第213話 お金がない
「ぐ……がぁ……この……」
ヤクマの眼鏡が、カランと落ちる。
「苦しがっている所悪いが、ちゃんと見ろよ?」
鼻を押さえシンジを睨みつけているヤクマの腹部をシンジは指さした。
そこには、蒼く光る刃が突き刺さっている。
「お……うおぉお!?」
「もう一度落ちていろ」
凍っていくヤクマの体をシンジは突き飛ばす。
セイに一度落とされた穴から、ヤクマは落ちていく。
「おおおおお!?」
落ちていくヤクマを最後まで見ずに、シンジは上を見上げた。
そして軽くジャンプをして、先ほど自分が空けた穴から上に上がる。
「よっ……と。三人とも無事か?」
辺りを見渡すと、研究室の出入り口付近に、ユリナ達三人とベリス達がいた。
「はい。おかげさまで。申し訳ありません。助けに来たのに逆に助けられてしまい……」
「いや、いいよ。俺が捕まったのが悪いんだし。ネネコちゃんは大丈夫?」
マドカに支えられるようにしていたネネコはまだ右目を押さえていた。
「はい……傷は妖精さんが治してくれたので問題なく見えるようになったのですけど、やっぱり違和感がまだあるので押さえているだけです」
ネネコの表情は疲れ切っていた。
眼球に薬を入れられ、それを取り除く手術をしたのだ。
そして、親友が化け物に変えられて敵になっている。
肉体的にも、精神的にも、かなり負担が来ているだろう。
ただ、そのネネコを気遣う暇は無い。
ネネコの返答にうなずいて、シンジはユリナをじっと見る。
「……何ですか?」
「いや、こんな事をこんな場所で言うのは恥ずかしいんだけど」
シンジは本当に恥ずかしそうに目線をユリナから外した。
冷静に、普段を変わらない表情のユリナと対象に、マドカとネネコは驚きで目を見開く。
頬を染め、ポリポリと頬をかくシンジのその姿にはマドカもネネコも見覚えがあったからだ。
なんと言っても、二人とも美少女。
シンジが今しているこの挙動不審な態度には何度も見覚えがあった。
男子がよく、二人を呼び出してこんな態度になるのだ。
まさか。
本当に、こんな場所で、こんなタイミングで?
先ほどセイからあんな言葉を貰ったのに?
期待と戸惑い、そして急な展開にマドカ達は軽くパニックを起こす。
そんなマドカ達の様子を気にせず、シンジは意を決したように、ユリナを正面から見つめて言った。
「……お金貸して」
「………………はい?」
声を出したのは、ネネコとマドカだ。
シンジが言った言葉の意味をすぐには理解できない。
「良いですよ。いくらですか?」
しかし、ユリナは特に動揺も見せずにシンジのお願いに即答する。
「五万……十万円くらいあると助かるんだけど……」
「分かりました……セイの所に行けばいいんですよね?」
iGODを取り出しながら、確認するようにユリナは言う。
「……そうだね。お願いできる? たぶん、本当に、常春さんはちゃんとあの子を殺してしまうと思うから」
目を伏せたシンジのその顔は、今まで見せた事がないほどに、暗い。
そんなシンジの様子にユリナはしょうがないと言いながら息を吐く。
「……十万円貸したとして、先輩の手元にはどれだけ残るのですか?」
「え?」
「回復薬などは全部燃えてしまったんですよね? 余裕はあるんですか?」
ユリナの問いに、シンジは困ったように表情を変える。
「いや……ほとんど無い。てか、その十万円は回復薬に使いたいと思っている」
「……なるほど。では、私が出します。その方がいいでしょう」
ユリナはiGODをポケットにしまう。
「え? ……大丈夫?」
「移動する度に廃墟にあるお金は拝借していましたから。さきほどの病院でもいくらか手に入りましたし、一回分くらいなら出せますよ」
ユリナは勝ち誇ったように笑う。
「貸してあげます。後で返してくださいね……利子付きで」
「ぐ……分かった。ありがとう」
シンジは頭を下げる。
その、下がったシンジの頭に、ユリナは手を置いた。
「……恥ずかしいなんて、思わないで下さいね。自分には出来ないことをしてもらう。それは正しいパーティーの姿だと思います」
「……ありがとう」
そのとき、ガシャンとガラスの割れる音が響いた。
「……くそ。二回も落としやがって……おまえたち全員、絶対に殺す。『幸せ』になんてしないからな」
ヤクマが、床に降りてきた。
上げている右手からふわふわと注射器が浮いていく。
注射器を使って、飛んできたようだ。
怪我はない。無傷だ。
刺され、なおかつ凍らされた腹部も。
シンジに殴られた顔面も。
傷一つなく治している。
シンジは文字通り、ヤクマの顔面に突き刺さるような攻撃を加えたのに。顔面は陥没するような大けがだったはずなのに。
治したのだろう。おそらく薬で。
「……行って。アイツの相手は俺がする」
「かしこまりました……頑張ってください」
足早に、ユリナはマドカたちを連れて研究室から出て行く。
「行かせるか!」
ヤクマが注射器をユリナたちに向かって放つ。
それをシンジは蒼鹿で生み出した氷の壁で遮った。
「……ちっ。まずはお前からか」
ヤクマは右腕を上に掲げる。
すると、大量の注射器が回転しながらヤクマの右腕を覆い始めた。
「ヒロカに負けた雑魚が……さっさと消えろ!」
注射器を纏った右腕を突き出しながら、ヤクマはシンジに突っ込んでくる。
大量の注射器がシンジのいた場所を埋め尽くし、そして……
「うげっ!?」
ヤクマの顔面に、再びシンジの拳が突き刺さる。
「さっきも言ったけど……お前には勝つからな?」
ヤクマの注射器がバラバラと床に落ちていく。
その注射器のいくつかから薬液が漏れだし、床を溶かし始めた。
「……強力な酸か。これを体内に打ち込んで殺すつもりだったのか。確かに、こんなの大量に打たれたら消えるな」
言いながら、シンジは床に落ちた注射器を凍らせていく。
「くそが……何度も何度も……調子に乗るなよ?」
眼鏡の位置を治そうとして……そこに眼鏡が無いことに苛立ちながらヤクマはゆっくりと起きあがる。
「そうだな。ドラゴンの力で殴っているのに顔面が陥没しているだけですぐに起き上がれる。普通の人間なら頭が砲弾みたいに飛んでいっても不思議じゃ無いのにな。自分も薬で強化しているのか。日常的に……てことは、何かまだあるのか?」
凍らせていく範囲を広げながら、シンジはそれ以上ヤクマとの距離を詰めようとしなかった。
ここはヤクマの研究室。
彼のホームだ。何があるか分からない。
「く……ははは」
ヤクマは、シンジへの返答に小さく笑いを返し、おもむろに注射器を一本、自分の首に突き刺した。
「……これはドラゴンの体液から作った身体強化薬『龍のウレション』とヒロカに使った変化薬剤、『守護ってあげるよ君の幸せ』を組み合わせた強化版の薬品だ。さらにこれには親の方の生き血を使っている。本当はもう少し他で実験してから使いたかったが……は……はははは、ははははは……ハハハハハハハ」
薬剤がヤクマの体に入っていくうちに、ヤクマの声は大きくなっていく。
まるで、肺そのものが……いや、体中の全てが変わっていくように。
「『幸せ』だ……俺は今、世界で一番の『幸せ』を味わっている」
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