第167話 覗いたモノが覗かれる
「思ったよりも、時間がかかりましたね。しっかり体を温めてから、露天に来るタイプですか。しかし、いやはや……」
シンジがこちらに近づいてくると、それに合わせるかのように、ユリナとマドカの口数が少なくなっていく。
「……なんか、スゴいね」
「着やせしていたんですね、思ったよりも……むむぅ」
二人は、息を飲む。
シンジの下半身はタオルが巻いてあってよく見えないが、何も身につけていない上半身は、よく見えた。
服を着ているときはよく分からなかったのだが、シンジの肉体は、一言で言えばとても見応えのあるものであった。
ただひたすらに、凝縮されたかのようなシンジの筋肉は、太さは無いが、強さと、しなやかさが両立されているのが、あまり肉体についての知識が少ない二人でも理解出来た。
日本刀の美しさにも似たシンジの肉体に、二人はただ圧倒され、黙ってしまう。
「……うへへへ……腹筋、上腕二頭筋、へぇへへへ……」
そんな二人の背後から、やけに危なげな声が聞こえてくる。
「……セイちゃん、いたんだ。というか、スゴい声と顔をしているね」
実は、二人の背後にいたセイの方を、マドカは見る。
セイは、シンジの裸を目が飛び出るほどに凝視し、口からは独り言と、涎があふれ出ていた。
「……あ、見て下さい。マドカ」
「ああ、セイちゃんはスルーするんだね、ユリちゃん。どうしたの?」
「なんか、先輩、不思議な動きをしています」
マドカがシンジの方を見てみるとなにやら、シンジは目を瞑った状態で、腕を広げ、閉じてを繰り返していた。
「……なんだろうね、あれ」
「ヨガ、ですかね? あんな動きは見たことないですけど。腕だけでなく、指も付けたり離したり……」
「あれは、神体の呼吸法……はぁ、さすが先輩。はぁ、はぁ……」
呼吸がやけに荒いセイが、ブツブツと何か言っている。
「なんですか、その神体の呼吸法、とは?」
「……ふへへへ……くへへへ……」
「ちっ……壊れている……早すぎたんだ」
「早すぎる……まぁ、そうなのかな?」
ユリナの質問を完璧にスルーしたセイに対して言ったユリナの言葉に、マドカが悩みながら、納得する。
確かに、セイがシンジの裸を覗くのは、まだ早かったのだろう。
「そういえば、今更だけど、こんな風に覗いていて、気づかれないの? 先輩、気配を察知出来るんじゃ」
「大丈夫ですよ。気配を分かりにくくする『ミツオン』と、音や臭いを消す『オンショウ』姿を見えにくくする『カッサク』の魔法を使っていますから」
真剣に、シンジを見ながら、ユリナがさらりと言う。
「そういえば、男湯に進入するときに、鍵を開ける魔法も使っていたけど、いつの間にそんな魔法を覚えたの?」
「帰ってきてからですよ。寝ていたら、目が覚めたので、iGODの魔法の項目で、さっくりと覚えました」
「へー全然、気づかなかった」
「貴方は寝ていましたからね」
「でも、魔法を覚えるのに、ポイントが必要なんでしょう? どうしたの?」
「家にあった現金と……避難所などを回った時に、落ちていたモノを、少々」
ユリナが、少しだけ申し訳なさそうに顔を曇らせて、笑う。
「……まぁ、こんな状況だしね、しょうがない、か」
そんなユリナに、呆れたような表情を浮かべるマドカ。
呆れている、というなら、もうすでに今の状況に呆れているので、今更ではある。
「マドカ達は、お金を拾ったりしていないのですか?」
「正直、そんな余裕無かったかな。今思うと、そういったの拾っておけばよかったね。セイちゃんは拾っていたかもしれないけど」
マドカは悔しそうな表情を浮かべている。
落ちているお金を自分のモノに出来なくて、悔しがるなど、以前のマドカには考えられない事だ。
「……変わりましたね、私達」
「そうだね。あんな事があればそうなっちゃうんだろうけど」
「ええ、あんな事を言われると、変わりますよ。色々」
「……あんな事?」
何か言ってしまったのだろうか。それが何かよく分からなかったマドカは、ユリナに聞き返すが、ユリナはマドカの方を見て軽く微笑みを返しただけだった
「先輩が動きましたね」
動き始めたシンジに、ユリナが、反応する。
シンジは、変な動きを止めて、湯船の縁に座っていた。
これから入浴のようだ。
そんなシンジの動きを見ているユリナは、明らかに、先ほどのマドカの疑問の声が聞こえたはずなのだが、聞こえないフリをしているようだ。
「あーあ、お湯に浸かってしまいましたね。タオルを外す瞬間も見事に隠して、結局先輩の先輩は見えずじまいですか。男ならもっと堂々とですね……」
「先輩の先輩って……」
呆れつつ、少しだけ恥ずかしがりつつ、そのまま会話を続けるユリナに、マドカも合わせる。
今は言いたくないけれど、察しては欲しいこと。
そんな出来事があったのだろうと、マドカは察した。
いつか言ってくれるだろう。
今はタイミングでは無いだけだ。
そうも、マドカは思った。
「……そういえば、これからどうするの?」
「これからとは?」
「この覗きの終わり、だよ。私たち、男湯と女湯をつないでいる扉から入ってきたけど、いつあっちに戻るの?」
マドカは、自分たちが入ってきたマドカ達が隠れている茂みから五メートルほど離れている扉を指さす。
その扉は男湯と女湯の露天風呂を繋いでいる扉で、普段は鍵がかかっていて、開けることは出来ないようになっている。
その扉を、ユリナ達は『アーキー』を使って開けて、男湯に潜入したのだ。
「そうですね……そろそろ、あちらも動くと思うので、もう少し待っていてください」
「あちら? 正直、もう帰りたいんだけど……」
マドカは、疲れたように後ろを向く。
「はぁはぁ先輩のお肌に、水滴が……よく見ると、右腕に、傷跡が……ああ、胸にも。そんな……胸筋、はぁ、はぁ」
「……帰りたい」
すぐ後ろから聞こえる、セイの興奮した声にうんざりするマドカ。
この変わりすぎたセイに、そろそろ慣れそうな自分が嫌だとマドカは思う。
そのまま、数分、セイの漏れ出ている感想をBGMに、マドカとユリナは、シンジの入浴シーンを見続けていた。
シンジの肌を伝わる水滴が、鎖骨に溜まり、さらに鍛えられた胸に流れていく。
筋がしっかりと見える二の腕には、汗が玉のように光り輝いてて、それはまるで朝露のように……
「……ヤバい、ユリちゃん。私、これ以上ここにいると、オカシくなりそう」
顔を真っ赤に染めながら、マドカが言う。
その表情は、疲れ切っていた。
内側で、自分と戦っているのだろう。
「いやぁ、想像以上に、怪しい感じになりましたね。常春さんから受ける影響がここまでとは……」
ハハハ、と乾いた笑い出すユリナ。
そんなユリナの頬も、ほんのり桜色に変わっている。
ユリナも、自分との戦いに必死になっていた。
「もう、本当に帰ろう。お願いだから……」
「そろそろです。もう少しの辛抱ですから……」
色々、耐えきれなくなり、立ち上がろうとするマドカをなんとかユリナが制する。
そのとき、シンジが突然立ち上がった。
「おっ! 動きましたか……ちっ! やっぱり上手く隠しますね。肝心な部分が……先輩の先輩が見えない!」
「見えなくていいから、そんな所! というか、先輩こっちに来てない!?」
立ち上がったシンジは、素早くタオルを腰に巻いた後、ユリナ達が隠れている茂みの方に向かって歩いてきた。
「や、やばくない? バレたんじゃ」
「しっ! 静かにしてください! 身を伏せて! 私の予想通りなら……」
シンジは、マドカ達が隠れている茂みの近くまで来ると、急に方向転換して歩き始めた。
その向かう先は、マドカ達が入ってきた、扉。
女湯に続く、扉。
「ま、まさか……」
「……ふっ。ふふふ」
怪しげな笑い声を出しながら、シンジが扉に手を掛ける。
自宅警備士の技能を使ったのだろう。
魔法も使わず鍵を外したシンジは、そのまま、ゆっくり扉を開けて女湯に潜入していった。
「せ、先輩……」
ウキウキと、軽くスキップをしながら、おそらく女湯を覗きにいったシンジにマドカは言葉も出なくなった。
「さて、予想通り。マドカの言うとおりになりましたね」
一方、ユリナは動揺することなく、立ち上がり、先ほどシンジが入っていった扉に近づき始めた。
「いや、言ったけど……まさか、本当に……」
「先輩も男です。これだけの女の子が周りにいれば、当然そうするでしょう。では……」
ユリナは、扉の前に立つと、小さな声で『リコオ』とつぶやく。
すると、扉が氷で覆われ、固まってしまった。
「さて、これで先輩は簡単にはこちらに戻ってこれません」
「そんな事して、どうするの? 私たちも戻れないよ」
ユリナの行動に、マドカは不思議そうに眉を寄せる。
「戻れますよ。あちらから」
そんなマドカに、ユリナは得意げに指さして見せる。
ユリナがさしている方角は、男湯の、入り口。
「……まさか」
「ふふふ、女湯に行っても、誰もいない。帰ろうにも戻れない。そんな状況の中、私たちが堂々と女湯に乗り込むと、先輩はどんな顔をするでしょうか。ふふふ……」
ユリナは、ニヤツきながら男湯の、露天風呂と内湯を繋いでいる扉に向かって歩き出す。
「先輩を女湯に閉じこめるのが目的だったの? でも、なんでそんなこと」
「言ったはずですよ、マドカ。私たちの立場は、弱いのです。でも、これで、私たちは先輩に対して精神的に上に立てる道具を手に入れました。自分の裸は一方的に覗かれ、挙げ句閉じこめられる。これほどの屈辱があるでしょうか。ふふふ……あはははは」
勝者の笑い声を出しながら、ユリナが、露天風呂と内風呂をつなぐ扉に手を掛ける。
「あははは……はは……あれ?」
だが、扉はかたくなに開かない。
「あれ、なんで……『アーキー』あれ、どうして?」
魔法を使っても、扉は開かない。
ユリナは両手を使い、扉を開けようとするが、一向に扉は動こうとしない。
「何か、突っかかっている? どうして……」
「ユリちゃん、あれ……」
マドカに言われて、ユリナは扉を見た。
露天風呂と、内湯をつなぐ扉は、開けたときに人にぶつからないように横にスライドさせるタイプのガラスの扉だったのだが、その横にスライドさせる部分の、内湯側の場所が、何か透明なモノで覆われている。
「これは……氷? どうして……」
その、透明なモノの正体にユリナが気づいた時、ジュワワ、と高温のモノが何かを溶かす音が、ユリナ達の背後から聞こえてきた。
その音が聞こえてきた場所は、男湯と女湯をつなく、扉。
高温になったのは、その扉で、溶けたのはユリナが凍らせた、氷。
「……魔法を使えるのは、水橋さんだけじゃないよね」
扉から、一人の人物が出てきた。
「……あ……あわわ……」
マドカは、その人物を見て、言葉にならない声を出す。
「……そんな……なぜ、いつから!」
ユリナは、驚愕と悔しさを混ぜた声を、扉から出てきた人物。
シンジに向かってぶつける。
「いつから……って、最初から? 気配とかを消す魔法を使うのは良いけど、使うならもっと上手く使わないと。隣なんだし、まったく音も何も聞こえないのは、不自然だよ」
気配を察知する能力が落ちた、といっても、今のシンジでも普通の人より感覚は鋭い。
女の子三人がお風呂に入っているのに、音がまったく聞こえないのは、不自然だろう。
「ぐ……でも、こっちに来ていることは、分からなかったはずです。なのに、なぜ、こっちの扉を凍らせる事が出来たのですか?」
「なんとなく、嫌な予感はしなかったけど、一応、神隠しとかの話があったからね。念のために露天に出てから確認しようと思ったら、扉ごしからこっちを見ている視線を感じてさ。言ったでしょ? 上手く使わないと、ってさ。こっちを覗いていたら、こっちも覗いているってことなんだからさ」
ユリナが使用した、術者とその近くの者たちを見えにくくする魔法。
『カッサク』
それは、基本的にシンジが『|笑えない空気(ブラックジョーク)』を使った時と同じように、周りの空気を操作して、時に、保護色のように、時にボヤケさせ、反射する光をズラして散らして、見えにくくするものだ。
ただ、視覚は、基本的に反射の情報であり、共有する情報だ。
こちらを見えにくくすれば、当然相手も見えにくくなってしまう。
なので、ユリナは、自分たちの目の付近だけ、その魔法は使わなかった。
その目を、シンジに気付かれたのだ。
「まぁ、残念でした。もう少し工夫すれば、目も隠して姿を消せたかもしれないけど」
「ぐぬぬぬ……」
ユリナは、悔しそうに、拳を床にぶつける。
マドカは、まだ混乱しているのか、キョロキョロとユリナとシンジを交互に見ていた。
「さて、と。じゃあ、話、はそろそろ止めようか」
シンジは、話、の所をやけに強調して区切った。
それを聞いて、ユリナとマドカの二人はビクリと肩を上げる。
「そ、そうですね。じゃあ、私たちは、これで……」
「う、うん、そうだね」
察したのか、ユリナは、ゆっくりと立ち上がり、マドカも一緒に、シンジから距離を取るように、じりじりと歩き出す。
「まぁまぁ、まだ体を洗っていないんでしょ? 最近、新しい技を覚えてさ、グレスにやられ……もとい、これはグレスの技なんだけど」
シンジの手から、なにやら黄金の色の粘液が溢れてくる。
「見覚えがあるよね? グレス達が文字を作っていた、あれだよ。グレス達は、はぐれゴールデンフェアリースライムって言って、スライムと妖精の仲間なんだけど、これはあいつ等のスライムの部分だけを召喚する技で……」
「そ、それで何をするつもりですか?」
ユリナが、震えながら、シンジに質問する。
「いや、だから、体を洗っていないんでしょ? スライムって言っても、元があいつ等だから、垢を食べるとか便利な事は出来ないけどさ」
シンジの手から出てきた黄金色の粘液、もとい、黄金のスライムが、うねうねと大きく、形を変えていく。
「あいつ等の文字と同じように自在に操れるから、洗ってあげるよ。全身くまなく、隅々までなぁあああああああ!」
「きゃ……きゃーーーーーーー」
黄金のスライムと共に襲ってきたシンジから、ユリナとマドカは叫び声を出しながら逃げだした。
一方茂みの後ろで、シンジの裸に興奮しすぎたセイは、やけに満足した表情で、気絶していたのだった。
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