第159話 ドラゴンが来た

 稲が刈り取られ、何も残っていない田んぼや、その脇に並ぶビニールハウス。

 雑草が生えてしまっている何らかの畑の間を通っている黒いアスファルト。


「ブギィイイイ」


 自然の色と人工の色が混じった光景に、野蛮な声が響き渡る。

 その声の主は、イノシシのような、醜い化け物だった。

 二体いる。

 血のように赤い皮膚の色をした、そのイノシシのような化け物の名前は、レッドオーク。

 通常のオークより強く、ハイオークよりは弱い彼ら。

 彼らは、黒いアスファルトの上で猛っていた。

 目の前に、獲物がいたからだ。

 人間の少女が二人。美しい容姿をしている。

 二人とも、実に美味しそうで、気持ちが良さそうだとオークは思った。

 一人の少女の手には、一本の杖。

 もう一人の少女の背中には一本の槍と一振りの斧があるが、そんな事はオークには関係ない。


 彼らが考えているのは、自分の欲望が満たされた時の事だけだ。


 それは、実に幸せな考えなのだろうが、そんな考えだけを持っている者の末路など、決まっている。


「『ホーノ』」


 杖を持っている少女から、炎が発せられた。

 大きな火の玉。速度も速い。


「ブギィ!?」


 避けることも出来ず、その炎は、瞬く間にレッドオーク達の体を包み込んだ。


「ブギィイ!!」


 だが、その炎を、レッドオーク達は体を震えさせて簡単に消してしまう。


「……やはり、赤い体なだけあって、炎に強いですか」


 炎を発した少女が、つぶやく。


「ブ……ブギィイ」


 炎を消したレッドオーク達は、一直線に、少女達に向かって走り出した。

 猪突猛進。

 まっすぐ、少女たちだけを見てレッドオークは駆ける。


「……うわぁ、気持ち悪い」


 そんなオークを見て、少女の一人が思わず本音を漏らす。


「そんな感想を述べていないで、さっさと止めて下さい」


「分かっているよ。伸びろ!」


「ピギィ!?」


 気持ち悪いと感想を述べた少女が伸びろと言った瞬間、レッドオーク達は思いっきり黒いアスファルトの上に赤い体をぶつけてしまう。


「ピギギ……」


 そのオークの足下には、堅い道路のアスファルトを突き破り、伸びた緑の長い草が、輪っか状に結ばれていた。

 これに、レッドオーク達は足を取られたのだろう。


「さて……と」


 レッドオーク達が、足に巻き付いている草の輪を外そうとしている間に、二人の少女は彼らのすぐそばに立っていた。


「ブ……ギィ!」


 そのことに気が付いたレッドオークの一匹は、目の前にいた炎を発した少女に向けて手を伸ばす。


「残念」


 だが、レッドオークが掴んだのは、少女ではなく、その少女が突き出していた、一本の棒。


「ビギィ!?」


瞬間、はじけるような音が轟き、レッドオークの体から煙が上がる。

 少女が持っていた棒から、強力な電撃が発せられ、あっという間にレッドオークの命を奪ってしまったのだ。


「ふぅ……これで、後は」


 炎を発した少女が、残ったレッドオークの方に目をやると、もう一匹のレッドオークの前には槍を持ち、斧を背負っていた少女が立っていて、


「えいっ!」


 とレッドオークの目に、その槍を突き立てていた。


「ピギィイイイイ!!」


 目を貫かれたレッドオークが、叫ぶ。


「うわぁ……エゲツない事しますね。でも、ちゃんとトドメを刺さないと」


「大丈夫」


 その言葉が言い終わると同時に、レッドオークが力が抜けたように地面に倒れた。


「ああ、なるほど」


 残っていたレッドオークからも、完全に生きている気配が消えていた。

 事切れている。


「お疲れ様。水橋さん。百合野さん。大丈夫だった?」


 レッドオークを倒した二人の背後から、少年が話しかけてきた。


「はい。大丈夫です。明星先輩。問題ありません」


「ちょっと緊張したけどね」


 レッドオークに向けた杖を握りしめながら、ユリナとマドカが、少年、シンジの方を振り返る。


「それは良かった。『魔雷の杖』は使えそう?」


「はい。『魔法使い』はどうしても近接戦闘に弱いですけど、コレは良いですね。ちょっと充電に時間がかかるのが問題ですけど……」


 そう言いながら、ユリナは『魔雷の杖』に魔力を送り始める。

 シンジがカズタカから奪った『魔雷の杖』は、直接電気を充電するか、魔力を送り込む事で使えるようになる。

 シンジが持っている杖の中で、コレが一番性能が良かったため、シンジはユリナに『魔雷の杖』を渡していた。


「……で、百合野さんは……これ、もしかして、毒?」


 シンジは、マドカの目の前で倒れているレッドオークを見ながら、言う。


「はい」


 マドカは、レッドオークから槍を引き抜きつつ答える。


「『ダマスカス鋼の槍』に、トリカブトなんかの毒を塗りました。効果があって良かったです」


「……へー」


「植物由来、百パーセント天然モノの毒ですよ」


「そ、そうか」


 毒物に健康食品のようなフレーズを付けながら笑顔で言うマドカに少しだけ恐怖を覚えつつ、シンジがうなづく。


「この前あげた、『炎風の斧』を使わなかったのは……」


 シンジは、マドカの背中にある、両の手のひらを広げたくらいの大きさの、赤色と緑色の刃を持った斧を指さす。


 この斧も、カズタカから奪った武器だ。

『魔雷の杖』と同じくカズタカが持っていた武器の中で最高のレア度、銀色のレア度のこの武器は、その名前の通り炎と風を生み出す能力がある。

 ちなみに、カズタカが持っていた銀色の武器は、全部で4つ。

 『魔雷の杖』『炎風の斧』『ミスリルターロス』そして、セイを拘束していた、カズタカがグレイプニルと呼んでいた鎖、『ミスリルの鎖』だ。

 『魔雷の杖』と『炎風の斧』はそれぞれユリナとマドカが持っていて、『ミスリルターロス』はマンションの警備、『ミスリルの鎖』はセイが持つことを拒否したためシンジが持っている。


「斧を使わなかったのは、ユリちゃんの魔法が効かなかったので……毒の方が確実かな、と」


「なるほど」


 シンジの質問に答えると、マドカはレッドオークの方に向き直り、槍を抜いて、iGODを使って素材の採取を始めた。

 実に慣れた手つきだ。


 先にもう一体のレッドオークの採取をしていたユリナは終わっている。

 ユリナの背後には、角と皮膚が無くなったレッドオークの死体が残っていた。

 ちなみに、魔物の死体、そのまま置いてくといつの間にか消えている。

 おそらく別の魔物の餌になっているのだろう。


「二人とも、強くなりましたね」


 シンジの背後から、セイが声をかける。


「そうだね……」


 ユリナとマドカを生き返らせて、一週間。

 シンジたちは、朝起きたらマンションの周囲で魔物と戦い、魔物がいなくなったら、周囲の建物から物資を運ぶなどの作業をしてきた。

 それだけでなく、ユリナとマドカは、夜になるとスポーツジムでセイに武術を習ってきた。

 結果、持っている武器の強さもあり、レッドオーク程度なら、二人だけで勝てるまで強くなっている。

 レベルは、それぞれ12。

 まだ二人だけで外出させるには心配な面もあるが、一緒に戦うには十分な強さだろう。


「そういえば、どうだった、常春さん。魔物はいた?」


 シンジの問いかけに、セイが首を横に振る。


「いいえ……私が見たところ、何も。建物の中にもいません」


「そうか。じゃあ、まだ昼前だけど、いったん戻るか」


 シンジは周囲を見回し、何もいないことを確認する。


「ああ、あと、もう必要そうなモノはないよね」


 確認したあと、ドラッグストアで目を止めたシンジは、セイに聞く。


「え? ええ。もうお店にあったモノは全部マンションに運んでいます。病院やコンビニもです」


 セイは、顔を赤くしながらシンジの質問に答える。


「……なんで、顔が赤いの?」


「な、なんでもないですよ!? 本当に、何も!」


 セイは激しく手と顔を動かしている。

 その挙動は、確実に何かあるのだが。


「まぁ、いいか」


「すみません。お待たせしました」


 素材の採取を終え、マドカがシンジ達の元へと戻ってくる。


「もう帰るのですか。まだ物足りないのですが……」


「しょうがないよユリちゃん。戦う魔物がいないと、どうしようもないでしょ。もう荷物運びもないし……」


「ですが、まだ昼前ですよ? 魔物がいないなら、遠征するとか……」


「それは、まだ早いんじゃ……」


「……そうだね。それもいいかも」


 ユリナの意見に、シンジが賛同する。


「え!?」


 シンジの賛同に、ユリナが驚いたような声を出す。


「二人とも、レベルが10を越えたしね。レッドオークも二人だけで倒せたし、今日の戦いっぷりを見ていると、大丈夫でしょう。二人の家は、山門町だよね? 常春さんの家と、学校の間くらいにある。ここから日帰りは大変だと思うから、一泊どこかで泊まる事になると思うけど、なんとか……」


「お……おお!」


 シンジの言葉を聞いて、ユリナとマドカは目を輝かせる。


「嬉しそうだね」


「はい。だって、もう一週間ですよ? やっと帰れると思うと……」


「ここは良いところですけど、やっぱり一度は家を見ておきたくて」


 申し訳なさそうな顔を浮かべて、マドカが言う。

 その瞳には、うっすらと涙が……


「じゃあ、そういう事で。戻ったら準備をしておいてね」


 はーい、と嬉しそうな返事をして、ユリナとマドカと、セイの三人は楽しそうに会話を始める。

 山門町に着いたら、まずはどこに向かうか。

 そのような会話の内容のようだ。


(……一週間。いや、変わった日から考えると、約二週間か)


 ユリナの両親は、雑誌の記者。

 マドカは父親はおらず、母親だけの母子家庭で、自宅でお花屋さんを経営してマドカを育てたらしい。

 セイの両親のように武術の達人、という事ではない。ごく普通の人たちだ。

 ならば、もう、家に帰っても、誰もいないだろう。

 いた場合でも、生きている可能性は、限りなく0に近いはずだ。

 生きていたら、避難所などに移動しているはずだから。


(まぁ、無事に避難所にいることを願っておきますか。でも、避難所か……)


 そのような施設が今でも機能していた場合、それはそれで厄介そうだな、と思うシンジ。


 二週間は、人を厄介なモノに変えるのに十分な時間である。


(野宿の計算もしていた方がいいな。それか、眠らずに……)


 そこまで考えて、シンジは立ち止まった。


「先輩? どうしまし……」


 立ち止まったシンジに反応して、セイが振り返る。


「……こっち!」


「え……?」

「キャッ!」

「うわっ!?」


 セイとマドカとユリナの三人を抱き抱えるようにして、シンジは道路のすぐ脇の畑の中に飛び込む。

 畑に飛び込むと、シンジはすぐに腕を広げて三人に覆い被さるようにした。

 華奢なユリナとマドカがいるため、三人とも綺麗にシンジの腕の中に収まっている。


「な、何をっ?」


「わ、わわわ」


 突然の出来事にユリナとセイが、何やら呻いている。


 マドカは、声も出せないようだ。


 三人からしたら、突然異性に押し倒されたのだ。

 困惑と緊張で混乱しても、おかしくない。

 しかも、シンジの顔が、怖いくらいに、真面目な表情をしている。


「と、とうとう我慢できなくなりましたか? というか、襲うならこんな場所ではなくて、もっとちゃんと……あと、マドカは……」


「……しっ。静かに。……来るよ」


「……え?」


 やけに早口でしゃべっていたユリナの言葉を、シンジが遮る。

 そのすぐ後、シンジ達の上空を、大きな黒い物体が通り過ぎていく。


「こ、これは?」


「わ、わわわ」


「グルルル……」


 その黒い物体は、さきほどマドカ達が素材の採取を終えたレッドオークの死体の上に降り立つと、レッドオークの死体を貪り始めた。


 大きなカラスのようなその黒い物体は、顔は爬虫類のような輪郭で、口には沢山の牙が生えている。

 体は、羽が一対に、後ろ足が一対。

 そこだけ見ると鳥の様ではあるが、体に生えているモノは、羽毛ではなく、金属のような光沢のある、鱗。

 その、黒い物体は……


「ド、ドラゴン? いえ、前足が羽ということは、ワイバーンという種類ですか?」


 ユリナが、震えながら、つぶやく。


「……この前温泉にきたタカさんの三倍……五倍くらいは大きいね」


 ワイバーンの登場に、混乱から意識を復活させたマドカが、上に乗っているシンジの体を押しのけるようにしながら、言う。


「……どうします? 倒しますか?」


 勝てない相手ではないと判断したセイが、シンジに確認するように聞く。


「……いや、アイツじゃない。隠れて!」


「ぷっ?」

「きゃう!」

「へう!?」


 戦う気で起きあがろうとしていた三人を抱き込んで、シンジはさらに身を低くした。

 その瞬間。


「ドラッ!?」


 全長十メートルはあるだろうワイバーンが、一瞬の内に潰れ、その上に、巨大な何かが現れた。


「こ、今度は何事ですか?」


「静かに!」


 シンジの体から顔を出そうとしたユリナを、シンジは押しとどめる。


 ワイバーンを踏みつぶした何かは、とにかくデカかった。

 近くにあったドラッグストアの建物と比べても、変わりなく、生えている羽を広げれば、確実にドラッグストアの大きさを超えている。


 何かは全身を太陽のようなオレンジ色の鱗で覆っていて、足は四本。

 その巨大で強靱な足は、その足に付いている爪でさえ人よりも大きくて、それに捕まれば簡単に肉体がつぶれる事が想像できる。


 口には、人の腕よりも太くて長い歯がびっしりと生えており、噛まれれば痛いと感じる前に絶命するだろう。


 何かの正体は、まさしくドラゴン。


 ワイバーンや、シンジが学校で戦った鎌のドラゴンとは違う、四つの足に羽が一対ある、本物。


「……っ」


 息を殺すように、三人を隠すようにしながら、シンジはドラゴンを睨むように見つめる。

 そのドラゴンがいるだけで、シンジは体の震えを押さえることが出来なかった。

 シンジは、三人を隠している腕にさらに力を込める。


「……ドラァ」


 オレンジ色のドラゴンが少し動くだけで、大地が揺れる。


 気づいていないわけではないだろうが、ドラゴンは、シンジ達の事を気にするそぶりは一切見せず、先ほど踏みつぶしたワイバーンの体を掴むと、羽を動かして空へ向かって飛び始めた。


「……くっ!」


 ドラゴンが飛び立つ際に生じた風圧に耐えながら、四人はそのまま静かに畑の隅に身を隠していた。


 通り過ぎるまで。

 安全が、確保されるまで。

 死んだように、動かないように、ひたすらに気配を消す。



「……ふぅ、行ったか」


 完全にドラゴンの気配が消えた後、シンジが息を吐きながら言う。


「もう、大丈夫ですか?」


 若干、呼吸を荒くしながら、ユリナがシンジの腕から顔を出す。

 緊張したのだろう。


「うん、もう気配はない」


「そうですか。あれが、ドラゴン、ですね」


「ああ、多分、正真正銘の」


「……勝てますか?」


 試すような視線を送り、ユリナが聞く。


「どうだろうな。でも、殺すのは、無理だ」


「どういう意味ですか?」


「そのまんまの意味だよ。勝てるかは分からないけど……というか、何を持って、勝つって結果になるのか分からないけど、ただ、あのドラゴンを殺す、息の根を止めるのは、無理だ。今の俺には、あのドラゴンを殺せるだけの攻撃方法が無い」


 シンジは、若干悔しそうに顔をゆがませる。


「『| 笑えない空気(ブラックジョーク)』で窒息させようにも、あんだけデカいとちょっと動けばすぐに射程外だし、他の武器でも、傷を付けることさえ難しいだろうな」


「そうですか」


 シンジの顔を見ながら、ユリナが少し残念そうに息を吐く。


「……でも、戦いたくはあったわけですね?」


「え?」


「何でもありません。それより、そろそろ腕を放して貰ってもいいですか? 苦しいですし、他の二人なんて、動いてさえいませんよ?」


「ん?」


 ユリナに言われて、シンジは自分の体の下にいるマドカと、腕の中にいるセイに目を向ける。


 マドカは、単純に圧迫されて若干酸欠状態になったのだろう、意識を朦朧とさせていて、セイは茹でダコのように顔を真っ赤にさせていた。


 二人とも、動く気配は一切無い。


 今のシンジの状況は、簡単に言うと、ユリナも含め美少女が三人、大人しくしながらシンジの腕の中にいるというわけだ。


「……うわーん、怖かったよー」


「な、なんでさらに強く抱きしめているんですか、貴方は!?」


 ぎゅっと力を込め始めたシンジの腕をなんとか引きはがしたユリナは、シンジからセイとマドカも救出し、二人の介抱をするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る