第244話 セイが慌てる

 それから、数時間。

 セイは呼吸法の訓練をし続けた。

 間に女性が着替えを持ってきてくれた夕食(おにぎり一つに具の無い味噌汁、さばの缶詰という相変わらず質素な内容)を食べたりしたが、それ以外は全て訓練だ。


(……丸一日。呼吸法だけを練習したのは、初めてだな)


 体を動かしながら神を取り込むのは、想像以上に難しかった。どうしても集中力が途切れるし、神も入っていかない。

 だが、少しは取り込めるようになってきた。


 セイは試しに壁を殴って見ることにした。

 息を吸い、体内に取り込んだ神を全身に行き渡らせる。


(……今っ!)


「……しっ!」


 軽く息を吐いて、セイは拳を突き出した。


「……失敗。途中で神が逃げちゃった」


 セイは、はぁーと息を吐く。

 まだ動いて神をとどめておく事は出来ないようだ。

 それに、取り込める神の量も少ない。

 それでも、進歩している実感がある。

 これまでセイがどんなに殴っても傷一つ、ヘコみ一つ付かなかった壁が、かすかにヘコんでいたのだ。


「今日はここまでかな……アイツがそろそろ来そうだし」


 セイはちらりとドアの近くの壁をみる。

 そこには、小さな丸い時計がかけてあった。

 いつも食事を運んで来てくれる女性が、着替えと一緒に持って来てくれたのだ。


 今の時刻は午後八時。

 夕食を食べて二時間経過している。

 正確な時刻は分からないが、昨日来た時間の感覚から考えるとそろそろやってきてもおかしくない。


 セイはトイレでもしておこうとパンツを脱いで便座に座る。

 一瞬、セイはこの汗塗れの体をどうにかしておいた方がいいのか?と考えたが、やめた。

 シシトがセイの汗に反応して興奮するのもイヤだが、今、体を拭くとまるでシシトのために準備をしているようで我慢できなかったからだ。


(……壁をヘコませることは出来たし、あと何日か練習すれば……)


 壁を壊す事は出来るようになるはずだ。

 そうすれば後は体に取り付けられている輪を外せばいい。

 それが一番難しそうでもあるが。


(壁を殴りつけて壊れないかな?……腕とか足とかならそれでも良いけど……頭は……頭突き?)


 と、ツラツラとここを逃げ出す算段を考えていた時だ。


 ドアの近くの電球が赤く光った。

 季節は冬だ。

 とっくに水蒸気は晴れていたので、電球の明かりを見ることが出来た。

 ちなみに、電球の明るさは元々この程度なのだそうで、変えられなかった。


(……こんなタイミングで)


 セイは睨みつけるように電球を見ると、慌ててトイレットペーパーを手に取る。


 もう出るモノは出ている。

 あとは拭いてパンツを穿くだけだ。

 確か電球を点灯させて一分間は待つようになっていると女性が言っていた。

 慌ただしいが、出来ない時間ではない。


 そう思いながら拭いていると、急にセイの体が浮き上がった。


「……はっ?」


 まだ、三十秒も経っていない。

 セイはそのまま壁に貼り付けられる。


「ちょっ……まっ……」


 パンツは足にかかったままだ。

 どうにかしようとしたとき、ドアが勢いよく開く。


「常春さん! 今日はご飯を食べたって? 良かった! 心配……あっ」


 シシトが入って来て、何やらぺちゃくちゃと言っていたが、どうやらセイの現状に気が付いたようだ。

 セイの上半身はいつも通りだが、下半身は何も身につけていない。衣の間から、丸見えだ。


「アアッァアアアアアアアアアア!」


 セイは顔を赤くして吠えた。

 神体の呼吸法で一応精神も鍛えたはずだが……シシトの行いはその鍛えたセイの許容量を大きく越えたのだった。


 それから、一応シシトは退出し、その間にセイがパンツを履き直すという事はあったモノの、おおむね昨日と同じように終わった。


 昨日と同じように、セイの胸をもみ、シシトは去っていた。

 キスもしようとしていたが、セイが睨みつけていたため諦めたようだ。


(……明らかに昨日よりも長い)


 体を拭きながらセイは大きく息を吐く。

 セイの何も履いていない局部を見て興奮でもしていたのだろうか。

 守る。幸せにする。に加えて、好きだ。と言いながらシシトはセイの胸を執拗にいじり倒していた。

 セイは昨日よりも念入りに体を拭いていく。


(そういえば、アイツはあんな奴だったわね)


 セイは昔のシシトを思い出した。

 まだ、セイがシシトの事を好きだった時だ。

 今思うとそれは悪い夢のようでもあるが、それでも、確かにそのような時期もあったのだ。

 そんな、思い出した瞬間に鳥肌が出て吐き気さえ催す思い出であるが、その思い出は、簡単に言ったら、セイが着替えをしていたらシシトがノックもせずに入ってきて胸を見たり、それで慌ててシシトが転んだらセイのパンツに手を突っ込んできた。というモノである。


(……あのとき警察に突き出していたら)


 そうすればこんな事にはなっていなかったではないか。

 まぁ、そのときはセイはシシトの事が好きだったのでそんなことはしないだろうが。

 それは、シシトがセイを殺し、シシトがシンジを殺す前の話なのだから。


(……先輩)


 思い出していたシシトの姿が、シンジに変わる。

 鳥肌は消え、吐き気はなくなった。

 代わりに込み上がってきた想いをセイはグッとこらえた。

 泣いたら、無駄に体力を消耗するだけだ。


(……待っていてください。絶対に助けに行きます)


 それだけを支えに、セイは眠りについた。

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