第126話 セイが妄想
玄関でシンジと会話した後、セイはリビングに戻った。
セイは、ソファに座り膝を抱える。
何かを抱きしめていないと、不安だからだ。
襲撃者が、本当に襲って来ないか。
そうではない。
シンジが、戦いに行かないか。
セイを置いて、一人で。
それが不安なのだ。
セイは、目を閉じる。
耳を澄ませば、二階で何か動く音が聞こえてきた。
シンジが部屋の片づけをしている音だ。
この音が聞こえている間は、シンジはどこにも行っていないということだ。
セイは、ただ、ひたすらに音を聞く。
信じていないわけではない。
頼っていないわけではない。
信頼していないわけではない。
ただ、怖いのだ。
また一人になるのが。
置いて行かれることが怖いのだ。
何か、布が擦れる音が聞こえて来たと思ったら二階から聞こえてきた音が終わる。
それから、扉を開ける音が聞こえて、階段を下りる音が聞こえて。
セイは、思わず立ち上がり、リビングを出ようとしたが、シンジの足跡がこちらに向かってくるのを聞いて、なんとか思い止まる。
リビングの扉が開く。
「お布団、敷き終わったから、いつでも寝て良いよ」
扉から、シンジが顔を出す。
「はい。ありがとうございます」
セイは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「泊めていただくのに、寝床の準備までしていただいて」
「いいよ。……やっぱり、まだ寝ない?」
立ち上がり、頭を下げているが、その場から動こうとするそぶりを見せないセイに、シンジが訊ねる。
「はい。先輩がお風呂を上がるまで、待っていようと思います」
「そう……じゃあ、せっかくだから、ご飯の準備してて。走っている時に軽く食べていたけど、ちゃんとしたご飯はまだ食べてないし。簡単なモノでいいから」
動いた方が、気も紛れるだろう。
そう思い、シンジはセイにお願い事をした。
シンジのお願いに、セイは一瞬顔を輝かせたが……その後少し困った表情に変わる。
「ん? どうしたの?」
「えっと……あのですね」
セイは言いよどむ。
「あっ、食材の心配? 冷蔵庫とか、そこら辺に食材がまだ余っていると思うから、そこから適当に見繕って。カフェから持ってきた奴より、こっちの方が痛んでそうだから、先に使おう」
その様子を見て、セイは食材が無くて困っていると思ったシンジは、冷蔵庫の食材を使って良いと伝える。
「いえ……はい。わかりました」
セイは、否定しかけた言葉を飲み込み、頷く。
「じゃあ、よろしく」
シンジは、そう言って扉を閉めた。
(ダメだ、私)
シンジがリビングからいなくなると、セイうつむいたまま、冷蔵庫に向かう。
(先輩がお願いしてくれたのに、先輩の音を探れなくなるから、お願い事を聞きたくないって、一瞬、思っちゃった)
料理をするということは、自分が動くということだ。
自分が動くということは、自分が音を出すということだ。
もっとも身近な自分という音の発生源は、周囲の音を聞き取りにくく……気配を探りにくくする。
(……しっかりしないと。やるべき事をしないと。まずは、ご飯を……あっ)
セイの耳に聞こえてきたのは、水の音。
シンジが、お風呂でお湯を浴びている音だ。
その音を聞いて、セイは思わず、妄想する。
シンジが何も身につけずお湯を浴びる姿。
(筋骨隆々……というわけじゃないけど、締まっていて、質の良い筋肉だったような……)
握りしめると、しっかり筋が見える前腕筋群。
うっすらと、隆起している大胸筋。
ちゃんと、6つに割れている腹筋。
そして……
そこまで考えて、セイは頭を振る。
(違う違う違う、これ以上はダメ)
以前、出会ったばかりの時に見てしまった、シンジの裸。肉体。
まだ、シンジの事をそこまで意識していないときに見たシンジの肢体を元に作られたセイの妄想は、彼女自身によって終了する。
ただ、セイの顔は真っ赤だった。
妄想は終了したが、思い出してはいたからだ。
シンジの肉体を。
シンジの下半身に潜んでいた獣を。
(料理、作らないと……切り替えて……)
冷蔵庫を開けるセイ。
まだ残っていた野菜などを取り出し、何を作れるか考える。
(ダイコン……ニンジン……コレくらいだったかな? いや、もう少し大きかった……って違う!)
取り出したニンジンをセイは放り投げる。
(……他のモノ、使おう。えっと、キノコが、シメジに、ヒラタケに……キノコが、キノコ……)
セイは、手に持っていたキノコ類も投げ捨てる。
「もぉおおお、違うぅううう」
止まらない、妄想の連鎖。
セイは両手で自身の頭を抱え、ひたすらに悶え続ける。
「料理を作らないといけないのにぃいいい。うわああああ」
ちょっとしたことで、セイの脳裏にシンジの獣がらみの発想が沸いて出てくる。
「違うううう。違うぅううう」
「何が違うの?」
「それは、その……へ?」
聞こえた声に、反応して、セイは、慌てて顔を上げる。
そこには、お風呂から上がってきたシンジがいた。
「あまり長く浸かると寝ちゃいそうだから、早めに上がってきちゃった。さすがにまだ料理は出来てないよね。ごめんね」
そう言いながら、シンジは冷蔵庫の近くにある、食事をするためのテーブルに置いてある椅子に座る。
(……スウェットだ)
セイは、そんな湯上がりのシンジの姿をマジマジと見ていた。
部屋着だからだろう。
全体的にゆったりとしている、灰色のスウェット。
ゆるゆるとしているその服からは、所々シンジの体の一部を垣間見る事が出来た。
鎖骨、胸筋。
さすがに、腹筋を見るためには、もっと高い角度からのぞき込まなくてはいけないのだが……
「……何してるの?」
ちょっと、背伸びをしようとしたところで、セイの視界にシンジの瞳が入ってきた。
「……へ? あ、あうう」
その瞳を見た途端、急に今までの色々が恥ずかしくなったセイは、力なくその場にへたり込む。
「ん? どうした?」
「……何でもないです」
何を考えていたのだろうか。
自分に対するツッコミが追いつかず、セイは床に体操座りして、自分のひざに顔を埋める。
ひざくらいしか、埋める場所が無いのだ。
穴があったら、そこに埋まっているだろう。
「うーん。まあ、いっか。とりあえず、今日はもう寝ようか。常春さんも疲れているでしょ?」
シンジの言葉に、セイは、恐る恐る顔を上げる。
「……すみません、お食事、準備出来なくて」
「大丈夫。早くお風呂を上がったのは俺だし。歯磨きしてさっさと寝よう」
シンジはそう言うと立ち上がって洗面所に向かう。
「……はい」
セイも立ち上がり、シンジの後について行った。
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