第127話 幽霊が来た……?

「この部屋、自由に使っていいから。……今は、十時か。じゃあ、明日は、六時起床で。八時間寝れば大丈夫でしょ」


 歯磨きを終え、二階に上がったシンジとセイ。

 シンジは、セイの寝床を準備した部屋の前で、セイに話しかけている。


「何かあったり、感じたりしたら、俺を起こすか大きな音を出して。俺の部屋は隣だし、気付けると思うから」


「はい。分かりました」


 セイは、力強く頷く。


「じゃあ、お休み。明日は大変だと思うから、しっかり休んでね」


「はい。お休みなさいませ」


 挨拶するセイに軽く手を振り、シンジは自分の部屋に入っていった。


「……ふぅ」


 それを見届けて、セイも、シンジが用意してくれた部屋に入る。

 その部屋には、布団が一式、敷かれているだけで、後は何も無かった。

 物置に使っている部屋を、セイの寝る場所として用意したとシンジは言っていたが、綺麗に片づけてしまったのだろう。

 セイはしばらく敷かれている布団を眺めた後、いそいそと布団の中に潜り込んだ。


(……気持ちいい)


 来客の事など想定していなかったはずなのに、シンジの用意した布団はシーツも含め清潔で旅館で出される布団のように心地よかった。


(綺麗にしたのは魔法かもしれないけど……シワにならないように敷いてくれたのは、先輩なんだよね……なんか、そう思うと……)


 笑みを浮かべ、セイはゴロゴロと布団を転がる。


(……付いてきて、良かったな。ちょっとエッチで、変な所もある人だけど、良い人だ。本当に……)


 隣の部屋で寝ているシンジの事を思い、セイは目を閉じる。


(今日も色々あったけど、寝よう。明日はちゃんと、先輩の役に立てるように……)


 目を閉じると、浮かんでくる今日あった出来事。


 悪い事もあった。

 良い事も、あった。

 セイは、なるべく、良い事だけを思い浮かべるようにする。

 良い事だけを。


 良かった事だけを。


(………………上腕二頭筋……鎖骨……腹筋)


 セイは、目を開ける。


(……違うってばぁあああああああ)


 良かった事だけを思い浮かべようとした結果。

 セイの脳裏に浮かんできたのは、シンジの肉体だった。


(そもそも、先輩の裸を見たのは今日じゃないし。今日あった事で、良かった事。今日あった事!)


 考える内容を切り替え、セイは再び目を閉じる。

 だが、中々良い内容が思い浮かばない。

 生きるか死ぬかの世界になったのだ。

 そんなに良いことなど、あるはずもない。


(走っているときに、ちょくちょく先輩がこっちの事を気にしてくれていたのはうれしかったなぁ……視線が、私の胸や太股に向かっていたような気もするけど……)


 結局、考える内容がシンジの事になるセイ。

 肉体の事ではなく、内面の事を考えている分、先ほどよりもマシなのだろうか。


(でも、ドラッグストアの時にも思ったけど、意外と先輩、気を使ってくれている……それが、申し訳なくもあり……あれ?)


 そこで、セイは思い出した。


(そういえば……)


 セイは、目を開け、iGODを起動し、自分の制服を取り出した。

 そして、スカートのポケットを漁る。


 ポケットから取り出したのは、可愛いパッケージの、モノ。


 ドラッグストアで入手し、捨てようと思ったが、結局捨てることなく、そのままセイのポケットに入ったままになっていた、モノ。


(……どうしよう)


 セイは、シンジの部屋がある方向の壁を見る。


(あのときは捨てようと思ったけど、今、考えてみると……)


 今、セイは、二人きりなのだ。

 若い男と。

 しかも、それが、シンジである。


 胸を鷲掴みにし、全裸を見せ、スカートの中を撮影し、パンツを奪う、草食系とはほど遠い、エロ男。


 そんな男と、セイは二人きり。

 男の家で。


(……あるのかな?)


 ない、と言い切る方が、難しい。

 そもそも、セイは約束してしまっている。

 シンジについて行くとき、シンジのセクハラ行為を、許すと。

 ならば、いつ襲いかかってきても、不思議ではない。


 そう、今すぐにでも。


 セイは、ドラッグストアから持ってきたモノを、握りしめる。

 いつ来ても、良いように。


(……来たら、とりあえず、コレを付けてもらえば、大丈夫な、はず)


 保健体育で習った事を、必死に思い出しながら、セイは、備えた。





「はぁ……」


 シンジは、自分の部屋に入るなり、大きく息を吐く。


 積まれているゲームソフト。

 積まれている新品同然の、綺麗な教科書や参考書。

 それらを置いた机に、テレビに、そして、ベッド。


 何も変わっていない、部屋。自分の空間。

 そこは、シンジに、安堵と、万能感と、ちょっぴりの寂しさを与えてくれる場所。

 自室。



「常春さんは、寝たかな?」


 そんな感傷を切り変えて、シンジは、目を細め、セイの寝ている部屋の方を見た。

 動いている気配は無い。

 ちゃんと、就寝したのだろう。

 ぐっすりと眠っているセイの姿がシンジの脳内で再生される。


 その想像に、シンジは、また大きく息を吐く。


「……限界だ」


 シンジはつぶやく。

 シンジは限界だった。

 セイの事を思い、気遣い、ギリギリまで頑張ったが、もう耐えられない。

 生き物なら持っている、生きていくために必要な願望。

 欲望。

 それらが、脳髄の底から湧きあがり、シンジの理性を壊していく。

 すやすやと眠っているセイの姿のイメージが、シンジの体を自然と欲望に従って動かし始める。

 一歩一歩、シンジは歩く。

 欲望の場所へと。





「……マジ、眠い」

 

 五歩ほど歩いて、シンジはベッドに倒れ込んだ。


 そう、シンジは限界だったのだ。


 気絶を睡眠と考えたとしても、昨日マオに意識を奪われてから、シンジは睡眠をとっていない。


 校庭で数百の魔物を一人で倒し、ハイソと戦い、セイを生き返らせて、その容態を見守りつつ朝まで過ごし、その後、学校から銀行、セイの家、そして、自分の家まで、数十キロの距離を徒歩で移動。


 これだけの行動を、一睡もせずに行ったのだ。


 いくらレベルが上がり、身体能力が高くなったといっても限界はある。

 そして、今、シンジはその限界のピークに達していた。


「あー……溶けそうだ、マジで。このままベッドと一緒になって……なんだ、なんかになりそうだ」


 襲い来る睡魔。

 慣れ親しんだ、寝具。

 支離滅裂にも、なるというものだ。


「ふぁー……眠い……寝たい……けど……あと、ちょっと、やらないといけない事が……出来る対策は、しないと……安心して寝れない」


 すやすやと眠っているセイのイメージに壊されかけた、少しだけ残っている理性を頼りに、シンジは行動しようとする。


 倒れ込んだ体を、少しだけ起こして、でも、寝て、起きて、寝て。

 そんな行動を数度繰り返したあと、シンジはそのままベッドに倒れて動かなくなる。


「やっぱ、無理。……うーん、やらなくて良いか。一応、命令はしてるし大丈夫だとは思うけど……」


 寝たいという欲望。

 自分たちの安全を、より守りたいという、理性。

 二つの感情が、シンジの中で激しく争う。


「……寝よう。こんなコンディションで、出来るか分からないし。てかよく考えたら、アイツ等、役に立つか、分からないし……」


 結果、欲望が勝ってしまう。

 睡眠欲は、人間の三大欲求にも数えられるほどの強烈な欲だ。

 抗うことなど、出来ない。

 部屋の灯りを消し、シンジは、ベッドの中に潜り込む。


 毛布と敷き布団の間。


 眠るために作られた、空間。


 これほど意識を刈り取る事に特化した空間は、無い。


「……大丈夫。なんとかなる。なんかあったら、なんとかしよう。起きた俺なら、出来るはず。そうしよう。そう……し……よう」


 シンジは、目を閉じる。

 何か起きても、その時の自分が対処する。

 未来の自分に任せる。


 そんな、ダイエットが出来ない女子のような心境のまま、シンジは眠ってしまった。


 今までの状況から、寝てしまっても、何も問題は起きないと判断していたのも大きかったのだろう。

 大丈夫だと言い聞かせて。

 体の疲れを、心の疲れを、取るように。

 シンジは、本当にぐっすりと眠った。


 眠ったのだ。


 だが、


「……ん?」


 やはり、どこか緊張している部分もあったのだろうか。

 それとも、単に上がった身体能力による、反応だったのか。

 一時間ほどして、シンジの意識は、覚醒してしまう。

 感じて、しまったからだ。


(……なんだ? 何か、来る)


 寝室の扉の前に、動く者。

 それは、ただならぬ気配を垂れ流している。


(なんだ? この感覚? 何か知らないけど、ヤバい気がするのに、体が動かない)


 扉の先で、気配が動く。

 だが、シンジは目を閉じたまま、動かない。

 動けない。

 動いてはダメだと、何かに……おそらく、本能に、命令されていた。

 カチャリと、寝室の扉が、開く。


「……スゥ……ハァー……ハァー……ハァー」


 隠そうとしているのに、隠し切れていない。


 そんな、不自然な息づかいをしながら、気配がシンジの寝室に入ってきた。


「ハアァ……ハァア……」


 気配は、入ってすぐの場所に止まり、息を吸って、吐いてを繰り返し始めた。


「ハァア……フゥウ……」


 しばらくして、気配の息が、静かになる。


 帰るのか。


 そんなシンジの期待とは裏腹に、気配は、ゆっくりとシンジが眠っているベッドに、近づき始めた。


 一歩、一歩。

 音を立てないように、慎重になっているのが、シンジに伝わる。


「ッ……フゥ……フゥ……ハァ……」


 一歩、一歩。

 踏み出す度に、一度静かになった呼吸が、激しくなっているのが、シンジに伝わる。


 気配と、シンジの距離が縮まる。


 二メートルが、一メートルに。

 一メートルが、五十センチに。


 そして、とうとうシンジの足先の位置。

 ベッドのすぐそばに、気配は立った。


「……フゥ……フゥ……」


 まだ、シンジは目を閉じている。


 開けてはダメだという、確信があったからだ。


 このまま眠ったフリをするのが正しいと、彼の全細胞が告げている。


 聞こえてくる気配の息づかいを気にしないように努めながら、シンジは耐えた。


 五分。

 十分。


 しばらくすると、息の音が聞こえなくなった。


(……いなくなった?)


 確認してみたい、そんな欲求がシンジに生まれる。


(……ちょっとだけ、薄目で、ちらりと……)


 少しだけ目の筋肉を動かし、シンジは気配が立っていたと思われる場所を確認する。

 そこには、誰も立っていなかった。


(……ふぅ)


よかった。そう安堵して、シンジは目線を少し横にずらした。


(……!?)


 瞬間。


 シンジの体が、鉄のように堅く、冷たくなる。


 見てしまったからだ。


 シンジの真横に、枕元に移動していた、気配を。


 黒くて長い髪の間から見える、興奮して、充血してる、見開かれた瞳を。


(……ひぃいいいい!?)


 真夜中の枕元に立つのは、黒くて長い髪の少女だった。



 というかセイだった。

 セイはじっとシンジを見つめ続けている。

 セイであっても、怖いモノは怖い。

 シンジは急いで目を閉じて、眠ったフリを続けた。

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