第123話 高級な食料が豊富

「ううう痛てて」


 滑り落ち、ぶつけた頭を押さえながら悶えるシンジ。


「大丈夫ですか?」


 セイが、器用に氷で出来たスロープを階段の手すりに掴まりながら下りてくる。


「くそっ……警戒しすぎて、凍らせているのを忘れてた」


 悔しそうに悪態を吐きながらシンジは立ち上がる。


「あの、お怪我は?」


「大丈夫。特に無いよ。ていうか……」


 セイに答えながら、シンジは不審そうにキョロキョロ周囲を見渡す。


「……どうしたんですか?」


「何も無いな、と思ってさ」


「何も無い?」


 セイもキョロキョロと周囲を見てみる。


 右手も、左手も、薄暗い通路が続いていた。

 左手の方は、先が見えないが、右手の方は数十メートルも行けば、行き止まりになっている。

 両方ともに、確かに何もいない。


「転けて、落ちて。何か仕掛けてくるなら絶好のチャンスなのに、何も無い。うーん」


 不満げなまま、シンジは唇を尖らせる。

 もし仮に、シンジが相手の立場なら、確実に攻撃を仕掛けている。

 なのに、地下通路の先、マンションのある方向から何も攻撃的な気配が感じられない。


 ここから、『明野ヴィレッジ』まで、直線距離で100メートルも離れていない。

 敵が、コマベエのような強者でも無い限り敵意を持って攻撃しようとしてきたら、今のシンジならば気配を読むことが出来る距離だ。

 単純に、相手は氷の矢以外に攻撃する手段を持っていないのか、それとも……


「こっちの動きを探知出来てないとか? 探知出来るのは、外だけ? 地下通路があるのに? いや、それは流石に……」


 ぶつぶつとシンジはつぶやく。


 マンションから氷の矢を打ち込んできた相手が、コマベエのような強い敵の可能性はもちろんある。

 もしくは、学校で会ったハンゾウと名乗るロナの私兵のように訓練を積んだ兵士ならば、その気配を読むのは難しいだろう。


 だが、マンションにいる敵がこれらのような強者に該当するとは、シンジは思えなかった。


 シンジは聞いたのだ。

 氷の矢が打ち込まれる前、マンションの三十五階ほどの位置から聞こえた、雄叫びのような、汚い声を。


 その声を聞いて、シンジは警戒を強め氷の矢に戸惑うことなく対応出来たのだ。

 訓練された兵士ならば攻撃前に自分の位置を教えるような真似はしないだろう。


 ならば、今マンションにいる攻撃を仕掛けてきた者はコマベエ並に強い存在なのだろうか。

 確かに、雨のように降り注ぐ氷の矢は脅威的な威力と量ではあったが。


「流石先輩ですね」


 そんな思考をしているシンジにセイは感心したように目を輝かせる。


「流石って、何が?」


「先ほど転けたのも、わざと隙を見せて相手の反応を伺う為なんですね!」


 流石です!


 とセイはさらに目の輝きを強くしてシンジ見つめる。


「え……あ……いや」


「これからは、先輩の足手まといにならないようにいっそう気を引き締めます!」


 拳を力強く握りしめ、セイは顔の前に持ってくる。

 その拳の横にある瞳は、純粋で、何の濁りもなく、シンジを見ていた。


「う……うん。わかった。がんばろう」


(いや、転けたのはマジで、わざとじゃないんだけど)


 信じ切っている、信頼しきっているセイに、そんな言葉を言えるわけもなく。

 シンジは肯定も否定もせずに会話を打ち切る。


「周囲の警戒は私がしますので、先輩はそのまま今後の対応を考えていてください! 先輩なら、どんな奴でもやっつけることが出来るはずです!」


 そう言って、セイはキビキビとキョロキョロし始める。

 そんな興奮気味なセイを見て、シンジの胸に、染みるような痛みが走っていく。


(過大評価って……痛いんだな)


 している方も、されている方も。

 寒さに似た痛みがある。


(……まぁ、でもそっか)


 過小評価は、今の状況では命取りに近い。

 だが、同様に過大に評価してしまうのも、敵を強大に見てしまうのも危ない事だ。


(攻撃前に、叫んで位置を知らせるような奴だし、強いから、気配を消しているから気配が読めないという事じゃない。相手の気配が読めないのは、相手が攻撃してこようとしていないから。相手が攻撃してこようとしないのは、単純に、こっちの位置を読めなくて、動けていないだけだ)


「よし、決めた!」


 シンジは手を叩く。大きな音で、しっかりと。


「き、決めたって」


 突然大きな声を出したシンジに、セイは少しだけびっくりする。


「これからの方針。とりあえず、こっちに行こうか」


「え? そっちって……」


 シンジが指した方角は、先ほどセイが見ていた方で言うならば、右手側。

 行き止まりの方角だ。


「行くよ」


 しっかりと、踏みしめるように歩き出したシンジに、セイは付いていく。


「こっちは、行き止まりじゃ?」


「よく見て」


 行き止まりにつくと、そこには壁の色に紛れて一見分からないようになっていたが、金属の扉があった。


「入るよ」


「え? は、はい」


 シンジは、胸ポケットに入れていた自分の財布から、一枚のカードを取り出す。

 慣れた手つきで壁の端の目立たない位置にあった装置にそのカードを通していく。

 シンジのカードを読み込んだ装置は、青いランプを点灯させ、扉から鍵の開く音が聞こえた。


 シンジは、そのまま扉を開ける。


 金属の扉の奥は、暗く、妙に冷たい空気が流れていた。


 そんな空気を気にせず、シンジは扉の奥に入る。

 セイも、その後に続く。


 セイが完全に入ったのを確認して、シンジは扉を閉め始める。


 閉め切る直前、シンジは地下通路の様子をチラリと見た。


 まったく、ない。

 見られている様子も、誰かが向かってくる様子も。


 呆れたように息を吐いて、シンジは金属の扉を閉め終わる。


「……ここは」


 扉の中に広がっていたのは地下通路よりも薄暗い、白くて無機質な通路。

 銀行の通路で少しだけ感じた、堅いイメージをこの通路からセイは感じ取る。


「作業員の人とか駅員さんが利用する従業員通路、兼隠し通路、かな」


 そう言いながら、シンジが歩き始める。

 先ほど来た道と逆側、マンションがある方角に向かって。


「隠し通路って?」


「『明野ヴィレッジ』は、お金持ち御用達の超高級マンションだからな。お金持ち様には、こういった通路が色々ご入り用なんですよ」


 シンジたちが進んでいくと、次々と目の前の通路に、うっすらとした灯りがついていく。


「……そういえば、気にしてませんでしたけど、普通に電気が通っているんですね」


「まだ、学校も電気使えたからな。自衛隊かなんかが頑張って、インフラだけでも維持しているんじゃない? まぁ、そうじゃなくても、ココは自家発電装置があるから、関係ないか」


「……流石、『明野ヴィレッジ』ですね」


 一瞬、自家発電装置があることに驚いたセイであったが、よくよく考えると『明野ヴィレッジ』は市内で一番の高級マンションである。


 金持ちの為に、駅まで作ってしまうのだ。

 それくらいの設備があって当然だと思い直した。


 自動的に付いていく通路の灯りを頼りに、シンジたちは歩き続ける。


 通路の所々に扉があり、いくつか部屋もあるようだ。

 

 だが、中に人の気配は一切無い。

 魔物の気配も。


「この通路……にも、何もいないんですね」


『明野町』に来てから、一度も魔物の類と戦っていない。

 一応、周囲の警戒もしていたセイが、この町全体の気配の無さに、今更ながら気づく。


「外の魔物は、マンションにいる奴が氷の矢とかで殺したんだろ。この通路は、閉鎖されている空間だから魔物もいないとして、駅の中とか、地下通路の場合は……」


 少し、シンジの言葉が止まる。


「どうしたんですか?」


「え? ああいや。そういえばなんでいないんだろうなって思ってさ」


 氷の矢で攻撃してきた者が、駅の中や、地下通路にいる者に対して、何か攻撃を加えることが出来ないのは、まず間違いない。

 なら、駅や地下通路で、魔物、もしくは死鬼の一匹や二匹遭遇しても何も不思議ではないはずなのだが。


「何か、まだ知らない魔物たちの習性とかがあるのかもしれないな」


「習性、ですか?」


「ああ、例えば、生きている人がいるところに集まってくるとかな」


 そんな会話をしながら進んでいると、シンジたちの目の前に二手に分かれた通路が現れた。


「分かれ道ですね」


「よし。じゃあ俺は右手に行くから、常春さんは左手に……」


 そう言って、歩き始めたシンジの腕を、セイはすぐにつかむ。


「……何でですか?」


「……冗談だよ。冗談」


 セイの瞳に涙が溜まっているのを見て、シンジはすぐに歩みを止める。


「本当ですか?」


「本当だから、腕、離してくれないでしょうか?」


 まだしっかりとシンジの腕をつかんでいたセイは、しぶしぶといった様子でシンジの腕を放す。


「えーっと。とりあえず、右手に行こうか。こっち」


 右手側。


 位置関係で言えば少し『明野ヴィレッジ』から遠ざかる方向に向かってシンジは歩き始める。


「こっちでは、マンションから遠ざかるのでは?」


 そのことに疑問を抱いたセイの質問に、シンジが答える。


「うん。ちょっと見ておきたいモノがあってさ」


 分かれ道から少し歩くと、そこにはシンジの背丈のより一メートルは高い、大きな金属製の扉があった。


「さて、こっちも開くかな?」


 そう言いながら、シンジは先ほどと同じように、胸ポケットからカードを取り出し、金属の扉の脇にあるセンサーにカードを通す。


「おし、開いた」


 カードを認知した瞬間、センサーのランプが青く点灯し、目の前の金属の扉から鍵が開く音が聞こえた。


 シンジは、大きな金属の扉を開ける。


「わぁ……」


 扉の中の光景を見た瞬間、セイは思わず感嘆の声を上げた。


 そこにあったのは、大量に積まれた段ボールの山。

 ソレが、学校の教室以上の広さの場所に、所狭しと詰め込まれている。


「ここは……」


「緊急事態の時のための、備蓄品置き場」


 シンジが、慣れた様子で部屋の中に入る。


「こんなに大量に」


 シンジの後に続いて部屋には行ったセイは、『飲料用水』と書かれた段ボールの山を見つめる。


「金持ち連中が一番に考えることは、自分の身の安全だからな。そこら辺の設備は、充実しているんだよ」


 シンジは、部屋を一周するように歩きながら、積まれている段ボールを見ている。

 確認するように。


「……ワインとかあるんですけど。これ、非常食ですか?」


 シンジの後についてたセイが、ある段ボールに書かれてある品名を見て、眉をひそめる。


「金持ち用だから」


 苦笑いしながら、シンジが答えた。

 ここにある備蓄品は、栄養面や保存性よりも、『味』を意識している品が、実は多い。


「オイルサーディン? キャビア? デコポン? まぁ、缶詰のようですし、一応保存食なんでしょうけど。コーラとか、完全にジュースじゃないですか」


 次々と目に入ってくる、やけに洒落た品物の数々に戸惑いと苛立ちを隠せないセイ。

 いくら『金持ち用』と言っても、防災用の品としてはあんまりである。


 もはや、『食料』というより、『嗜好品』だ。


「確かに、俺の父親の趣味も入っているけど、あまり保存食って内容じゃないよな。食ったら美味いんだけど……」


 そんなセイに、困ったように苦笑を浮かべつつシンジは相づちを打つ。


「いえ、私は別に、お父様の悪口を言っているわけじゃ……え?」


「え?」


 セイの疑問符に、シンジが首を傾げる。


「え? えっと、お父様の趣味というのは?」


「あっ。言ってなかったっけ? このマンションの防災やら設備の開発って、俺の父親がしたんだよ。ココに置いてある防災用の備蓄品の選定もね」


「初耳なんですけど」


 倉庫にある高級な缶詰を見たときよりも、残念な気持ちにセイは包まれていく。


 たしかに、こんないかにも施設の関係者以外通れないような道を、シンジは慣れた様子で通っていたし、持っているカードで扉のロックを開けていた。

 そのことを考えれば、シンジが『明野ヴィレッジ』において何らかの関係者なのは明らかなことであっただろう。


 だが、何か残念であり、そして、少し苛つく。


「先輩、わざと言ってないってわけじゃないですよね? 初めて聞く話が多いんですけど」


「わざとじゃないけど……というか、一昨日初めて会ったんだから、言ってない話が多いのは当たり前じゃ?」


「……そうですけど」


 シンジの、至極真っ当な意見に、反論を出せないセイ。

 反論は無いが、だが納得は出来ていない。


 小さな苛立ちが、煙のようにセイの心に立ちこめたままだ。


「さて、何も問題無いようだし、そろそろ行くか」


 倉庫の中を一周し、シンジは満足げに頷きながら言う。


「もういいんですか?」


「ああ」


 特に何か運び出すでもなく、倉庫を出ていくシンジとセイ。

 何か必要そうなモノがあったわけでもないが。

 防災用品は今はまだ必要ないし、食料品は、当分の間食べていけるだけの量をカフェから持ってきている。


「……そういえば、何で食料品を持ってきたんですか?」


 ふと、沸いた疑問を口に出すセイ。


「ん?」


「先輩は、元々ご自宅に戻ってくる予定だったんですよね? そして、ご自宅の近くには大量の食料品があるって分かっていた。なら、なんでわざわざアイテムボックスの容量をギリギリまで使って、カフェから食材を持ってきたんですか?」


「え? なんでって……」


 倉庫の扉を閉めながら、シンジは答える。


「まず、ココに食料品が残っているのか、残っていても取り出せるか分からなかったから。誰かがすでに持って行ってるかもしれないし、『明野ヴィレッジ』自体、壊れているかもしれないし」


「なるほど」


「それと……」


「それと?」


 シンジが扉を閉める。

 すると、自動的に扉から鍵が閉まる金属の音が聞こえてきた。


「常春さんの料理が美味いから。ここにある缶詰とか、全部食べたことあるけど、常春さんの料理の方が美味かったし。ここには出来合いのモノしかないから、それだと常春さんが料理出来ないでしょ? だからだよ」


 しっかりと鍵がかかっているのを確認して、シンジは歩き出す。


「ん? どうしたの? 行こうよ」


 立ち止まっていたセイに、シンジは声をかける。


「……は、はい」


 慌てて、セイはシンジの後に付いていく。


 少しだけ、頬をほころばせながら。


 セイの心にあった煙はどこかに行ったようだ。


 シンジとセイは通路を進み、先ほど曲がった場所を今度は直進する。

 そのまままっすぐ進んでいると、再び道が二つに分かれていた。


「こっちを右に行くと、『明野ヴィレッジ』の地下エントランス。で、こっちを左に行くと」


 シンジは、左手に進む。

 その後をセイも続く。


 少し歩くと、黒塗りの光沢ある扉が現れる。


「俺の家」


 シンジは、立ち止り、手を扉に向け、言った。

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