第120話 明野町がシンジの地元
「本当に、私たちの身体能力って上がっているんですね。この距離を、あのスピードで走ったのに、全然疲れてないです」
「ステータスの数値だけ見れば、倍以上は上がっているし、こんなもんだろ」
レッドゴブリンを倒した後、走って移動を始めたシンジたちは、太陽が完全に沈む前に目的地に到着した。
着いた場所は、『明野町』
雲鐘市の端に位置する、その面積のほとんどを田畑で覆われた、自然豊かな町。
その町には、ある特徴的な建物がある。
「ここは、こんな状況でも、やっぱり綺麗なんですね」
セイは、目の前にあるその豪華であり優雅でありながら品と慎ましさの残している建物に感嘆する。
『明野ヴィレッジ』
階層は四十四階。
トレーニングジムや、保育所、プールや温泉などが設置されている雲鐘市屈指の超高級タワーマンションである。
雲鐘市の中心部から遠く離れた『明野町』の中心にあるこのマンションは、都会の喧騒から逃れたいと思う市内のお金持ちが集まっており、町には、このマンション以外に、コンビニなどの必要最低限の商業施設や病院を除いて、ほとんど建物は建っていない。
『都会の利便性と、自然のやすらぎとの調和』
そのコンセプトを守るために、規制されているのだ。
一応、このマンションに住む住民の為に、近くには市の中心地、『雲鐘』まで特急で一時間もかからない電車が走る駅が出来たが、それでも周辺は閑散としておりそれが逆に『明野ヴィレッジ』の存在感を強調していた。
「田舎に現れた白亜の城……センスがいいのか悪いのか」
マンションの近くに広がる畑を見て呆れたようにシンジはつぶやく。
「農業をされている人もいるんですね。てっきり、この周辺はお金持ちの方しかいないと思ったのですが」
農家に金持ちがいないわけではないだろうが、それでも『明野ヴィレッジ』に住むにはそれなりのお金がかかる。
それこそ、中に住んでいる人物は大企業の幹部クラスの収入を得ている者が最低ラインのはずだ。
なのに、周囲の畑は手入れがしっかりと行き届いている。
この周辺には、『明野ヴィレッジ』以外に、住居らしきモノは見あたらないのだが。
「ああ、その畑は大半が企業が経営している畑か、住んでいる金持ち共が収穫だけを楽しむために畑を借りているんだよ」
「借りている?」
「ああ」
シンジは駅から伸びる線路の先を指さす。
「ここの畑の半分は、隣町に住んでる農家さんたちのモノなんだけど、その農家さんにお金を出すことで、ここの金持ちは自分たち専用の畑を栽培してもらってるのさ。そして、収穫の時期にだけ顔を出して採取するんだよ。『私たちが育てた野菜でーす』てな」
シンジは言った後、鼻で笑う。
「素人が、美味しい野菜を育てるなんて難しいからな。忙しい金持ち連中ならなおさらだろ。結局、ここの『自然』ってのはお金で買った『自然』なわけだ」
シンジは、あまりこの場所が好きではないのだろうか。
先ほどから、批判的な意見が目立つ。
「ずいぶん、詳しいんですね」
「ん? そりゃ自分が住んでいる所だからな」
「…………え?」
あっさりと、事も無げに言ったシンジの言葉にセイは絶句する。
「え? 先輩『明野ヴィレッジ』に住んでいるんですか? とんでもない金持ちじゃないですか!?」
「そうでもねーよ。コタロウがここに引っ越すからって、格安で部屋を提供してもらっただけだからな」
さらっとした、シンジのカミングアウトが続く。
「……いくつか、おかしなところがあるんですけど、部屋を提供って?」
「ああ、このマンションのオーナー、コタロウの親父さんなんだよ」
「はぁ!?」
セイの驚愕の声が、周囲に響く。
「え? ……はぁ!? ここのマンションのオーナーって、コタロウ先輩って……」
「だから言ったじゃん。コタロウの親はお金持ちって」
「お金持ちって……」
お金持ちという、レベルの話ではないではなかろうか。
四十四階建ての、高級マンションのオーナー。
シンジの親友、コタロウの親はどれだけの資金があるというのだろうか。
「そんなに驚く事じゃないと思うけどな。あのロナって子と比べたら、大した事ないだろ?」
シンジの指摘に、セイはなるほどな、と思いながら北の方角を見る。
遠くに、並ぶようにそびえている山脈の先にあるのが、ロナ・R・モンマスの家。
以前、一度だけセイも行った事があるが簡単に言えば、そこは一つの街だった。
この、『明野町』よりも広い広大な敷地に『明野ヴィレッジ』よりも高いビルがいくつも建っているのだ。
それに比べれば、確かに一つのビルのオーナーというのは大したことでは無いのかもしれない。
「そうかもしれないですけど……でも、確実に私の家より金持ちですよね? なら、お金のためにわざわざ私の家に寄らなくても良かったんじゃ」
そんな疑問をセイが抱く。
「え? ンー……まぁ、言われれば、確かに、そうかも」
アハハと、シンジは笑う。
その笑いを見て、セイの胸中に何とも言えないモヤモヤとした違和感が広がっていく。
シンジの笑いは、誤魔化している笑いだ。
だが、何を誤魔化しているのか。
セイにはよく分からなかった。
「まぁ、そんな話は置いておいて、ちょっと行きたい場所もあるしそろそろ動こうか」
「……えっ…は、はい」
モヤモヤは残ったが、ソレを問う術を、セイは持っていなかった。
何も聞けず、セイはシンジの後に付いていく。
「……じゃあ、これからは、ここを……先輩のご自宅を拠点に、活動をするんですか」
話題を変える事は、セイにも出来た。
セイの問いに、シンジは頷きながら答える。
「ああ、便利な場所ではあるし」
周囲には、作物を作るためだけに開発されてきた広大な土地。
当分の間の食料も数件だけあるスーパーやコンビニから奪う事も出来るし、薬やその他の雑貨も病院やドラッグストアで入手できる。
『明野ヴィレッジ』は、今の状況で生きていくのに最適に近い場所だろう。
「何より、雲鐘が遠いしな」
「え?」
「何でもない。それより、まずはあそこに行こうか」
シンジは、近くにある建物を指さす。
「ドラッグストア……薬を調達するんですか?」
「うん。それ以外にも、カフェとかには無かったモノが色々あるだろうし」
『薬』と大きく書かれた看板のお店に、シンジとセイは入店する。
もちろん、シャッターは下りていたのでシンジが爆破して入り口を作っての入店だ。
お店には、大量に並べられた医薬品と一緒に、ペットボトル飲料やカップラーメンなどのインスタント食品が所狭しと置かれていた。
だが、人の気配はない。
魔物の気配も。
「……何も、誰もいないみたいですね」
「開店前だったのかもな。シャッター下りてたし。でも、となると九時前くらいには襲われたってことになるのかな?」
「私たちの学校が襲われたのが、一限が始まってしばらくしてからなので……」
「時差とかなぁ。まぁ、ここは勇者様が暮らしていた家がある場所だし、優先的に狙われた、って場合もあるのかもしれないな」
そんな会話をしながら、シンジとセイは軽く一周、ドラッグストアの中を歩いてみた。
やはり、人や魔物の気配はない。
「……やっぱり中には何もいないな。じゃあ、とりあえず解散で。適当に、必要そうなモノを集めてきて、十五分後に、店の入り口に集合しよう」
シンジは、そう言うと一人で店の奥に進もうと歩き始める。
「ちょっ、待ってください!」
そんなシンジの後をセイは追いかける。
「え?」
「なんで、置いていこうとするんですか!」
そう言いながら、セイは、しっかりとシンジの服の袖をつかんだ。
離れないように。
「いや、入り口に集合って言ったじゃん」
「一緒に行けばいいじゃないですか。必要なモノがあるなら、一緒に探しましょうよ」
セイの袖を握る力が強くなる。
「いや、俺は別に必要なモノは無いんだけどさ」
困ったような表情を浮かべて、頬をかくシンジ。
「必要なモノが無いなら、なんでここに来たんですか?」
「いや、常春さんには、必要なモノがあるでしょ?」
シンジの問いにセイは首をかしげる。
セイは、ドラッグストアに必要なモノはない。
今自分に必要なモノは、セイ自身がしっかりとその手に握っているのだから。
「えっと、今から常春さんは、俺の家に来るわけじゃないですか」
セイのその様子に、自分の意図を理解されていないと判断したシンジは、セイの目を見つめゆっくりと話し始める。
「はい」
「俺の家族は、子供は俺だけで、簡単に言えば若い女の子が使うようなモノは少ないわけですよ」
「はぁ……」
まだ、セイはシンジが何を言いたいのかピンと来ていないようだ。
気の抜けたような返事だけしか返していない。
「だから、例えば、シャンプーとか、必要なモノが常春さんにはあるんじゃないでしょうか?」
「いえ、特にそういったこだわりはないので……先輩のご自宅にあるので、私は大丈夫です」
セイは、はっきりと答える。
「あっ、でも、もし先輩がご迷惑と言うのなら、適当に見繕っていった方がいいですね」
セイは、シンジの袖をつかんだまま、シャンプーなどが置いてあるコーナーに向かおうとする。
「いや、それ以外にもさ」
その動きに抵抗するように、シンジはかたくなに足を止める。
「……それ以外?」
セイが再び首を傾げたの見て、シンジは天を仰いだ。
「それ以外ってハブラシとかですか」
「いや、そうじゃなくて」
仰いだ顔を下に戻し、シンジはぽつりとつぶやくように言う。
「例えば……その」
「その?」
「……………………生理用品、とかさ」
「……………………………………………」
シンジが言った瞬間、静かだったドラッグストアの空間から完全に音が消えた。
「…………えーっと」
「いや、例えば震災の時とか、こういった状況だと、意外と無くて困ったモノの中に、そういったモノがあったって聞いた事があってさ。今は、このドラッグストアが誰にも荒らされていないから置いてあるけど、明日にはどうなるか分からないし、確保しておけるならなるべくしておいた方がいいかなってね。ハハ、ハハハ」
セイが何か言い始める前に、あわてて言い訳を並べ始めるシンジ。
かなり焦っている。
なぜ、男性がこういったモノを話題にすることは、気まずいのだろうか。
CMなどで大々的に広告されている物品のはずなのだが。
「……分かりました」
「分かった? じゃあ、俺は一人で適当にお店の中見てくるから、自分が必要そうだと思ったモノを集めておいて。じゃあ!」
「あっ……」
セイが握っていた手を振り払って、シンジは食料品などが置いてあるエリアの方へ消えていった。
「……うう」
手から温もりが離れて、急にセイの胸が冷たくなる。
孤独の寒さに耐えられなくなって、シンジの後を追おうとセイは歩き始めるが、数歩歩いてすぐに止まった。
「……十五分後」
言い聞かせるようにつぶやいた後、セイは大きく息を吐いて歩き始める。
大股で。
早歩きで。
力強く。
無理矢理に。
向かった先は、女性用品を扱っているエリア。
普段使っているモノを撮影していき、どんどんアイテムボックスに入れていく。
(……このためか)
シャンプーやトリートメント、歯磨きの他に、化粧品など、目に付いたとりあえず確保しておきたいモノを、次々と、八つ当たりのようにアイテムボックスに入れていきながら、セイはシンジの気遣いに気が付いた。
(わざわざ、私にアイテムボックスを習得させたのは、こういう時のため)
確かに、セイ自身はまだ周期ではないため忘れていたのだが、長期的な面で考えれば、そういった問題は出てくる。
その問題を解決するための道具を、男性に預けるのは抵抗がある事だ。
他に、下着や、着替えもそうだ。
だから、シンジが一トンもの容量があるアイテムボックスを持っていても、セイが個人的なアイテムボックスを持つことは、必須だったのだ。
(本当に、腹が立つ)
自分のデリカシーのなさに。
自分自身に、セイは怒りを覚えていた。
シンジは気を利かせて色々手を打っていたのに、セイはそれに気づかず、あまつさえシンジに恥をかかせるような事をしてしまった。
いつも冷静なシンジが、セイに女性用品について言った時に見せた、顔を真っ赤にしてテンパった様子が、セイの脳裏に浮かんでいく。
(……まぁ、戸惑っている先輩は、可愛かったけど!)
珍しいシンジの様子が見れて、少し嬉しい気持ちもあるが、その原因が自分だと、その嬉しさも半減だ。
(とにかく、これから先輩の家にお邪魔するんだから、失礼の無いように、しっかり準備しないと!)
女性用品のエリアにある使えそうなモノを入れ終えたセイは、他に何かないかドラッグストア中を見て回る。
(……さすがに、殺虫剤はいらないか。ティッシュは、いくつかあった方が便利かな。芳香剤って、そういえば先輩の家ってどんな匂いなのかな)
そんな事を考えている時、ふいにセイの脳裏にある事実が浮き上がってきた。
(……あれ? そういえば、今から私、先輩の家に行くのよね?)
シンジの話によれば、シンジの両親は別の所へ移動しているらしい。
つまり、今シンジの家には誰もいない。
そこに行くということは、セイは、シンジと二人だけで、シンジの家に泊まるということだ。
生活するということだ。
(あれ? あれれ?)
今更ながら気づいた事実に、困惑しながらセイはドラッグストアを歩き回る。
もう、商品は視覚情報になっていない。
ただ視界に入り、消えていく。
(えっと、先輩の家にお泊まりするって事は、つまり……でも、いや、さすがに)
二人だけで夜を過ごすというならば、学校のカフェですでにあったことだが、そのときと今では状況が違う。
場所が学校という公の場所ではないし、何よりセイの心情が、かなり変わってしまっている。
(ど……どうしよう)
セイは、本当に困惑していたのだろう。
いつのまにか、初めの女性用品が置いてあるコーナーに戻ってきていた。
コーナーの端っこの方で、セイはしゃがみ込む。
(ま、まぁ、でもいきなり、そんな事無い、よね? 学校の時も、無かったし。先輩、ちょっとエッチだけど、流石に)
何となく、セイは目の前にある商品を手に取る。
何か、商品の説明などを読めば気分が紛れるかもしれない。
そんな気持ちで手に取った商品の表には、可愛いキャラクターが描かれていた。
そのキャラクターに少しだけ気持ちが和んだセイは、商品を裏返す。
「えーっと。ぽかぽかゼリーで、いちゃラブ……?」
商品の説明を読み進めていたセイの動きが、止まる。
最後まで読んで、改めるように商品を表に戻したセイは、書かれている可愛いキャラクターの姿を確認し、再度裏返す。
「……これって」
商品の説明に書かれている、一般的な商品の名称に、セイは見覚えがあった。
セイの記憶が確かなら、その名称は、保健体育の授業の時に、習ったモノだ。
ゴムで出来たソレは、病気の感染を予防するために作られた、道具。
「……コンドー」
「どうしたの? 常春さん?」
「ひゃひゃああああああいいいい!?」
突然、声をかけられ、セイは奇声を上げる。
「時間になっても来ないから、心配したんだけど」
セイから五メートルほど離れた所に、シンジが立っていた。
「す、すみません! すぐに行きます!」
あわてて手にしていた可愛いキャラクターがパッケージされていた商品をスカートのポケットに突っ込んで、セイは立ち上がる。
「……何があったの?」
セイの様子がおかしい事を気にしたシンジが、歩きながら近づいてくる。
「な、何も無いです! 行きましょう!」
突進するかのような勢いで、セイはシンジにぶつかりそのまま店の外へ誘導する。
「え? わ、わかったから押さないで……」
(こ、これ、どうしよう……)
困惑しているシンジを押しながら、セイはポケットにあるモノをどうすべきか悩んでいた。
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