第157話 シンジがいない……?

「いやぁ……気持ちよかった。いい温泉でした。」


「本当、凄かったね」


「うう……」


 満足げなユリナとマドカの後ろに疲れ切った表情のセイ。

 三十九階のエレベーターホールに、三人は立っている。


 三人とも、服装は制服ではなくジャージである。

 おそらく、販売するためのモノなのだろう。スポーツジムの受付に置いてあった封が開いていない新品のジャージを三人は着替えに持ってきていた。


 制服は三人の分をセイがアイテムボックスに入れている。

 ちなみに、ユリナの飴もセイのアイテムボックスの中だ。

 行きはユリナが自分で持ちたがっていたのだが、帰りはセイに預かって貰うことにしたようだ。


「こんなに気持ちがよかったのは、初めてでしたよ。いやぁ、よかった」


「私はあんまり経験が無いけど、それでも、今までの価値観が変わってしまうような凄さだったよ」


「もう、やめてぇええ!」


 気持ちが良い。凄いと連呼しているユリナとマドカの会話を、セイが止める。


「……なんですか? 私たちは温泉の感想を述べているのですが?」


「……じゃあ、その手の動きを止めてよ」


 セイは、わしゃわしゃと動いているユリナの両手の指を睨むように見ながら言う。


「……ふぅ、しょうがないですね。まったく、良いじゃないですか。どうせ先輩に散々触られまくったんでしょうし、今更私たちに触られた所で……」


「触られてない!」


 セイが、叫ぶように否定する。


「……おや? そうなのですか?」


「そ……そう、だよ」


 咄嗟に否定したセイであったが、言って、すぐにユリナから目をそらす。

 実際、結構触られまくっている事に気づいたからだ。


「ふーむ。そういえば、まだ気になっていた事があったのですが……」


 その、あからさまなセイの態度にユリナが疑惑を持ちつつ、質問する。


「な、なによ」


「セイと、明星先輩は付き合っているのですか?」


「……………………ぅ」


 数秒、間をおいて、セイが小さくうなる。

 その顔は、真っ赤に染まっていた。


「なんですか、そのウブな反応。ヤることはヤっているのでしょう?」


「ヤ……ヤるって、何を……!?」


 真っ赤にしたまま、セイが反論する。


「いや、そりゃイチャイチャ? な事とか……というか、あんなに太股にマーク付けておいて、そこまで恥ずかしがられると、こちらも困惑してしまうのですが」


「マーク?」


 セイが不思議そうに頭を倒す。


「ええ。太股に大量にキスマークを付けていたじゃないですか」


「やっぱり、あれキスマークだったんだ」


 マドカが、少し頬を染める。


「何それ!?」


 セイは慌てて自分の太ももを押さえた後、近くの物陰に隠れて、自分の下半身のジャージの中をのぞき込んだ。

 確かに、右足の太股の辺りに、何か赤いアザのようなモノが残っている。


「それ、キスマークですよね? 外に出たときから、チラチラ見えていて気になっていたのですが……太股だけだったので、戦いの時に出来たアザかな、と思いましたが、怪我なら魔法で綺麗に治せそうですし……」


「そういえば、私たちの体。傷が一つも無いもんね」


「……あ、エレベーター、来ましたよ」


 ユリナとマドカがそんな会話をしている間に、エレベーターが到着する。


 さっそくユリナとマドカは乗り込むが、セイは自分の太もものアザを見ながら、固まっていた。





「……うう」


 セイが、小さくつぶやいている。


「……なんか、悪いことしましたかね」


「セイちゃん。気づいていなかったのかも」


 ユリナとマドカが、後方を振り向きセイの様子を見る。

 セイは、二人からかなり離れた所を歩いていた。

 相当、恥ずかしいのだろう。


「……ちなみに、キスマーク。消えるまでに四日から一週間くらいかかるようですよ」


「ユリちゃん!」


「うわぁああああん」


 後方にいるセイに聞こえるように言ったユリナの言葉を聞いて、セイは逃げるようにさらに二人との距離を広げる。


「……面白い」


「ユリちゃん、性格悪すぎ」


 流石に、やりすぎだろう。

 マドカが、ユリナを睨みつける。


「うーん、確かにやりすぎましたかね。でも、多分こういった事が狙いなのだと思いますが……」


「……え?」


「すみません、セイ。もうからかわないので、戻ってきてくれませんか?」


 遠くに離れていってしまったセイに聞こえるように、大きく言うユリナ。

 少しして、セイが警戒するようにゆっくり戻ってきた。

 その足取りは、小さく、セイの体も、小さくなっている。

 まるで、怯えているように。


「……なんでしょう。この、イタズラした飼い犬を待っているような気分は」


「イタズラしたのは私たちなんだけどね」


 セイに聞こえないように、小さくつぶやきながら、犬……セイが戻ってくるのを待つ二人。

 しばらくして、セイが、二人から一メートルほど離れた場所に戻ってきた。

 セイが、目を潤ませ、少しうつむきながら、言う。


「……本当に、もうイジワルな事言わない?」


「……ぐっ!」


「ユリちゃん、おさえて!」


 その、あまりに可憐なセイの姿に、ユリナと、そしてマドカも必死に自分の心に沸いた黒い感情を押さえ込む。


「え……ええ。もう言いません。ごめんなさい」


「ごめんなさい」


 二人は、セイに頭を下げる。


「……じゃあ、許す。もう、帰ろうか。こっちもゴメンなさい。私がいないと、先に行けなかったね」


 セイは、二人を追い越すように前に出る。


 その少し先には、シンジの家に向かう金属で出来た扉。

 その中に入るには、セイが持っているカードキーが必要になる。

 カードキーを通して、中に入ったセイの後を、二人が続く。


「あの、これはからかいとかではなく、純粋に聞きたいのですが」


 ちょっと歩いて、ユリナが、真面目な口調で聞く。


「……何?」


「あの……その、それは、回復魔法で消す、という事はしないのですか?」


「ユリちゃん!」


 また、掘り返した話題に、マドカが注意をするように大きな声を出す。

 だが、マドカの心配をよそに、セイは逃げだそうとはしない。


「……うん。消したくは、無い」


 セイは、若干頬を染めて、ユリナの質問に答えた。

 恥ずかしいが、嬉しいという気持ちもあるのだろう。


「そうですか。ありがとうございます」


 セイの答えに、ユリナはお礼を言う。

 ただ、淡々と。


 そうこうしている間に、シンジの家に着いた。


「思ったよりも時間がかかりましたね」


「うん、先輩、お腹空かせてないといいけど」


 もう、シンジの自宅を出てから五時間は経っている。

 思ったよりも、温泉で時間を使ってしまっていた。


「そういえば、先輩はチャットで何か言っていないのですか? お腹空いたー、とか」


「え? あっ!」


 ユリナの問いに、セイは思い出したように自分のiGODを起動し始める。


「……忘れていたようですね」


「温泉に入る前は、あんなに夢中になっていたのに」


 セイの様子に、呆れた表情を浮かべるユリナとマドカ。

 チャットに夢中すぎるのも困るが、その夢中を忘れているのも、どうなのだろうかと思わなくもない。


「……あ、あれ?」


 そんな二人をよそに、セイはiGODの画面を食い入るように見ていたのだが、すぐに、困ったような声を出す。


「どうしたのですか?」


「へ、返事がないの! 温泉に入る、って送ってから、先輩から返事がないの!」


 セイが、泣きそうな声を上げる。


「そ、そうですか」


「ど、どうしよう! なんで? 先輩に何かあったのかな!? 私が送ったら、ちゃんとお返事返してくれていたのに」


 セイがユリナの肩を掴み、揺らす。


「ちょちょちょっ!?」


「落ち着いてセイちゃん! なんかユリちゃんの頭が、風で揺れる柳みたいにあり得ないくらい揺れているから」


「そそそ、その、表現、カッコいいでですね」


 揺れながら、ユリナがマドカの表現を誉める。


「あ、ありがとう。じゃなくて、セイちゃん! とりあえず、もう先輩の家は目の前だから、まずは入って確かめよう!」


 マドカに肩を叩かれ、ようやくセイがユリナから手を離す。


「そ、そうだよね。まずは中に入ってから……」


「おぇ……気持ち悪い……」


 セイから解放されたユリナが、舌を出している。

 揺さぶられて気持ち悪くなったようだ。


「うん。そうだよ。多分、寝ているとかだと思うから、ゆっくり入って……」


「先輩!」


 マドカの話を最後まで聞かず、セイがシンジの家に入っていく。


「あ、セイちゃん!」


 慌てて、マドカとユリナもセイの後に続く。


「ちょっと、落ち着いて!」


「うわぁ、靴のまま上がり込んでいますよ」


 靴を脱ぎつつ、セイの背中を見る二人。

 二人が脱ぎ終わった頃には、セイはもうリビングに入っていた。


「ったく、本当に、変わってしまっていますね、セイは。まさか土足をするなんて……」


「いいから、行くよ」


 二人も、リビングの中に入る。

 そこで、見た光景は……


「……んあ? 何、どうしたの?」


 リビングにあるソファに横になっていたシンジと、その横で座り込んでいるセイだった。

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