第242話 セイが呼吸する

 昨日と同じように、セイが起きてから少し立つと手足が拘束され、食事が運ばれてきた。

 内容はパンとスープ。質素なモノだ。


 昨日と同じ人が着替えを回収し、そっと出て行く。


 そして、手足の拘束が解除される。

 ここまで昨日と同じだが、今日は違った。

 セイは生きてここから出ると決めたのだ。

 どんな事あっても。何をされても。

 シンジを生き返らせに行く。


 そのために、まずは食事だ。


 セイは床に置かれたままになっていたスープを手に取る。


 具は野菜が気持ち程度に少しだけ。

 肉はベーコンが二欠け。

 それだけだ。

 セイはそっとスープに口を付ける。


(……ヌルい。薄い。味気ない)


 スープはまるでお湯に少しだけ塩を加えたような味がした。


(……私の味覚がストレスでおかしくなっていないなら、ずいぶんと健康的で品の良いスープね。さすがお金持ちのロナさんが出すスープ。塩だけでいただくなんて、どんな美食家も裸足で逃げ出すわね)


 心の中で罵詈雑言を並べ立て、セイは飲み終わったスープの皿をカンと置く。

 次はパンを手に取る。

 堅い。持っただけで分かった。


 セイはパンをブチンと噛み切る。


(パサツいている。これも味気ないし、何これ? 形は綺麗で、見たところちゃんとした職人さんが作っているようだけど……)


 これなら、シンジの家にあった保存食の缶に入っているパンの方が何倍も美味しかった。


 シンジと食べる食事の方が何万倍も美味しかった。


 でも、セイはちゃんと全部食べ終えた。

 とりあえず、栄養だ。

 満足に動けるだけの栄養を摂取しなくていけない。


 よく見るとトレーには歯ブラシも付いていた。

 それで歯磨きをしてしばらく待っていると、またセイの手足がベッドに拘束された。



(……なんか、猿がぶら下がっているみたい)


 セイはトレーが置かれた近くにいたのだが、ベッドの上にいなかったためベッドの側面に張り付けられてしまった。

 だからまるで枝にぶら下がる猿のようになっている。


(……パンツ丸見えなんだけど)


 セイの衣は丈がそんなに長くないため、丸っとした綺麗なお尻がパンツと一緒に丸見え状態になっている。

 どうにかして隠せないか苦闘している間に、食事を運んでくれている綺麗な女性が入ってきた。

 その女性は入った瞬間、セイの様子に目を丸くし、空になったトレーを見て、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「……食事を終えたら食器はそのままで良いので、ベッドの上で待っていてください」


「……でも、いつ来るかも分からないのに」


 何時間もベッドの上にいろというのだろうか。


「えーっと、言ってないのかな? あのドアの近くに電球があるのは分かりますか? その輪を作動させる前は外にあるボタンであれを赤く光らせるので、光ったらベッドに戻ってください」


「……分かりました」


 そんな電球の存在をセイは知らなかった。

 聞いてもいない。

 ただ、初日に調べたのだ。

 気づいても良さそうだが……意識をしていなかったのだろう。色々な感情でいっぱいいっぱいだったから。


 悔しそうにセイが返答すると、女性はにこりと微笑む。


……悪い人ではなさそうだ。なんとなく、そんな気がした。


 女性は、トレーと、それに回収するように言われているのだろう、洗面台に置いていたセイが使用した歯ブラシを回収して、そっと出て行った。

 出て行って少しすると、セイの拘束が解かれる。

 セイは体を伸ばして起きあがる。


「……じゃあ、やりますか」


 シンジを見つけて生き返らせるためには、すべき事は一つ。


 強くなることだ。

 心も、体も。


 心を強くすれば、シシトに対してもっと我慢できるだろう。

 我慢できれば……呪いやなんやと言っていった様子から考えて、この部屋から出られるかもしれない。

そうすればシンジを探しに行きやすくなる。

 体を強くすれば……この部屋を壊して、輪を壊して、簡単に探しにいける。

 セイではこの部屋の壁を破壊することは出来なかったが……セイの祖父なら、簡単に壊したと思うのだ。


(まぁ、おじいちゃんくらいに強くなるのは時間がかかりすぎるけど)


 だが、強くなることに無駄なことはない。

 部屋を壊せなくても、シシトを殺すことは出来るようになるのだから。


 心と体。

 二つを強くする方法をセイは知っている。


 セイは衣を脱ぎ、さらしを巻く。


 激しい運動をする予定はないが……この方が気合いも入る。 

 セイはさらしを巻き終えると、衣を上から羽織った。


 まるで一昔前のスケバンのようだ。

 衣がピンクではなく白だったら弓道着を上だけ着ているように見えなくもないかもしれないが……どうでも良いことではある。


 この部屋には、セイ以外誰もいないのだから。


(さて、やりましょうか)


 この狭い部屋の中、やれる事は限られる。

 何も置かれていない空間は一畳ほどしかないのだ。

 その上、技能も使えない。

 技能が使えたら、マンションの時のように分身の練習をしていたかもしれないが……でも、今から行うことは、この広さがあれば十分だ。

 セイがこれから鍛えるのは、呼吸だからだ。


 呼吸法は、ヨガを代表に身体を動かす技術において、奥義そのものと言っていいほどに重視されている。

 もちろん。それはセイの家の武術でも同じ事だ。


『神体の呼吸法』


 と呼ばれるそれは、簡単に言えば神を体内に取り込む呼吸法と言われている。


 取り込んだ空気に存在する神を全身に行き渡らせ、取り込み、己の力にする。

 と、セイが父親から教えられた時に簡単に言われたが、正直理解しにくいモノだと幼いながらセイは思ったモノだ。

 いくら八百万神という考え方が身近な日本人であるセイとはいえ、空気に存在する神とはいったい何だ、という気持ちになる。


 だが、まぁ5年ほど訓練してなんとなく父親や祖父が言っている神とは何かを掴み、もう7年かけて、それを意識すれば体内に入れられるようにはなった。


 神とは、それこそヨガで言えば気の概念なのだろう。

 自然に存在するエネルギー。

 その神、気を体内に取り込む。

 それが神体の呼吸法。


 その神を取り込む事が出来るのが、今のセイの状況である。

 その先を、セイは今から目指す。


 セイは目を閉じ、心を静める。

 シンジの事も。

 シシトの事も。

 心から追い出す。


 ……それがかなり難しくて、一時間ほど目を閉じたままになったが、ようやく追い出せてセイは今の部屋の空気の状況を把握する。


(……神がほとんどいない。追い出されている?)


 まず、セイが感じたのは、風だ。

 おそらく目を開けて把握すると、それは光なのだろう。

 部屋置いてあった光の球から、何かが放出されている。

 それが、部屋の中にある神を風のように追い出していた。


(それでも、少しはある。それを取り込んで)


 セイは息を吸う。


 取り込んだ空気が、肺に溜まり、血管に溶け込んで全身に行き渡るようにイメージする。

 浅く、深く、呼吸を繰り返して神を取り込んでいく。

 そして、神が体に行き渡った事を感じると、セイは呼吸を止めた


 ここからだ。


 ここから、少しでも体や心を動かすと、神はすぐにでも逃げてしまう。

 だが、セイの目的は神を満たした状態で動くことだ。

 セイは恐る恐る、人差し指を一本、曲げた。

 すると、神がその指を起点にまるで口の開いた風船のようにセイの体から出ていく。


 「……ダメか」


 セイはふぅと息を吐く。


 祖父や父親は普段の生活からこの『神体の呼吸法』を使っていた。

『神を手に込めればどんなモノでも壊せるぞ! まぁ、生き物を相手にするときは愛も必要だがな!』

と祖父は笑いながら言っていた。

 ……この部屋ほどの大きさはある大岩を素手で破壊して。


 祖父の言葉を信じるなら、この『神体の呼吸法』を使いこなせば、こんな部屋など粉々に壊せるはずだ。

 

(……そういえば明星先輩も『神体の呼吸法』を知っていたなぁ)


 セイは、先ほど追い出していたシンジの事を思い浮かべる。

 シンジも、時折『神体の呼吸法』を使っていたのだ。


(しかも私より上の段階で。あの黒い触手と闘っていた時や、マンションで人形と闘った時。あとはガオマロにトドメを刺した時、先輩は神を取り込んだ状態で体を動かしていた。私は指先でも動かすと神を逃がしてしまう。でも、先輩はどこで習ったんだろう?)


 答えは分からない。聞いていない。


(お話したいなぁ……)

 シンジの顔が浮かび、セイは慌てて顔を振る。

 シンジともう一度話すためには、強くならないといけない。

 涙をこらえて、もう一度初めからやり直す。


(そういえば、先輩。神を取り込むときに体を動かしていたような?)


 思い出したのは、ユリナたちとシンジのお風呂を覗いた時の事だ。

 あの時シンジは、指や手を動かしながら『神体の呼吸法』を行っていた気がする。


 (……やってみるか)


 セイは、いつも神を取り込むとき呼吸以外動いていない。

 しかし、祖父や父は日常生活を送りながら、シンジも指などを動かしながら『神体の呼吸法』を行っている。

 神を取り込んだ状態で動けるようにならないといけないのだ。

 そう考えると動きながら神を取り込む呼吸をするのは理にかなっているように思える。


 セイはシンジのやり方を思い浮かべながら、『神体の呼吸法』を続けた。


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