第116話 犬がいた
「……やめましょうよ。どんな事でもやりますから、これだけはやめましょう?」
山の中腹、人一人が通れるほどの山道を、セイとシンジは歩いていた。
人の通る道にだけ地面がその姿を現し、木々が生い茂っている間から光が漏れてくる。
その柔らかく、暖かみのある木漏れ日に対して、心底嫌そうな顔をしながらセイはシンジの背中に語りかける。
「い、や、だ」
そのセイのお願いを、シンジは満面の笑みで拒否する。
「……はぁ」
セイの実家がある快清山の山道に入ってから、何度も繰り返してきた、懇願。
その懇願を拒否され続け、やっと諦めたセイはがくりと頭を下げる。
「なんで、私の家に行くんですか……私は、ちゃんと言いましたよね? 私の家には誰もいないって。いた場合、命の危険があるって」
セイの家族は、まさしく猛者ぞろい。
猛者の集団だ。
その集団も、生きていたら警備の仕事で家を留守にしているだろうし、死んで死鬼になっていた場合それはただの脅威でしかない。
セイからしてみたら、セイの家に行こうとしているシンジの行動は、ただ無意味にリスクを冒しにいっているようにしか見えなかった。
自分が、自分の家族の手にかかって死ぬなら問題ないが、もし仮にセイの家族の誰かが死鬼になっていて、その誰かにシンジが殺されてしまった場合……その状況を想像し、セイは身震いをする。
それだけは、なんとしても避けたかった。
「なんでって、常春さんの家って、警備会社の運営もしているんでしょ?」
セイの心配を余所に、シンジはまるで本当にハイキングを楽しんでいるかのように呑気な表情でiGODを見ながら、セイの前を歩き続ける。
「はい。一般向けではなく、要人の警護や、大企業の警備などを主にしていましたが……」
「TSC、常春セキュリティーカンパニー……海外の大統領など、国賓クラスの要人の警護の一部も任されるほどの、国内でも屈指の実力を誇る警備会社。少数精鋭主義で、従業員数は少ないモノの、その一人一人は、日本でも有数の実力を持つ武道家ぞろい」
すらすらと、iGODを見ながら、シンジが言う。
「……え?」
「ちょっと、調べてみた。正しい情報か分からないけど」
シンジは、セイに自分のiGODを見せる。
「道を歩きながら、ちょくちょくね」
にこりと、自慢げにシンジはセイに笑ってみせる。
「さっきから、やけにiGODを見ていると思ったら……それ、そんな事も出来るんですね」
セイは、呆れたようにシンジを見る。
「まぁ、俺のiGODならね。ところで、どう? 俺が言った情報はあっている?」
セイはふてくされたように唇をとがらせながら、答える。
「……そうですね。多分そんなに間違っていないと思いますよ? 私も祖父や父の仕事に詳しい訳ではないですが」
「ふーん。じゃあ、お金持ちなんだ」
シンジの唐突な質問に、セイは首をかしげる。
「え? ……まぁ、お金持ちというほど、裕福ではなかったと思いますけど」
「よし、行くぞ!」
急に、シンジの歩くスピードが早くなる。
「えっ!? なんで……あっ! もしかして、先輩、私の家にあるお金を……!」
ペースが上がったシンジに慌ててセイは追いつく。
「ひゃはぁー! 大金があるはずだぜぇ!」
「無いですって! そんなに裕福な家じゃないです。私の家! 普通です! 普通!」
妙なテンションのシンジと、そのテンションについていけないセイ。
二人はどんどん山道を登る。
「常春さんに良いことを教えてあげよう」
早足で歩きながら、人差し指を立てシンジは言う。
「な、なんですか?」
「お金持ちって、自分の事、普通って自慢するんだよ」
笑いながら、シンジは進む。
「うっ……もう! もう少しゆっくり歩いてくださいよ!」
シンジの言葉に上手く反論できなかったセイは、そのままシンジの後を付いていった。
「はぁはぁ……も、もう少し落ち着きましょうよ。もし魔物とか出てきたらどうするつもりなんですか? 私の祖父の死鬼と鉢合わせしたら、本当に死んでしまいますよ? もう私の家はすぐそこなんですから」
中腹を越え、道の途中にあった岩に腰をかけるセイ。
その横に、シンジも座る。
少しだけ休憩だ。
シンジも、額に汗を掻いている。
「大丈夫だよ。この周辺に死鬼はいない。多分」
アイテムボックスから取り出した水を飲みながら、シンジは言う。
「なんでそんな事が分かるんですか。ここは、木も生い茂っていて、死角も多いんですよ?」
セイは辺りを見回す。
必要最低限、人が通る道以外、ほとんど人の手が入っていない快清山の森は、木々や植物が入り乱れ、半ば樹海のようになっている。
そのため、山道を作る前はこの山に登った人が遭難することもあったそうだ。
別名『怪精山』
神隠しにあう怪奇の山、精霊の山と、快清山は昔言われていたそうだ。
「コレ、見てみて」
そんな山にいるのに、のんきにiGODの画面を見ていたシンジは、セイにその画面を見るように言う。
「これは、地図、ですか?」
セイが見た画面は、緑色がそのほとんどを占めていて、その間をうねうねと茶色い線が走っていた。
中央には、青い丸が二つだけ存在している。
まるで、大手のIT企業が、ニュースなどによく提供している高性能の立体地図のようなモノが、シンジのiGODに表示されていた。
「そう、旅人の技能『地球図』超高性能の地図を、表示させる能力だよ」
シンジは、iGODの画面に触れて、画面に映っている地図を動かしていく。
拡大されていた画面が縮小され、映し出される範囲が広くなった。
「この地図は、さっき言っていた常春さんの実家の情報みたいに、山とか建物とかの詳しい情報も載っているんだけど、それ以上にスゴいのは、周囲の死鬼や魔物の位置を教えてくれること」
縮小され、映し出される範囲が広くなった地図には、シンジたちの青い○の他に、赤い○がまるで快清山を囲むようにいくつか点在していた。
「範囲はだいたい一キロくらいかな。まだ詳しい仕様はわかってないけど、とにかく、常春さんの家に死鬼はいないと思うよ」
シンジは、iGODを自分の手元に戻す。
「……もしかして、道中、遭遇したのが、魔物ばかりで、死鬼には一度も会わなかったのは……」
「避けてきたからね。なるべく死鬼の反応が無い道を通ってきた」
シンジの回答に、セイは不服そうな顔を浮かべる。
「……そんな便利なモノがあるなら、私が警戒する必要あったんですか?」
シンジが自動販売機からお金を回収している間だけでなく、セイは常に銀行からここまで周囲を警戒し続けてきたのだ。
シンジが事前に魔物の位置を把握していたというなら、セイの警戒は不要だったはずだ。
それなのに、シンジに任せられたからと、張り切っていたセイは、まるで道化ではないか。
「必要だったよ」
セイの不服が、情けなさと恥ずかしさに変わり始めた時、シンジは答える。
「常春さんの警戒は必要だったし、これからも必要だ」
「どうしてですか?」
魔物の位置が分かるなら、警戒する必要はないはずだ。
「警戒しなくちゃいけないのは、魔物や死鬼だけじゃない。人もだ」
「あっ……」
シンジに言われ、セイも気づく。
敵は死鬼でも、魔物でもない。
もっとも警戒すべきは、人だ。
「この画面には、俺と常春さんが青い○で表示されているけど……他の人がどうなるか分からないんだよね」
「え? 普通に、表示されるんじゃ……」
「うーん……どうだろうね?」
シンジが頭を横に捻る。
「表示されるかもしれないし、されないかもしれない。学校にいる時に試していたら良かったんだけど……」
「しなかったんですか?」
「うん。忘れてた」
あははと笑うシンジ。
以外と、抜けている男である。
「……それに、これはまだ検証中なんだけどさ、多分この地図に表示される魔物の条件って、実はかなり限定的なんだよね」
「限定的?」
「そう、まず虫とか、小さい生き物の死鬼は表示されない。後は、動けなかったり、閉じこめられているモノも、表示されないっぽい。たとえば、銀行の金庫に閉じこめられていた死鬼とか」
「銀行でも、使っていたんですか?」
「うん。金庫の中にいた死鬼には、この地図は反応しなかったんだよね。だから金庫を開けた時は驚いたよ」
金庫の中の様子を思い出すセイ。
セイは一瞬しか金庫の中を見ていないが、確かに中にいた女性の死鬼は、身動きできるような状態ではなかった。
「多分だけど、この地図は俺の感覚を視覚化しているだけじゃないかな」
シンジは、地図に対する自分の考察を続ける。
「視覚化?」
「うん。俺の感覚を研ぎ澄まさせて、イメージに変える。だから、虫とか、普段意識していない生き物にこの地図は反応しないし、閉じこめられていたり動けない死鬼には警戒する必要がないから、表示されない」
シンジは、セイの目を見る。
「だから、やっぱり警戒は必要なんだよ。俺が察知出来ない敵は、この地図に表示されない可能性があるんだし。もし気配を消して俺たちを襲おうとしている『人』がいた場合とかね」
強調された『人』の言葉に、セイはうなづく。
「そういえば、さっきこの山には死鬼はいないって」
「死鬼は今まで戦いまくって来たからね。この地図が無くてもなんとなく気配は分かるし……さすがに常春さんの家族が強い人達でも、死鬼になったら気配を消したりしないでしょ。欲望で動いてしまうんだし」
気配を消したいという欲望をもって死んでしまったら、分からないが。
ただ、そのような欲望を持って死んだ場合、恐らく誰かを襲うことなく、隠れ続けるだろう。
どっちにしても脅威ではない。
「じゃあ、私の家族は……」
「生きているんじゃない? この周囲に反応がある生き物は、俺と常春さんだけだし。少なくとも、死鬼がいる感じじゃないよ」
シンジがそう言うと、セイの顔が急に明るくなる。
「……そうですか」
「多分だけどね。それを確かめるためにも、そろそろ行こうか。もうそんなに遠くないでしょ?」
「はい!」
セイは腰掛けていた岩から立ち上がり、自ら歩き始める。
自分の家族が生きている可能性が高いと分かったのだ。
そうなると、やはり嬉しいし、確かめたくなるのだろう。
進み始めたセイの後ろ姿を見ながら、シンジも立ち上がり、セイの後を付いてく。
先ほどとは真逆の立ち位置に、シンジは思わず微笑みながら、歩いているセイに声をかける。
「そういえば、話の続きだけど……」
その声を、シンジは途中で止めた。
地図で見た限り、シンジたちが休んでいた場所はセイの家まで本当にあと少しという場所のようだとシンジは思っていた。
角を曲がり、その先にある石で出来た階段を登れば到着だ。
シンジがセイに話しかけたのは、ちょうどその角を曲がった時だった。
角を曲がると、セイの家に続く階段のある光景がまるで来客を拒むかのように待っていた。
圧迫感さえ感じる、途方も無く続く石の階段。
階段の先は見えない。
軽く五百は段がある。
その階段をまるで覆うように、そびえるように並んでいる周囲の林。
「あ、コマべえ」
そんな凶悪な階段の前に、一匹の真っ白い小柄な犬が姿勢を正してお座りをしていた。
大きさは、小柄な中型犬程。
子犬と言われても違和感がない、真っ白いマメシバのような可愛らしい犬だ。
その犬に、セイは親しげに名前を呼びながら駆け寄る。
この犬は、セイが生まれたときから家にいる飼い犬である。
名前は常春コマべえ。
久々の自分の家族との再会に、セイは顔をほころばせながらコマべえを抱き上げる。
「コマべえ、久々だね。良かった。無事で。寂しくなかった? ご飯は? 食べれてる? 一人にさせてごめんね」
ふわふわとした毛を堪能しながら、セイはコマべえに話しかけた。
コマべえは、基本的に放し飼いされていた犬である。
家の敷地からいなくなることがあるが、山からは一歩も外に出ない賢い犬で、今も家に続く階段を、まるで守るかのようにお座りしていた。
その光景だけで、セイは胸が張り裂けそうなほど感動し、瞳から涙があふれそうになる。
「よし、家に帰ったらご飯にしようか。おいで、コマべえ」
コマべえを地面におろし、何事もないかのように階段を登ろうとするセイ。
五百はある石の階段に、真っ白い小さな飼い犬。
その光景は、セイにとって当たり前の日常であり、何も違和感が無いモノだった。
だから、セイはいつもどおり、歩き出したのだ。
「待って、常春さん」
シンジが、戸惑っているのに。
「え? どうしたんですか? 先輩?」
シンジの、そのどこか張りつめている声に、不思議そうにセイは振り返る。
「あー……もしかして、この階段にビックリしました? 初めて来た人は、皆、驚くんですよね。確かに、ここまで長い階段って滅多にないですからね」
苦笑いしながら、自分の自宅へ向かう階段を見上げるセイ。
実のところ、セイの両親が経営している道場には、入門希望者がかなり来る。
だが、その大半は一日来てすぐに辞めてしまうのだ。
その理由が、この階段である。
五百を軽く越す階段は、普通の者は歩いて登るだけで、息が切れ、疲れ果てる。
ただでさえ、道中山道を歩いて来なくてはいけないのに、さらに続くこの階段のキツさに、大抵の者は心が折れ、通うことを辞めるのだ。
「でも、先輩の体力なら、そんなにキツくは……」
「違う。そうじゃない」
シンジは、警戒した面もちで、蒼鹿と朱馬の双剣を構える。
「……先輩?」
「言ったよね? 今、周囲にいる生き物の気配は、俺と常春さんのモノだけって。じゃあ、ソイツは、何?」
シンジは、セイの後ろ、階段を指さす。
「え?」
シンジの指し示した方には、いつの間にか階段を十段ほど登っていた、真っ白くてふわふわとした毛並みの小さな犬。
コマべえがお座りしていた。
「……ほう、見かけによらず、聡いな、小僧」
その、コマべえから、どこか威厳を感じさせる声が聞こえてくる。
「……コマべえ?」
「下がって、常春さん」
初めて聞いた飼い犬のその声に、セイはシンジに言われるまでもなく一歩後ずさりをした。
その一歩に合わせるかのように、コマべえの体がいびつな音を立て始める。
「くっ!」
慌てて、シンジはセイの元に駆け寄ると、セイを自分の背後に下がらせた。
「悪くはない。だが、時期が悪い」
音が鳴るにつれ、コマべえの体が変わっていく。
大きく。巨大に。
「選べ、小僧」
音が、終わる。
終わると、シンジたちの前には、巨大な犬がいた。
ライオン、虎。
乗用車。軽トラック。
それらと比べても、あまりにも大きな、白い犬。
彼がそこにいるだけで、十は階段が埋まり、見えなくなる。
変化を終えたコマべえは、まるで駅に貼られている巨大な広告の有名人のように、シンジに対して威圧し、押しつけてきた。
「去るか、それとも死ぬか」
強制的な二択。
シンジは息をのんだ。
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