第266話 シシトが監視をしない理由
「ふぅ……」
グラスの中を満たしている金色の液体を回しながら、シシトは息を吐いた。
場所はロナに用意された自分の部屋。
豪華な調度品の中心に、大きなベッドが置かれている。
シシトと、ロナとユイとコトリ。
四人で眠っても場所が余るほど巨大なベッドの上には、ロナたちが眠っている。
あれだけの準備をしたクリスマスパーティーで、シシトはセイの呪いを解けなかった。
その悲しみを癒すために、彼女たちはシシトに尽くしてくれた。
サンタクロースに扮した格好で、精一杯のプレゼント。
それはとてもありがたいモノであった。しかし、心に残ったしこりはとれなくて、シシトは一人、ベッドの脇にあるイスに腰掛け、眠れない夜を過ごしていた。
「……まだ起きているの?」
つまみに置いていたナッツを口に入れていると、ロナがガウンを羽織りながら近づいてきていた。
起こしてしまったようだ。
「……ああ、ちょっとね」
「常春さんの事が気になるの?」
シシトはカリカリとナッツをかみ砕くと、コップに入った金色の液体で流し込む。
「うん。出来れば常春さんは僕の力で治したかったから……僕は勇者なのに、結局ヤクマ先生に頼ってしまった」
ヤクマとシシトが出会ったのは、シシトがマドカ達を助けようと、ネネコの発表会を見に行って唯一知っていた体育館に転移した時だ。
そのとき、体育館には巨大なドラゴンとその眷属が多数いて、暴れていた。
あまりに凶悪なドラゴンとその眷属である醜い二足歩行のドラゴンのような化け物をシシトは撃ち殺したのだが、そのときに出会ったのがヤクマとカズタカだった。
カズタカは眷属に痛めつけられていただけだったが、ヤクマがドラゴンのお腹の中から出てきたのは驚いた。
セラフィンがお腹の中に人がいる事を教えてくれたので、『|鋼鉄の女神(デウスエクスマキナ)』で救出することが出来たが、知らなければドラゴンごとヤクマは木っ端みじんに吹き飛んでいたはずだ。
ドラゴンに飲み込まれてどろどろに解けていたヤクマの治療はセラフィンに任せてシシトはガオマロこと最悪の殺人鬼明星真司を殺すことに成功したが……ヤクマを助けてよかったとシシトは今でも思うのだ。
殺人鬼シンジが残した呪いは強力だった。
清廉で正しく、シシトの事が大好きなはずのセイが狂ったように襲いかかってきたし、マドカの親友でシシトとも仲の良かったユリナはシンジの死体を担いで逃亡。
それが発覚した後、なんと最愛の妹であるネネコがシシトの頬を叩いたのだ。
あのときの事を思い出すと、シシトは今でも胸が張り裂けそうになる。
あの、素直で可愛かったネネコが涙を流しながら言ったのだ。
『何をしているのお兄ちゃん! 明星さんは私を助けてくれたのよ! 何で殺したのよ!』
と。
シシトの頬を叩いて言ったのだ。
悲しかった。ネネコも呪われている事を知ったのは。
あんな殺人鬼をかばう妹なんて、たとえ呪われているとしても見たくなかった。
すぐにシシトはセラフィンに頼み、ネネコを眠らせた。
幸いな事は、セイもユリナもネネコも呪われていたが、マドカだけは呪いが薄かった事だろうか。
マドカの呪いは、シンジが殺された時点で解けたらしい。
マドカだけはシシトに微笑んでこう言ってくれたのだ。
『……ありがとう。助けてくれて』
この言葉を聞いてシシトは涙が出るほどに嬉しかった。実際に泣いていたと思う。
セイに襲われた事も、ネネコに叩かれた事もマドカの笑顔で全て帳消しになるような幸福だったのだ。
その後、ユリナがあの殺人鬼のせいで死んでしまったと知ってマドカは笑顔どころか姿さえ見せなくなってしまったのだが……マドカの笑顔を思い出すだけで、シシトは今でも頬がほころぶのだ。
「……大丈夫?」
「……ん? ああ大丈夫」
ロナが心配そうに顔を見上げてくる。
「なんかニヤけていたけど」
そう言ってロナが目を細めた。
どうやら本当にマドカの笑顔を思い出して顔がニヤけていたらしい。
シシトは軽く顔を揺らす。
「いや。大丈夫。何の話をしていたっけ?」
「……そう。まぁ、いいわ。ヤクマ……先生の話よ。先生が今常春さんの治療をしているわけだけど……本当にユイの監視を付けなくてよかったの?」
セイをヤクマに任せるときに一度提案したことをロナがもう一度いう。
「当たり前だろ? 先生の腕は確かだ。ネネコだって完璧に治していたじゃないか。監視なんてする理由がない」
シシトの返答を聞いて、はぁ、とロナは息をもらす。
まるでヤクマにセイの事を任せているのを心配しているように。
しかし、シシトはそんなロナの様子を見ていない。
「常春さんを僕が自分で治せなかったのは正直くやしい。それに、先生にこれ以上迷惑をかけるのは本意じゃないけど……もう、常春さんを治すのは先生に頼るしかないんだ」
眠っているセイとネネコを聖槍町に連れて帰ってきたあと、問題になったのは呪いの治療法だ。
セイはシシトが愛の力で治せばいいので良かったが、ネネコは血のつながった兄妹だ。
さすがに、実の妹とキスをするのは倫理的にも心理的にもシシトには出来なかったのだ。
そんなとき、名乗りを上げてくれたのがヤクマだった。
元々、無理矢理ガオマロと名乗っていたシンジに命じられて、呪いを強化する薬の開発をさせられていたらしい。
だが、本心ではヤクマは人を『幸せ』にする薬の開発をやりたいと思っていたそうだ。
その、人を『幸せ』にする薬と、呪いに関する今までの知識があれば、必ずネネコの呪いを解く薬を完成させるとヤクマ言ってくれたのだ。
もちろん、シシトだって見ず知らずの人をすぐに信用は出来なかったが、ヤクマの作った薬を見てセラフィンが『これは幸せのエネルギーにあふれているフィン。これなら呪いを解くことが出来るかもしれないフィン』と太鼓判を押してくれたし、何より人を『幸せ』にしたいというヤクマの思いに、シシトは心を打たれたのだ。
その思いは、全人類に愛と平和と幸せをもたらす勇者の思いとシシトの思いと同じだからだ。
その後、実際にヤクマはすぐにネネコの呪いを解いてくれた。
経過観察が必要ということで、二日ほどの間は一日に一度、十分くらいしか会えなかったが、呪いの解けたネネコは昔の通り素直になっていて、ガオマロがシンジで殺人鬼であることをすぐに理解してくれた。
叩きもしないし、ニコニコとした笑顔も見せてくれるネネコに、シシトは涙を流しながらヤクマにお礼を言ったのだ。
「……確かに、ネネコちゃんは殺人鬼のことを擁護することもなくなったし、いつも笑顔を見せてくれるようになったけど……」
「それでいいじゃないか。何か問題あるの?」
何か悩んでいる顔を見せているロナに、シシトは首をかしげる。
「……いえ何でも」
と、ロナが首を振る。
「……もしかして、常春さんがまた暴れて先生に迷惑をかけるのを心配しているとか?」
シシトの言葉にロナは目を見開いて固まる。
「図星? 大丈夫だよ。常春さんは気絶していたし、拘束もしている。埴生先生やヤクマ先生のお友達も病院にはいるんだ。それに、ヤクマ先生の薬はスゴイんだ。ネネコだって一回治療を受けたらすぐに呪いが解けたんだから、常春さんも今頃呪いが解けているよ」
ちゃんと人を心配出来るロナの優しさが嬉しくて、シシトは笑顔をロナに向ける。
そんなシシトの笑顔に苦笑して、ロナははにかんだ。
「そうね。シシトが言うなら、きっと大丈夫よね……」
ロナは、そっとシシトを抱きしめる。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、ロナはシシトの耳元でつぶやいた。
その時だ。
チカチカと部屋の入り口近くの明かりが灯り、呼び出し用の備え付けの電話が鳴る。
それをシシトが取ると、焦ったような口振りでロナの警護をしている宮間が言った。
「大変です! 町に巨大な植物の魔物が……火事も起きています。チャカによると、どうやらヤクマ様がいらっしゃる病院からのようです!」
宮間からの報告を聞いて、シシトはすぐにユイとコトリを起こした。
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