第174話 ネネコが泣く

「……そうか」

 と、小さく、まるで傷を付けないかのように優しくシンジは言う。

 駅にネネコを連れてきた後、近くにあったイス(駅などによくある、イスにも使えそうなオブジェ、と言う方が正しいかもしれない、モノ)に腰をかけて、シンジ達はネネコに何があったのか、話を聞くことにした。


 いきなり、見ず知らずの……しかも、男性の家に連れて行かれるよりも、駅の方が安心出来るだろうという目論見であったが……それは正解だったようで、ネネコは、シンジ達に自分の身に起きた事を話してくれた。


 もちろん、言葉に出来ないような事は、言い換えて、言いたくない事は、飲み込んで、言えないことは、誤魔化して、ではあったが、それでも、ネネコは、出ない声を何とか出して、教えてくれた。


 その教えてくれた事は、おおむね、シンジ達がネネコの有様を見たときに予想したのと同じであった。


 簡単にまとめると、ネネコは、ここ数週間、複数の男性に監禁され、暴行を受けていた。

 もっとも、実際の被害を受けたネネコにしてみれば、それは簡単にまとまるような、出来事では無かっただろうが。


「……それで、男達の隙を見て、逃げ出したわけか」


「はい……そうです」


 ネネコは、座っていた、イスに使えるオブジェのようなモノから下りて、そのまま、床に正座した。


 そして、頭を下げた。

 ゴンと、音がなるくらい、勢いよく。


「ネネコちゃん!?」


 マドカが、そのネネコの行動に声を上げる。


「……お願いします!」


 ネネコの発したその声は、今までで一番大きかった。


「……まだ、あそこには、友達がいるんです。お願いします。助けてください」


 お願いします。と、最後にもう一度言って、ネネコは泣き始めた。

 顔は、地面に付けているため見えないが、泣いている声は、聞こえる。

 自分の身に起きた出来事を話している間は、涙を一切見せなかったのに。


「……分かった」


 その姿を見て、シンジはうなづく。


「……いいんですか?」


 確認してきたのは、ユリナだ。


「ああ。女の子にここまでお願いされるとね……それに、俺が蒔いた種もあるみたいだし」


 シンジは、立ち上がる。


「確認だけど、監禁した男の中に、カズタカ、って名前の、太った男がいたんだよね?」


 シンジの質問に、ネネコは、頭を付けたまま、縦に動かす。

 少しわかりにくいが、かすかに動いた頭の動きから、肯定しているようだ。


「やっぱり、カズタカって、あの……」


 セイが、不快な顔を見せる。


「ああ、たぶん、あのカズタカの事、なんだろうな」


 二週間ほど前、マンションの所有を巡って、争った男、カズタカ。


 シンジにズタボロにされて、少ないポイントとわずか装備で追い出された彼であったが、どうやらその男が、ネネコを監禁し、暴行を、行ったようだ。


「その、監禁された場所って、線路沿いにある病院、なんだよね?」


 シンジの確認に、ネネコはまた頭をかすかに動かす。


「じゃあ、福陽会病院かな。距離は、今日行った集落と同じくらいだから、歩いて一時間か二時間くらいか……分かった。じゃあ、帰ろう」


 シンジは、背伸びをする。


「……え?」


 その言葉に、ネネコは頭を上げてシンジを見た。


「今は暗いし、こんな時間に出歩くのは危ないからね。今日は一度寝て、明日、しっかり準備して行こうか」


 シンジはスタスタと家の方、駅とマンションをつなぐ地下通路の方に向かって歩き始めた。


「え……その……!」


 シンジの背中に、ネネコはかすれた声を、弱々しくぶつける。


「……どうしたの?」


 シンジは立ち止まり、ネネコの方を向く。


「あの、えっと……」


 キョロキョロと目線を動かし、マドカを見て、それから、ネネコはシンジに言った。


「その、今、友達が、悪い人に、捕まっています」


「うん」


「でも、だから……」


 ネネコの言葉が、そこで詰まる。


「さっきも言ったけど、夜中に出歩くのは危ないんだよ。どうしても必要な時以外、俺は夜中に出歩かない」


「でも、友達が……!」


「友達のために、俺たちに危険な事をしろ、って? 俺はまだしも、百合野さんや、常春さん、水橋さんたちにも、夜中に出歩いて、なおかつ、女の子たちに乱暴するような奴らがいるところに行けというのは、俺は了承しない。たとえ、君たちを傷つけた男が、俺が逃がした奴でも、だ」


 はっきりと、強い口調で、シンジは言う。

 そのシンジの口調に、驚いたのか、ネネコはビクリと震えた後、口を振るわせて、言葉を漏らす。


「じ……じゃあ」


「……じゃあ?」


 ネネコは、一度唾を飲み込んで、目を強く閉じ、言った。


「あなただけで、行ってくれませんか? 百合野さんたちは、ここに……」


「それこそ却下だ。相手が本当にカズタカだったら、俺が居ない時にもしこのマンションに潜入されて、百合野さんたちだけいたら、ヒドい事になる。君たちがあったような、ヒドい事に」


 シンジの返答を聞き、ネネコはうつむいて、黙ってしまう。


「と、いうわけで帰ろう。明日、明るくなってから、ちゃんと準備をして、お友達たちを助けに行こう」


 シンジは、ふたたびマンションへと続く地下通路へ向けて歩き始めた。

 ユリナも立ち上がり、シンジに並ぶように歩き始める。

 ネネコは、地面にひざまついたまま、うつむき、動こうとしない。

 その、まだ小学生の、小さくて細いネネコの背中を見て、マドカは、我慢が出来ずに声を出した。


「あの!」


 立ち上がって、先に歩いていた二人、シンジとユリナに向かって、マドカは言う。


「その、今から、ネネコちゃんのお友達を、助けに行ってもらえませんか? お願いします!」


 マドカが、頭を下げる。


「……ダメだ」


 その願いを、シンジは振り返って、すぐに拒否する。


「ど、どうしてですか? 夜中に出歩くのは危ないって、私たちは……」


「マドカ」


 ユリナが、冷めた声で言う。


「先輩がおっしゃったでしょう。もう外は暗い、と。この付近ならまだしも、別の集落の病院なんて、いけるわけないじゃないですか」


「いや、でも私たち、この前……」


「マドカ」


 ユリナが、再び冷めた声を出す。

 それは、先ほどよりも、冷たくて、はっきりと、堅い声だった。


「先輩がおっしゃっているんです。従ってください。落ち着いて考えれば、分かるでしょう?」


 もう会話は終わったとばかりに、ユリナはシンジと共に歩き始める。


「ゆ……百合野さん……」


「……ゴメン、ネネコちゃん」


 ユリナの、その冷たさに、マドカは何も言い返せなくて、奥歯を噛みしめていた。




 それから、マンションへと続く地下通路をシンジ達は歩き始めた。

 シンジ達が前。

 中にマドカとネネコ。

 そして、最後に、セイ。


 殿をセイが担当するのは、もはや決まり事になっていて、たとえ魔物が出てこない地下通路でも、自然とそんな隊列になっていた。


 もちろん、セイとしては、なるべくシンジの近く、シンジの隣にいたいという気持ちはあるのだが……それこそ、今シンジの隣にいるユリナと取って代わりたいという気持ちはあるのだが、それよりも、今、セイは、この場所に満足していた。


 満足、というか、安心……いや、安定、に近い感情なのかもしれない。


 シンジから距離を取りたいほど、シンジに近づいて感情を乱したくないほどに、今のセイの感情が乱れ、グラついていた。


 その原因は、はっきりしている。

 ネネコだ。


 セイたちが逃がした男に汚され、傷つけられた、少女。


 セイを傷つけ、殺した男の、妹。


 そんな彼女を前にして、セイは、もう、ずっと、混乱していた。


 哀れみと、怒りと、その他、何か言葉に出来ないような無数の感情が、混ざり、乱れ、セイを無言にして、シンジから遠ざけている。


 セイは、ネネコを見てみた。

 ネネコは、マドカの肩を借りて、力なく歩いている。

 もう、体力は、シンジに治してもらっているはずだ。

 なのに、まだ歩くのが大変そうなのは、気力、の問題なのだろう。

 それほどまでに、ネネコは辛い目にあったという事だ。

 平均的な身長よりも、若干低いマドカより、まだ低いネネコが、そのような目にあったのだ。

 小学生の、幼い、少女が。

 そんな、ネネコを見て、不謹慎かもしれないが、セイは一つ安心した事があった。

 それは、ネネコに対する様々な感情の中で、一つだけ存在しないモノを、確認出来たからだ。


 それは、優越感。

 男に汚され、傷つけられたネネコに対する、『ざまあみろ』という、感情。


 それだけは、どう考えても、セイの中に生まれていない。


(……そんな事で、安心しちゃダメなんだろうけど)


 セイは、ネネコから目線を外して、上を向く。


(だって、当たり前だし。ネネコちゃんは、ネネコちゃんで、あの男とは別人。血はつながっているかもしれないけど、他人なんだし)


 そう考えてくると、怒り、や、それに似た感情も、セイの中で薄れていく。


(……うん。もう、大丈夫。やっと、落ち着いて来た)


 薄れた事で、乱れたセイの感情が、収まっていく。


(……助けよう。ネネコちゃんのお友達……あの男の名前を出されると、またなりそうだけど)


 一瞬、よぎりかけたシシトの事を振り払い、セイは目線を戻す。


 もしかしたら、今までずっと睨んでいたかもしれない。

 微笑みかける、のは無理かもしれないが、普通に接そう。

 そんな事を考えて、セイはネネコの方を見たのだ、が。


「……なさい」


「え?」


 聞き取れない、小さな声がネネコから聞こえる。

 そして、その瞬間。


 ネネコの隣にいたマドカの体が、消えた。

 忽然と、何の前触れも無く。

 マドカの体だけが消えて、マドカが着ていた制服と、槍などの装備の一式が、床に落ちて音を立てる。


「……先輩!」


 セイが、とっさにシンジを呼ぶ。


「……ごめんなさい」


 床に落ちたマドカの制服の横で、ネネコは顔を両手で覆い、泣いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る