視界に入っていたが、見ていた、といえるほどハッキリ見ていない。


「予想でいいので、答えてください。セイから話を聞いているでしょ?」


「話だけだと、なんとも……普通なら軟禁? ヒドいと監禁か……水橋さんが俺を連れて逃げたんなら、色々警戒するだろうし」


 先ほど思った事をそのままシンジは口にする。


「……そうですよね。せいぜいそれくらいでしょう。いくらシシトが愚か者でも、彼は私たちを助ける、なんて言っていたのですから。助けたい者に、非道なマネはしないでしょう。では、三人のそんな状況が改善するなら、自分は死んでいてもよかった。そう先輩は思っているんですか?」


「いや、そんな事は思っていないよ。さっきも言ったけど助けてくれて感謝しているし……」


「答えてください。本当はどう思っているんですか?」


 ユリナの問いに、シンジは少しだけ思考し、答える。


「死んでいてもよかった。とは思わない。これは本当。けど、しょうがないかな。とは思っている」


 耳元で、歯を噛みしめる音が聞こえた。


「……え? 水は……痛ったぁ!?」


 側頭部にシンジは衝撃を受ける。

 ユリナが頭突きをしたのだ。ちょうどテンプルを打ったらしく、目から涙が出るほどに痛い。


「え? めっちゃ痛いんだけど、何? どうしたの、水橋さん?」


 ユリナはなおもシンジの側頭部に頭をグリグリと押してくるため、ユリナの顔や姿は見えない。


「……そうなんですね。そうだったんですね。そういえば、そんな傾向はありました」


「……あの?」


「明星先輩。確認したい事があります」


「何?」


「明星先輩。アナタに、『嫌いな人』はいますか?」


「え? なんでそんなこと……」


「答えてください」


 ユリナの真剣な声にシンジは特に深く考えずに答える。


「いないな、そんな人」


「……一人も、ですか?」


「ああ」


「アナタを殺したシシトや、殺されかけたガオマロも?」


「……『嫌い』じゃないな。もちろん、好きじゃないけど。そもそも、『嫌い』というほど関わりがなかったし」


「……アナタをイジメていた貝間先輩や、そのほかの女子たちは?」


「貝間さんはコタロウの彼女だし、他の子も嫉妬していただけだからな」


「『嫌い』じゃない?」


「『嫌い』じゃない」


もちろん、好意はないし、好感も持ってはいないが。


シンジの答えを聞いて、ユリナは体を震わせ始めた。


何か、恐怖を覚えた様に。


「……どうしたの? 大丈夫?」


「いえ、大丈夫です。ただ、ちょっと、想像よりもツライ事になりそうだと思っただけです」


 落ち着くように、ユリナはふぅと暖かい息を吐き、それがシンジの耳を撫でる。


「……ツライ事って」


 シンジの質問は、次のユリナの言葉に完全に消されてしまう。


「明星先輩。あなたを助けるために私は死んでしまったのですが、どう思いますか?」


「……はぁ?」


 シンジは体をずらし、頭を横に向ける。

 すぐ近くに、ユリナの顔があった。

 目元が赤く腫れている。


「どういうこと?」


 だが、それはずっと聞いていた鼻をすする音から分かっていたことだ。

 だから、シンジが気になったのは別のこと。

 気がつけば、シンジはユリナの肩をつかんでいた。

 シンジの腕が軋んで音を立てているが、シンジは痛みを感じなかった。


「……怒るんですね。これは」


 すぐ近くにあるユリナの顔は、悲しくて、どこか寂しそうでもある。


「いや、怒ってないけど……」


 指摘されて、確かに剣呑な声は出ていたかもしれないとシンジは口ごもる。

 そんなシンジの様子に、ユリナは少しだけ苦笑する。


「明星先輩を連れて逃げていると、明星先輩が死鬼化したんですよ。それで、私は明星先輩に食べられて死んだんです」


「えっ!?」


 シンジは目を開けて固まる。


「え? じゃあ俺は水橋さんを殺したの?」


「はい。右足のお尻と太股を噛んで、その後に首をガブリと」


 ユリナは頭を動かして自分の首をシンジに見せて、ニコリと微笑んだ。


「ご、ごめんなさい!」


 シンジは、ユリナの首から顔を隠すように頭を下げる。


「痛かったですよー。血はドバドバ出るし、私のお肉を美味しそうに食べている姿を見せられるし」


「うわっ!? うわっ!? 俺そんな事したの!? マジで!?」


 シンジは頭を抱えていた。

 自分がそんなことをしていたなんて、想像もしたくない。

 想像もしたくないが、言われるとそんな事をしていたような映像が脳内にうっすらと浮かんでくる。

 夢を思い出したような映像だが、現実におこなったような気もする。

 シンジが苦悩している姿を見てユリナは笑みを深めると、まだ頭を下げたままのシンジの耳元でそっと囁く。


「この責任は取ってもらいますからね。一生をかけてでも」


「わ、わかった……」


 力なく、シンジは答える。

 その答えに満足したのか、ユリナはシンジの頭を優しく抱きしめる。


 そして何が面白いのかそのままニコニコと笑っていた。


「……あの」


 それから、自分がユリナを殺したという事実から落ち着いて、シンジは口を開いた。


「どうしたんですか?」


 ちなみに、まだユリナはシンジの頭を抱きしめたままだ。

 額にあるユリナのおっぱいの感触を確かめながらシンジは質問する。


「水橋さんも死んだんだろ? じゃあどうやって俺たちは生き返ったの?」


「……ああ。その話をしていませんでしたね」


 ユリナはパッとシンジから離れる。同時に、ユリナのおっぱいもシンジの額から離れた。

 ようやく感触を楽しむ余裕が出てきたのに、それを少々残念に思いながらシンジは立ち上がったユリナを見た。


「助けられたんですよ。男の子に」


「……男の子?」


 ちょうどそのとき、シンジの部屋の扉が開いた。


「そろそろいいかな? 僕もお兄ちゃんに挨拶をしたいんだけど……」


 様子を伺うように入ってきたのは、十歳くらいの可愛らしい金髪の男の子だった。


「……お前は」


「よかった! 目が覚めたんだね! はじめまして明星真司さん! 僕の名前はサン・フィールド・ジュニア! 僕は君が起きるのをずっと待っていたんだよ!」


 男の子は、蒼い瞳をキラキラと輝かせて、シンジを見つめていた。

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