第243話 セイが水を飲む

 セイが『神体の呼吸法』の特訓を始めて数時間。

 突然、セイの手足がくっついた。


「え……? ちょっ」


 セイはそのまま尻餅をついてしまった。

 ベッドや壁には引き寄せられてはいないが、手足がくっついただけでも十分動けないのは確かだ。

 そしてしばらく待っていると、ドアがゆっくりと開いた。


「……うわっ! 何これ? 大丈夫?」


 いつも食事を運んで来てくれる女性だ。

 女性は、部屋の様子をのぞき見た途端声を上げた。

 それはそうだろう。

 部屋の中はサウナのように水蒸気で満ちていたのだ。


 もちろん、この水蒸気の発生源はセイだ。

 呼吸とは、つまりは肺の運動である。

 ましてや、セイは神を取り入れる呼吸法だ。

 セイが消費しているカロリーや水分はフルマラソンで消費する量を遙かに超えていた。

 その消費した分だけ、水蒸気となってセイの体から溢れていたのだ。

 4畳ほどの広さしかない部屋など、完全に水蒸気で満たしてしまうだろう。

 座り込んでいるセイも全身がまるで水浴びをしたかのように濡れている。


「大丈夫です。ちょっとトレーニングしていただけなので」


 慌てる女性にちょっとだけ恥ずかしくなりながらも、セイは女性を落ち着かせる。

 正直、セイもここまでになっているとは思っていなかった。

 神体の呼吸法の練習は消耗が激しくてセイ自身、一時間以上続けておこなったことはないのだ。

 なのに数時間もぶっ通しで出来たのは……それだけ、セイは必死だからだろう。


「……そう。まだ体調も良くないだろうからあんまり無理をしてはダメよ? それよりも……おやつにフルーツの入ったお水を持ってきたんだけど、これでも足りなさそうね」


 驚いていたのだろう。口調がいつもと違ったが、女性はくすりと笑って持ってきたビンをセイに見せる。

 一リットルは入るだろう大きなビンに、水とカットされた果物がごろごろと入っている。

 果物のエキスが溶け込んで、見ただけで美味しそうだ。


「……ありがとうございます。でも、おやつってお昼ご飯じゃなくて?」


「そういえば、昨日はずっと寝ていたか。ここでは朝と夜の二食なのよ」


 女性は少し顔を曇らせる。


(……先輩の所だと三食だったな)


 むしろ、好きな時に好きなモノをお腹いっぱい食べられた。

 この待遇はセイが囚人で病人だからだろうか。

 まぁ、どちらでもいいことではある。


 女性はビンを床に置く。


「じゃあ、あとでまた来るわね」


「はい。あ、そういえば、この輪が作動する前にドアの前の電球が赤く光るんですよね?」


「ええ、そうよ?」


「見えなかったんですけど」


 セイの答えに、女性はあら?っと頬に手を当てる。


「そうなの? 故障かしら。一回やってみてもいい?」


「はい。お願いします」


 女性は外に出て、ドアを閉める。

 そして、セイの拘束が解かれた。


「……赤い光って、あれ?」


 拘束が解かれてすぐにドアの前にある壁が赤く光った。

 ……電池が切れかけた豆電球のような、弱々しくてほんのりとした光だ。

 あんな光、目を閉じたら……というか、目を開けていてもじっと見ていないと気づかないだろう。少しだけ残っている水蒸気にでさえ遮られて、霞んで見えなくなってしまいそうだ。

 一分ほどして手足が拘束され、女性が入ってきた。


「……どう? ちゃんと光っていた?」


「ええ……でもあんな弱い光なんですね。あれだと気づけないと思います」


 セイは恨めしそうに女性を見る。


「そんなに弱いの?……私は見ることが出来ないから、何とかするように言ってみましょうか?」


「はい、そうですね。光を変えられないなら、時計をつけるとか」


 何時頃に来るか分かれば、まだ違うだろう。


「責任者の人に言ってみるわね。じゃあ、着替えも持ってくるから……お夕食の時、三時間か四時間後にまた来るわね」


 そう言って女性は去っていった。

 セイの拘束が解ける。


「それにしても……」


 ……気にしてなかったが、女性は終始口調が変わったままだった。

 何やらこちらの方がしっくりと来たので、あの口調が素なのだろう。

 もしかしたら、あの女性。子供でもいるのだろうか? セイに話しかける言葉の雰囲気がそんな感じなのだ。


(どう見ても20代なんだけどなぁ……)


 そう思い、セイは女性が置いていった水とカットされた果物がごろごろと入っているビンを手に取って眺める。

ひんやりとしていて気持ちが良い。


(……デトックスウォーターって言っていたっけ?)


 シンジの所にいるとき、マドカが自分の技能で育てた果物で何度か作ってくれたモノだ。

 綺麗な女性といい、可愛い女の子といい、こんな女子力の高いモノをちゃんと飲んでいるのだろうか。


「……美味しい」

 女性が持ってきた液体に口を付けると、果物や野菜のさわやかな甘みと香りが広がった。

 朝食べたスープなどより、こちらの方が何倍も味がいいし、栄養もありそうである。

「……助かるわね、これは」


 飲んだ瞬間から、栄養が広がるような感覚がある。

 身体の呼吸法で、よほど使い切っていたのだろう。

 枯れた大地に水。

 そんな表現がピッタリと来る。


 水を飲んだあと、中に入っていた果物までちゃんと食べて、セイは呼吸法の訓練を再開した。


 

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