第220話 セイが怒っている
常春清は、腹が立っていた。
腹の底から沸いてくる怒りが血液を激しく循環させ、脳髄が逆に冷めてくるような感覚になるほどに、腹が立っていた。
何に腹を立てているのか。
学院に蔓延っていた、人を人と思わないような虫酸の走るどうしようもない人種達にだろうか。
確かに、彼らはセイの事を見ると鼻息を荒くしながら近づいてきて、襲いかかろうとしてきた。
近づいてきた者から殴り飛ばしていると、今度は何を思ったのか、セイに服だけを溶かす珍妙な魔物を差し向けてきた。
半液体状で殴ってもすぐに元の形に戻ってしまうその魔物にまとわりつかれてセイは少し服を溶かしてしまったが、問題は無かった。
セイがシンジから譲り受けた杖で、その魔物は簡単に倒すことが出来たからだ。
……その魔物については、確かにセイは腹が立った。
服を溶かされたからではなく、そんな格好でシンジの前に立ってしまった事でもなく、単純に、服だけしか溶かせない魔物を差し向けられた事に腹が立ったのだ。
その前に、彼らの仲間を一撃で何人も倒していたのだ。
なのに、差し向けてきたのが服を溶かすだけの魔物で、それを倒した後も彼らはなぜか勝ち誇っていたのだ。
服が無くなった程度で、セイが戦えなくなるとでも思っていたのだろうか。
そのまま気にせずに分身達も使って学院内にいた奴らは叩きのめしたが……だが、彼らがセイが腹を立てている根本的な原因ではない。
「……ゴロォ」
セイは、校庭にうずくまっている少女を見下ろしていた。
その子を少女と呼んでいいのか、今の外見では正直判断が難しい所ではあるのだが。
全身に、歪にかつ隙間無く鱗を生やしたその少女は……口が裂け、汚らしい牙を生やし、爪の間に何かの血液がこびりついているその少女は……もはやただの化け物にしか見えない。
少なくとも、セイの知っている活発で笑顔が似合う夢と才能にあふれた少女では……今夏陽香では、ない。
「……もう終わり?」
セイの声が聞こえたのか、それとも別の何かの意志なのか分からないが、ヒロカはヨタヨタとその身を起こす。
そして、セイに向かって両手を広げて突撃してきた。
「シィイイイイ!」
「……しっ!」
セイは、杖から剣を抜き、ヒロカを切りつける。
金属がぶつかり合う硬い高音が校庭に響いた。
赤い血が、さっと飛ぶ。
セイの剣はヒロカを肩から腰まで切り裂いていた。
一刀両断、とまではいかないが、かなり深く切れているはずだ。
しかし、その傷はすぐに塞がっていく。
数秒で、まるで何も無かったかのように戻ってしまった。
「ゴォ!!」
また、ヒロカが両手を広げてセイに襲いかかる。
「……ふぅ」
セイは、軽く息吐く。
そして杖の能力でヒロカが向かってきている空間を回転させる。
「シィ!?」
回転によって力の方向を横ではなく上に変えられたヒロカの体が宙を回った。
そのヒロカの頭をセイは掴む。
「……分かった」
そのまま、セイはヒロカの頭を地面に叩きつける。
「切るのもダメ。空間の回転でも体はちぎれない。一番効果的なのは……打撃」
セイに頭を叩きつけられたヒロカは、ヨタヨタしてしばらく行動出来ないでいる。
ヒロカに対して斬撃が効果的ではないのは、彼女の全身を覆っている鱗が非常に硬いということもあるが、もう一つはヤクマが彼女に薬を打つために日常的に切断され続けてきたという事が強く関係している。
要するに、ヒロカは自分の体を切られる事に慣れているのだ。
切っても切っても……ヒロカはすぐに自分の体を元通りに戻してしまう。
杖の能力、空間の回転がヒロカに通用しなかったのは、これまたヒロカの鱗だ。
回転するドリルに小石をぶつけてもすぐに弾かれるように、硬くて強靱な鱗に覆われたヒロカの体も空間の回転に弾かれるだけであまり効果的ではない。
ヒロカを固定して押さえつければどうにかなるかもしれないが。
となると、セイに残った選択肢は素手による打撃になる。
それはシンジもヤクマに対して行っていた攻撃で、彼女たちにとって一番有効な手段だ。
まだ動けないでいたヒロカにセイは近づく。
明らかに、斬撃より回復が遅い。
「……ゴォオオオ!!」
近づいてきたセイに対して、ヒロカは爪で切り裂こうとしてきた。
おそらくは日本刀よりも鋭い刃になっている爪が五本、セイに襲いかかる。
……が、その爪が振り下ろされる事はなかった。
セイの手刀がヒロカの喉元にめり込んでいたからだ。
「シッ!?」
「……やっぱり」
ヒロカは、苦しそうに喉元を押さえながら力なく崩れ落ちる。
ヒロカの体は鱗に覆われて色々変わってしまっている部分もあるが、大元は人間の体のままである。
要は鎧を着ている人間のようなモノだ。
そして、セイの武術は元々鎧を着て戦った武士を相手にした戦国武術が大元だ。
硬い鱗に覆われた人間を相手にすることは得意分野ともいえる。
鎧を着ている武者を素手で投げ、極め、そして、鎧ごと砕く。
それが清常流の極意。祖父いわく、とくに大切なのは最後の砕く事だそうだ。
まさに今のヒロカを相手するのにうってつけと言える。
「このまま殴っていきましょうか……死ぬまで」
両手で喉元を押さえていたヒロカの耳を、セイは掌底で打った。
「ゴロ!?」
ほぼ同時に、反対側もセイは打つ。
その衝撃は、三半規管に伝わり、ヒロカの平衡感覚を麻痺させる。
平衡感覚を失ったヒロカの体が、ダルマのように揺れた。
その揺れたヒロカの両目を、セイは右手の人差し指と中指で突き刺した。
「ゴォオオオ!?」
両目を押さえ、のけぞるヒロカ。
その空いている喉に、またセイは手刀を下ろした。
「……ッッッッ!?」
そのまま力なくヒロカは倒れる。
小刻みに、プルプルと震えているヒロカにセイは近づいた。
「……ゴォ……シィ……」
小さな声で、ヒロカは唸っていた。
息も絶え絶えといった様子のヒロカの顔面を、セイは打つ。
「ゴッィ!?」
打った場所は、鼻の下。
人中という、人体の急所の一つ。
「……シィィィィ」
弱々しい声を出したヒロカの顔を、セイは打つ。
何度も、何度も。
拳を痛めるので、小指側の面。鉄槌で何度も打つ。
何度も何度も何度も何度も……
「……ゥゴ……ゴ……ゴ……」
打たれる度に、ヒロカは声を上げていた。
何かを伝えるように。
「……ちっ!」
力強くヒロカを打った後、セイの手が止まる。
「……シィ……ォォ」
「アンタ、いい加減にしなさいよ!」
そう言って、セイはまたヒロカの顔を打った。
ヒロカの血が、セイの顔を汚す。
「ゴォゥ……」
「ゴロゴロゴロゴロ……! 分かっているの? アンタは今戦っているの! 私と、命がけで! なのに、それなのに! 『殺して』なんて言うな!!」
セイが鉄槌を打つ。
砂煙と轟音を起こした鉄槌は、ヒロカの顔の横に落ちていた。
「ずっと言っていたんでしょう? 先輩と戦っている時も、ずっと『殺して、殺して』って……そんな人を、あの人が殺せるわけないでしょ!」
ピキピキ音を立て、セイによって壊されたヒロカの顔が元に戻っていく。
「……ゴロゥ……シィィ……」
小さな声で、ヒロカは言った。それは彼女のとって精一杯の声なのだろう。
人以外に変えられてしまった、彼女にとって。
これまでずっとセイが聞いた声で、おそらくシンジもこれを聞いてきたのだろう
。
精一杯の声で、殺してという声。
ヒロカの目は絶望に染まり、黒く濁っている。
「っ!」
セイは、力強くヒロカの顔に鉄槌を打つ。
戻り始めた鼻が音を立てながら砕け、埋まる。
「……教えたはずよね? 戦う時は、相手に敬意を払いなさいって。見下さず、見上げず、正面から相手の事を見据えなさい。って」
祖父の言葉では、敬意が『愛』という言葉に置き換わるのだが。
「戦う相手に、自分から『殺して』なんて、ヒロカは私のことを見下しているの? それとも、忘れてしまった?」
ヒロカは、黙っていた。
「ヒロカに何があったか私は知らない。どんな薬を打たれて、どんな状況になっているのか、私は知らない。でも、私は知っている。アナタがどれだけ真面目に稽古に励んでいたのか。アナタがどれだけ『ヒーロー』になるために頑張ってきたのか」
「……ゴ……」
「『殺して』なんて自分から言えるくらいなら、少しは自分の意志があるってことでしょ? 頑張りなさいよ。ヒロカの思い描く『ヒーロー』は、戦う相手に『殺して』なんて頼み込むの?」
「…………ドラァアアアアアアアアア!」
雄叫びと共に、ヒロカは爪を振り回した。セイは、軽く上体をそらすとヒロカの爪を避ける。
そして、ピョンと飛んでヒロカと少し距離をあけた。
「……それでいいのよ」
体勢を整えたセイが見たのは、立ち上がっていたヒロカの姿だった。
ただ、今までと違う。
ヨタヨタとした立ち姿ではない。
背筋を張り、腰を軽く落とし、両手をみぞおちに構え左手を軽く前に出している今のヒロカの姿は、稽古の時見せていた、セイが教えた中段の構え。
ヒロカは、正面からセイを見据えていた。
「それなら、全力で殺してあげる」
セイもまた、中段に構えてヒロカを見据えた。
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