第114話 銀行が綺麗な理由
「……ふぅ」
銀行の奥の隅っこにひっそりと設けてあった、おそらく行員の人たちが使っていたと思われる小さな休憩室のような場所。
世界が変わってからは、この銀行にいた人々はここで避難していたのだろうか。
至る所にカップラーメンや缶詰のゴミが落ちており、端の方にはまだ使用していない水や食料などが大量に置いてあった。
そこで、セイは暖かい缶に入っているミルクティーを飲んでいた。
一口飲む度に、息を吐いて、心を静めようとしている。
まだ残っている、この目で見た凄惨で暴力的な光景の残滓を吐きだしながら。
金庫の中で起きていた光景を見た後、セイはすぐに金庫から目をそらした。
人として、許しがたく。
女性として、恐怖と、怒りと、そして憐れみを覚えるその光景に対して、ほぼ反射的にとった行動だ。
自分から中を見たいと言ったセイのその態度に、シンジは何も言わずに金庫の中に入っていった。
そして、死んでもなお辱められている女性たちの内部に入れられていた道具を外し、体を魔法で綺麗にしていった。
死んでいたセイの体を綺麗にした、光魔法の『ジョーキー』だ。
そうやって、ある程度女性達を見られるようにした後、シンジは観察を始めた。
金庫の様子、女性達の衣服の状況、入れられていた、成年雑誌や動画などでしか見たことの無いような、卑猥な道具。
一通り観察を終えたシンジは、女性達に修復魔法をかけた後、彼女たちの拘束をとき蒼鹿を当てて凍らせた。
計5名。
ほとんどがこの銀行に勤めている女性の様だったが、中には利用客と思われる私服姿の女性もいた。
彼女たちの共通点は、皆容姿が整っていたことだろうか。
女性たちを凍らせた後、シンジは金庫の扉を静かに閉めた。
鍵は開けたままにして。
その後、シンジとセイは銀行の休憩室に向かった。
落ち着きたかったからだ。
セイも、シンジも。
そして、そこに設置してあった自動販売機にシンジは命令してミルクティーを一本取り出し、セイに渡したのだ。
「……どう? 落ち着いた?」
休憩室の扉の近くで、警戒するように外を見ていたシンジがセイに声をかける。
「はい。……その、すみませんでした。先輩が、見るなと忠告して下さったのに」
「いや、いいよ。許可したのは俺だし。情報を共有しようとするのは、悪いことじゃないしね」
シンジはセイを見て微笑んだ後、右手に持っていたタブレット端末の様なもの。
iGODに視線を落とす。
「……よし。俺は今から、この銀行を一通り見て回ろうかと思うけど、常春さんはどうする?」
シンジの提案を聞いて、セイはすぐに立ち上がる。
「私も行きます!」
そう言ったセイの表情は、まだ青い。
「ツラいなら、休んでてもいいけど」
「今度は、大丈夫です。我慢します!」
我慢する、ということは大丈夫ではないのだが。
シンジの後をついて行き、再び先ほどのような光景を見てしまうかもしれないことと、シンジから離れること。
セイの中で二つを天秤に掛けて、結果シンジの後をついて行く事になったのだろう。
そう、シンジは推測した。
「……わかった。じゃあ、行こうか。そんなに広い場所じゃないし、時間は掛からないと思うし」
それから、シンジ達は、銀行の内部を見て回った。
清潔なトイレ、綺麗なロッカー。
あっけないほど、どこにも異常はない。
銀行には、セイが死鬼となった行員と戦った場所以外、争った形跡どころか、傷一つ、汚れ一つなかった。
例外があったとすれば、入り口の近くにおいてあったATMくらいだろうか。
シンジが命令して内部を確かめてみたが、一円もお金は無かった。
探索を終えて、再び休憩室に戻ったシンジは、自動販売機に命令してからホットのコーヒーを取り出す。
「常春さんも、何か飲む?」
「いえ、私はさっき飲んだばかりなので」
シンジの真横に立っていたセイが、首を振る。
「そう。じゃあ、ちょっとど……そこから離れて、俺の後ろに来て」
退いて、というセイが傷つきそうな言葉を避け、セイに位置を変えるよう言う。
「ここ、ですか?」
一切戸惑う事無く、シンジの真後ろにセイは移動した。
近すぎるくらいに、真後ろに。
ギリギリ、セイの大きな胸がシンジの背中に当たらないくらいに、真後ろに。
セイの温度が、シンジの背中に伝わってくる。
(……じらしプレイっ! ありがとうございます! ……じゃない。そうじゃない)
そのムズムズと感じる人肌の温度に誘惑されながらも、シンジは本来の目的を思い出す。
「……『アーキー』」
金庫へと続く扉を開ける事が出来なかった解鉤魔法を自動販売機にかけるシンジ。
すると、自動販売機から小気味いい解放音が聞こえ、銀色の取っ手が飛び出て来た。
「魔法で自動販売機の鍵を開けたんですか?」
「うん。このレベルの鍵なら、今の俺の魔法でも開けられるみたいだね」
自分の魔法が成功した事を喜びながら、シンジは取っ手を掴んで自動販売機の前面を開いていく。
「……自動販売機のお金はあるのか」
そして、中に入っている現金を取り出したあと、シンジは自動販売機を閉めた。
シンジはその数万円程度のお金を全てポイントに変換した。
「さて、じゃあ行こうか、常春さん」
お金を回収したシンジは、もう用は無いとばかりに銀行から出ようと歩き始める。
「え……? もう、行くんですか?」
そのシンジのあっさりとした行動に、セイは思わず戸惑う。
「だって、もう用は無いじゃん。ほかにお金のありそうなモノ無いし。元々、ここにはお金を回収しに来たんだしさ。予定よりかなり少額だったけど」
「そう、ですけど……そうですね。おっしゃるとおりです」
何か言いたげなセイだったが、少し悩んだ後、その言葉を飲み込む。
「何? もしかして、あの金庫の中であった事が気になっているの?」
歩みを止めて、セイの方を向くシンジ。
「いえっ! そのような事は決して!」
シンジが止まるのを見て、また邪魔をしてしまったのではないかと思い、セイは首と両手を振りまくる。
「無理はしなくていいよ。気になるのはしょうがないと思うし。ただ、どっちにしても、もうこの銀行に用がないのは変わらないよ」
そう言うと、シンジは、再び歩き始めた。
「でも、その、もしかしたら、よく探せば私たちよりも先にこの銀行を襲った奴の手がかりがつかめるかも」
セイはその後を追いながら、シンジに質問する。
「何も残って無かったし、何も残って無いと思うよ。傷も、汚れも、血の跡も、全部が建てられたばかりみたいに、綺麗でピカピカだったでしょ? たぶん、この銀行そのものに、一度『リーサイ』か、ソレに似た魔法、もしくは技能が使われている」
「……なるほど」
セイも、この銀行の清潔だと思っていたが、気にはしていなかった。
そもそも銀行は清潔だというイメージもあったし、気にする余裕も無かったのだ。
「さすが、先輩ですね」
声の調子を落としながら、つぶやくようにセイは言う。
シンジに言い負かされたからではない。
単純に、残念だったのだ。
女性たちを、あのような目にあわせた奴らの手がかりが無いことに。
懲らしめようとは思っていないが、懲らしめたいという気持ちはある。
あの銀行で起きた出来事は、セイにとって人事では無いのだ。
「まぁ、俺たちより先にこの銀行を襲った奴らがどんな奴かは、ある程度予想出来たけどね」
そんなセイの気持ちを見越してか、シンジは事も無げに言う。
「え?」
「まず、この銀行を襲ったのはたぶん人だ。人間を性的に襲う魔物はいるみたいだけど、お金もきっちり奪っているし、なにより女性に対して道具を使っていた。それに、証拠隠滅のためか、それとも銀行襲うってアイデアに気付かれないようにするためか分からないけど、『リーサイ』か何かで銀行を襲った事を分からなくしてたし、俺たちのように、iGODを持っている人間の集団が、この銀行を襲ったと思って間違いないと思う」
シンジの意見に、セイは納得しながらうなずく。
漠然とだが、セイも同じ意見を持っていたからだ。
ただ、シンジの様に、何らかの情報を元に思っていた意見では無いのだが。
「そして、奴らはとても裕福だ。この銀行を襲ったからじゃなくて、たぶん、この銀行に来る前から」
「……なぜ、そう思うのですか?」
シンジの意見は、セイが想定していなかった銀行を襲った奴らのプロファイリングだ。
どこから、彼らが裕福だと予想したのだろう。
「自動販売機にお金が残っていたからね。小銭には興味も無かったんでしょ。あと、さっきの休憩室にあった食料にも手を付けてなかったみたいだし。金額的にも、物資的にも、余裕がある奴らと思っていい」
確かに、シンジたちも当面の食料に余裕があるからこそ、先ほどの食料や自動販売機の飲みモノを放置してきたのだ。
今の状況を考えれば、食料は出来るだけ確保したほうが良いはずだ。
なのに、ソレを放置しているという事は奴らはかなり余裕なのだろう。
余裕で、あの惨事を起こしたのだ。
「まぁ、ここまでは結構どうでもいい情報だけどね」
「どうでも、いい?」
「ああ、本当に重要なのは、奴らは、おそらくこの銀行にいた、生きていた人を殺して金庫を襲ったって事」
シンジのその言葉に、セイは思わず歩みを止める。
「……どういう事ですか?」
「この銀行で初めて遭遇した死鬼たちのこと覚えている? あの人たちの服、胸に綺麗な穴が開いていたでしょ?」
シンジも立ち止まり、セイに質問する。
「はい。そうですね、確かに胸の位置に拳よりも少し小さめの穴が開いていました」
あの死鬼たちとは、セイが直接戦ったので、覚えている。
男性も女性も、服に穴が開いていた。
「実は、金庫にいた人達の服も開いていたんだけど、あの穴の場所以外に血は出ていなかったんだよね。……まぁ、生きている時に出るような、激しい出血って意味だけど。とにかく、出血の様子から見て、あの穴が開いた時の攻撃が致命傷になって、この銀行にいた人は死鬼になった」
シンジは、自分の胸に手を当てる。
「だから、俺は、初め、あの穴は魔物がやったと思っていたんだ。あの黒触手みたいな魔物がさ。死鬼はそんな攻撃しないし。でもそうすると、おかしな事がある」
シンジが、手を広げる。
その動作で、セイは今更ながら気が付いた。
いつの間にか、セイたちが入ってきた場所、銀行の受付があるエントランスに、戻ってきていたのだ。
「おかしいでしょ?」
「……え?」
自分たちがいる場所に驚いていたセイは、呆けたような声を返してしまう。
「あー……いや、ほら。もし触手の魔物がいたら、どこから出たんだろうってさ。ここにくるとき、ちゃんとシャッターが下りていていて、どこにも何か出入り出来そうな穴は無かったしょ?」
そんなセイの様子に戸惑いながら、シンジは話を進める。
「は、はい。そうですね」
慌てながら、シンジの意見に肯定するセイ。
「まぁ、簡単に言うとさ。誰も出たり入ったりした様子の無い銀行には、胸に穴の開いた死鬼以外何もいなかった。胸に穴が開いているから、彼らを殺したのは、噛みつくことしか出来ない死鬼じゃない。この銀行には死鬼しかいなかったのに。じゃあ誰が殺したのか。状況的に金庫を襲った奴らじゃないのか。そんな話」
今までの情報をまとめるシンジ。
話が長くなりすぎたと思い、シンジとしてはそろそろこの話題は切り上げたかったからだ。
「……なるほど」
シンジのまとめに、セイは噛みしめるように何度もうなづく。
そのたびに、この銀行を襲った奴らに対する怒りが強くなる。
「じゃあ、これからどうするんですか?」
生きている人を殺したかもしれない奴ら。
命を奪うだけでなく、死んだ後も尊厳さえ踏みにじるような行為に及んだ奴ら。
人として、到底許される奴らでは無いはずだ。
セイは、シンジを見つめる。
頼れる、強い、シンジをまっすぐと。
「どうって、どうもしないよ」
そんなセイの目をしっかりと見ながら、シンジはいつも通りひょうひょうとした口調で言う。
「はい?」
「今話したのは全部予想で空想で憶測だからな。証拠なんて残ってなかったし、アレをした奴らを特定出来そうな情報もない。それに、前も言ったけど、俺は今の状況で悪いことをしている奴らに関わりたくない。メンドクサい事になるから」
シンジは、そう言って自分が開けた壊れたシャッターを指さす。
「だから出ようぜ。こんな場所。ちょっと行きたい場所もあるし」
「……はい。分かりました」
少し、ふてくされたような顔をうつむいて隠しつつ、シンジの意見に従うセイ。
シンジの意見が正しいことは、学校でイヤというほど体験したし、それにセイはシンジの言うことに従うと決めているのだ。
どこか腑に落ちない感情を抑えながらセイは歩き始める。
「……あ、そう言えば言い忘れていた事があった」
セイが付いてくるのを確認した後、歩き始めようとしたシンジは、急にクルリとセイの方を向く。
「な、なんですか?」
突然シンジに振り向かれたセイは、顔を真っ赤に染める。
そんなセイを無視して、シンジは言う。
「しっかり付いてきてね」
「……?」
「街には死鬼や魔物だけじゃなくて、危ない人もいるって分かったし、多分これからは学校以上に警戒が必要になってくると思う。俺が前、常春さんは後ろ。俺の後に付いてきて、後ろを特に警戒して。俺は前を重点的に見るから」
「は……はい!」
シンジからの命令を聞いて、セイは先ほどの落ちていなかった感情など忘れたかのように元気に返事をする。
笑顔さえ、浮かんでいるようだ。
(……これで元気は戻った、かな。常春さんの調子が悪いのは、ちょっと困る)
満面の笑みを浮かべているセイを後目に、シンジは自分の持っている二本の剣を見つめる。
(……全部予想、だもんな)
もう一つ、セイに言ってなかった予想を、シンジは飲み込む。
『奴らは、どうやってこの銀行に潜入し、そしてあの強固な金庫を開けたのか』
その疑問からくる、予想。
まだ生きていた職員を脅して、開けさせたのか。
シンジと同じように、『自宅警備士』の技能で、開けたのか。
これらなら、まだいい。
だが、もし違うなら。
シンジは、力強く剣を握る。
(どっちにしても、ポイントが足りない。だから、まず……)
シンジは、銀行から出る。そのすぐ後に、セイ。
学校から少し離れた、小さな山をシンジは見た。
直線距離で、一キロも無い。
住宅街の中を歩いて、2~3キロといった所だろうか。
(ちょっと予定より遅くなるかもだけど、しょうがないよな)
後ろで鼻息が聞こえそうなほどハリキリまくっているセイを連れて、シンジは小さな山に向かった。
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