第177話 マドカが叫ぶ

「……じゃあ、先輩は、ずっと、私たちに貴方たちを付けていたの?」


 それから、壁が行き止まりになるまで歩いたマドカは、そこで、グレスから今の状況について説明を受けた。

 ちなみに、この、マドカが壁だと思ったモノは、どうやら机のようで、机と本当の壁との隙間に、マドカ達はいる。


『はい。シンジ様から、何かあったら貴方達を守るように言われましたので、魔法で気配を消して、見守っていました。私はマドカ様。ベリスがセイ様。オレスがユリナ様です。突然、転移などで飛ばされても大丈夫なように、髪の毛よりも細いスライムをそれぞれマドカ様たちの体につけていました』


「なんで、そんな事……」


『あの、神隠しの話を聞いた時から、シンジ様はこのような事態を危惧されていたようです。警戒しても、その警戒を越えて、誰かが連れさらわれるような、事態を』


 体が小さくなるとは、流石に想定していなかったようですが。

 と苦笑しながらグレスが付け加える。


「いつからしていたの?」


『山門町から帰ってきてから、ですね』


 つまり、一週間。

 マドカたちの近くに、グレス達がいたようである。


「なんで教えてくれなかったんだろう」


 そのことに気づかなかった、ということより、そのことを教えてもらえなかったことに、マドカは若干、不満を感じた。

 現状、どう考えても、グレスがいて助かっているが、一言くらい、言ってくれてもいいのではないだろうか。


『シンジ様はああ見えて思慮深い方ですから。私程度にはその考えは推察しかねますが……まぁ、気づいて欲しかった、というのは、一つあるでしょうね』


「気づいてほしかった?」


『ええ、私たちが気配を消していることくらい、察知してほしかったのでしょう。行動を共にする仲間として。しかし、実際、気づけたのはおそらくユリナ様だけ、という結果になったようですが』


「……ユリちゃん、気づいていたんだ」


 ユリナが言わなかったのは、おそらくシンジと同じ理由だろう。

 仲良し子よし、という状況ではないのは分かるが、なんとなく、マドカに不満は残る。

 

『それに、やり返そうという気持ちも少しはあったのかもしれません。シンジ様が私たちを付けようと思い立った原因は、マドカ様ですから』


「私? なんで?」


 シンジに何をしたのか、マドカは検討も付かない。


『はい。マドカ様が、以前、シンジ様のお風呂を覗いたではないですか。そのときに私たちをマドカ様たちに付けようと思ったそうですよ。マドカ様たちの気配を感じ取れなくなって、対策しないと危ないかも、と思ったとか』


「違うよ!? いや、覗いたけども、私じゃなくて、あれはユリちゃんが……」


『マドカ様のような清廉でまじめそうな子に覗かれた事に、シンジ様は大変興奮もされていました。シンジ様に興奮されるなど、なんとうらやましい……』


「いやぁああ!」


 マドカが、記憶を消したくて頭を振る。

 シンジに興奮されているというのがぶっちゃけキモい、というのもあるが、問題はそんな興奮の原因が自分の落ち度であるという事である。

 あの覗き事件は、確実にマドカのトラウマになっていた。


『頭を振るのはいいですが、大きな声は止めてください。その程度は大丈夫ですが、それ以上大きくなると、聞こえてしまいますので』


「ご、ごめんなさい」


 なんとか、立ち直ったマドカは頭を下げる。


『それに、良いではないですか。シンジ様のような素敵な殿方に興奮されるなんて。私なんて毎日のように、シンジ様から激しく責め立てられる妄想をしているのに……』


「いや、私は好きな人がいるし、それにどうせ興奮するなら、セイちゃんや……ユリちゃんとかを……」


『ああぁ、シンジ様……うふふ』


「聞いている?」


 グレスがどこか遠い目をしながら、笑っている。

 完全に、別の世界にいっているようだ。


『シンジ様は、いつになったら私に折檻をしていただけるのでしょうか。例えば、薄暗いダンジョンで失敗した私を握りしめてたり……シンジ様が、この私の華奢で小さな体を……ああ、よだれが』


「何の話をしているの!?」


 何か、色々と危ない話をグレスが漏らしている。

 ユリナからシンジがグレスを警戒していると聞いていたが、その理由をマドカは理解する。


『もしくは、凶悪な魔物と対峙している時に、隙を見せたシンジ様の後ろの隙に潜り込むとか……シンジ様の後ろ。どのような香りが……』


「もう、何の話か分からないけど……とりあえず、これからどうするの?」


 完全にヤバいグレスの妄想を見ないようにして、マドカは話題を切り替える。


『……そうですね。私は、このまま身を隠す、というのが一番いいと思います。身を隠して、シンジ様の到着を待ちましょう』


 妄想を終えたグレスが、即答した。


「……やっぱり? でも、先輩、私たちがどこにいるのか分からないんじゃ……実際、ここはどこなのか……」


 薬品の臭いが微かにすることから、おそらく、病院だと思われるが。


『それは大丈夫です。私たちがどこらへんにいるかは、シンジ様は分かると思います』


「どうして?」


『今の私は、シンジ様と一心同体のようなモノですから。細かい場所までは分からなくても、大雑把な位置は感じ取れるはずです』


 と、グレスがメガネを動かす。

 心なしか、嬉しそうだ。

 

「そっか、良かった」


 グレスの話を聞いて、マドカも少し嬉しくなる。

 シンジが来れるならば、かなり希望が見えてきた。

 あとは、シンジが来るまで、隠れるだけでいいのだ。


 ただ、何もせずにじっとしているわけにもいかないだろう。

 自分で出来ることは何かないか。


「といっても、何も持っていないし。私だけで出来ることってあまりないんだよね」


 マドカは、基本的に武器と技能を頼りにしてきた。

 武器は当然、今の体の大きさでは扱えないし、技能も、生えている植物か種がいる。

 しかし、こんな建物に植物の種が都合良くあると思えず、また植物が生えているわけがない。


「私のiGODがあれば、植物の種くらい取り出せるけど……」


『そうですね。今のマドカ様の大きさではiGODでさえ扱うのは難しいでしょう』


 iGODは、壊れない。


 その不変さから考えても、マドカが小さいからといって、iGODの大きさは変わらないだろう。


 つまり、仮にマドカが今iGODを呼び出したとしても、マドカの目の前に現れるのは、マドカと同じくらいの大きさの、iGODだ。

 そんなもの、こんな狭い場所に隠れている状況で扱える訳が無い。


「……やっぱり、どうにかして、元の姿に戻れたらいいんだけど。なんで私がこうなったのか、グレスちゃんは見てないのよね?」


『はい。気づいたらマドカ様が消えたので。おそらく制服の中に入っていたのでしょう。転移され、何もない机の上に現れて、やっとマドカ様のお姿を確認したので』


 それから、グレスは魔法を使いマドカの姿を隠したそうだ。

 しかし、隠れて見ていたグレスでさえ、マドカが小さくなった瞬間を見てはいない。


「じゃあ、私が、なんで小さくなったのはわから無いのか」


『そうですね。はっきりとしたことは。まぁ、原因として考えられるのは、技能か、武器の能力というのが妥当でしょう』


 グレスがメガネを上げる。


『どちらにしても、マドカ様が現状、元の姿に戻るのは難しいですね。一応、マドカ様が気を失っている間に、状態異常を回復させる魔法を使いましたが、効果は無かったですし』


「……戻れる、よね?」


 グレスが、こくりとうなずく。


『それは問題無いかと。この手の異常は、使い手を倒すか、解除させれば戻れますので』


 グレスの言葉に、マドカがほっと息を吐く。


「……そういえば、その使い手、って」


『あの男、でしょうね』


 机の向こうからは、男性の苛立っている声が聞こえてくる。

 先ほどの、小さくして連れてきた、という発言からも、彼がマドカを小さくしたと思ってよさそうだ。


『まぁ、今は元の大きさに戻る事は考えなくていいと思います。身を隠すならば、今のマドカ様のサイズはちょうど良いですから。あの男も、見つけきれないようです』


 この部屋は、どうやら病院の事務室のようで、机がいくつか並んでいるのだが、男性はずっとマドカが最初に転移したという机の周りを探している。

 今マドカが隠れているのは、そこから五つほど離れたこの部屋では隅に位置する机だ。

 人の大きさならば、それはかなり近い距離だが、マドカの大きさでは、それは途方もない距離だ。

 男性も、それが分かっているのだろう。

 だから、マドカを見つけることが出来ていない。


「……でも、あの人が私を小さくしたとして、どうやったんだろう。あのとき、あんな人はいなかったと思うんだけど」


『……そうですね。これは推論ですが、あの男は小さくなっていたのではないでしょうか?』


「……小さく?」


『はい。マドカ様を小さく出来るのです。使い手自身も体を小さく出来る能力であると思っていいのではないでしょうか。そして、小さく出来るのであれば、どこにでも隠れて潜む事は出来たでしょうし』


 グレスの意見に、マドカは納得する。

 確かに、自分の体も小さくできれば、隠れる事は出来るだろう。

 今、マドカたちはおよそ十五センチほどの大きさだが、それより小さく出来ない理由はない。


 一センチほどの大きさになれば、例えば耳の穴にだって隠れる事が出来る。

 そうすれば、耳の中から、直接指示を出すことも出来たはずだ。

 誰に? それは……


『そういえば、彼の名前はイソヤ、というそうですよ。ここに転移してきて、すぐに誰かと連絡を取り合っていたので、そのときに名乗っていました』


「イソヤ? ネネコちゃんの話だと、確かカズタカって人に……」


 そこで、マドカは一端口を閉ざす。

 実は、一番聞きたいと思っていたこと。

 意図的に考えないように、我慢していたこと。

 ネネコのこと。

 それを、つい口にしてしまった。

 聞きたいが、どうしても、怖いのだ。


 あの、イソヤという男性に脅されて、無理矢理マドカを罠にハメ、このような状況にさせたのなら、まだいい。

 しかし、もし、進んで、ネネコがしていたら……

 だが、もう止めることは出来ない。


「そういえば……ネネコちゃんは……」


 そのとき、音が聞こえた。


「がはっ……がはっ……!」


 誰かが、せき込む音。

 かなり、小さい音だったが、なぜか、その音はマドカの耳に、はっきりと聞こえた。


『あ……ちょっと!』


 グレスの制止を無視して、マドカは、その場を駆け出した。

 壁を抜け、せき込む音が聞こえた場所。

 巨人、もとい、普通の大きさの男性、イソヤがいる場所。

 その場所が見える位置で、マドカは止まった。

 立ち尽くした、と言っていいかもしれない。


 先ほどせき込んだと思われる、人。少女。

 ネネコが、イソヤに掴まれていたのを、見たからだ。

 手を、ではない。

 体を、ネネコの全身を、掴んでいる。

 つまり、ネネコも小さくなっているのだ。

 マドカと同じように。


「いないんっすけど。あの超可愛い、百合野って、子。どこに行ったか、分からないっすかね? ネネコちゃん? せっかくおデブちゃんから可愛い子の情報を聞き出してここまでやってきたのに、台無しじゃないっすか。ねぇ?」


 イソヤが、握りしめているネネコを、問いただしている。


「し、知らない」


 ネネコが、弱々しく、首を横に振った。


 よく見ると、ネネコの全身が濡れている。

 イソヤの近くに、なにやら液体の入っている容器があることから、おそらく、ネネコはそこに沈められていたのだろう。

 だから、姿が見えなかったのだ。


「ちっ……ああ、そうすっか」


 イソヤが、舌打ちをする。

 明らかに、不機嫌な様子だ。

 その、イソヤとネネコの様子を見て、マドカは思う。


(……良かった)


 ネネコは、脅されて、マドカをこのようにした。

 ネネコが、本心から、裏切ったわけではない。

 それが分かっただけで、マドカの心が熱くなる。

 やる気が出てくる。

 先ほど感じた怖さが、吹き飛んでいく。


(……助けないと)


 ネネコを、助けるために、何か出来ることがないか。

 マドカは、拳を握った。

 シンジが来るまで、出来ることは少ないかもしれないが、それでも、ネネコを、少しでも早くイソヤから解放する、そうマドカは堅く誓う。


(待ってて、ネネコちゃん。必ず助けて……)


「じゃあ、また死にましょうか」


 イソヤがそう言うと、枯れ枝が折れるような音が聞こえてきた。

 聞こえてきた場所は、イソヤの手の中。

 ネネコの体がある、手の中。


「ぎっ……ごぴゅっ」


 ネネコの口から赤い液体が漏れた。

 目からも、鼻からも、耳からも、赤い液体が、漏れていく。


「……え?」


 マドカの困惑を置き去りにして、イソヤはネネコの首をちぎり取った。

 

 左手で、ネネコの体を掴み、右手の親指と人差し指で、首を掴んで、ブチリ、と。

 三十円くらいで売られている、駄菓子屋のジュースを開けるかのように。

 鼻歌交じりで、少し陽気に、簡単に、イソヤは、ネネコを殺した。


「……ネネコちゃん!」


 思わず、マドカが、叫ぶ。

 大きな声で、驚愕と共に。


「……そんな所にいたんすか」


 その声は、グレスの魔法を越えて、イソヤの元に届く。

 イソヤが、マドカの姿を、視界に捉えた。

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