第273話 愛が美しい

「……ねぇ。セイ姉ちゃん」


 そろそろ雲鐘学院に到着しようとするころ。ヒロカがセイに話しかける。

 今はライドに乗って空にいるため、風で声が聞き取りにくい。

 セイは声を大きくして答える。


「なに?」


「最初に、体育館に寄ってもいい?」


「なんで?」


 雲鐘学院に向かうのは、シンジとユリナの足取りを追うためだ。

 なので、出発前にシンジが殺された研究室に下ろしてもらうように打ち合わせをしていた。


「ライドが、お母さんの遺体を確認したいって」


 ヒロカの声は、風に負けないように大きかったが、少しだけトーンが落ちていた。

 セイは自分を乗せてくれているドラゴンを見る。

 セイにはドラゴンの言葉は分からない。

 でも、親の死に目を確認したいという気持ちは理解できる。


「わかった。じゃあ体育館に向かいましょう」


 そうして、セイ達は雲鐘学院の体育館に到着した。

 屋根に穴を開けたのはライドだ。

 その穴からライド体育館に着地する。


「……ヒドいね」


 ぽつりとつぶやいたのは、マドカだ。

 体育館に降りてまず目に飛び込んできたのは、死体だった。


 頭のない死体。鱗が生えた人間の、頭がない死体がバラバラと飛び散っている。


 そして、その中でも。

 死体の中でも一際目を引くのは、大きな、大きなドラゴンの死体。

 頭部は完全に無くなっており、その体は二つに裂けていた。

 死鬼になれないほどに、完全に壊されたドラゴン。


 静かに、セイ達はドラゴンの死体の前に立つ。


 ライドが、ドラゴンの死体に、自分の母親の遺体にそっと近づく。


「……ゴルゥ」


 小さな声だった。

 小さくて、弱くて、悲しい声。


「……っ!」


「ヒロカ!」


 ヒロカが、外に向かって駆けだした。


「……行くわよ」


「うん」


 静かにただじっと母親を見ているライドを残して、セイとマドカはヒロカを追いかけた。


 体育館を出てすぐ近くの木の下に、ヒロカは立っていた。

 切れている息に紛れて、鼻をすする音が聞こえる。

 背を向けているので顔は見えないが、どのような表情になっているのか、嫌でも予想がついた。


「……落ち着いた?」


 セイの言葉に、ヒロカは何も返さない。

 ただ、ヒロカの息の音だけが聞こえてくる。

 しばらくして。

 ヒロカが口を開いた。


「……あそこにいたのは、実験体なの。私が、ヤクマにされていたように、あの人たちも、ヤクマに薬を打たれて体を化け物に変えられた」


 ヒロカの手が、黒く変わっていく。


「ガオマロに逆らったり、私たちを助けようとしたり、男たちに飽きられたり。そんな人たちがヤクマに薬を打たれた。打たれただけで放置されて、禁断症状や変えられた体の痛みに苦しんでいた」


 ヒロカの側頭部から角が生え、頬を鱗が覆っていく。


「……そんな人たちを、殺した? ヤクマを助けて? ライドのお母さんも、あんな姿にして? ネネコのお兄ちゃんが? なんで……なんで……!」


 弾けるように、ヒロカの背中から羽が生える。


「……ごめんなさい」


 そう言って、ヒロカは力を抜くように肩を下げた。

 ヒロカの体から鱗と羽が消える。


「……聞いていたけど、実際に見るとどうしても我慢できなくて」


「しょうがないよ。話で聞いているだけだと、分からない事もあるから」


 マドカが、そっとヒロカの肩に手を添える。


「……私もそうだから」


 マドカは、自分の胸に手を当てると、ぎゅっと服を掴む。

 そんなマドカを見て、ヒロカは言う。


「……怖い女の人」


「……怖い女の人!? それ私の事!? え、なんで!? 私の名前はマドカだよ! 百合野円! そういえば名乗ってなかったっけ?」


 ちょっと泣きそうになりながらツッコむマドカに、ヒロカは微笑む。


「……ありがとう。マドカ姉ちゃん」


「へ? う、うん。どういたしまして」


 ヒロカとマドカは、えへへ。と二人で笑う。


「……落ち着いたんなら、そろそろ行きましょうか。ここに来た目的を忘れてないわよね?」


「うん。明星さんとユリナさんの足取りを探すんだよね?」


 ヒロカがセイに駆け寄る。

 すると、おもむろにセイはヒロカの頭に手を置いた。


「……どうしたの? セイ姉ちゃん?」


「いや……なんとなく」


 そのまま、わしゃわしゃとヒロカの頭をなでると、セイは手を離した。


「行くわよ」


 セイは歩き出す。


「……どうしたのかな?」


「私にヒロカちゃんを取られたと思ったんじゃない?」


 あははとマドカが笑う。


「……うーん。それはないかな?」


「ないって……うう。せっかくなついてくれたと思ったのに……」


 がくりと肩を落とすマドカを見ながら、ヒロカは思う。


(……多分慰めてくれたんだと思うけど、それだけじゃないような……寂しい?)


 一人で前を歩くセイの後ろ姿に、儚さのような物を感じつつ、ヒロカは後について行った。


 

ライドはそのまま体育館に残して、三人でヤクマの研究室がある校舎の階段を上がる。


「ライドが『ありがとう』って」


 ヒロカがセイに告げる。


「そう。よかった」


「そういえばセイちゃん。明星先輩とユリちゃんの足取りを追うって、具体的に何をするの?」


 マドカの質問に、少しだけ後ろを振り向いてセイは答える。


「まずは明星先輩が殺された場所に行く。そこに明星先輩の持ち物や衣服があれば、臭いで追跡出来るでしょう?」


「臭いって、誰が追跡するの? セイちゃん?」


 呆れたような顔を浮かべるマドカに、セイはマドカの後ろを指さす。

 そこにいるのはヒロカだ。


「え? 私? 確かに私はドラゴンに変身出来るけど、ドラゴンは別に犬みたいに鼻が効く訳じゃ……」


「ドラゴンって言ってもヒロカの場合は、普通のドラゴンじゃないでしょう? 確か色々な魔物が組み合わさっていたはず。ヤクマの研究室に、私の記憶が確かなら犬の魔物の死体もあった。違う?」


 言われて、マドカも思い出す。

 確かに、ヤクマに薬を打たれて研究室に誘導されたとき、ヤクマは犬の魔物の死体から血液を抜き出して何かを作り、それをヒロカに注射していた。


「でも、私変身している時に嗅覚が鋭くなった実感がないんだけど……いや、確かに変身しているときは全部の感覚が鋭くなっているけど、犬みたいに追跡出来るほど……」


「犬の嗅覚は、鋭いっていうより臭いを嗅ぎ分ける力がスゴいのよ。色んな臭いの物質を分けているの。だから、意識して特定の臭いを探そうと思わないと実感出来ないんじゃないかしら?」


「……セイちゃん。詳しいね」


 マドカが、驚いた顔でセイを見る。


「犬を飼っているから」


 セイは実家にいるコマべえの事を思い出す。

 もし、ヒロカに追跡出来なかったらコマべえに頼むという手もある。

 というか、元々ヒロカに再会する前はコマべえにシンジ捜索の手伝いをさせるつもりだったのだ。

 何やら実家を守っていたが、ヒロカが無理だった時は飼い主の権限でシンジを探すことを優先させよう。


 どんな手を使っても。


 もっとも、シンジの臭いを追跡できそうな物がなければこの作戦自体成立しないのだが。


 シンジからもらった唯一の武器。

 ハイソが使っていた杖をシシトたちに取られた事を思いだし、歯噛みしながらセイは階段を上る。


 ヤクマの研究室まであと一階。早く行こうとセイは階段を踏み出した。

 そのときだった。


「そういえば、先輩の持ち物なら……」


 思い出したように話し始めたマドカの言葉を、セイは手で遮る。


「……え? セイちゃ……」


 セイはマドカを睨みつけた。

 その真剣な目に、マドカは息を飲んだ。


(……しまった)


 セイはじっとりと汗をかきながら上階を見上げる。

 上に、人がいる。

 一人。こちらに向かって歩いてきている。


(油断していたわけじゃないのに……)


 いつシシト達が追ってくるか分からない。

 会話しながらも、セイは気を張っていた。

 周囲の気配を探り、警戒していた。

 そのはずだ。


 なのに、上にいる人物は、そのセイの警戒網の内側を悠々と歩いている。


(……強い)


 顔がゆがむ。

 上にいる人物は、セイが気配を察知出来る範囲のかなり内側にいる。

 そこに、突然現れたのだ。


 転移などではないはずだ。

 転移は独特の気配があり、転移して現れたのならばそうだと気づくはずだ。


 だから、考えられるのは、上にいる人物はセイの警戒網にかからないように気配を消すことが出来る人物であるということ。


 そして、その人物が気配を消さずに近づいてきているという事は……セイの事を驚異だと思っていないことに間違いないだろう。


 のどが鳴る。


 おそらく、セイが気づける範囲の外から、この人物はセイ達に気づいていたのだろう。


 間違いなく、相手は格上だ。


 セイの様子から、二人も気がついたのだろう。

 マドカもヒロカも、身構えている。


 距離は近い。

 逃げられる距離でもないのだろう。

 それが分かっているから、相手は堂々と気配を消すのを止めたのだ。


(……いくしか、ない)


 相手がセイの実力を計るのに、今の状態だけを計算しているなら神体の呼吸法を使えば勝てるかもしれない。

 先手必勝。こちらから仕掛けて、神体の呼吸法を使う。

 そう決めて、セイは階段を駆けだした。

 全速力。

 大きく息を吸いながら五段飛ばしで階段を昇り、セイは神を体に宿す。


(……いた)


 廊下の先に、その人物はいた。

 セイは姿を確認すると、神体の呼吸法の力で床を蹴り、飛ぶようにその人物に向かう。


(……黒い髪。短い。ボサボサ。背は百七十センチくらい? 男性……)


 飛びながら、セイは少しでも情報を得ようと廊下の先の人物を見る。


 廊下の先にいたのは、黒い服を着た男性。

 年齢は若そうだ。

 武器は持っておらず、悠々と構えていた。


 男性が、顔を上げる。


(……っ!?)


 その顔を見た瞬間。


 セイの思考が止まる。


 セイは、そのまま男性に飛びかかった。


「……へ? うおっ!?」


 セイに飛びつかれた男性は、セイを受け止めるとそのままセイと一緒にゴロゴロと転がる。


「……痛てて」


 倒れた男性は上体を起こす。

 男性の胸には、飛びついてきたセイの姿。


 セイが勢いよく顔を上げる。


「明星先輩!」


「……常春さん?」


 目を見開いている男性は、紛れもなく明星真司だった。








 雲鐘学園上空。


 セイが感知出来るよりも、ライドが飛ぶ高さよりも遙か上空に、彼女はいた。


「……素晴らしい。そして、美しい」


 彼女の手には、黄金に輝く板状の端末。iGOD。

 そのiGODに映し出されているのは、抱き合う男女の姿。

 再会した、セイとシンジの姿。


「それが、どのような相手であっても。例え、おぞましい醜悪な者であれ、互いを思う者同士のつながりは、色あせる事はなく皆平等に、しかし違った美しさがある」


 彼女は、セイとシンジが映し出されているiGODを頭上に掲げる。


「宝石。貴金属。それらにも勝る輝きが愛にはある。だが……」


 彼女は、その手を。


 白くてふさふさとした毛が生えた手を横に振る。


 すると、シンジとセイの姿を映していたiGODがキラキラと光の粒子に変わりながら、消えた。


「その美しさは完全ではない。完璧ではない。輝きが……まだ足りない。愛がもっとも美しく輝く瞬間。見せてもらいましょうか」


 彼女は……白いハムスターに羽を生やしたような姿の彼女、セラフィンはその口角をニヤリとあげる。


「やっぱり、この世界は……楽しい」


 セラフィンの笑いが、誰も感知出来ない上空で響き渡った。

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