第233話 ユリナが危機一髪

 放課後。


 ユリナは気がついたら、赤いスポーツカーに乗せられていた。

 運転しているのは、この前とは別の女性のようだ。

 この人も、サングラスをしているが美人であると分かる容姿をしている。


(……どこに行くんでしょうか)


 乗っているのは貝間真央と、ユリナと、運転している女性だけ。

 だが、もし人気の無いような山奥に向かいそうなら、すぐに車から飛び降りた方がいいだろう。

 そう思うほどに、ユリナは貝間真央から得体の知れない薄気味悪さを感じていた。


 なぜなら、本当に気がついたらユリナは赤いスポーツカーに乗せられていたのだから。

 そして、それに取り乱せない自分がいたのだから。


 途中の道程の記憶はあるのだ。

 だが、なぜ自分はホイホイと貝間真央の車に乗ったのか分からないのだ。

 ユリナは、そのことに気づけた時からずっと自分の太股をつねっていた。

 こうでもしていないと、何かとてつもない流れに自分をさらわれそうな気がした。

 外が見慣れた場所になってきた。

 どうやらユリナが通っていた雲鐘学院の近くを走っているようだ。


 メインの大通りから少し外れた場所を進み出した赤いスポーツカーは一見潰れた廃病院に入っていった。

 入っていった。とは、文字通りだ。

 外にある駐車場に止めたりなどではない。

 元々はおそらく救急車を受け入れる場所なのだろう。

 外からは見えにくい位置に設置されているスロープを上り、自動ドアが開いて車は病院の中を進む。

 部屋の壁などはぶち抜いたのだろう。

 やけに広くなっている元々は病院の廊下だと思われる一角で、車は止まった。


「……着いたわ。降りて」


 貝間真央の言葉に、自然に自分の手が車の扉を開けようとしているのにギョッとしながら、ユリナは車を降りた。


「……こっちよ」


 貝間真央が歩き始めると、その方向に向けて自然とユリナの足も動き始める。


(……本当に、これは、何ですか?)


 もしかしたら、これがカリスマという奴なのだろうか。

 人が自然と従ってしまうような、魅力。

 それにユリナは動かされているのか。


(……それは、こんな催眠術みたいなモノなのでしょうか?)


 止まらない太股をユリナはさらにつねる。

 そうやって、何とか思考だけは止めないようにしていた。




「座って。飲み物は何がいいかしら。紅茶? コーヒー? ジュースもあるけど」


 到着した部屋は、元々この病院の院長が使っていた部屋なのだろうか。

 外側の寂れた様子と違い、質のいい調度品がいくつも置かれている。


「……いえ、何もいりません」


 柔らかくて艶やかなソファに座りながら、ユリナは飲み物を断る。


「……あら? そう」


 そのことに意外そうにしながら、貝間真央はくすりと笑う。


「まぁ、これくらいじゃないとふさわしくはないわね」


「……何の話ですか?」


「そうね……」


 貝間真央は妖艶な笑みを浮かべつつ、そっと自分の唇に手を当てた。


「私も小太郎様に時間を使いたいし、単刀直入に言うわね。水橋ユリナさん。あなた、小太郎様のために働くつもりはないかしら?」


「……はい?」


 貝間真央が出した話に、ユリナは首をかしげた。

 ユリナは、てっきり貝間真央が呼び出した理由は明星真司の件で口止めや脅しをされるためだと思っていたのだが……山田小太郎のために働くとはどういう意味だろうか。


「話がよく見えないのですが」


「貴女の調査能力を小太郎様のために欲しいというだけです。ずいぶんとよく調べていたようですね。関心しました。それに調べた跡を消す努力もしっかりしている」


 ……バレている以上、消せていないわけなのだが。


 褒められているのか貶されているのかよく分からなくなって、ユリナは苦い笑いを浮かべることしか出来ない。


「……それに、今もしっかりと会話を録音しているようですし」


 ユリナは苦い笑いのまま固まって動けなくなった。

 確かに、ユリナはここに入る前に歩きながらさりげなく制服の内側に仕込んだボイスレコーダーを作動させている。

 太股をつねるという不自然な動作に隠して、バレないように自然に作動させたつもりだったのだが……


「……すごいでしょう。ここは。車に誰が乗っているか分からせないように一階を改造した駐車場。後で見せてあげますが、他にも小太郎様が楽しめるように温泉やカラオケ。パーティ会場も用意しています。こんな病院を小太郎さまにふさわしいアジトに改造できるくらいには、私には資金と力があるのです。どうですか? その力で貴女も色々してみたいと思いませんか?」


 貝間真央がふわりと笑う。

 それに反応して、ユリナの体がビクンと震えた。


(……きた)


 ぎゅっとユリナは太股をつねる力を強くする。


「それに、ごくたまになら、貴女も小太郎様の寵愛を受けることが出来るかもしれませんよ? 私の後になりますが。すばらしいと思いませんか?」


 当たり前のように、山田小太郎の寵愛を褒美のように貝間真央が語るが、別にそんなモノ欲しくはない。

 ユリナとしても山田小太郎はイケメンだと思うが……それとこれとは話は別だ。

 別だ、と思っているのだが、本当にそれはすばらしいことだと思うような思考に変わりつつあるのを、ユリナは感じる。


(……しっかりしないと)


 もう、両太股をつねっていたユリナに、貝間真央は追い打ちをかけた。


「小太郎様に愛してもらえるか不安なら、お友達もどうですか。百合野円さん。あの子も可愛らしいですからね。二人そろえば十分小太郎様も満足していただけるはずです」


 そして、その追い打ちは、見当違いだった。


 マドカをこんなことに巻き込むことも。

 マドカとセットのように扱われることも。


 ユリナにとっては業腹で。

 思考を完全にクリアにした。


「お断りします」


 きっぱりと、ユリナは言う。


「え?」


 断られると思わなかったのだろう。

 きょとんとした顔の貝間真央を無視して、ユリナは立ち上がる。


「お話は以上でしょうか。なら私はこの辺で。帰りは一人で帰れます」


 そのまま部屋を出ようとしたユリナを、貝間真央は止める。


「ま、待ちなさい。なんで? どうして……」


「親友をこんなわけの分からないモノに巻き込みたくないですし……それに、貴方。明星真司さんに色々嫌がらせをしていますよね?」


 明星真司の名前が出た瞬間。

 貝間真央の形相が変わる。

 顔の至る所にしわが寄り、嫌悪感がはっきりと見て取れた。


(……これ以上深入りするつもりはなかったのですが……)


 ここまで来た以上。

 やれることをやってしまった方が良いだろう。対立してしまった場合に備えて、情報は得ておきたい。

 この一週間明星真司や貝間真央について調べたが、このアジトの存在など分からなかった事もあるのだ。


「……調べた所、彼はそこまで悪い人物ではないですよね? そんな人物を自分の人望とお金と権力を利用して陥れるような人と行動を共にしたくはありません。私にもどんな事をされるか分かりませんから」


「……黙りなさい。明星真司……あの汚らわしい存在について何も知らないくせに!!」


「……汚らわしい? なぜ貴方はそこまで明星真司さんを嫌っているのですか?」


 ユリナの問いに、貝間真央は一瞬表情を変えて……明らかに追求して欲しく無さそうな様子を見せた。

 コレが、キモなのだろうとユリナは瞬時に察する。


「どうしたのですか? なぜ答えないのですか? 慈愛の体現者などと呼ばれているあの貝間真央がそこまで嫌うのです。ちゃんと真っ当な理由があるのですよね? 愛する恋人、山田小太郎さんと明星真司さんが仲が良いだけではその憎しみは理解出来ません。明星真司さんは、貴方と山田小太郎さんの仲を応援していたではないですか」


 貝間真央はユリナの追求に頬をピクピクと震わせるが、それ以上何も答えない。

 その表情だけで、ユリナの追求は的を射ているが分かる。

 そして、その情報は貝間真央の弱みに繋がってるだろうとも分かってしまう。


 もう一押し。

 そう思った時だ。

 貝間真央が片手を上げる。


「……もういいです。もう結構。貴方は必要ありません。私の前で明星真司の肩を持ったのです。それは、つまり……殺される覚悟があるという事ですよね?」


 空気が凍る。

 貝間真央から発せられた怒気に、ユリナは息を飲んだ。


(……死ぬ)


 ユリナは即座に悟る。


 かくっと膝が折れた。

 震えが止まらない。体が動かない。

 蛇に睨まれたカエル……ではない。

 もっと何か凄まじいモノの怒りをかってしまった事をユリナは嫌でも実感した。


「安心しなさい。本当に殺すわけではありません。ただ、少し教育をするだけですから……」


 貝間真央が一歩踏み出した……そのタイミングだ。

 貝間真央のスマホが鳴ったのは。

 貝間真央はすぐにスマホを取り出す。


「……小太郎様! その子を逃がさないようにして」


 貝間真央はスマホに耳を当てながら、女性に向かって指示を出した。

 女性はすっと扉の前に移動する。


(……け、警察に)


 心臓がやけに早く鼓動している。

 ユリナはすぐにポケットの中に手を入れて警察に通報しようとしたが……事態はすぐに好転した。


「はい……確かに、一年生の女の子を……ええ。ですが、きっと小太郎様も気に入られると思い……ええ。かしこまりました」


 貝間真央は、通話を終えるとしゅんと頭を下げた。

 さきほどまで見せていた凄まじいまでの怒気は完全に消えている。


「……小太郎様から、貴女を帰すように言われたわ」


 貝間真央は、ユリナの方を見もせずに言う。


「送ってあげて」


 ドアの前に立っていた女性にそう告げると、貝間真央はどさりとイスに座った。

 山田小太郎に何を言われたのか分からないが、ものすごく疲れた表情を見せている。


 女性の後に続いて、ユリナも部屋を出ようとしたときだ。

 貝間真央は小さな声ではっきりと言っていた。


「明星真司めっ……!」


 なぜここで明星真司の名前が出るのか分からなかったが、ユリナはそのまま部屋を出た。

 その後、女性が家まで送ると申し出てきたが、それは丁重にお断りして、ユリナは廃病院こと貝間真央のアジトを後にする。



(……アンケート詐欺に引っかかる人はこんな感じなんでしょうか。やけに思考が動きませんでした)


 病院を出た瞬間。貝間真央から離れた途端。


 爽やかな開放感がユリナ満たした。

 ヘドロの海から飛び出したようだ

 ほっと息を吐いて、ユリナは歩き始める。

 通っていた雲鐘学院はここからそう遠くない。

 家に帰るのは問題ないだろう。


 クリアになった思考で、ユリナは先ほどまでの出来事を考える。


(なんか巨悪のしっぽをつかんだというか、しっぽを踏んだというか……死ぬような思いをするとは思いませんでした。本当にこれ以上関わらない方がいいですね)


 今回は助かったが、次はどうなるか分からない。

 藪をつついて出たのは蛇ではなかった。

 何か……魔王とも言うべき存在だ。

 貝間真央の闇。

 その正体は知るべきではないのだろう。


(あんなモノを相手にしている明星さんは気の毒ですね。しかし、親友の彼女にあそこまで嫌われているのは何でなのでしょうか)


 それだけは結局の所分からなかった。


(調べてあげたい気持ちもありますけどね、似たモノ同士)


 ユリナが明星真司と山田小太郎を見た時に感じた既視感。親近感。それは彼らの立場がユリナ達に似ていたからだ。



(格好良すぎる親友がいる彼。可愛すぎる親友がいる私。そんな親友に振り回されるけど……裏切ることは出来ない。守りたいと思ってしまう……機会があれば一度お話してみたいですね。明星真司さんと)


 三年生と一年生。

 そんな機会は訪れないだろうが。

 でも、なんとなくだが、さきほど助けてくれたのは明星真司のような気がするのだ。

 貝間真央がはっきりと小さくつぶやいていたのだから。


 そのお礼を言う機会があればいいな。

 そう思いながら、ユリナは貝間真央の……明星真司の調査を終えた。







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