第173話 マドカがネネコと話す

(……シシトくん、か)


 ユリナの話を聞き、シンジはマドカとセイの様子に合点がいった。

 マドカの驚きも、セイの難しさも、当然の反応だろう。

 特に、マドカは好きな人の妹に似ている人物が外にいたら、焦りたくもなるわけである。


「……どっちにしても、行こうか。あのまま、あの子を放置するわけには行かないし」


 ネネコ、という少女もシンジ達に気づいたのだろう。

 こちらを見たまま、足を止めている。

 その体は、ガクガクと震えて、今にも崩れてしまいそうだ。


「……先輩。歩きながら、簡単にあの子の情報を」


 ユリナが、こっそりとシンジに言う。


「あの子。駕篭猫々子は、小学校五年生。ネネコ、というアイドルの名前は、聞いた事がありませんか?」


「あー……あんまりアイドルとか詳しくないけど、名前なら。歌がめちゃくちゃ上手い子、だっけ? 前、テレビで特集とかやっていたの、チラリと見たことがあるよ」


 シンジの記憶が確かならば、グループでだが、発売したCDがランキングチャートの一位になった事もあるはずだ。


 歌唱力と容姿がそろった、トップクラスのアイドル。

 それが、ネネコ。


「そうです。そのネネコが、彼女です」


 言われて、シンジはもう一度ネネコを見てみる。

 そう言われれば、確かに、どことなくテレビで見たアイドルに、似ているような気がする。

 ただ、そのアイドルの時のネネコと、現在のネネコは、遠目から見ても違う。


 美しさも、可憐さも、清らかさも、全てが違う。

 全てだ。

 衣服も、体も、そして、おそらく心も。

 汚されている。


「なるほどね……けど、妹がトップクラスのアイドルとか、シシトくんって奴は、本当にラブコメの化身みたいだな。あの子とシシトくんは、血はつながっているの?」


 アイドルの妹は義妹。

 なんて、シシトならありそうだと、冗談混じりにシンジは聞く。


「いえ、流石にそこまででは無いみたいです。でも、ネネコちゃんは、否定しますが、彼の事が大好きな様でしたよ。よく、二人で一緒に眠るみたいですし」


 実の妹に好かれ、一緒に眠る兄貴。

 それはそれで、お腹がいっぱいになりそうな話だとシンジが辟易していると、ユリナも同じな様で、片目を閉じている。


「……それと、追加の情報です」


「……まだあるの?」


「ええ。あの子は、私たちの後輩です。見てのとおり」


 ネネコが着ている制服……マドカ達の卒業アルバムで見た、雲鐘学院初等部の制服を指しながら、ユリナは言う。


「……そうか。分かった。ありがとう」


 その情報をシンジは受け取り、そこで会話を切った。


 もう、ネネコはすぐそこである。


 ネネコは近づいてきたシンジとユリナ……特に、シンジの方を見て、自分の両腕をクロスさせ、その身を掴んだ。

 そして、じりじりと、後ずさりを始める。

 それは、どう見ても、警戒していた。


「……うーん」


 そんなネネコに対して、シンジはどう声をかけたらいいか、迷ってしまい、立ち止まった。


 その間に、シンジたちに少し遅れて、マドカと、セイもやってきた。


「……百合野さん? 常春さんに、確か、水橋さんも……」


 マドカを見て、それから、どうやらネネコは他の二人にも気づいたようで、後ずさりを止め、か細い、かすれた声で、三人の名前をつぶやいた。


 その時のネネコの声は、あのアイドルとして歌っている時の美声とはかけ離れたモノで、それが、彼女が遭遇したであろう出来事の悲惨さを、伝えている。


「ネネコちゃん……」


 まるで、隙間から吹く寒風のようなネネコのかすれた声に、マドカは泣きそうになっていた。


「まずは、とにかく、治療をしようか」


 そんなマドカを一瞥した後、シンジが、一歩ネネコに近づく。


「ヒッ!」


 すると、ネネコは体をびくりと動かし、後ろに下がった。

 それは、予想された反応である。

 ネネコがされた事を考えると、反射的にそのような行動をしても、仕方ないだろう。


「……大丈夫。何もしないから」


 両の掌を見せて、敵意がない事を見せながら、そんなお決まりな言葉をかけるシンジ。

 迷ったが、とりあえず、ありふれた言葉がわかりやすいだろうという判断だ。

 それは、そのとおりだったようで、ネネコはシンジをにらむように見ながら、口を開く。


「あ……あなたは?」


「百合野さん達の友達。とりあえず、逃げないで、こっちに来てくれるかな? 怪我しているんでしょ? 治療してあげるから」


 シンジの言葉を聞いて、ネネコは、今度はマドカを見た。


 どうやら、ネネコにとっても、マドカは特別のようだ。

 明らかに、セイやユリナと比べて、信頼している。

 マドカが、うなづくのを見て、ネネコはゆっくりとシンジに近づいてくる。

 警戒を、少し解いたようだ。

 シンジは近づいてくるネネコを観察する。


 頭からつま先まで。

 状態を、状況を、しっかりと、確認する。


「少し、触るから、我慢してね」


 手で触れる距離まで近づいたネネコに、シンジはなるべく穏やかな声で言う。

ネネコがうなづくのを待って、シンジは慎重に、ゆっくりと、ネネコの肩に手を置いた。


 そのとき、少しだけネネコがぴくりと反応したが、それだけだった。

 そのことにシンジは少しだけ緊張を解き、ネネコに魔法をかけた。

 怪我を治す回復魔法と、汚れを落とす、洗浄の魔法。

 それらをかけながら、シンジは、ネネコの顔をよく見た。


 年齢の割には、聡明で、大人びた雰囲気のある顔だが、そこに、年齢相当の、可愛らしい幼い印象が残っている。

 ただ、残っているのはそれだけで、ネネコからはテレビで見せていたアイドルらしい、小学生らしい、天真爛漫とも言うべき明るさといえるモノは、全て無くなっていた。

 今のネネコからは、泥沼の底にあるヘドロのような暗さがあふれている。


「……治ったよ」


 こういった被害を受けた女性を治すのは初めてではないが、慣れるモノではないな、とヘドロに似た胸くそ悪さを感じながら、シンジは言う。

 そのヘドロは、おそらく、ネネコから感染したのだろう。


 それは、とてもヒドい事だ。


「……あ、ありがとう、ございます」


 全身、髪の毛から制服まで、あらゆる汚れと傷が綺麗に無くなったのをみて、ネネコは力なく座り込んだ。


「大丈夫? ネネコちゃん」


 すぐに、マドカが駆け寄って、ネネコの背中を支える。

 それを、シンジは何も言わずに見ていた。


「す、すぐに中に入れましょう。体も冷えているし、急いで……」


「そうだね。中に入ろうか」


 シンジは、マドカに寄り添っているネネコを見ながら、言う。


「……駅から行こうか。そっちの方が近いし。百合野さんは、そのままその子を連れていって、俺は後ろにいるから」


 そう言って、シンジはマドカに道を譲るように移動した。


「……あ、あの?」


「……ネネコちゃんは、先輩を怖がっているようです。なので、マドカが連れていってあげてください。その子程度なら、背負って歩けるでしょう」


 マドカの背後から、ユリナが言う。

 それは、男性で、この中で一番力があるシンジが、ネネコを運ばない事に対する説明をしたモノだったのだろう。

 だが、それでも、マドカは、何となく釈然としなかった。

 何か、違和感がある。


「それとも、セイに運ばせますか?」


「……いや、私が運ぶ」


 ユリナに言われ、マドカは、すぐにその違和感について考えるのをやめた。

 セイは、マドカ達から少し離れた所で、せわしなく、オロオロとしていた。

 分からないのだろう。

 ネネコに対して、どのように接したらいいのか。

 自分を殺した男の妹に対して、どのような態度を取ればいいか。


 ネネコが、ひどく傷ついた状態でこちらにやってきたのも、セイのオロオロに拍車をかけている。


 そんなセイに、ネネコを運ばせるわけにはいかない。


 ネネコのためにも、セイのためにも。


「では、任せましたよ」


 ユリナは、そう告げると、シンジの横に移動した。

 まるで、そこが定位置であるかのように。

 そのユリナの姿をじっと見た後、マドカは目線をネネコに移し、微笑む。


「……じゃあ、行こうか。ネネコちゃん。つかまっていてね」


「あ、あの、自分で歩けるから……」


 か細く、弱い声で、ネネコは言う。

 回復魔法で全身隅々まで治っているはずだが……声を出す、というのは精神的な意味合いも強い。

 はっきりと言葉を出すのは、まだネネコには辛いことなのだろう。


「大丈夫大丈夫。しっかりつかまっていてね。私ね、強くなったんだよ」


「……え?」


「だから、大丈夫!」


 マドカは、微笑みを笑顔に変えて、言った。


 笑顔も、言っていた言葉も、ネネコを安心させるために言った言葉だとマドカは思っていたが……何となく、それは自分の為でもあるではないかと、マドカは感じていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る