第214話 ヤクマが『幸せ』に目覚めた時

 薬馬幸太郎。

 彼は生まれつき、体にあるハンデを抱えていた。

 三半規管が弱く、体が常にフラついてしまう、というモノだ。

 何とか日常生活は送ることが出来たが、運動などはまともに出来ず彼はよく引きこもっていた。


 そんな彼に、彼の母親はいつも言っていた。


『幸太郎は不幸を背負って生まれてしまった。だからこそ、代わりに皆を幸せにしてあげるのよ。そうすれば自分も幸せになれるから。皆の幸せは、自分の幸せ。そう思いなさい』


 母親のそんな言葉を聞いたときは、幼いながらもそんなワケが無いとヤクマは思っていたが、その言葉が事実であるとヤクマが気づいたのは、彼が中学校を卒業したときの事だ。


 彼の一番の友人であるガオマロには、小学校の頃からいつも遊んでいる同級生の女の子がいた。

 顔立ちの整った女の子で、ヤクマが知る限り、学年で一番可愛かったと思う。

 そんな彼女はガオマロのお気に入りで、彼はいつも彼女の服を脱がしたり、写真を撮ったり、殴ったり蹴ったり、タトゥーを入れさせたり。そんな事をして彼女と遊んでいた。

 学校側はそのことを知っていたが……中には先生も加わって遊んでいる事もあったが、教育委員会からも正式に、ガオマロが彼女にしていることは『ただのケンカ』であって、いじめではない。

 先生はその仲裁をしていることになっていた。

 事実、ガオマロと彼女はとても仲がいいという記録が残っているのだ。

 問題ない。

 そして、卒業式の日。

 ガオマロは彼女と最後の遊びをすると言ってヤクマを呼び出した。


 ヤクマが呼び出された近所の空き地に向かうと、そこにはガオマロに首を絞められている彼女がいて……彼女は、幸せそうに顔をゆがめていた。


 死ぬかもしれないのに。

 事実、そのあとに死んだのに。

 彼女は笑っていた。笑わされていた。


 その笑顔を見て、ヤクマは自分の進むべき道を見つけた。

『皆の幸せは、自分の幸せ』



 ヤクマの体が、ビキビキと音を立て変わっていく。



「母さん……母さんの言うとおり、俺は今皆を幸せにするために頑張っているよ。この薬で感じる幸せを、早く皆に届けたい。『皆の幸せは、自分の幸せ』皆が『幸せ』になる度に……笑顔になるたびに、俺の頭の中で『幸せ』が分泌されていく。そのたびに、俺はあの子の笑顔を思い出すんだ……」


 ヤクマは顔を上げ、よだれを垂らす。

 過去のその情景を思い浮かべて。


 そんなヤクマの顔を見ながらシンジはヤクマの変身を止めようと思ったが、すぐにやめた。

 シンジの位置からは見えないが、おそらくヤクマの背後や机の裏などに注射器が浮いている。

 注射器だけならどうとでもなるが、変な薬品でも仕込まれていた時が厄介だ。液体ならまだしも、気体化したモノは避けようが無い。『笑えない空気(ブラックジョーク)』は今ないのだ。

 

 それに、おそらく殺さないと変身は止まらないだろうが、通常時さえドラゴンの力で殴っても生きていたのだ。簡単に殺せるとは思えない。

 ヤクマの体は文字通り変わっている。

 変身中に攻撃して出来た傷がそのままなわけがないだろう。

 攻撃しても無意味な危険性はかなり高い。


 そう考えている間にも、ガオマロの話は続いていく。

 興味も無い、『幸せ』の話。

 

「中学の卒業式に、ガオマロに首を絞められていたあの子……ガオマロが学校が変わる最後の思い出とか言っていたかな? 明らかにヤりすぎて……首を絞められているのに幸せそうな顔をしていたから、ガオマロに聞いたんだ。『なんであの子は幸せなんだ?』って。そしたら『薬を使ったからだ』って……」


 ヤクマは恍惚とした顔を浮かべているが、それはシンジから見たらどう見ても醜悪で、吐き気がするものだった。


「あの顔を見たとき。脳内に『幸せ』成分が溢れた時。俺は自分の人生の目標を見つけた。全人類を、『幸せ』にする……俺の薬で!!『皆の幸せは、自分の幸せ』!」


 完全に、ヤクマの変身が終わる。

 ヒロカやネネコに打っていた薬と、それは明らかに違った。

 たった一回薬を打っただけで、ヤクマには牙が生え、爪が伸び、全身に薄い黄色の鱗を生えていた。

 その一つ一つがしっかりと整えられていて、ヒロカのような化け物とした雰囲気はない。

 

 完成型なのだと、ヤクマの姿を見ただけで分かる。


「あー……フラフラしない。眼鏡が無くてもよく見える。最高だ。心地よく『幸せ』も溢れてくる」


 ヤクマが腕を振ると、それだけで衝撃が走り、研究室の壁を破壊する。


「苛立ちも消えてしまった。これで落ち着いて……お前を殺せる」


 ヤクマの体が、陽炎のように消える。


 次の瞬間。ヤクマはシンジの目の前にいた。


「はっ!」


 弧を描くように、ヤクマは爪をシンジに向かって振り下ろす。

 身を捻って避けたシンジの背後の壁が、爪の軌道に合わせて切り裂かれた。


「ほらほらほらほら!」


 ヤクマが次々と爪を振り下ろす。

 その爪をシンジが避ける度に研究室の壁が壊れていく。


「完璧だ! 完璧な幸せだ! この薬を……『完璧超絶幸福薬』と名付けよう!」


 ……名前がダサい! さっきから、ずっと! というツッコミを胸のうちに秘めたまま、シンジはヤクマの攻撃を避ける。

 最近指摘されることが多くて、シンジは自分のネーミングセンスに悩んでいるのだ。


「どうしたどうした? 避けてないで攻撃してみろ! 俺に勝てるって言っていたのは口だけ……ごぁ!?」


 そんな悩みを抱えながら、シンジはヤクマの顔面を殴った。

 三度目である。



「口だけ? それはお前だろ? お前には殺される気がしないな」

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