第202話 元彼がいた

「はぁー、寒い」


 小便器で用を足す男子生徒。

 鳥肥 音門(とりごえ ねもん)は、身を震わせた。

 整った髪型や白くてきめの細かい肌から彼の育ちの良さが見てとれる。実際、彼の育ちは良い。

 国内でもトップクラスに知名度の高いジャーナリストであり次の知事候補と呼ばれる父を持ち、彼自身も高校生ながら音楽活動でアーティストとして名を馳せている。

 有能、有名、お金持ちが集まる雲鐘学院の中でも、彼はその3つがトップクラスの生徒であった。

 そんな彼が、はらはらと降り始めた雪をトイレの窓越しから見つめながらある事を思う。


『自分は被害者だ』

 という思い。



 約一ヶ月ほど前の日。

 世界に死んだ人や化け物が闊歩を始めてから五日ほど経過した日の事。

 校内で数名の友人と何とか生き延びていた彼の前に、化け物以上の化け物が現れた。


 化け物は。


 ガオマロという人間の男性は。

 他に隠れて生き残っていた雲鐘学院の男子生徒や男性教諭を集めて、こう言った。


『俺は仲間が欲しい。この世界を楽しむ仲間が。だからプレゼントを持ってきた。このプレゼントで一緒に楽しめた奴は、仲間になろう』


 そう言ってガオマロが持ってきたモノは……いや、連れてきた人は、雲鐘学院の女子生徒だった。

 中にはネモンと同学年の子や、ネモンの音楽に憧れていて、ネモンも彼女が大きくなったら狙おうと密かに思っていた小学生のアイドルの女の子などがいた。


 そんな子達を相手に、ガオマロは『楽しめ』と炎が吹き出す刀や槍やナイフ。それに銃をネモン達に渡し始めた。

 その『楽しみ』の意味を理解した学生や教諭の中には、それを受け取り、『ふざけるな』と言いながらガオマロ達に刃刃向かったりした者がいたが、彼らはすぐに殺されてしまった。


 だから、しょうがなく。

 ネモンは渡された燃えるナイフを、震えながらこちらを見つめているどこか昔好きだった女の子に似ている小学生のアイドルに突き立てた。


 そうして、なんとかガオマロの仲間に成れたネモンは、日々ガオマロの『楽しみ』に付き合い、生き延びている。


「しかし皆真面目だね……火事があったからって動いてさ。燃えても魔法で直せばいいし、そんな事をしてもガオマロさんから評価されないでしょ」


 ガオマロが他人を仲間だと認めるのは、どれだけ残酷に女子をいたぶれるか。

 それだけだ。


 それをネモンは今までの経験から知っている。

 だからネモンは警備全般の仕事を任せられているのに、こうしてトイレをしながらサボっているのだ。


「侵入者もいるみたいだけど、どうせ俺が行ってもなぁ……可愛い女の子みたいだけど、俺がいっても終わってるだろうし」


 火事と同じタイミングで、侵入者も来ている。

 一日二回も来るのは珍しいが、この学院の物資を(おそらく女性も)狙って侵入者がやってくる事はよくある事だ。


 侵入してきた者は皆ガオマロの仲間になるか、この学院にいる女子たちと同じ扱いを受けるか、そのどちらかの末路になっている。


「今回もどうせすぐ捕まって拷問されているんだろうな」


 こうやって、侵入者が来たという報告があるたび、ネモンは助かるかもしれないと期待するのだが、その期待が叶った事は当然ない。

 今回もすぐに捕まるか殺されるかして終わるのだろうと諦めつつ、ネモンは用を終えてチャックを閉めようとした。


 その時だった。


「動かないでください」


 首元にひんやりとした感触と、その感触に似た少女の声が背後から聞こえてきた。


「うっ……ちょっ! 待っ……! 俺は……!」


「大きな声は出さないでください。こちらに従う意志があるなら、両手をゆっくり上げて」


 ぐっ、とひんやりとした感触。

 おそらく刃物であろう感触が肌に深く押し当てられ、ネモンは少女の言うとおりゆっくりと手を上げた。


「よし。では、ゆっくりこっちを向いて。少しでも敵意を感じたらすぐに……って、え?」


「……え? もしかして……ユリ、ナちゃん?」


 振り返って、ネモンが見たのは昔付き合っていた少女、水橋ユリナだった。




「……生きていたんですね。死んでいればよかったのに」


「は、はは。久しぶり」


 ネモンを連れて男子トイレから離れ、階段近くの人目に付かない踊り場に彼を座らせたユリナ達は、彼を囲むようにして立っている。

 シンジがどこに捕まっているか聞き出そうと、一人で行動していた雲鐘学院の制服を着た男子生徒を狙ったのだが……


「知り合いなの? ユリちゃん?」


 ネモンの事を睨み続けているユリナに、マドカが聞く。


「まぁ、知り合いと言えばそうですかね」


「知り合いっていうか、付き合っていたじゃん。俺ら」


「えっ! そうなの!?」


 二人の意外な関係に、マドカが驚く。


「あまり大きな声を出さないでください、マドカ。気配を消す魔法全般を使ってますが、完全ではないのですから。それに、付き合っていたといっても中学一年生の時に一ヶ月程度。それ以降は連絡も取っていないですよ」


「でも何回かデートはしたじゃん? 二人で映画を見たり……」


「デートと言っても、聞いてくるのはマドカの事ばかり。マドカと付き合うためだけに私に近づいたくせに何を言っているんですか?」


「え? ええ?」


「ちょっとユリナちゃん何を言って……」


「さっきからちょくちょくマドカの方を見ている男が何を言っても説得力がないですね」


 ユリナに指摘され、ネモンは顔を赤くしてうつむいてしまう。


「中学一年生……ユリちゃん。確か、中学一年生って、ユリちゃんがメガネをかけて髪を伸ばし始めた時期じゃ……」


「そんな事より、本題に入りましょう。今日、この学院で捕まった男がいたはずです。その人がどこにいるか知ってますか?」


 マドカの質問を無視し、ユリナは本来聞くべき事をネモンに問いただす。


「いたけど……何? アイツ、ユリナちゃんの仲間だったの? もしかして今カレとか……」


「質問に答えてください」


 ユリナはナイフをネモンに向ける。

 ちなみに、ネモンからiGODと一緒に取り上げた炎を出すナイフはネネコに渡している。


「うおっと!? ちょっと待ってよ。えっと、その男なら警備室の中の仮眠室に監禁されていると思うよ。捕まった奴は皆そこに連れて行かれるんだ」


「警備室……予想通りで、予定通りではありますね。では、ご協力ありがとうございました」


 ユリナはナイフをネモンから外して懐にしまう。


「……ありがとうございました、ってまさか三人だけで行くつもり?」


 立ち去ろうとしているユリナ達の様子を見て、ネモンは慌てた様子で言う。


「そうですが。時間が無いので貴方には……」


「俺も行くよ」


 ユリナの言葉を遮り、ネモンは言う。


「……はぁ?」


「ここでの生活に嫌気が指していたからね。俺にも協力させてよ。女の子にあんな危ない奴の相手はさせられないからさ」


加工されているかのように真っ白い歯を見せながら、ネモンはユリナ達に協力を申し出た。



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