第175話 マドカが消えた

 セイは、その瞬間を見ていた。

 マドカが消えた瞬間。

 ごめんなさい、とつぶやいて、ネネコは手で顔を覆っていた。


 ネネコが、何をしたのか、分からない。

 しかし、マドカの姿が消えた原因は、ネネコにある。

 それは確かだと思い、セイはとっさにネネコに近づこうとした。


「……常春さん! 下がって!」


 しかし、先ほど呼んだシンジが、セイに向かってそう指示を出す。

 若干、前のめりになりながらも、シンジの指示が聞こえたセイは、後ろに飛んだ。

 飛んだ瞬間、セイが向かおうとした先、セイとネネコの間に、氷で出来た壁が現れる。

 シンジが壁に蒼鹿を突き刺し、作った氷壁だ。


「……何をした?」


 氷の向こう側で、シンジが、顔を覆っているネネコに向かって聞いていた。

 その、ネネコの周りが凍り付いていく。

 シンジが凍らせているようだ。

 その氷は、脅しの意味もあったのだろうがそれ以上に、シンジの警戒の意味もあったのだろう。

 だが、そんなシンジの脅しと警戒を、ネネコは顔を覆ったまま、見もせずに言う。


「……病院。病院に来てください。そこに百合野さんはいます」


 ネネコの声が、どんどん大きくなる。

 それに合わせて、感情も、大きく。


「お願い……します! 助けてください! 今、百合野さんは……」


 最後に、大きな声で何かを叫ぼうとしたネネコが、消える。

 凍り付いた床には、マドカの装備だけが残っていた。


「……ちっ。今度は転移、か」


 完全に、ネネコが消えてしまった事を確認して、シンジが蒼鹿を壁から抜き、作っていた氷の壁を溶かす。


「……常春さんは、そのままそこにいて」


「わ、わかりました」


 シンジが、床に落ちているマドカの装備を見ながら、近づいてくる。


「……残っているのは、百合野さんの装備だけ、か。常春さんは大丈夫? 何か無くなっていたり、怪我とかしてない?」


「はい。大丈夫です……申し訳ありません。まさか、こんな事になるなんて」


「いや、いいよ。俺も警戒していたけど、すぐに反応出来なかったし」


「はぁ……え? 警戒していたって」


「あの子が何かしてくるな、とは思っていましたからね」


 シンジの後に続いて歩いてきたユリナが、セイの疑問に答える。


「思っていたって……」


「言っていたんですけどね、先輩も、私も。あんな子が一人で、こんな暗い時間に、魔物が闊歩する世界を歩いてきたという意味を考えろ、と」


 ユリナは、セイを見ていなかった。

 セイを見ずに、床に落ちている装備を見ている。

 おそらく、今、ユリナは今ここにはいない誰かに向かって言っているのだろう。

 ユリナの頬は引きつっていて、明らかに、怒っていた。


「……まぁ、しょうがないよ。好きな人の妹が、あんな状態で来たんだし、こっちも、ちゃんと伝えることが出来ていたら……それに、あの子の事、百合野さんに任せていた部分はあったし」


 本当ならば、家に帰ってから、ネネコがいない所で話す予定ではあった。

 しかし、ネネコの行動がシンジの予想以上に早かったのだ。

 仕掛けてくるなら皆が寝静まった夜などにすると思っていたが、まさか、こんな通路で、こんなタイミングで仕掛けてくるとは思わなかった。


「それは理由にならないですよ。理由にしたらダメです。まったく……だいたい、普通の人なら、私たちが言わなくても気づくんです。気づいて、それなりに警戒するんです。それなのに、あの子は……」


「……普通」


 ネネコを警戒するなど、これっぽっちも考えていなかったセイは、ユリナから目をそらす。

 このまま、気づかれないようにしたほうがいいと、セイは思った。


「まぁ、常春さんも分かっていなかったようですけどね」


「ううっ!?」


 だが、すぐに、ユリナに言われてしまう。

 先ほど、疑問を提示してしまったのだ。

 今更、取り繕っても、手遅れなのは当たり前である。


「ご、ごめんなさい」


 セイが、弱々しくユリナと、それにシンジに向かって頭を下げる。


「いや、しょうがないよ。常春さんも、シ……あの男の妹が来たんだから。それより、ここで何があったか、ちょっと考えようか」


 シンジはしゃがみ込んで、落ちている装備品を慎重に手に取っていく。


「あ、あの、百合野さんを助けにいかなくて、いいんですか?」


 一見、悠長にも思えたシンジの行動に、セイが聞く。


「助けに行くよ。でも、慌てて行っても、良くないからさ。色々残っているんだし、何をされたかある程度は知っておかないと」


「……普通に、転移したのでは? 確かそのような罠があると聞きましたが」


 ユリナの問いに、シンジは首を振る。


「いや……最後、ネネコちゃんが消えたのは転移だと思うけど、その前、百合野さんが消えたのは、たぶん違う」


「どうして?」


「理由はいくつかあるけど……まず、普通の転移なら、装備とか身につけたモノは一緒に消えるはずなんだ。でも、百合野さんは身につけたモノを残して、消えた。それに、転移なら発動前に俺は気づける。空間に関係するからか分からないけど、転移の罠は独特の気配があるからね」


 以前、カズタカとこのマンションで戦った時、シンジは転移の罠を関知して見破ってる。

 もし、ネネコがそのような罠、もしくは魔法を使おうとしたら、シンジは即座に反応して対処しただろう。

 実際、最後にネネコが消えたとき、転移すると分かっていた。


 分かっていたが……近づく事が出来なかった。

 セイの前に氷壁を作ったのもそうだが、なんとなく、あのときのネネコに近づいてはダメだと、判断したのだ。


「……例えば、彼女が、アイテムボックスに入れて転移の罠をギリギリまで隠していたとか……」


「うーん、それも無い、かな。治療中とか、百合野さんにネネコちゃんを運んでもらったときに、観察したけど、何かを持っている様子は無かったし。iGODもね。そもそも、レベルを上げていないんじゃないかな。そんな身体能力じゃなかったよ。でも、何かを隠していたのは確かなんだよな……」


 相手がiGODをどこに持っているか、というのはとても重要な情報だとシンジはこれまでの経験で学んでいる。


 なので、相手が誰であれ、隠し持っているモノはないかまず探るようにしているのだ。

 そして、探った結果、ネネコは何も持っていなかった、というのが、シンジの結論である。

 しかし、だからこそ、シンジはよりネネコを警戒したのだ。

 ネネコが、何かを隠しているのは、分かっていた事だから。


「……ネネコちゃんが、何も持っていない事は、確か。たぶん、魔法とかも出来ない。レベルを上げていない。でも、百合野さんを、消した……どうやって……」


 ぶつぶつとつぶやきながら、シンジは、ネネコが立っていた場所を見る。


 そんなシンジを邪魔してはいけないと思いつつ、セイは隣にいたユリナに話しかける。

 まだ、色々聞きたい事はあるのだ。


「……駅に入るとき、百合野さんを前に行かせたのって……」


「後ろから、よく観察するためでしょう。正面からあまりジロジロみていたら警戒されるでしょうし。普段先輩は前に立つのに、そのような事をするということは、何かあると思っていいのですが……」


 ユリナが、大きく息を吐く。

 どうやら、本当に、色々気づかなくてはいけないことがあったと、セイは改めて理解した。

 いくら、シシトの事があったとはいえ……反省しなくてはいけないようだ。

 ぶつぶつとつぶやいていたシンジは、斧や槍から手を離し、マドカの制服を手に取った。


「……凍らせたのはマズかったかな。冷たくなっている。でも、百合野さんが着ていたモノに間違いなさそう、か。ネネコちゃんの服はなくて、百合野さんの制服があるということは、やっぱり二人は違う……お?」


 手に持ったマドカの制服から、何かが落ちる。

 それは、白くて、若干、光沢が入っている布で出来ており、横にうっすらと青色の線が入っていた。

 上部の方に、品の良いフリルが、少しだけあしらわれているのが、持ち主の可愛らしさを表しているようで、非常に好感が持てる。


 シンジは、そのマドカの制服から落ちた布を拾い上げる。


 つまり、シンジが拾った、マドカの制服から落ちてきたモノは……


「ひゃっほー! パンツだぁ!!」


「何をしているんですか、あなたは!!」


 パシン、と、ユリナがシンジの頭を叩く。


「いてぇ! 何をするんだ!」


「何をしているか聞いているのは、私の方です。まったく、ぶつぶつと真剣にあの子の能力を考察しているかと思ったら……マドカのパンツを考察する暇があるなら、さっさと助けに行きますよ。早く行くことに越したことはないでしょうから」


「はいはい」


 シンジは、ポケットに手を突っ込みながら、立ち上がる。


「……そのポケットに入れたモノを出しなさい」


 ユリナが、シンジに手を広げる。


「……これか」


 シンジはユリナに、ポケットに入っていた回復薬を差し出した。


「違います。コレ以上ふざけていると、本気で怒りますよ」


 ユリナの言葉に、シンジは、実に辛そうに、惜しむように、目を閉じてゆっくりと、先ほどとは反対側の手をポケットから抜き出し、ユリナの手の上で止める。

 そして、ゆっくりと広げて、パンツを、マドカのパンツを、手放した。


「……チクショウ!」


「いや、マジで悔しそうな顔は止めてください。ちょっと私の先輩に対する評価が、おかしくなりそうです」


 ユリナは、額に手を当てる。


「まぁ、でも、先輩はそんな人だよ。そういえば」


 アハハ、と気まずそうに、セイが笑う。


「そんな人って……セイは似たような場面に遭遇したことがあるのですか?」


「うん、何度か。でも、ユリナさんも、あるでしょう?」


「……ある、といえばありますけど……ここまでのはなかったような……まぁ、それはいいです。それより、セイ」


「何?」


「貴方、そうでしたか?」


「……? 何が?」


「以前、先輩の似たような場面に遭遇したとき、先ほどのように、黙って見て、笑いましたか? それより前、初めて遭遇したときは?」


 ユリナに問われ、セイは少し考える。

 先ほどのやりとりをセイが似ている、と思ったのは、シンジがマドカ達を学校から連れて行くとき、iGODのカメラでマドカ達を下から撮影しながらアイテムボックスに入れていた時の事だ。


 そのときは、どうであったか。


 初めて遭遇した、というか、シンジがそのような人物であるとセイが認識したのは、おそらく、ミチヤマから助けてもらい、シンジが拠点にしていた学校の五階にあるカフェに入った時だろう。


 そのときはどうであったか。


 さきほどの、ユリナとシンジのやりとりを見終わって、セイが笑えてたのは、ユリナのシンジに対する評価が下がりそうだと思い、素直に安心したからなのだが……



「ちょっとお二人さん。そろそろいいかな?」


 シンジが、掌を打つ。


「そろそろ出発しようか。もう粗方調べたし」


「そうですか。それで、何か分かりましたか?」


 出発すると聞いて、ユリナは先ほどシンジから回収したマドカのパンツを含め、マドカの制服や武器などをアイテムボックスに収納していく。


「まぁ、予想ではあるけどね。ちょっと勘違いしていたみたいだ、たぶん」


「勘違い、ですか?」


 セイが、首を傾げる。


「うん、まぁ、それは向かいながら話すよ。予想も含めてね。対策は上手くいったようだけど、俺の予想通りなら、そんなに長い間、持つか分からないし」


「え? 対策って?」


 セイが言った瞬間、シンジとマドカの装備を収納し終えたユリナが、セイを見る。

 その顔は、『マジで?』と言っていた。


「……気づいていないの? 百合野さんや水橋さんは分かるけど、常春さんが?」


「いや、私は気づきましたし。姿がないな、と思ったので。でも……」


「え? え?」


 先ほどの、ネネコに対する警戒の話の時よりも、訳が分からない。

 困惑しているシンジとユリナに、セイの動揺も大きくなる。


「……まぁ、それも行きながら話すよ」


「もう、一週間ですよ」


「なに? なんなの?」


 よく分かっていないセイを連れたまま、シンジ達はマドカの元へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る