第179話 マドカが決める
『……とりあえず、ここに隠れましょう』
病院の中を飛び回り、開いていた病室を見つけたグレスは、その中に飛び込んだ。
そして、適当な位置に着地すると、羽をしまい込む。
部屋から逃げ出した時点で、太陽のような輝きではなくなっていた光だが、羽をしまい込むと残っていた光も消える。
おそらく、羽を出した時点で、どうしても体が光ってしまうのだろう。
だから、グレスは今まで羽を出さなかったのだ。
『……鱗粉を病院内にばらまいています。それでごまかせればいいのですが』
ちなみに、グレスが病院から逃げ出さなかったのは、外に出る扉が全て閉まっていた、というのもあるが、それより外に出たタイミングで、マドカの体を元の大きさに戻されると困る、ということもあった。
身を隠す、という観点から考えれば、やはり小さい方が有利なのだ。
それ以外に、元の大きさに戻ると、マドカを抱えて空を飛べなくなるということもある。
マドカは今、裸なのだ。
徒歩で移動するには、限界がある。
だから、グレスは病院の中に隠れることにした。
外に出てしまうとイソヤがマドカを見つけることを優先して、マドカの体を戻してしまう危険性があり、そうなると、すぐに捕まってしまうだろう。
まだ病院の中にいる、という安心感から、イソヤがマドカの体を元に戻すことを遅らせるかもしれないし、もし仮にマドカの体が元に戻っても、病院の中ならば、身を隠すのは外よりやりやすい。
外には魔物達もいる、ということを忘れてはならない。
道しるべのように鱗粉をまき散らしながら飛行し、今は魔法で鱗粉だけを操作して病院中に飛ばしている。
イソヤがその跡を追うのに必死になってくれていれば、逃げきれる可能性が、かなり高くなる。
この場所に飛ばされて、そろそろ二十分。
シンジが来るまで、逃げ切らなくてはいけない。
(……しかし)
グレスには、いくつか心配事があった。
先ほど、少しだけイソヤと戦って分かった事。
まず一つ。どうやら、あのイソヤという男は、かなりレベルが高そうだという事だ。
先ほど、グレスがイソヤに放った水の魔法『スイズミ』は、グレスが持ちうる魔法の中でもっとも威力が高い魔法で、例えば、ゴブリン程度ならば数匹まとめて水圧だけで押しつぶせる威力がある。
しかし、イソヤは、そんな魔法を食らっても、体勢を崩してこけただけだった。
この点から、イソヤは少なく見積もっても、セイと同じか、もしかしたらシンジと同じくらいのレベルがあるかもしれないとグレスは推測した。
はじめて見たときから、グレスでは勝てない相手だと思っていたが、これは想定よりも強い。
そして、もう一つ。小さくさせる能力。どうやら、こちらも想定より厄介な能力の様だ。
まさか固体だけでなく、液体のような形を持たないモノまで、小さくするとは思わなかった。
液体も出来るとなると、気体も、炎なども、そうだろうと思われる。
そうなると、攻撃に使える魔法が『スイミズ』しかないグレスではかなり不利だ。
(それに……シンジ様も)
シンジの戦法は、基本的に紅馬・蒼鹿の双剣の熱と、『|笑えない空気(ブラックジョーク)』で操作する気体を組み合わせた戦いだ。
気体も、炎などの熱も小さくされ、無効化されるとなると、シンジに出来る手はほとんどなくなってしまう。
レベルはほぼ互角。
能力も、相手の方が有利。
これだけで、たとえシンジがこの場に来ても勝ち目はなさそうだが。
(……それでも、シンジ様ならどうにかしてしまうかもしれません……でも、やはりまだ懸念はありますね)
もう一つの心配事。
それは、出来ればグレス自身で、シンジが来る前に解決したい事ではある。
だが、グレスがシンジから任せられたのは、マドカを守ること。
解決しようと思えば、その任務から外れる事になる。
「ねぇ、グレスちゃん」
今まで黙っていたマドカが、口を開いた。
うつむいたまま。
『……どうしました?』
「……ゴメンね。黙ってろって言われたのに、我慢できなくて」
『……ああ、そのことですか。それなら気にしなくていいですよ。あんなモノを見れば、声の一つや二つ、出してしまうでしょうから』
グレスの返事をちらりと見て、そのまま、マドカはしばらく口を閉ざす。
そして、数回、口の中を動かしてマドカは聞いた。
「……何回?」
そのマドカの声は、非常に弱々しくて、震えている。
『……ここに転移してきて、すぐに一回。それからマドカ様が目を覚ますまでに、一回、ありました』
マドカの質問をすぐに理解したグレスは、その質問に答える。
『……謝るのは私の方ですね。知っていたのに、教えるのが遅くなってしまって』
「……ううん、大丈夫。それこそ、気にしないで。言いにくい事だと思うし」
グレスは、ちらりと、マドカの腕を見た。
マドカは自分の両腕を、血が出るほどに、握りしめている。
「……でも、じゃあ、三回ってことだよね。少なくとも」
マドカは、ぽつりと、言う。
三回。
何が。
ネネコが、殺された回数だ。
マドカは思う。気が付くべきだったと。
マドカがイソヤの姿を見たとき、ネネコの姿は無かった。
それから、ネネコがせき込む声を聞くまで、マドカは何も聞いていない。
ネネコは、息をしていない。
あれだけ、グレスとお話をしていたのに。
生きている人間が、どれだけ息を止められるか、マドカは知らない。
しかし、少なくとも五分程度は、マドカはグレスと話していた。
それだけの間息を止めるのは、普通の小学生では無理だろう。
生きている限り。
死んでいない限り、無理なはずだ。
『……そうですね。おそらく、あの液体は、蘇生薬でしょう。いったい何本あの容器に入れたのか知りませんが、殺したネネコさんをあの中に漬け、生き返らせてを繰り返していたと思われます』
それは、いつからの話だろうか。
何回、繰り返されたのだろうか。
考えるだけで、身が裂けそうになる。
死ぬことも出来ず、文字通り、死ぬような苦しみを、ネネコは、あの若さで、何度も与えられていたのだ。
「……グレスちゃん」
マドカが、ぽつりと、言う。
『……何でしょうか?』
「……私、許せないよ」
マドカは、一度、大きく息を飲む。
「私、良かった、って思っちゃったんだ。ネネコちゃんが裏切ったんじゃなくて、脅されて、無理矢理、私を罠にはめたって知って、良かった、って。でも、全然良くない。こんなの、全然良くない」
そこで、マドカは言葉を区切る。
グレスは、ただ、黙って聞いていた。
「だから、許せないんだ。私は、私を。でも、でもさ……!」
マドカが、顔を上げる。
「やっぱり、私は、あの男を許せない! あの、イソヤって人を! だから!」
マドカは、踏みしめるように……いや、踏みつぶすように、言う。
「あの男は、私が潰す」
言い切ったマドカの目は、ギラギラと、鉄のように、冷たく光っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます