第119話 貸しが無くなる

「異世界、ですか?」


 山を下り、先ほどハイソの杖の使い方を練習していた公園の前を歩くシンジとセイ。

 話しているのは、なぜ、セイの飼い犬コマべえがセイの帰宅を拒否したのかについてだ。


「ああ、多分常春さんの家の近く、というかあの山が、異世界に近い場所か、異世界につながっている場所なんだと思う」


 iGODを見ながら、シンジは言う。

 今のところ、周囲に魔物や死鬼の気配はない。


「異世界に近い、ですか。……なんでそんな事が分かるんですか?」


 周囲を警戒しながら、セイが訪ねる。

 コマべえの時のように、シンジの警戒を抜ける存在がいないとも限らない。


「ん? 木が綺麗な緑色だったから」


 シンジは、自分たちが下りてきた山を指さす。


「もう、十一月。紅葉しない木があるといっても、自然に生えた木がある山だ。一本も紅葉してないのはおかしいでしょ。というか、イチョウとかカエデの木もちゃんと生えていたしね。まったく紅葉してなかったけど」


 そういうと、シンジはすぐにiGODに視線を戻す。

 まるで歩きスマホをしている若者のようだが、見ないと危険なためしょうがない若者だ。


「確かに、うちの山はよく紅葉とか桜の咲く季節がずれていましたけど。けど、それと異世界のなにが関係しているんですか?」


 きょろきょろと、若干自分の家がある方向の見る回数を増やしながら警戒するセイ。

 まるで、初めて田舎から都会に出た、孤独な若者のようだが、周囲を警戒しないといけないため、しょうがない若者だ。


「ああ。なんかコタロウの話だと、向こうとコッチじゃ季節がずれているらしんだよ。ちょうど三ヶ月くらい。そのずれが、常春さんの家の周囲の環境に影響を与えているんじゃない? まぁ、全部予想だけど」


 ただ、その予想はコマべえの反応などから見るに、そう外れていない予想だとシンジは思っているが。


「なるほど……でも、私の実家が、そんな異世界に近い場所だということは、私の祖父や父が、異世界と関係があるのは、間違いなさそうですね」


「思ったより、驚いていないんだな」


 淡々としているセイに、シンジが尋ねる。


「そうですね。ついさっき、コマべえが大きくなったのを見たばかりですから。今更実家が異世界につながっているだとか、近い場所だとか言われても、それがどうした、という気持ちはあります」


 ああ、コマべえと、セイが嘆く。


 小さくてかわいい飼い犬が、化け物のような巨大な犬に変わったのだ。

 かなりのショックを引きずっているようだ。


「そういえば、コマべえが、清龍とか言っていたけど」


「それは、私の祖父ですね。常春 清龍(とこはる せいりゅう)。父は常春 清一郎(とこはる せいいちろう)です。今思えば、コマべえ、祖父の前だと、やけにきっちりとしたお座りをしていたような。私相手だと、遊んでいたりしたんですけど」


 コマべえの台詞から、おそらくコマべえの主はセイの祖父であろう。

 その主の前では、遊ぶことなど出来なかったようだ。


「散歩も、絶対山から出なかったし……あ、そういえば」


 セイは、何かを思い出したように制服の内ポケットを漁る。


「路銀、もらっていたんでした。ちょっと確認してもいいですか?」


 セイのお願いに、足を止めて答えるシンジ。


「ああ、いいよ。どこか座る?」


「いえ、大丈夫です。このままで」


 セイは巾着袋を開け、中身を見る。


 中には、手紙と、何か白い封筒に入っているモノがあった。

 まずセイは手紙を取り出す。


「祖父と父からの手紙ですね。内容はコマべえが言っていたモノとほとんど一緒です。こっちは……」


 手紙を軽く一瞥した後、巾着袋の中にもう一つ入っていた白い封筒を取り出すセイ。


「金……ですかね?」


 その中身を取り出し、シンジに見せる。

 スマホくらいの大きさの、光り輝く黄金の板だ。


「金っぽいね。純金かな? その大きさだと、一キロくらい?」


 セイが持っている純金の板を見るシンジ。

 綺麗な光沢が、シンジの顔を反射している。


「そうですね。それくらいの重さだと思います。……なんで分かるんですか?」


 見ただけで、あっさり金の重さを当てたシンジに、セイは疑問を感じる。

 純金は、実際に持つと想像をはるかに越えるほど重い。


 スマホの重さが200グラムを切るのだ。

 それと同じ大きさのモノが、なぜ五倍以上の重さだと分かったのだろうか。


「コタロウの親がちょっとした金持ちでさ。金の延べ棒とかいくつか家にあったんだよ。それを触らせてもらったりしてたから、なんとなく分かるんだよね。あ、ちなみに、金一キロだと、だいたい四百万円は価値があるからね」


「四百!?」


 シンジから聞いた、今自分の手元にある板の価値に驚くセイ。

 純金は、想像以上に重いし、価値があるモノなのだ。


「四百……」


 しげしげと、純金の板を見つめるセイ。

 まるで、その板に自分の考えを染み込ませているかのように。


「あの、先輩、コレ……」


 そして、セイは純金の板をシンジに差し出す。


「ん?」


「これ、先輩が貰ってください。今までのお礼です」


 山吹色に輝く光が、シンジの顔に反射される。


「さっきの三百万円と、蘇生薬の分か」


「はい」


 うなづくセイの手から、シンジは純金の板を受け取る。


「じゃあ、ありがたく受け取るよ。コレは俺がポイントに変えるね」


 シンジの返事を聞いて、ほっと、セイは息を吐いた。


 また、自分の強化のためにお金を使われるのではないか、受け取ってもらえないのではないか、と心配していたからだ。


「問題は、金をポイントに変えることが出来るかだけど」


「あっ」


 シンジに指摘され、初めてその事に気づくセイ。

 受け取ってもらえるかどうかに意識を取られ、金がポイントとしての価値があるか気にしていなかったのだ。


「まぁ、大丈夫だとは思うけど」


 シンジは、片手で金の板を持ちながら、iGODで撮影する。


「……よし。いけた。……だいたい45000ポイントか。やっぱり、今の金の価値と大差は無いみたいだね」


 金はポイントに変換出来るのか。

 変換出来たとして、そのときの価値は、今の世界での金の価値と差違はあるのか。


 心配な点はいくつかあったが、問題なくポイントに変換できた。


 まぁ、金の市場の価値は、円よりも普遍的なモノであろう。

 そう考えると、金をポイントに変換出来て、当たり前なのかもしれない。


「そうですか、良かったです」


 セイは、再び安堵の息を吐く。


 もし、金をポイントに変えられなかったら、何の意味もない。

 恩を返せたと、心の底から安心する。


 これで、やっと……


「……これで常春さんは、いつでも俺から離れる事が出来るわけだ」


「……え?」


 唐突に、シンジが言った。


「え? なんで……」


「だって、コレで常春さん、俺に借りが無くなったじゃん。さっきの三百万円に、蘇生薬の分の百万円。始めて会ったときの分の治療とか考えると、残りの五十万円でお釣りがくるくらいだしな……」


 指を立てていき、今までのセイとシンジの間にある貸し借りを数えていくシンジ。

 その仕草は、どこか陽気で、笑顔にあふれ、鼻歌さえ聞こえてきそうだ。


「そ……それは」


「良かったね。コレで常春さんは自由だ。俺への恩とか感じなくても良い」


シンジはそう言って、セイに笑いかける。


「う……うぐうううう」


 そんなシンジと対照的に、セイの瞳には今日何度目になるかわからない涙があふれ出していた。


「あれ? 何で泣いているの?」


「だってえ……」


 涙が鼻水に変わり、セイの声を聞き取りにくくさせる。


「私は……私は……」


 セイは、初めて気付いた。

 恩、義務、責任。

 そんな鎖が消えた時の孤独に。


 無くなったモノが、無くそうと思っていたモノが、実は強力なつながりの一つだった事に。


 セイの体が、小刻みに震える。

 雨の中捨てられた、子犬のように。


「私は、私は……」


 音が聞こえるくらい、セイは鼻から息を吸う。

 言わなくては、いけない事を言うために。


「わ、私は……私は、先輩と一緒にいたいんです。貸し借りとかじゃなくて、一緒にいたいんです! 理由とか……そんなのじゃないんです!」


 言い切って。

 セイはさらに泣く。

 伝わるように。聞こえるように。

 涙の重さで、顔が下がってしまっていたが、セイは一生懸命に泣いた。


「うん。分かった」


 いつの間にか、セイのすぐそばまで来ていたシンジは、涙で汚れた顔をのぞき込む。

 先ほどと同様、陽気な様子で、笑顔のままで。


「じゃあ、行こうか」


 そう言って、シンジはすぐに振り返り、歩き始める。

 まるで何事も無かったかのように。


「うう?」


 そんなシンジの様子に、さすがのセイも、違和感を覚える。


 両者の間にある、温度差。


 シンジから、一緒にいる理由が無いと言われたとき、セイはこの世の絶望さえ感じていたのに。


 孤独になると、恐怖したのに。


「あの、先輩?」


 まだ、涙を止められないまま、セイは歩き始めたシンジについて行く。


「何?」


「なんで、先輩はそんなにうれしそうなんですか?」


 一緒にいる理由が無くなったのに。

 やはりシンジは、自分と一緒にいたくないのではないか。


 そんな心配が、再びセイの脳裏をよぎる。


「だって、これでちゃんとしたパーティーになれたじゃん」


 そう言って、振り返ったシンジの顔は、笑顔のままだった。

 心配することなど、何一つないのだと言っているような、笑顔だ。


「ちゃんとした?」


「うん。貸し借りとか関係なしで、一緒に行動したいからする。仲間。それになれた。やっとね」


 シンジは、セイに右手を出す。


「え?」


 その手の意味が分からず、セイは首を傾げる。


「え? じゃなくて、握手」


「きゃっ!?」


 そんなセイの右手を、シンジは無理やり掴む。


「こ、れ、か、ら、も、よ、ろ、し、く、ね!」


 十回。


 大きく上下に手を動かした後、シンジはセイの手を離す。


「……」


「よし。じゃあ、今度こそ出発!」


 シンジは再び歩き出そうとするが、セイはその場で固まったままだった。

 いっさい動こうとしない。


「……何? 来ないの? それともさっき言った言葉、嘘だった? 俺と一緒にいたいって」


「い、いえ! 違います! 行きます!」


 シンジに言われて、セイは無駄に手足を早く動かして、歩き出す。


「い……一緒にいても、いいんですよね?」


 シンジの後ろをついて行きながら、セイが尋ねる。


「さっきから言ってるじゃん。いいって。よろしくって」


 呆れたように、シンジは返答する。


「それに、貸し借りは無くなったけど、役割は無くなってないからな」


「役割?」


「俺が前で、常春さんは後ろ。ちゃんと警戒してた? いつコマべえみたいなのが襲ってくるかわからないよ?」


「あ……は、はい!」


 慌ててセイは顔を前後左右に動かす。

 田舎から出てきた、夢に溢れた若者のように。

 

 そんなセイの様子をちょっとだけ振り返って、苦笑しながら見た後、シンジは前を向く。


 その顔に、笑顔は無い。


(泣いたか……ちょっとは戻ったかと思ったけど、予想通りの反応だったな)


 コマべえから路銀を貰い、その金でシンジとセイとの間の貸し借りが無くなった時。

 セイは狼狽し、泣き出すだろうというシンジの予感は、そのまま現実になった。


(一緒にいたいとか、愛の告白みたいな言葉まで言い出すとか思わなかったけど、まぁいいか)


 満点ではないが、シンジは先ほどのセイとのやりとりに概ね満足していた。

 シンジが危惧した、最悪の状況は避けられそうだからだ。


(あのまま、俺が貸し借りの事を指摘しないで、常春さんが自分で気づいたら、最悪、常春さんは自分で俺に新しい借りを作ろうとしたかもしれないしな)


 例えば、ワザと魔物に殺される、など。

 愛を確かめるために自傷行為をする人のような行動をセイがとってしまう可能性は、大いにあるとシンジは危惧していた。


(その可能性は無くなったわけじゃないけど、一応、常春さんの路銀のおかげで必要最低限のポイントはゲット出来たし、後は……)


 シンジは、iGODの地図で、目的地を確認する。


 ここから目的地まで、直線距離で約三十キロ。

 今のシンジたちなら、暗くなるまでには、そこに到着出来るだろう。

 もう、しばらくの間は自動販売機を襲う必要も無いだろうから。


(でも、ATMだけは、チェックしとかないとな)


 お金や、ポイントのためでは無く、動向を探るために。


 道中確認しておくべきポイントを整理するシンジ。

 そんなシンジに、セイが背後から声をかける。


「……先輩、左手から、魔物が」


 セイが指し示す方向には、赤色のゴブリンが数匹いた。

 レッドゴブリン。

 通常の緑色の皮膚のゴブリンより強い、獰猛なゴブリン。

 もちろん、それらはシンジのiGODに表示されていた。


 表示されていたが、シンジはわざと避けなかった。

 レッドゴブリンは通常のゴブリンよりも強いが、今のシンジたちからしたら雑魚に変わりはないからだ。


 

「じゃあ、常春さん。任せた」


「はい!!」


 嬉々としながらセイが飛び出す。


(……えーっと、後何をしなくちゃいけないっけ。とりあえず、向こうに着いたら……)


 コレからの事を思案しながら、シンジはセイがレッドゴブリンを殲滅しているのを眺めていた。

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