第212話 セイが怒っている

「……何をしているんですか?」


 シンジを睨みつけたまま聞いてくるセイの質問に、シンジは苦笑いを浮かべる。


「……何って見てのとおり、殺されかけていたんだけど……」


「ゴ……ロォオオオ!」


 シンジの方を向いていたセイの背後からヒロカが襲いかかる。

 セイに切られていた腕は、もう完全に再生していた。


「そうではなくて……」


 セイは振り返ると同時に、襲いかかってきたヒロカの腕を取り、足を払う。


「はっ!」


 そのまま、セイは掌をヒロカの胸に当て、思いっきり突き飛ばした。


「……うお!?」


 突き飛ばされたヒロカの体はヤクマに当たり、二人とも窓ガラスを割って、外に落ちていく。


「おお……やるねぇ」


 シンジは感嘆の声を出すが、ソレを聞いてセイは再びシンジを睨みつけた。


「……そんなに怖い顔しないでよ。なんでそんなに怒っているのさ」


「…本当に分からないですか?」


 セイは立ったまま腰に手を当て、ズイっとシンジに顔を近づける。


「……そんな風に屈むと、ブラどころか中身まで見えるよ?」


「なっ……!?」


 シンジの指摘に、セイは顔を赤くして固まる。


 今のセイは、来ていた制服があちらこちら破けていて、下着などはほぼ丸見えの状態になっていた。

 その下着も、ブラは肩紐が片方切れており、そんな状態で屈めば、ズレたブラの間から色々見えてしまう。

 突然の指摘に、完全にフリーズしてしまったセイの制服の一部をシンジは折れていない手で掴む。

 

「……『リーサイ』」


 セイの制服が、淡い光を発しながら綺麗に戻った。


「……ありがとうございます」


 制服の様子を確認しながら、セイは礼を言う。


「いいよ。それより回復薬持ってない? アイツらに没収された分が見つからなくて買い足したのに、その分まであの子に全部燃やされてさ。MPもさっきの『リーサイ』で使い切ったし」


「……なんでそのMPを自分の回復に使わないんですか!」


 セイは、回復薬とMPを回復させる魔法薬を取り出し、蓋を開けてシンジに渡す。


「いや、使おうと思ったけどタイミング良く常春さんが来たからさ。ありがとう。助かった」


「……まったく、先輩の格好もヒドいじゃないですか」


 少しだけ顔を赤くしながらセイは指摘する。

 今のシンジの服装は上半身は裸で、下もズボンが所々破けており、さきほどのセイの状態より布の面積が狭い。

 シンジが今ドラゴンに変身していて、全身が鱗に覆われていなければセイはシンジと話すことも出来なかっただろう。

 そんな事はまったく気にしてないようにこくりと回復薬を飲むシンジを見ながら、セイは言った。


「……どうして、あの程度の相手に負けたんですか?」


 シンジは回復薬の瓶を傾けた状態で固まる。


「いくら身体能力が高くても、あの子程度の技術なら先輩は問題なく対応出来たはずです。私が出来るくらいですから」


「……あの子か。もしかして、さっきの子。知り合い?」


 シンジは飲み干した回復薬と魔法薬の瓶をそっと床に置いた。


「……私の所の道場に通っている門下生です。今夏陽香。とても筋の良い……とても良い子でした」


 少しだけ遠い目をして、セイは言う。


「そんな事より。私の質問に答えてください。どうしてヒロカに負けたのですか? あの子、筋は良かったですが、先輩を煩わせるような相手ではありません」


「いや、強かったよ。ヒロカちゃん」


「それでも、先輩より弱いです」


 セイは、はっきりと言い切った。


「……殺せなかったのですか?」


 シンジは、何も言わない。


「……オレスちゃんに聞きました。最初は、ヒロカを助けようとしていたんですよね? 回復魔法や解毒魔法を使って。でも、出来なかった。出来ないから……せめて、苦しみから解放してあげようとして、殺そうとした」


 セイはシンジの胸の辺りを見ていた。

 そして、シンジはセイの顔を見ている。


「けど……それも。それも、出来なかった。殺そうとして、殺せなくて……あの子に負けた」


 セイの頬から、ポタリと滴が落ちた。


「……常春さんが泣かなくても」


 涙を拭ってあげようとシンジが手を伸ばす。

 だが、その手をセイは取った。


「……私も見ていたんです。先輩が私を見ていたように、私も先輩を見てました」


 そして、セイは反対側に持っていた杖を合わせて、シンジの手をぎゅっと握った。

 その杖は、シンジと戦って死んだ、『|真摯な紳士(ジェントルマン)』というハイソの武器だ。

 ハイソが死んでしまった場所を見ているシンジの顔を、セイは知っている。


「殺せなくなったんですよね? 女の子だからとか、そんなことは関係なく。生きている人を、先輩は殺せなくなっている」


 あのカズタカでさえ、シンジは殺さなかった。

 ヒロカなど……薬で操られている女の子など、シンジが殺せるわけがない。

 セイはそっと握っているシンジの手を額に軽く付ける。


「……常春さん?」


「私は、先輩のために戦います。先輩の言うことには全て従いますし、先輩が望んだことは何でも叶えてあげます。叶えるように努力します」


「あの……」


「それが、先輩が私に望んでいることではないと理解はしています。けど、無理なんです。どうしても、無理なのです」


 突然。荒々しく床に着地する音が響いた。


「はぁ……はぁ……び、びっくりした。お前、簡単に『幸せ』になれると思うなよ? この薬は激痛を与える。ただただ痛い。指一本動かせなくなるくらいな。どんな拷問よりも辛い激痛……『幸せ』の前に、地獄を味あわせてやる」


ヤクマが部屋に戻ってきていた。

言葉が乱れている。

かなりキレているようだ。

まるで彼の感情を表すかのように、彼が手にしている注射器から薬液が漏れている。

ヒロカもその横にいた。



「……私は、先輩のために戦います。先輩の意のままに動く手足……いや、それ以上の存在に、私はなりたいのです」


 しかし、セイは戻ってきたヤクマたちを見もせずにシンジの手を額につけたまま、何事もないかのように言葉を紡いでいく。


「……っ!」


 完全に、無視されている。

 そのことにさらに苛立ったヤクマは、注射器をセイに向かって投げつけた。


「……ふっ」


 浅く、息を吐いて立ち上がり。

 セイは杖を軽く振った。

 ハイソが持っていた杖は、周囲の空間を回転させ、破壊する。

 一振りで投げられた注射器を破壊したセイの周りに、注射器の破片がキラキラと舞う。



「……行けっ!!」


 その光景を唖然と見ていたヤクマは、すぐにヒロカに命令する。

 ヤクマの命令を受けて、ヒロカは猛然とセイに襲いかかった。


「……ゴォ?」


 だが、セイまであと一歩という距離でヒロカの足が止まる。

 ヒロカの目に、白銀の刃が突き刺さっていたからだ。

 いつのまにか、セイが杖から抜いていた刃だ。

 見もせず、セイは刃をヒロカに刺していた。


「……常春さん」


「私は先輩の望みを叶えます……やりたくても、出来ない望みでも、私は叶えます」


「何をしている! さっさと殺せ!」


 ヤクマは右手を突き出し、ヒロカに命じる。


「……シィイイ!」


 ヤクマの命令を聞き、刃が突き刺さったまま、ヒロカはセイに襲いかかろうとした。

 しかし、その彼女の体を、誰かが止める。

 セイと同じ姿をした、セイの分身。

 五体がそれぞれヒロカの体を押さえていた。


「……この子は、私が殺します」


 そう言って、セイとその分身は、ヒロカを押さえたまま近くの窓から飛び降りていった。

 部屋に残ったのは、ヤクマとシンジの二人のみ。

 ほんの少しの静寂の後、動いたのはヤクマだった。


「……ちっ。このままじゃアレが壊されるな」


 セイとヒロカの戦力を比べ、分が悪いと判断したヤクマは、注射器を取り出す。


「同時操作は100本。今は何本か使っているから……80本くらいか? 防がれるかもしれないが、壊されても無尽蔵に再生するからな、コレは。何本も投げればいつかは……」


 ヤクマの手の中で、注射器が次々に増えていく。

 眩しいほどに、注射器は黄金に輝いていた。

 それらは自ら動き出し、ヤクマの周りに漂い始める。


「よし、い……」


「まった」


 まず第一陣。

 ヤクマが注射器をセイに向かわせそうとした時、完全に回復したシンジが立ち上がった。


「なんだ? ヒロカに負けたくせに出しゃばるな。そのまま大人しく……グバァ!?」


 ヤクマの顔面に、シンジの拳が突き刺さる。


「お前の相手は俺だ」

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