第169話 ガールズトーク(最恐)が続く

「え?……ユリちゃん?」


「ん? どうしましたか? マドカ? 何度でも言いますが、誰かを好きになるという事に、悪いことは無いはずですよ? ねぇ、セイ?」


 何一つ、異常な事はないかのように話し続けるユリナを見て、マドカは恐る恐るセイの方を見る。


「セイちゃん……」


 セイは、怖いくらいに、目を見開いていた。

 感情は、まだ表に出ていないようだが、だが、セイの見開いた目の奥が、揺れ動いているのをはっきりとマドカは感じた。


「な、んで?」


 セイが、乾いた声でユリナに聞いた。


「なんで、とは不思議な質問をしますね。明星先輩は、私を助けてくれたんです。生き返らせてくれたんですよ? セイも言っていましたが、生き返らせてくれた王子様に恋をするなんて、ありふれ過ぎている、女の子なら一度は夢見る恋愛ストーリーのはずですが」


 ユリナの返答を聞いてもまだ目を見開いたままのセイを見て、ユリナは、ふっと微笑みを浮かべる。


「と、言っても、そこまでじゃないですけどね。安心してください、セイ。マドカの好きな人、という言葉に、『好きな異性』というニュアンスが含まれていたので、先輩の名前を出しただけです」


 それから、やれやれ、といった様子で、ユリナは枕元においていた鞄に手を向ける。


「温泉で言ったと思いますが、現在、私たちの生活は、明星先輩を頂点にして成り立っています。明星先輩のモノを、明星先輩が守っているんです。当たり前です。そんな中で、私たちは、私は、立場的にも、非常に弱いのです。そんな状況で、明星先輩に対して、好きだと思うことは、賢い選択だと思いませんか?」


「選択って、そんな……」


 まるで、欲しい商品の選び方のようなユリナの言い方に、マドカが言葉を挟む。


「おや? まぁ、ちゃんとそれっぽい恋をしているマドカには分からないでしょうが、こういった考えは比較的多いと思いますけどね。社会的な地位や、現在の自分に必要なモノ、足りないモノを異性……パートナー、好きな人、に求めるのは、そこまで不思議な話ではないと思いますよ」


 そう言って、ユリナは鞄から取り出した飴を、マドカとセイに見せるように動かす。


「もっと簡単に言えば、先輩に付いていれば、『プッチャプッチュス』を食べる事が出来る。それなら、せっかくだし先輩を好きだと思おう。そんな感じです。私の先輩に対する好意は、その程度です」


 と、ユリナは言って、飴を鞄に戻した。

 さすがに、もう歯も磨いたのに、飴を食べるつもりはないようだ。


「その程度……」


 セイが、静かにつぶやく。


「ええ、その程度です。と、いってもその程度の好意でもどうやらセイより私の方が明星先輩の事を理解しているみたいですけどね」


「ユリちゃん!」


 マドカが、大きな声で言う。


「何ですか? マドカ? もしかして、セイを煽るような事はやめろ、という事ですかね? そういう意味なら、大丈夫です。私は煽るために言ったんですから」


 ユリナは、不適に笑う。


「先ほど、明星先輩の考えについて、共感は出来なくても理解は出来ると言いましたよね。私も、理解は出来るんですよ。明星先輩がセイに期待している事は。セイは明星先輩の期待に応えた方が良いと思っています」


 ユリナは、セイを見た。

 セイもまた、ユリナを見ている。


「……さっき、『好きな異性』と言っていたけど、じゃあ、『好きな異性』ではなくて、一番好きな人は、誰なの?」


「……良い質問ですね。セイ。煽ったかいがありましたよ。そうですね、強いて言えば……私、でしょうか」


 ユリナは、セイの質問に微笑みを浮かべて答える。


「死んだ時……いえ、死ぬ前ですかね。決めたんですよ。次は、一所懸命に……いや、『一生』懸命に、生きようと。ちゃんと、自分の一生のために、生きようと決めたのです」


「死ぬ前……」


 ふいに、マドカの脳裏に、先ほどの温泉の時にユリナが言っていた言葉が再生された。そして、時折見せていた暗い顔。それらに、これはきっと関係あるのだとマドカは思った。


「せっかくなので、はっきりと言っておきましょう。例えば、明星先輩の身に危険が迫っていて、そして自分の命も危ない時。セイは明星先輩のためにその身を投げ出すでしょうが、私は違います。もし、そのような場面が来たら、私は、自分を優先します。自分の一生を、最優先に行動します」


 この、強烈なまでに見せつけているユリナの本心は、この言葉は、きっと、先ほどの温泉でのやりとりが関係しているのだろう。


「もちろん、必要な役割は果たしますけどね。けど、命をかけることは無いです。それは、先輩だけでなく、貴方たちにも、マドカにも、そうでしょうね」


 実に、冷め切った暗い笑顔で、ユリナは言い切った。

 寝室の中の空気は、今まで以上に、冷たく、重く、動かなくなっている。


 そんな中、マドカはなんとか気持ちを奮い立たせ、聞いた。


「……ユリちゃん。もしかして、あんな事って、関係している?」


 言葉を発したマドカを、ユリナと、そしてセイも見る。


「さっき、温泉の時、言っていたよね。あんな事を言われたから、変わった、って。あんな事って、どんな事を言われたの? あんな事って……私は、なんて言ったの?」


 ユリナが死ぬ直前、そばにいたのは、マドカだけだ。

 ユリナが何かを言われたなら、それは、マドカしかありえない。

 わざわざ、マドカにも、と付け加えたのが、それを示している。


「……それに、確か前に惨めな思いをしたって言っていたよね? あれはいったい……」

「……大した事無いですよ。マドカが悪いわけでは無いですし、気にしないでください」


「気になるよ!」


 マドカは、叫んだ。痛いほどに。今日一番の声で。


「だって、変わったって言っても……今のユリちゃんは……それが、私のせいなら……」


 マドカは、声を振り絞った。出てしまった涙が熱くなるほどに。


「本当に、大した事は無いんですよ。それに、マドカが悪いわけでは無いんです。少なくとも私はそう思っています」


「じゃあ、何が……なんて……!」


 どうしても食らいつくマドカを見て、ユリナは、軽く息を吐いて、言った。


「シシト君」


「……え?」


「貴方は、シシト君、と言ったのですよ、マドカ。私が事切れる前に、死ぬ前に」


 予想外の言葉に、マドカは止まった。体も、涙も。


「……あの時。死鬼と化した男子に襲われた私たち二人は、家庭科室に逃げ込みましたよね」


 思い出すように。思い返せるように、ユリナは自分が死んでしまった時の事を話し始めた。


「家庭科室に逃げ込んで、とりあえず窮地を脱した私たちでしたが、まだその窮地は終わっていませんでした。男子に襲われた時、私はマドカを庇って、肩に噛みつかれてたのです」


 ユリナは、その時噛まれた場所、右肩に、手を当てる。


「すぐに、私は自分の異常に気がつきましたよ。そして、自分が、その傷を与えた男子生徒と同じような状態になってしまうと、理解したのです」


 マドカは、まだ止まったままだった。ユリナの言葉は聞こえているのだが、いや、聞こえているからこそ、動けない。


「だから、私は、マドカを家庭科室の準備室に追いやって、鍵をかけさせました。そして、マドカに、私に何があっても外に出るなと伝えたのです」


 ユリナは、ふっと笑う。


「初めは、マドカは扉を叩いていましたね。私の所に来ようとしていました。それは、とても優しい行為だと思います。それは、とても嬉しかったです。でも、いよいよ、意識が薄れ、倒れて、最期だという時でした」


 ユリナは、また、息を吐く。


「聞こえたのは、『シシトくん』という言葉でした。扉越しから、何度も、何度も、マドカは彼の名前をつぶやいていましたね。助けを求めていたのか。それとも、勇気が出るおまじないだったのか、でも」


 ユリナは、上を見上げた。上には、天井とライト以外、何も無い。

 あの時と同じように。


「私の名前じゃ無かった。私を想う言葉じゃ無かった。最期の最期、私が聞いたのは親友の好きな人の名前。親友の、一途な……私には関係の無い、恋の気持ち」


 ユリナは、マドカと、そして、セイを見た。


「何度も言いましたが、恋は悪い気持ちでは無いんですよ。誰かを好きになるということだけなら、悪い事は無い。なので、恋をしましょう。一所懸命に。好きな人のために行動しましょう。マドカは、シシトくん。セイは明星先輩。私は、私のために、一生懸命頑張り ・・・・・・・ ますから」


 ユリナは、また笑った。

 底から冷えるほどの、冷たすぎる笑顔で。

 その笑顔を見て、セイも、マドカも凍り付いたように動けなかった。

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