第274話 セラフィンが微笑む
「……セイちゃん!」
駆けだしたセイの背中に、マドカが叫ぶ。
「動かないでください」
同時にひやりとした感触がマドカの背中に伝わった。
しかし、それよりも、マドカはその声に目を見開いていく。
「その声……ユリちゃん!?」
「……マドカ?」
マドカが振り返ると、黒のセーターと黒のミニスカートを身にまとっている、マドカの親友、死んだはずの水橋ユリナが立っていた。
驚いたのだろう。
ヒロカが、突然現れたユリナの背後で目を見開いて固まっている。
「な、なんで? ユリちゃん死んだはずじゃ……」
「なんで、はこっちのセリフですよ。なんでマドカがここにいるんですか?……あぁ、もしかして」
突如。ユリナから寒気をマドカは感じた。
気温が十度は下がっている。
物理的にも、心理的にも。
ピキピキと氷が固まる音が聞こえてくる。
ユリナの周りに、つららが現れた。
「シシトに命じられてきたんですか? もう一度シンジを殺すために……」
「……くっ!」
殺される。そう判断したヒロカが、鱗と羽を生やしてユリナに背後から襲いかかった。
ヒロカの爪が、ユリナの首筋に振り下ろされる。
「……ヒロカちゃん!」
マドカの制止の声の前に、ヒロカの動きが止まった。
「……ヒロカですか。動かないでください。といっても動けないでしょうが」
ヒロカの額には、氷で出来た刃があった。つぅっとヒロカの額から血が滴り落ちる。
「……うぅ」
ヒロカの動きを止めたのはそれだけではない。
ヒロカの足は廊下ごと凍っていた。
ユリナが凍らせたのだろう。
「で? 何しに来たんですか? 愛しのシシトも来ているんですか?」
ユリナがマドカを睨みつける。
「ち、違うの! 話を聞いてユリちゃん!」
慌ててマドカは首を振る。
そのときだった。
「うわぁああああああん」
泣き声が聞こえた。大きな、大きな泣き声だ。
「……なんですか?」
「セイちゃん?」
怪訝そうな顔を浮かべた後、マドカから目を離し、ユリナはすぐに階段を上がっていく。
「あ、待ってユリちゃん! ごめん、ヒロカちゃん! 先に行くね」
「え? あ、うん……ってこれ! 動けないんだけど!!」
「ごめん! すぐに戻るから!!」
ちょっと泣きべそをかいていたヒロカを置いて、マドカはユリナの後を追い、階段を上がる。
廊下まで来たら、立ち尽くしているユリナがいた。
その先には、誰かを押し倒しているセイがいて……
「先輩! 先輩!本当に先輩だ!うわ、うわ……うわぁああああああん」
「お、落ち着いて、落ち着いて常春さん! ちょっと、どこさわって……ぎゃぁああああ!?」
押し倒されていた誰か。
シンジが、パニックを起こしていた。
「……ううぅ」
本人かどうか。幻かどうか。夢じゃないのかと確認するように色々とセイに触られた結果、着崩れてしまった衣服を何とかシンジは整える。
その目には、微かに涙が貯まっていた。
「……うっく。ひっく。明星先輩だ……明星先輩だよぉ」
「はいはい。俺ですよ。もう、そろそろ泣きやんでくれ……」
シンジの胸にセイが顔をうずめている。
廊下の壁に背中を預けて座り込み、ぽんぽんとセイの背中を叩きながらシンジは大きく息を吐いた。
「……それで、なんで皆ここにいるの? ビックリしたんだけど」
「ビックリしたのはこっちですよ。明星先輩も、ユリちゃんも死んだんじゃないんですか?」
マドカが、目をきょろきょろとさせながら聞いてくる。
ユリナだけでなく、シンジもいたのだ。
死んでいるはずの二人。
正直、理解が追いつかない。
「そんなの生き返ったからに決まっているじゃないですか」
当たり前のように、ユリナは言う。
「え? どうやって? てかユリちゃんもやっぱり死んだの?」
「まずはこちらの質問に答えてください。セイだけならまだしも、あんなにシシトの事が好きだと言っていたマドカがなんでここにいるんですか?」
ユリナはマドカを睨みつける。
その目は、完全にマドカを疑っていた。
マドカは、幼稚園の時から、気がつけばユリナと友達だったがそんな目は今まで一度も向けられたことはない。
驚きと、寂しさと。
そんな思いがマドカにこみ上げてきた。
マドカは奥歯を噛みしめる。
「……ユリちゃん。いくら好きでも、シシト君の事が大好きでも、目の前で命の恩人を殺して、親友を死に至らしめて、自分の妹をヤクマみたいな人に喜んで渡すような事をしたら、私は離れるよ?」
「……ヤクマ?」
ユリナと、それにシンジも、マドカの背中に背負われているネネコを見る。
ネネコは、眠ったままだ。
「……詳しく聞かせて。何があったのか」
「それには私がお答えしましょうか?」
と、シンジの質問に答えたのは、マドカではない別の誰かの声だった。
マドカも、ユリナも、シンジも、その声が聞こえてきた天井を見る。
そこには、一匹の羽を生やしたハムスターのような生き物が浮かんでいた。
「……なんですか? これは?」
「……セラフィン!? なんでここに?」
マドカは、突然現れたセラフィンに驚いて目を見開き反射的に斧を構える。
「おやおや、怖い怖い……シシトが一途に惚れるほど可憐な見た目をしているのに、そんな大仰なモノを構えて……シシトが待っていますよ? マドカさん? あの殺人鬼が生きているのを見つけたと分かればシシトはきっと喜んでくれるはずです」
セラフィンが、優しく微笑む。
「答えなさい! なんてこんな所にアンタが……いつからいたのよ!」
マドカは知っている。
シシト達の中で一番警戒すべきなのは、シシトではない。
この、マスコットキャラクターのような見た目をしているセラフィンこそが、一番の難敵だ。
「うるさいですね……そこまで吠えるならまずはマドカさんの質問から。いつから、といえばついさっき。あなたたちが体育館に下りた時からくらいでしょうか? なんでといわれれば……ねぇ?」
と、セラフィンはチラリとセイとシンジの方を見る。
その、意味ありげなセラフィンの視線にマドカは固まる。
予感が走る。
イヤな予感。
最悪の予想。
「セイちゃん! 先輩から離れて!」
走った瞬間。マドカはセイに向かって叫んでいた。
セイは、セラフィンが現れたというのに、マドカが叫んだというのに、シンジに抱きついたままだ。
まるで、それこそ洗脳されているかのように。
「セイちゃん! その明星先輩は偽物だよ! 早く離れて!」
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