第124話 セイがシンジの家に舞い上がる

「ただいまっと」


 持っていた鍵で玄関の扉を開けたシンジは、伺うように顔をゆっくり扉の間に滑り込ませながら、帰宅の挨拶をする。


 痛いほど静かな家の中から、返事の声は聞こえない。


 当たり前だ。


 この家に、今誰もいるはずないのだから。

 そんな、予想していた当たり前を少し寂しく思いながらシンジは後ろを振り返る。


「ちょっと待ってて、安全かどうか確認しないといけないから」


「はい!」


 やけに張り切ったセイの返事を聞きながら、シンジは思い込み始める。

 簡単な内容であり、思い込む必要さえ無いモノではあるが、万が一ということもある。

 確実に、完全に、完璧にするために、シンジは集中し思い込み、そして言う。


「この家にいる死鬼は、その場で一秒暴れた後、すぐ死ね」


 シンジが命令を発した瞬間、家の中から微かな物音が聞こえ、すぐに消えた。


「……やっぱりいたのか、ゴキブリ」


 シンジは、うなだれて壁に手を置く。

 物音がゴキブリとは限らないが、似たようなサイズの生物が自分の家にいたことは確定したのだ。

 嫌な気分にもなるだろう。


「なにをしたんですか?」


 うなだれているシンジの様子を心配して、セイが声をかける。


「家の安全確保と、俺が『支配』出来ているかの確認。コレで、ゴキブリとかの小さな死鬼もいなくなっただろうし、入って大丈夫だと思うけど」


 シンジは玄関の中に立ち、少しだけ迷った後靴を脱ぐことにした。

 いざという時、靴を履いていた方が、動きが取りやすい。

 だが、ここは自分の家である。

 なるべく普段通りに行動したかった。


 シンジは靴を脱いで廊下に立つ。


 靴下の下から伝わるフローリングの冷たさが、なぜか暖かく感じられた。

 少しだけ、床の感触を確かめた後、シンジは靴をアイテムボックスに収納する。

 すぐに履いて行動出来るようにするためだ。


「入らないの?」


 シンジが靴を収納し終えても、まるで動こうとしていないセイにシンジが声をかける。


「……入ります」


 先ほどとは打って変わり、小さな声でセイは返事をする。


 拳をぐっと力強く握ったかと思うと、頭を振り、手のひらでセイは自分の頬を叩く。


 そして、息を吐いた後、また拳を握り、頭を振って、自分の頬を……


「いや、早く入って」


 どう考えても情緒不安定なセイの様子に、シンジは苛立ちを隠していない声で言う。


「……すみません」


 そのシンジの声のトーンに若干萎縮しながら、セイがシンジの家の中に入ってきた。


「靴は、脱いだら自分のアイテムボックスに入れて。容量はまだ入るでしょ?」


「はい」


 セイも靴を脱ぎ、シンジの家の廊下に立つ。


「スリッパは、コレでいい? 一応、来客用のだけど」


「はい」


 肌さわりの良い毛に覆われたスリッパにセイは足を入れる。


「さて、とりあえず、電気を付けて」


 独りでに、シンジの家中の電気がついていく。


「鍵を掛けて」


 入ってくる時に、セイが閉めていた扉の鍵が、誰にも触れられず勝手に音を立てて掛かる。


「一通り、家の中を案内するから、付いてきて」


「はい」


 セイは頷き、シンジの後ろに付いてくる。


「俺の家、地下にあるけど、二階まであるんだよね。ココが一階でそこの階段から二階に上る」


 シンジは、玄関の近くにある階段を指さす。


「上にあるのは、俺の部屋と親父の書斎。あと、使っていない部屋がいくつか。だいたい物置になっているけど。で、一階のこっちの部屋が、和室」


 階段のすぐ横にあるふすまをシンジは開ける。

 そこには、畳が敷かれている部屋があった。


「そんで、こっちに風呂とトイレ」


 ふすまを閉め、シンジは廊下を進む。


 進んだ先には、二つの扉があり、片方の扉にはトイレと可愛らしい文字が書かれていて、もう片方にはお風呂と書かれている。


「そして、ここがリビング」


 廊下の奥にある扉を、シンジが開く。

 扉の先には、高級そうな黒い皮のソファや、六十インチはある大型のテレビ、陶器で出来た花瓶などが置かれた、見ただけで豪華な、だが品を残している空間が広がっていた。


「とりあえず、一息つこうか、適当に座ってって」


「はい」


 シンジは、キッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。


 食料品は、入ったままだった。


 牛乳、卵、ケチャップ、卵、ウィンナー、ちくわ……


 六日前となんら変わらないその中身に、少しだけこみ上げてくるモノを感じながら、シンジはまだ封を開けていないペットボトルのお茶を取り出す。

 食器棚からコップを取り出し、お茶を入れてシンジはリビングに戻る。


「お待たせ」


 シンジがリビングに戻ると、セイは、ソファに座っていた。

 目をキョロキョロと動かし、少しだけ腰を浮かしたり、戻したり、落ち着きなく動いている。


 そんなセイの様子を見て、シンジはテーブルにお茶を置く。


「ちょっと、お茶を飲んで待ってて」


 お茶を置いた後、シンジはそのままリビングを離れようとした。


「どちらに?」


 離れようとしたシンジの姿に、セイは半ば本能的に立ち上がる。


「お風呂の準備してくる。常春さんは、ここで、お茶を飲んで一度落ち着いて。緊張はしなくていいから」


 最後の言葉を、少しだけ強調しながらシンジは言った。

 ソレを聞いて、セイの動きが止まる。


 そのセイの様子を一瞥した後、シンジはリビングから離れた。


「……はぁ」


 セイは、倒れるように、ソファに座った。

 柔らかめのソファに、体が少しだけ沈み、包まれていく。


「見透かされていたなぁ」


 ポツリと、セイはつぶやく。

 隠そうと、治そうと、戻そうとしていた内側の動揺。

 ソレを、シンジに指摘されてしまった。

『緊張』

 まさしく、今のセイの状態である。


 実際、先ほど一通り家の中を案内されたが、実はあんまりセイはその内容が頭の中に入っていない。

 今もまだ、どこか夢心地の気分である。

『明野町』について、『明野ヴィレッジ』がシンジの家であることを聞いてから、何度も覚悟を決めたつもりだった。

 だが、いざ目の前にして、そして入ってしまうと、どうしても緊張してしまい、頭と体が上手く動かない。


(落ち着かないと)


 舞い上がっている場合ではない。

 セイは、目を閉じ、口から息を出し、そして鼻から空気を吸う。

 何度も、何度も。

 呼吸をする事で、精神を安定させる。


「……何してるの?」


「すぅしゃい!?」


 いつの間にか、シンジが戻ってきていた。

 目を閉じていてそのことに気づかなかったセイは、奇声を上げる。


「……なに? 何か匂った? 六日もいなかったから、何か腐ってるかも……」


「ち、違います! そうじゃないです!」


 セイは激しく首を振る。


「先輩の家は、とても良い匂いです! 臭く無いです! 良い匂いだから、吸っていたんです! 何度も!!」


 動揺を隠すため、誤解を解くため、セイは適当に言葉を並べて取り繕う。


「え……うん」


 そんな言葉を聞いて、シンジは心の底から引いていた。

 自分の家の匂いを良い匂いだからと、嗅がれまくるのは、正直ドン引きである。


「……まぁ、いいや。そんな事より、お風呂。もうお湯溜まったから、先に入っていいよ」


「え? もうですか」


 シンジが出ていって、まだ五分も経っていない。

 流石に、早すぎるのではないだろうかとセイは疑問に思う。


「魔法があるからな。『スイズミ』の魔法で水を出して、『ホーノ』で暖めた。まだ給湯器も動くみたいだから、足りなかったり、冷たかったらそれを使って」


 そう言って、シンジもソファに座る。


「えっと、私なんかが先に入ってもいいんですか?」


「うん。とりあえず、先に入って落ち着いてきて」


 完全に、シンジに緊張していることがバレてる。


「……わかりました」


 シンジの指摘に、何も言えず、セイはソファから立ち上がる。


「……お風呂場ってどこでしたっけ?」


 つい先ほど聞いたはずの、朧気な記憶がセイの頭に浮かぶ。

 そんなセイに、シンジは、何も言わずに立ち上がり、セイをお風呂場の前まで案内した。


「……すみません」


「いいよ。そういえば、着替えあるの?」


「はい。体操服があります」


 セイは、アイテムボックスから体操服を取り出してシンジに見せる。


「そう。シャンプーとかも、持ってきた?」


「はい」


「じゃあ、ごゆっくり。足りないのがあったら、お風呂場にあるの自由に使っていいから。じゃあね」


 そう言って、シンジは、リビングに戻っていった。


「……」


 シンジを見送って、セイは脱衣所に入る。

 制服の上着を脱ぎ、一枚一枚、服を取っていく。


(うぅ……また)


 服が一枚少なくなっていくたび、セイの鼓動が早くなっていく。

 異性の……シンジの家で、全裸になっていくという状況。

 どうしても、緊張が付きまとう。


(は、はやく入ろう)


 全ての衣服を脱いだ後、セイは、慌ててお風呂場に入る。

 シンジの家のお風呂場は、足が伸ばせるくらいの広さがある湯船が置いてあり、なかなか広い。


 実家の風呂が露天風呂で、大人が十人入っても余裕があるほどのお風呂があったセイの感覚から見ても、シンジの家のお風呂は、一般家庭から見て広いサイズだと分かった。


 セイは、軽く体を洗った後、湯船に浸かる。


「ふぅ……」


 お湯の温かさが、全身に染み込んでいく。


(気持ちいい)


 今日は一日中動いていたのだ。


 いくらステータスが上がっていたとしても、疲れはある。


(今日は、色々なことがあったからなぁ)


 朝は、ヒモなし超遠距離バンジージャンプから始まり、銀行で見たくないような光景を見て、昼は実家の愛犬の正体が巨大な化け物だと判明した。

 その後は、五十キロ近くの距離を徒歩で移動し、シンジの家にたどり着いた。

 精神的にも、体力的にも、かなりハードな一日だ。

 武術の家に生まれ、激しい訓練を積んできたセイでも、経験したこと無いような内容である。


 それでも、セイに笑顔が浮かぶ。


(一日中、先輩と一緒だったなぁ。ツラい事もあったけど、不思議と嫌な気分じゃない)


 その気分が、どこから来ているのか。

 セイは、なんとなく理解している。


(きっと、先輩が頼りになるからだ。先輩と一緒なら、どんな事でも乗り越えられる。先輩が守ってくれる。そう思っているから、私、どんなツラい事でも、嫌じゃないんだ)


 セイは、手をお湯から出し、握りしめる。

 傷一つ無いセイの拳が、水の水滴を反射して、光り輝く。


(……頑張ろう。今日がずっと続くように。ずっと一緒に居られるように。先輩に見捨てられないように)


 そのために、すべき事は……

 そこまで考えて、セイはある事に気づいた。


 セイは慌ててお風呂から上がる。


(そんな……いや、でも……)


 セイは水浸しの体を、タオルで、拭く。

 雑に、力を入れて、簡単に、素早く。


 そして、軽く体の水滴を拭いた後、体操服を着て脱衣所から出た。


「せ、先輩!?」


 今度は、しっかり覚えていたリビングの扉を開けるセイ。


 だが、そこにシンジの姿は無かった。

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