第117話 犬がいたからご飯にしよう

 階段に座しているコマべえからにじみ出る気配。

 ハイソよりも、濃く、強い、強者のソレに、容赦の欠片さえ無い。


 去るか、死ぬか。


 どちらの選択も、強制されてしまう二択であることを、シンジはすぐに感じ取る。


 そもそも、『超世界地図』にコマべえが表示されていなかったことから、それは分かっていたことだ。


『超世界地図』が、技能であり、その効果がシンジの感覚の視覚化であるならば、コマべえがアレに表示されていないという事は、コマべえが完璧なほど気配を消せる存在か、それともシンジの技能を打ち消せるほど強大な存在かであろう。


 そして、目の前の大きな白い犬は、おそらくそのどちらでもある。


 ならば、どう答えるか。

 二択の答え方。

 どうすればベストか。


 そんなシンジの思考の外で、彼の背後にいた人物が動いた。


「コマべえ?」


 セイが疑問符を大量に並べて、飼い犬の名前を口から漏らす。

 長年共に過ごした家族の突然の変貌。

 その家族から感じる、昨日の猫耳の少年よりも強く感じる圧迫感。

 何よりも、明らかな敵意に、セイは萎縮し思考が止まってしまっていた。


「ああ、お嬢。申し訳ない。ちょっと気が立っていたようで。お嬢は殺さないので安心を。ただ、お嬢もこれから先に進むことは出来ません」


 シンジの背後にいたセイの存在を思い出し、セイに対する敵意は無くすコマべえ。


 だが、油断はない。

 暖かみもない。

 セイは殺さないということだけが変わり、威圧は、威嚇は続いている。


「さあ、小僧。答えは決まったか? 決められなければ我が……」


 コマべえの白い体毛が逆立ち、膨れ、光る。

 明らかな臨戦態勢。


 開始されるのは、一方的な、狩り。


「よし、戻ろう!」


 そんな狩りの始まりを、シンジは手を叩いて止める。


「先輩?」


「こいつはまだ無理だ。ハイソと違って、逃げるなら危害は加えてこないみたいだし……常春さんの屋敷に向かおうとしなければ、何もしてこないんだよな?」


 シンジの指摘に、コマべえは口角をゆがめて答える。


「まぁ、そうだな。我はここを守るだけだ」


 コマべえの、半ば予想していた答えを聞いて、シンジは満足げにうなづく。


「よし。じゃあ常春さん」


 シンジはセイの方を振り返る。


「先輩……本当に戻るんですか? このまま?」


 戻るという選択に、素直にうなづけないセイ。


 ココに戻ってきてから、知りたい疑問が増えすぎたからだ。


 おそらく生きていると分かった家族のことや、自分の家のこと。

 それに何より、今目の前で巨大な化け物に変わっているコマべえのこと。

 それらの疑問を残したまま、あっさり立ち去るのは正直本意ではない。


「いや、このままじゃないよ」


 そして、それはシンジも同じだ。


「え?」


 不思議そうな顔をしたセイをそのままにして、シンジは今度はコマべえの方に振り返る。


「屋敷に向かわなければいいんだよな?」


「……そうだが」


 シンジの再度の確認にコマべえは不審そうに眉を寄せる。


「よし。じゃあ、ここでお昼ご飯にしようか」


「……はい?」


飼い主と飼い犬は、揃って同じ言葉を口にした。







「えーっと、場所はここがいいか。太陽もちょうどいいし、日陰も入るし。シートは……ゴミ袋を何枚か持ってきていたよな」


 てきぱきと昼食の準備を始めるシンジを、セイとコマべえはただ見ていた。


「おーい。常春さんも、見てないで手伝って」


 ゴミ袋を地面に広げていたシンジが、セイに向かって手招きをする。


「は、はい」


 困惑しながらも、セイはシンジの元へ向かった。

 とりあえす、シンジの言う事は聞かなくてはいけないと、思ったからだ。


「適当に、使えそうなモノ出したから何か作って。火は今から準備するから」


 アイテムボックスから取り出した食材や鍋などの調理器具を、近くにあった膝くらいの高さがある比較的平らな岩の上に広げるシンジ。

 セイはそれらの確認を始める。


「おい。小僧」


 近くにあった、拳よりやや大きめの石を集め、調理に使える釜戸を作っていたシンジに、コマべえは唸るように低い声で話しかけてきた。


「貴様。なんのつもりだ」


 半ば脅すようなドスの利いた声のコマべえに、シンジは釜戸を作る手を止めずに答える。


「なんのつもりって、言ったじゃん。昼飯の準備中。お弁当作ってこれたらよかったんだけど、さすがにそんな時間無かったからな。あ、ご飯も無いや。生米はあるけど……どうする? パスタとかにする?」


 コマべえの質問に答えている途中で、シンジはセイに話をふる。


 シンジが取り出した食材の中に、主食になりそうなモノが無くて困っていたセイはシンジの提案に安堵する。


「……そうですね。飯盒も無いですし。鍋で炊けないことも無いですけど。確かうどんがありましたよね? それにしましょうか」


 カフェから持ってくる食材を吟味していた時に、冷凍のうどんがあったことを思い出すセイ。


 セイに言われてすぐ、シンジはうどんを取り出す。


「卵もあるので、煮込みうどんにしましょうか。味噌と出汁、どっちがいいですか?」


「うーん。出汁で」


「卵の固さは?」


「半熟! ちょっと柔めが好き!」


「半熟ですね。わかりました。お任せください」


 シンジからうどんを受け取りながら、微笑むセイ。

 次はうどんに入れる具材を選ばなくてはと、広げられている材料の前に向かう。


「具は……ネギと、かまぼこにしましょうか。どうです?」


「うん。いいね。天かすとか、あったけ?」


 セイが手にした食材に頷き、シンジが自ら食材を提案する。

 ポカポカとした陽気の中で、若い男女が笑い合う。




「……なごむな!!」


 そんなほのぼのした雰囲気に、我慢が出来なくなったコマべえが吠える。

 その声で、大気が、山が、振るえて動く。


「……大きな声出すなよ。何? 味噌がよかったのか?」


 うるさそうに、耳を押さえながら、シンジがコマべえに抗議する。


「違う! 我も出汁が……じゃない! 何でここで飯を食おうとしておるのか! 我は早々に此処から立ち去れと言ったはずじゃ!」


 まるで、かみ殺すかのような勢いでコマべえはシンジに肉薄し、うなる。


「……いや、言ってないだろ」


「なんだと?」


「アンタが言ったのは、此処から立ち去るかどうかと、常春さんの家に向かわない事だけで、早々なんて時間の指定は無かったはずだ。そうだろ?」


「むっ……!?」


 シンジの反論に、返す言葉がないコマべえ。

 白い毛で覆われた眉間にしわが寄り、明らかに困っている顔になっている。


「それに、ここで小一時間過ごしても問題はないはずだろ? あるなら、もっと早く接触して来たはずだからな。違うか?」


「…………」


 シンジの返しに、コマべえは思案するように口を閉ざす。


「まぁ、いい」


 そして、そうつぶやくと、大きくなっていた体を小さく戻し、初めに遭遇した時のように子犬のような姿に戻る。


「お嬢。我にも作ってはくれぬか? 卵は半熟ではなく、固めでな」


 言いながら、小さくなった体をトコトコと動かして、釜戸を作っているシンジの横にコマべえは移動する。


「コマべえ……?」


「だってさ。さて、火の準備は出来たから、後は任せた。よろしく」


 元の姿に戻り、さらには食事のお願いまでしてきた飼い犬に、どのような反応をしたらいいか分からなくなっていたセイに、シンジは新しくうどんを一玉渡しながら場所を譲る。


「鍋の他に、フライパンもあったでしょ? フライパンでコマべえの分を作ってあげて。そっちの方が食べやすいだろうし」


 シンジ達は、少しでも多くの食料を運ぶために皿などは持ってきておらず、小さな鍋をそのまま器にしようとしていた。

 シンジとセイの分以外の鍋は、煮物などに使う用の大きなモノしかない。

 それではコマべえが食べにくいだろうとシンジはセイに提案した。


「……そうですね。わかりました」


 セイはどうすればいいか分からない反応よりも、自分の仕事を優先することにした。


 調理の準備が出来ていた小さな鍋二つの他に、フライパンを取り出す。


「……それで、小僧。貴様はどこまで知っている?」


 セイに火の元を譲り、さきほどまで食材を並べていた岩の近くにある切り株にシンジが腰をかける。

 その横にお座りをしながらコマべえが話しかけてくる。


「何も。予想はしているけど、知っているわけじゃない。だから、わざわざ飯にしたんだし」


 青々とした木々が、二人の頭上でかさかさと動く。

 もう、11月。

 冬が近いのに、この山の木々は生命に溢れ、若々しい。

 そして、ポカポカとした、まるで春のような陽気。


「ふん。そうか」


 お互い、目は合わせず、ただ黙々と調理をしているセイを見ている。


「悪いが、この場所については、教える事は出来んぞ。清龍に止められておるしの。それと、我についてもじゃ」


「……あ、そう」


 セイが、うどんを火にかけ始める。

 3つ同時に。

 置けるように、シンジが作った。


「だが、それ以外。清龍たちのおる場所なら話そう」


 それぞれの鍋の様子を見て、セイは位置を変える。

 コンロではなく、天然の火だ。

 火力にムラが生じているのだろう。


「……それでいいよ。十分だ」


 鍋が煮立ってきたのだろう。

 一つの鍋を、セイは脇に避ける。

 柔めを希望したシンジの分か、それとも、セイの分か。


「十分か……小僧。お前がここまで来た理由は、なんだ?」


「……さてね」


 言いながら、シンジは立ち上がる。

 セイが、鍋を両手に持ってこちらに向かってきたからだ。

 火にかけたうどんは三つ。


 フライパンで作ったコマべえの分が残っている。


「……なんの話をしていたんですか?」


 飼い犬と、命の恩人の会話が気になったセイに、シンジは残っていたフライパンを持ちながら答える。


「別に。世間話だよ。言ったり言えなかったり」

 

 タオルを3枚敷いていたゴミ袋の上に鍋敷きの代わりにシンジは並べていく。

 3つのうどんをその上乗せ、セイと、コマべえと一緒にゴミ袋に座り込む。


 木漏れ日とうどんが暖かい。

 ポカポカとした陽気の中、昼食を彼らは楽しみ始めた。

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