第208話 『幸せ』が地獄

 歩きたいわけではない。

 そこに向かいたいわけではないのに、足は止まらない。


 止まりたくて、止まりたくてたまらないのだが。

 体がどうしても止まらなくて、意志とは違う体の動きが許せなくて、苦痛を感じ始めた頃。


 彼女たちはそこに到着した。



「『幸せ』は儚い。分かっていた事だ。最高傑作だと自負していても、あっけなく壊される。『幸せ』を守る『守護龍人』……所詮は、は虫類。そういうことか。ドラゴンと言っても寒さには弱い、か。でも大丈夫。さすがはガオマロ。俺の親友。『幸せ』提供者。寒さに強い魔物の素材を手に入れてくれた。いやぁ、良かった。連絡をしたらすぐに届けてくれたんだからな。向こうも『ちょうど良かった』と言っていたし。運108。やはり持っているモノが違う」


 ふらふらと動きながら、白い犬のような生き物から血液を採取し、別の液体に混ぜている彼は、ふと気が付いたように彼女たちの方を、ユリナ達のほうを向く。


 黒縁のメガネの、痩せた真面目そうな男だ。

 乱れた白衣の下に、黒色のジャージが見える。


「……これは驚いた。早い。もしかして学院の中にいたのか? ガオマロに頼まれて注射器を投げたが……そういえばなんだか騒がしいな」


 彼は、薬馬 幸太郎(やくま こうたろう)はメガネの位置を戻しながら閉められていた窓のカーテンを開ける。


「……うーん、燃えている? 校舎が? あそこは初等部か。見もしないで放り投げたからな。気が付かなかった。この騒ぎは……君たちがしたのかな?」


 ヤクマはふらふらしながら再びカーテンを閉めた。

 雑に着ていた白衣が、ばさりと翻る。


「このタイミング……もしかしてコレを壊した奴の仲間? 助けるために入ってきた?」


 ボリボリと頭を掻きながらユリナ達に近づいたヤクマは、首を傾げる。


「……ああ、返事を出来ないか」


 ヤクマが指を鳴らす。


「かっはっ!!」


 すると、吐き出すようにユリナ達は息を吐いた。

 部分的にとはいえ、自由に出来なかった体の一部が解放された反動に、ユリナ達はせき込む。


「それで、どうなんだ? コレを壊した奴は君たちの仲間なのか?」


「コレって……何ですか。コレは……」


 ヤクマが指している先の方をユリナは見た。

 そこには、全身が鱗で覆われたドラゴンのような人間のような気味の悪い生物が横たえられている。


「コレは俺が作ったココの警備兵。『幸せ』を守る『守護龍人』」


 目も動かせるようになっている。

 ユリナは、すぐに部屋の様子を確認した。


 まるで、地獄のようだ。


 おびただしい量の動物の死骸……いや、魔物たちの手や足や首が何かの液体に浸かって大小様々な瓶に詰められていたり 吊されたり、雑に放置されている。


 まだ生きているのか、それともただの筋肉の反応か分からないが、ピクピクと動くモノがいて、より気味が悪い。


 その中で、ユリナが一番目を引いたのは大人が二人ほど手を広げて並べるくらいの大きさの黒い布に覆われた何かだ。

 その黒い布の中央からはチューブが飛び出ており、そのチューブの先からは赤い液体がポタポタと垂れていてつながっている瓶に溜まっていく。

 その、黒い何かがどのようなモノか、布の輪郭からユリナには想像がついた。


「……あの布に覆われているのはドラゴンの……子供ですか? それから生き血を……生き血を元に薬を作っているんですか? 周りの魔物たちの死骸も……」


「……ほう。賢いな。見ただけで理解したか。その通り、ガオマロに頼んでドラゴンの子供を生け捕りにして、心臓に穴を空けて生き血を採り続けている」


 ユリナの頭の中に、カブトガ二が浮かんでくる。

 カブトガニの血液は特殊らしく、心臓に穴を空けて血液を採取されているらしい。

 それと、似たようなことしているのだろう。

 もっとも、カブトガニは血液を採取したあと海に戻されるらしいが、このドラゴンの子どもは、きっと、永遠に、血を採られるのだろう。


「ドラゴンの血は色々な話があるだろ? 浴びたら不死になったとか、そんな話。それでドラゴンの血からおもしろい薬が作れるんじゃないかと思ったわけだ」



 ヤクマが、話を続けている。


「……埴生先生やイソヤという人の薬も、そのドラゴンの血から作られたというわけですか」


「……イソヤ? ああ、アイツか。確かに、他の魔物の血液やら『最薬の医神器』で作った薬と混ぜて作った薬を渡していたな。なんだ、イソヤも知っているのか? ガオマロに内緒で女の子を狩りに行くから注射器を貸してくださいって頼まれたが……まぁ、すぐにガオマロにチクったんだけどな。もしかして、イソヤが狩りに行った女の子は君たちか?」


 マジマジと、ヤクマはユリナ達を見る。


「あぁ、そりゃダメだ。君たちはガオマロが一番気にしていた子たちだからな。そのイソヤは? 君たちに殺されたのか? それとも……ガオマロにでも殺られたか?」


 愉快そうに自分の仲間であるはずの男が殺された事をヤクマは尋ねてくる。

 それに、ユリナ達は答えを返せない。


「まぁ、いい。それよりコレを直すか。薬剤の調合も終わった所だ。君たちはそのままガオマロが帰ってくるまで立っていてもらおう。何かしたら俺がガオマロに殺されるかもしれないし。あと一時間ほどで帰ってくるはずだ」


 ヤクマはユリナ達に背を向けるとコレと言っていた『守護龍人』に向き直る。

 その瞬間にはもう完全に、ヤクマの意識はユリナ達から離れていた。

 それは、宣言通りガオマロが帰ってくるまでヤクマはユリナ達に何かするつもりがないという意志の現れであり、そして今のユリナ達は意識する必要がないほど無力であると確信している様子だった。


(……実際に何も出来ないですけど)


 まるで見えない布で全身を雁字搦めに包まれているようだ。

 言葉を発する事は出来るが、それに意味を見いだせないほど、ユリナは今の己の無力さを実感していた。


 自殺。という選択さえ選べない。

 ただ、ヤクマが『守護龍人』を治……直し、ガオマロに弄ばれるのを待つしかない。

 ユリナが、少しでも抵抗の糸口を探していると、隣からぽつりと声が聞こえた。


「……ヒロカ?」


 声を発したのは、顔を真っ青にしたネネコだった。



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