第118話 昼食が終わる

「……おじいちゃんたちは、今ロナさんの家にいるの?」


 鍋に入っているうどんをすするのを止め、セイは小さな白い自分の飼い犬に確認する。


「ああ、警備の仕事で、モンマスという奴の家に向かった。奥方や、息子共を連れてな。会いたいなら、自力で来い、だそうだ」


 フライパンの中に口を入れ、つるつるとうどんのコシと絡んでくる出汁のうま味を楽しみながら、セイの飼い犬、コマべえは、あっさりと彼女の家族の居場所と伝言を告げる。


「……そう」


 セイは、息を吐くようにそうつぶやくと、ほど良い温度になった鍋を自分の膝の上に乗せ顔を下げた。

 箸を持っている手が、堅く握られ、白と赤の二色に分かれていく。

 コマべえから得た自分の家族の情報。

 それは、セイにとってあまり良いものでは無かった。

 セイの足を切り落としたのはシシトだが、セイはロナが自分に向けた目を忘れてはいない。


 軽蔑。

 哀れみに混じる、確かな怒り。


 上から目線に乗せられたその感情は、あのとき、セイの心を確実に抉っていた。


 自分の足を切り落とした男と、見捨てた女。

 そんな二人がいる場所の警護に、自分の家族たちがいる。


 そんなセイの様子を、横目でシンジが確認する。

 何か、声をかけるべきか。

 そんな事を考えていると、前から送られている視線に気づきシンジはその方向を見る。


 そこでは、コマべえが、何も言わず、顎を動かしていた。


(何があった?)

 か

(何とかしろよ)

 おそらく、そのような意味の仕草であろう。


「……ロナさんの家か。あそこ、結構遠いよな。山を越えないといけないし。どうする? 行く?」


 コマべえに催促されなくても、声をかけるつもりだったシンジは、答えが決まっている質問をセイに投げかける。


「行くわけ無いじゃないですか!」


 その、決まっている答えを返しながら、セイは顔を上げた。


「あそこには、ロナさんと……それに、シシトくんもいるんですよ?」


「だよね。けど、ロナさんの家って、超金持ちでしょ? 大金の匂いしかしないでゲス」


 しっしっしと手を口の前に当て、顔を小刻みに上下に動かすシンジ。

 その仕草が冗談だとセイでも分かるが、どこか呆れを誘ってくる。


「大金って、いくら先輩でも、人がいる家のお金を盗んだりしないですよね? 私の家は……まぁ、私だからいいでしょうけど」


 唇をとがらせ、シンジを睨むように目を細めるセイ。

 その目に、少し軽蔑の感情が入っていたが……怒りや哀れみはない。


「ああ、金と言えば」


 そんな二人のやりとりを見ていたコマべえが、ポンと前足の肉球を合わせる。


「清龍から、預かりモノじゃ。もう言ってしまったが、今、清龍がおる場所などを書いた手紙と、それと、路銀じゃ」


 器用に前足を動かして、首輪の間からスマホのような道具を取り出すコマべえ。

 どうやらふさふさとした毛に隠れていたようだ。

 コマべえの毛の色と同じ、真っ白いスマホだ。


 コマべえは、前足でその白いスマホをたたき、操作を始める。


「……それ、コマべえのiGOD?」


「そうじゃ」


 操作と言っても、セイやシンジから見たら、子犬が板を叩いているようにしか見えないその光景。


 目の前の犬が、しゃべらず、巨大化していなければ、それは単純に微笑ましいだけの光景だっただろう。


 今は、何か違和感を感じてしょうがない。


「なんで、スマホみたいな形なんだ?」


 その違和感の一つを口に出すシンジ。


「この形式のiGODは、向こうで一番普及しておる形じゃぞ? 板に文字が浮かぶだけじゃしの」


 ペチペチと、iGODを叩くコマべえ。


 確かに、今でこそスマホは最新機器の形状の代表みたいなモノであるが、実際はかなりシンプルなデザインである。


 板に文字が表示されている、と考えれば、スマホのようなデザインのiGODが一番多くても不思議ではない。


「すまん、待たせたの。これじゃ」


 iGODから、小さな紫色の巾着袋を取り出したコマべえは、それを咥えた後セイに向かって放り投げる。


「あ……うわ、重っ!?」


 巾着を受け取ったセイは、その袋のあまりの重さに戸惑ってしまう。

 何が入っているのだろうか。

 気になったセイはつい巾着袋の口を絞めているヒモに手をかける。


「中身が気になるじゃろうが、後で開けてもらってよいかの? うどんが伸びてしまってはいかん」


 だが、セイはコマべえにそれを止められる。


「あっ……ああ、ごめんなさい。そうね、先に食べましょう」


 受け取ったばかりのモノの中身を、相手に了承を得ずに確認するのは、少し行儀が悪かったかもしれない。

 その指摘を、飼い犬にされ、セイは恥ずかしくなった。


 誤魔化したいのか、顔を隠すようにうどんをすするセイを見ながら、シンジはうどんを食べ終え、デザートにリンゴをかじっていた。



「馳走になった。お嬢。それに小僧」


 口の周りに付いたうどんの出汁を、名残惜しそうにペロリと舐め終えたコマべえが、満足げに目を細めている。


 岩の上で、前足を伸ばして、伏せをしているその姿は、どう見てもリラックスしている子犬にしか見えない。


「そういえば、ネギとか入っていたけど、大丈夫だったのか?」


 そんなコマべえの横で、広げたゴミ袋を片づけていたシンジが、作業を続けながら聞く。

 ネギは、犬にとって毒のようなモノだ。


「ああ、我は犬ではなく、精霊のような存在だからな。旨い不味いの概念はあるが、消化出来ない食べ物など……あっ」


 自分が、どういった存在か。


 言わないと決めていた情報をさりげなく聞き出された事に、コマべえが気づく。


「小僧……貴様」


「自分で言ったんだろ? 俺が聞いたのはネギの事だけだ」


 にらみつけてくるコマべえの視線を笑いながら受けるシンジ。

 もう、ゴミ袋の回収は終わり、次は使わなかった食材を片づけていく。


「コマべえ、ネギ食べれたんだ。だったら抜かないで作った方が良かったかな」


 使用した鍋や包丁などの調理器具に、練習がてら修繕魔法を使用していたセイが、残念そうにつぶやく。

 セイは、ちゃんとコマべえのうどんにはネギを入れていなかったのだ。

 それが裏目に出てしまったのではないと少し悲しくなった。


「……いや、かまわんよ、お嬢。ネギなど無くても、旨かった。ネギが入っていなかった事に、気が付かんくらいにの。ここ数日で、一番の馳走じゃった。だから気に病むことはない」


「ここ数日って、今まで何食べてたんだ?」


 さりげなく、会話に入ってきたシンジ。

 もう、セイが魔法をかけているモノを以外、片づけは終わったようだ。

 そんなシンジに、コマべえは警戒の目を向ける。


「飯の最中はほとんどしゃべらんかったくせに、終わってからはペラペラと饒舌じゃの? 小僧?」


「ん? そうか?」


 コマべえの警戒に、シンジはおどけてみせる。


「まぁ、いい。特に何も食ってはおらん。草木にたまる雨露があれば、我は生きていける。我はそういう存在じゃ。それでも、旨いモノは旨いがの」


 シンジに対する目を、警戒から呆れに変えるコマべえ。

 満たされている者は、よく語る。

 ヒトも、精霊も。


「雨露……つまり、水と、それとここの魔力があればいいなんて、精霊って便利なんだな」


 指を一つ、二つと立てながら、感心していくシンジ。


「……その手には乗らんぞ?」


 そう言って、コマべえは開いていた目を閉じる。


「あ、そう」


 さりげなく、シンジが増やした『ここの魔力』という言葉に対し、回答を拒否したコマべえ。

 否定ではなく、拒否した時点で、それはすでにシンジに情報を与えてしまっているのだが。


「……本当に、食えん小僧じゃの。まるでアイツにそっくりじゃ」


「……アイツ?」


「ふん。独り言じゃ」


 飛ばすように、鼻で息を吐いた後、コマべえが起きあがる。


「さて、そろそろ本当に立ち去ってもらおうか。馳走になった分の情報は与えたはずじゃ」


 岩から降りて、階段の方に移動しながら、メキメキと音を立て、コマべえが先ほどの大きな体に戻る。

 その場にいるだけで、体が縮んでしまうような、威圧感。


 本能的に、体が、後退を始める。


 その威圧の主は、階段の前でお座りをしているだけなのだが。


「なんで帰っちゃいけないの?」


 魔法をかけ終え、調理器具をすべて片づけたセイは、寂しそうに、そして悲しそうにコマべえに聞く。

 今の状況は、セイからしてみたら、家族だと思っていた飼い犬に帰宅を拒否されているのだ。

 理由くらい聞きたいし、話してほしいと思うのは当然だろう。


「すまんが、それは言えん。清龍と我で決めた事じゃしの。どうしても知りたいなら、そこの小僧に聞けばいい」


 前足で、コマべえはシンジを示す。


「え?」


「俺に聞けって、俺は何も知らないぞ?」


 驚いたような顔をして、セイはシンジを見る。

 その視線に、自分は無知だと言いたいかのように手のひらを見せてシンジが答える。


「どうせ、あらかたの予想はしておるのじゃろ? それで良いから話せばいい。おそらくそこまで外れてはおらぬだろうからな」


 面白くなさそうに、コマベエは鼻を鳴らす。


「……なぁ、俺からも質問していいか?」


 そういいながら、手を上げるシンジ。


「なんじゃ? 今まで誘導じみた問いかけをしてきたくせに」


 胡散臭そうに、シンジをコマべえは見る。


「いや、今までと違って、別に答えてもらわなくても良い質問だからさ」


 あははとシンジは笑う。


「それで、何を聞きたい?」


「いや、本当に、下らない質問だけどさ……向こうに、アンタより強い奴はどれくらいいるのかなってさ?」


 問うた瞬間、会話が、空気が止まる。


 木々のせせらぎだけが空間を流れ、動いていく。


「ふん。本当に下らんの」


 停止が、コマべえの鼻息と共に終わる。


 止まっていたモノが動き出した。


「答えを返すまでもないが……まぁ、『上には上がいる』と言っておくか。使い古された言い回しじゃがな」


 コマべえは少し目を上に向けると、ふぅと息を吐く。


「……もちろん。貴様の親友。『聖域の勇者』も儂より上じゃ」


 コマべぇの答えに、シンジは眉を上げる。


「……コタロウと友達とか言ったか? 俺?」


シンジのその質問に、コマべえはふんっと鼻息で返す。


「言わんでも分かる。その理由は予想出来るじゃろ? 小僧」


 そう言うと、コマべえが前足を地面に向かって振り下ろす。

 振り下ろした先は、コマべえと、シンジたちのちょうど中間。

 そこから地面に亀裂が入り、まるで谷のように地面が割れる。

 幅は三メートルほどだろうか。

 その亀裂が、ドコまでも続いている。


 おそらく、今の一撃で山が割れた。


 それは、明確に示された立ち入り禁止の印。

 


 セイの家に向かうには、この谷を越えねばならない。


 飛ぼうと思えば飛べるだろうが、越えた先にいるのは、強靱な守護者。

 誰もここを越えてセイの家を目指すものはいないだろう。


「今度こそ、さらばじゃ。時期が来れば、また会う事もあろう」


 谷の先で、コマべえが階段を背にお座りをしていた。

 まるで、狛犬のように。


「……そうか。邪魔したな」


 その様子を一瞥した後、手を軽く一振りしてシンジは元来た道を歩き始める。

 山が割れた事に、驚きは無い。

 この程度は出来るだろうと、予想していたからだ。

 それに、最後の言葉をさらに聞き返すなんて野暮な事はしない。

 コマべえの行動は、会話は終わりという意思の表明にほかならないからだ。


「あ……先輩、まってください!」


 逆に、コマべえが起こした破壊にあっけに取られていたセイが、慌ててシンジの後を追う。


「そうだ、コマべえ!」


 シンジに追いついたセイは、振り返り、自分の飼い犬に叫ぶ。


「コマべえが何なのかよく分からないけど、ちゃんとご飯食べなさいよ! 家にあるドックフード、勝手にしていいから! 雨露だけとか、カッコつけないでね!」


 それは、飼い主から、飼い犬への、純粋なお願い。

 そのお願いに、コマべえのしっぽが軽く振れる。


「承知した。お嬢も、今度の番いからは離れぬようにな」


「つ、番い!?」


 番い。

 つまり、夫婦。

 セイは顔を紅く染め、ちらりと先に下山を始めているシンジの背中を見る。


 シンジは、立ち止まっている。

 待ってくれているようだ。


「う……うううん!」


 力一杯うなづきながら、シンジに再び追いつくセイ。


 そんな飼い主の姿を見ながら、コマべえのしっぽはさらにフリフリと元気よく、振れ動いていた。


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