第172話 女子小学生が来た


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」


 ユリナと、マドカが、膝に手を付いている。

 彼女達の背中は大きく動き、その動きを見るだけで、どれだけ彼女たちが酸素を欲しているか、分かることが出来た。


「おーい。どうした? 早く行こうぜ! あの地平線の彼方まで!」


「ぜぇ……ぜぇ……」


 そんなユリナとマドカの前方に、やけにキラキラとした表情で、訳の分からない事を言っている男、シンジがいる。

 先ほどまで『中二病患者』と告げられた時の落ち込みっぷりが、嘘のようなテンションの上がり方である。

 よっぽど、新しい職業の能力を試したいのだろう。

 テンションの上がりすぎたシンジの歩くペースは、通常時の三倍はあった。

 マンションから直線距離で数キロの地点の移動とはいえ、そんなシンジについて行くのは、いろいろな意味でまだユリナ達には早かったのだ。

 あと、もう少しでマンションという所で、ユリナ達は動けなくなっている。


「まったく。しょうがないな。どうする? 元気が出るように、歌でも歌おうか? それとも、栄養薬でも飲む?」


「栄養薬は一本100Pもするんですよね? そんなの、もったいないでしょう。とにかく、うるさいので、黙っていてください。すぐに呼吸を整えるので」


 荒く息を吐きながら、ユリナはシンジをにらみつける。

 だが、シンジはそんなユリナのにらみを一切見ずに、周囲を軽くステップを踏みながら歩いていた。

 じっとしていられないのだろう。


「……可愛い」


 ぽつりと、ユリナ達の背後からそんな声が聞こえた。

 言ったのは、もちろんセイである。


 殿としてユリナ達の背後を歩いていたセイは、軽く汗が出る程度には疲れていたがユリナ達ほどの消耗は無く、その疲れも今のシンジの様子を見て吹き飛んでしまっている様子である。

 ニコニコしながら、シンジの様子を見ている。


「……ちっ。なんだかイラつきますね。マドカ。早く帰りますよ。なんだか、熱いお風呂に入りたい気分です」


「ま、まって、もうちょっと……」


 息も絶え絶えな様子で、マドカが返事をする。


 それから、十数分後。


 シンジ達は無事にマンションに到着した。


 マンションの留守は基本的に人形達に任せており、今日も異常がない事を確認したシンジ達は、マンションに入り夕食まで各々自由時間を過ごすことにした。

 ユリナとマドカは宣言通り真っ先にお風呂に入り、セイは食事の準備。

 シンジは、トレーニング施設で、『中二病患者』の能力を試した。



 そして、夜の七時を過ぎ、皆で集まって夕食を食べた終えたシンジ達は、リビングにいた。


「……それで、どうでした?『中二病患者』の能力は?」


 この質問を切り出したのは、もちろん、ユリナである。


「ああ。思ったとおり、使えるモノは、『自宅警備士』と一緒。生物以外のモノ全般。武器はもちろん素材まで、体内に取り込めたよ」


「素材……でも、確か、取り込めるのは先輩がカッコいいと思ったモノだけじゃなかったでしたっけ?」


 マドカが、疑問を提示する。

 ちなみに、セイは食事の後かたづけをしていた。


「ああ。でも、ほとんどのモノは何かしらカッコいいところがあるからな。そう思えば、大抵のモノに使えたよ」


「そうなんですか……?」


 シンジの言っている事に、いまいち共感できず、マドカは眉を寄せる。

 一方。

 シンジは、ずっとニコニコとした表情を浮かべながら話しており、上機嫌だ。

 能力を試したのが、とても楽しかったのだろう。


「大抵のモノに使えた、ですか。しかし、そうなるといよいよチートですね。『中二病患者』のくせに」


 最後の所を嫌みをたっぷり含んで、ユリナが言う。


 帰ってくる時の恨みを、忘れているわけではないのだ。

 だが、シンジはそんなユリナの嫌みにもニコニコ笑顔を崩さない。


「そうだよな……いやぁ、面白そうな能力で良かったよ。紅馬と蒼鹿を取り込んだらさ……」


 名前で傷ついていたことなど、無かったかのように、シンジは『中二病患者』の能力について語っていく。


「……ちっ。イジるポイントが減ってしまいましたね」


「本気で悔しそうな顔をするのはやめなよ、ユリちゃん」


 ぽつりとこぼすように言ったユリナを、マドカが窘める。

 イジりたい、というユリナの気持ちは、決して嫌っているからという思いからではないだろうが、それでも性格が良いとはいえない。


「あとは、回復薬とかの消耗品だな。試しに取り込んでみたら……ん?」


 上機嫌で話していたシンジの動きが止まる。


「……どうしました?」


「いや、何か、こっちに来ているっぽい」


「え?」


 シンジは、iGODを取り出す。


「……また死鬼ですか?」


 実の所、この明野ヴィレッジに向かってくる魔物はそこそこいて、その全てがシンジに知らされる訳ではない。

 ユリナ達が生き返った頃は魔物などが近づいて来たら細かく報告されていたが、今ではドラゴンのような人形達の氷の矢では対処できない魔物か、人の死鬼に限定されている。


 まぁ、ドラゴンのような強力な魔物は珍しいらしく、今のところドラゴンが襲ってきたという報告は、あのオレンジ色のドラゴン以外に報告がないので、その報告のほどんどは人の死鬼が来たというモノになっているのだが。

 人の死鬼を報告させている理由は、イケメンや女性、子供の死鬼は殺さないと決めているから、という事と、もしも生きている人間が来た時、誤って殺してしまうことを防ぐためである。


「……」


「……どうしました? もしかして、イケメンですか? その死鬼」


 興味なさげにお茶菓子をつまむユリナ。

 ちなみに、このユリナの様子を見ても分かるとおり、今まで来た死鬼の中に、ユリナのお眼鏡にかなう者はいなかった。

 シンジなどが見たらカッコいいと思えるような男性の死鬼でも、ユリナは見た瞬間、斬り捨ててしまうのだ。


 理由を聞くと、

「タイプではないので」

 とだけ返すあたり、中々、ユリナの言うイケメンはハードルが高いようだ。


「……」


「……本当にどうされました?」


 シンジが、返事をしない。

 そんなシンジを見てユリナはお茶菓子をつまむのをやめる。


「ああ、いや。イケメンじゃないけど……というか男じゃない」


「……え?」


「本当ですか?」


 女性の死鬼。

 それは、なぜか今の世界でとても珍しい来訪者。

 だが、シンジが口にしたのは、それよりも、かなり珍しい来訪者だった。


「それどころか……たぶん、死鬼でもない。生きている人だ。女の子だ」


 シンジの言葉を聞いて、ユリナとマドカはすぐにシンジのiGODを見る。


 そこに表示されている監視カメラの映像には、確かに、人が歩いている姿が映し出されていた。

 場所は、ちょうどドラッグストアがある位置だ。

 表情までは見ることができないが、服装は確認できる。スカートだ。

 背格好から、小学生くらいのようである。

 女装趣味でもなければ、女の子だろう。

 髪型ははっきりと分からないが、髪の毛はかなり長い。


 その子は、疲れているのか、ふらふらと歩いていて、ときおり、膝に手をついて、それから歩き出すという動作を繰り返している。


 ふらふらと歩くだけなら死鬼のようだが、膝に手を付くなど、死者である死鬼は絶対にしない動きだ。


 死者は、死鬼は、疲れない。


「……すぐに行かないと!」


 マドカが、慌てた様子で立ち上がる。


「……ちょっとまった!」


 それを、シンジはすぐに手で制した。


「……どうしてですか? あんな小さな子が、外にいるんです。早く行かないと……」


「あんな子がいるから、準備しないと。しっかり。何が起きるか分からないから」


 シンジは、ゆっくり立ち上がる。


「とりあえず装備を整えてから行こう。冷静に。落ち着いて。常春さんも、いい?」


 食事後の片付けを終えて、こちらを見ていたセイにも、シンジは告げる。


 そして、それから、五分ほどして、シンジ達はマンションの入り口に来ていた。

 ちゃんと制服に着替え、武器などの装備も身につけている。


「……あの子は、あんまり進んでいないみたいだな。ちょうど駅の前あたりだ。ほかに……誰もいる様子はないな」


 iGODで、女の子の様子を確認するシンジ。


「なら、早く行きましょう」


 マドカが急かす。


「ああ。行こうか」


 そうシンジが答えている間に、マドカは歩き始めていた。


「……やけに百合野さん、焦っているな」


「知り合いに似ているんですよ、あのカメラに映っていた子」


 シンジの背後にいたユリナが説明する。


「そうなの?」


「といっても、服装などの雰囲気だけですが。顔までは見えなかったので。でも、だから焦っているんでしょう」


「そっか」


 知り合いに似ているからといって、カメラに映っていた子がその知り合いとは限らず、むしろその可能性は低い、ということは、マドカは分かっているだろう。

 分かっているのに、ここまで焦っているのだ。

 知り合い、といっても、どうやらマドカにとって、その知り合いは重要な人物のようだ。


 シンジは、マドカに追いつくように、歩き始める。

 すると、すぐに、女の子を、視認できるようになった。

 一見しただけでヒドい有様だと、シンジは思った。


 女の子の髪型がはっきりしなかったのは、髪型がはっきりと、しっかりとセットされていなかったから。

 正確にいうならば髪型がぐちゃぐちゃに乱されていたからだった。


 元々は、おそらくツインテールだったのだろう。


 そのツインテールは、今は片側だけ残されている。

 残っている方も、残っていない方も、髪にはゴミや液体が、こびりついていた。

 それは、女の子の服装、体全体もそうであった。

 女の子は、スカートをはいていたが、その服装は学校の制服のようで、どこか見たことがある服装をしていたのだが、その制服は所々破れ、汚れていた。


 破れている箇所から、女の子が出血しているのも見える。

 本当に、ヒドい。

 特にヒドいのは、その女の子の傷つけられ方を見ても、汚され方を見ても、女の子は、おそらく、男性から汚されたのだろうと、容易に想像出来てしまうことだ。


 とりあえず治療をする必要があると、シンジは女の子に近づいていたが、あることに気づいて止まった。


 止まっているのだ。

 シンジ以外の三人の歩みが。


「……どうしたの? 早く行こうよ」


 いつの間にか追い抜かしていたマドカの方を、シンジは見る。

 マドカは目を見開いて、口を手で覆っていた。

 それは、どう見ても驚いている。


「……いったい、どうしたの?」


 次にセイを見ると、セイの表情は、とても難しいモノだった。

 それは見ている方からも、そして、おそらくセイ自身もそうなのだろう。

 まるで敵にでもあったかのような、そんな顔と、悲しそうな顔と、二つが混じっている。


「……先輩」


 二人の様子を見てなんとなく事情を察しつつあったシンジにユリナが話しかける。


「……まさか、さっき言っていた、知り合い?」


 シンジの問いかけに、ユリナはゆっくりとうなづいた。

 眉を寄せ、それははっきりと伝わる、困った、という表情で。


「はい。正直、驚いているのですが……あの、私たちの目の前にいる、あの子の名前は、|駕篭(かご) |猫々子(ねねこ)。駕篭獅子斗くんの、妹さんです」


 そう告げられ、改めてシンジは女の子をよく見てみると、確かに、その子は容姿はとても可愛くて、チラリと見たことがある、モテ男、ラブコメ主人公ことシシトによく似ていた。

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